#25 邂逅、再生

「今回は本当に、この村のホイトを助けてくれて、感謝してもしきれん」


 集落の中でも一番大きな、集会所。他の人々も皆見ている中で、集落のおさである痩せ細った老人から、手をついて礼を言われ、3人そろって謙遜する。


「いやいや、あの、僕達たまたま近くにいただけですし」

「マティウスさん、普通の人間が近くにいただけでは、あの化け物を倒すことはできない。冒険者だから、救って頂けたのだ」


 なんだか照れ臭くなってしまって、アイナと顔を見合わせ、頬を掻いた。




 あの後すぐに戻ろうとしたが、青年ホイトから「恩人だ、どうしてもお礼がしたい」「さっきの笛の音でみんなも起きてるから」と集落に引っ張って来られた。


 普段は寄り合いに使っているであろう集会所。栄えた村ならレンガ造りの建物も多いが、昔ながら木造建築で、ところどころヒビが入っていた。




「うちのホイトを……ありがとうございました……!」

 青年を抱きかかえた母親が、涙を服の袖で拭きながら右手の籠を持ち上げる。


「これ、この辺りで取れる果実なんです。良かったら」

「いや、そんな。別に何も――」

「ぜひもらって下さい。まだ旅の途中なんでしょう? その背中に、ね」


 そこまで言われると、断りづらい。俺達3人でリュックをおろし、紐を緩めて口を開けた。


 すると。


「これ、少し離れたところで取れる木の実」

「本当にありがとうねえ。お魚、乾燥させてるから、焼けばすぐに食べられるわ」

「うちで育ててる野菜だ! そのままでも齧れるからな、歩きながらでも食べてくれ!」

「え、いや、あの……」


 寄ってたかって食べ物を入れられ、あっという間にいっぱいになる。

 苦笑いしながら背負い直すと、思いやりの重さがずしりと肩にきた。



「マティウスさん、オリヴェルさん、アイナさん」

 長が真剣な表情で口を開いた。周囲の空気が一瞬にして変わる。


「あれは……あの化け物は、この近くにまだ大量にいるのですか?」

「え……」



 言葉に詰まった。


 今回ホイトはかなり奥の森、本来人間が行ってはいけないと言われている場所まで果実を取りに行っていた。おそらく、おそらく、そこまで進まなければヤツには遭遇しない。


 ただ、いないとも言い切れない不安はあった。



「えっと――」

「大丈夫ですよ」


 答えに窮した俺を、マティウスが「心配要りません」と遮った。


「僕達もこの近くを探索していましたが、アラトリーは見つかりませんでした。多分、あれはたまたま他の群れからはぐれた1匹でしょう」

「そうですか……それは良かった」


 長の顔に、大きな安堵が見て取れる。それを見るマティウスもまた、愁眉を開く。


 この人達にも暮らしがある、低い可能性のために余計な心配をかける必要はない。剣士の顔は、そう俺に語りかけているようだった。



「ねえねえ!」


 お暇しようとする俺の防御服の裾を、小さい子がクイッと引く。灰色のくりくりパーマが可愛い、6~7歳くらいの男の子。


「冒険者って、僕でもなれる?」

 その質問に目を丸くする。10数年前の俺と重ね合わせて、屈んで頭を撫でた。


「なれるよ。今から一生懸命勉強して修行すれば、きっとなれる」

 途端、目をキラキラさせて腕をブンブン振った。


「ボクもパーティー組む! パーティーってすごい! アラトリー倒せるなんてすごい!」



 子どもの無垢な声は時に残酷で。パーティーがどうなるか分からないなんて想像もしてないで。この場に1人足りないなんて思いもしないで。



 でも、でも。俺は君だったんだよ。そうやって小さな体に希望と熱量を灯して、ずっと歩んできたんだ。



「うん、みんなで協力すれば、倒せるよ」

 そう言うと、小さな勇者はニカッと笑った。




***




「……良い人達だったね」

 元の場所に戻るため、全力で降りてきた坂を登りながら、アイナが小さく呟いた。


「だな」

 


 そこで、ややあって。



「守ってあげたいなあ、みんな良い人達だから」

 彼女の声は、ひどく揺れていた。


「……守ってあげたいなあ、冒険者なんだから」


 その言葉に、何か奥底で滾っていたものが決壊した。頬が熱い。

 どうやっても、涙が止まらない。




 なぜまた旅に出ようと思ったのか。夜通し自分自身の中に潜って、少しだけ分かった気がする。


 綺麗な建前はあった。この国を守る。アラトリーを討伐して、グルネスの民を守る。そのために宮廷直轄の討伐局があり、その局長であるトーヴァの依頼で動いている。国のために、この力を役立てられればいい。他の人にはない力を持てたんだから、俺にはそれを活かす義務がある。



