第5章 落ちた底から
#22 絆の傷
「アイナも、コーヒー」
「ん、ありがと……」
夜が次第に深まる。濃い色の葡萄で塗り潰したような、黒い空。
コップを持って座っている俺達3人の前には、今の状況を慈しむかのように、焚火が優しい炎をあげていた。
体は、埋めた。目標の行程