 でも、本当は違った。それは、副次的なもので。もっともっと、原始的な欲求が、自分を突き動かしている。



 国を守るのは、手段の1つ。村人を救うのも、数ある手段の1つ。




 もう一度、誰かの役に立ちたい。それだけだった。




 ハウスにいた2年間、不自由なく暮らして、有り余る時間を遊んだ。傷を癒しながら、「もうあんな旅は、あんな想いはごめんだ」と感じながら、それでもきっとどこかに、もう1人の俺が隠れていた。「誰かに必要とされたい」と。



 だから、逃げ出さない。欠陥の能力でも、不完全な魔法でも、それが回り回って、巡り巡って、誰かを幸せにできるなら、それはどんなに嬉しいことで、どんなに幸せなことで。



 国からの表彰なんて、無くていい。

 みんなから直接お礼を言われなくたって、構わない。

 自分自身が「貢献した」と、「役に立った」と、そう思えたら、それで十分だった。




「俺の手で、出来ることをしたいんだよ」


 思考が涙声になり、2人に伝わる。

 全身を現した太陽が彩る朝は、なんだか見蕩れてしまうほど綺麗だった。


「魔導士でさ、攻撃魔法しか覚えてないけどさ。さっきみたいに助けられるなら……もっと続けたいんだよなあ!」


 うん、うん、と、アイナは何度も頷いた。


「私も、パーティーを支えたいの。勲章も報奨金も要らないの。私がいたパーティーが、誰かを救ったんだって、誇りたい!」


 叫んだ勢いのまま、彼女は前腕でグイッと目を拭く。口を縦に大きく開け、決意を空気に溶け込ませるかのように息を吐き出した。


「……僕も、そう在れたらいいな」

 先頭のマティウスが振り向き、視線を腰元の剣に落とす。



「色んな犠牲を払って得た能力だから、自分が『やってよかった』って笑えたらいいな」



 みんな、一緒。旅に出た想いは、きっと一緒。




「……ギアがさ。最期に言ったよね。オレは後悔してないって。やりたかったことが出来たって」

「ん、言ってたな」



「僕、さっきまではさ、敵討ちが出来たことを喜んでたんだと思ったんだ」

「……違うのか?」


 俺もそう思っていた。何年もの恨みと悲しみを、矢に込めることが出来たのだと。


「多分さ、僕達と同じなんだよ」


 上を見上げるマティウス。木の食器に一筋の水を垂らしたように濡れた頬を、陽光が優しく照らす。



「2年も3年もハウスにいて、ただ傷を癒すために過ごしてきたけど、最後に、自分の力を誰かのために使うことが出来た。だから、後悔してない」



 ああ、うん、ああ。



「そうかもな」

 今となっては本当のことは分からないけど。そう捉えた方が、全員同じ気持ちだったって思う方が、幸せだよな。




「アイナ、マティウス」

 口にする必要は、ないのかもしれない。


「旅、続けようよ」

 でも、言いたいんだ。ちゃんと3人で、足並みを揃えて、進みたいんだ。



 ほんの少しの沈黙が、驚くほど長く感じられる。

 断られたらどうしようか、1人でも続けようか。後ろ向きな思考の歯車がギリギリと回り、唾を飲む音が大きく聞こえた。



「うん、私も続けたい」

「……じゃあ、決まりだね」

 2人の微笑に、固まりかけていた心が溶かされる。




 この3人は家族で。あの時のパーティ―より、戦いの経験は少なくて、連携も不完全で。


 それでも、いいじゃないか。このメンバーなら、あの時みたいに歩けるかもしれない。そんな気がしている。



「正直さ、アイナの言ってたことは間違ってないと思うんだ。俺も、2人とは、元のメンバーより上手くやれる自信はない。パーティーの期間も短いし」


 3人で向かい合って、互いに目を合わせる。


「でも、ちゃんと一緒に戦える冒険者だって認めてる。それでいいんじゃないかな」

 眉を上げたアイナが、「いいわね、オリヴェルの考え」と歯を見せた。



「私もよ。オリヴェルの魔法も、マティの剣も、そりゃあ少しは難があるかもしれないけど、一緒に戦えると思ってる」

「僕もだよ。『制限内の規格外ストレンジ・ストリング』のオリーと、『不可視の法術ダブル・インビジブル』のアイナ、それに『血の無い所に煙は立たぬスモーク・オン・ザ・ブレード』。二つ名がついた冒険者が集まれば、対抗できる」




 ボロボロになって、ハウスに来て、また大事な人を失って。俺達はまた、旅を続ける。


 国のため、国民のため、それはもう後回しだ。


 まずは自分、自分のため。



「行くぞ」

「んっ、だね」

「行こう」




 昨日焚火をしていた場所に戻ってきた。黒くなった木と鎮火の水でぐしょ濡れの灰が、散らばっている。



 炭になりかけた心に、もう一度火をつけて、俺達は目的地に向かって足掻ぎながら進んでいく。

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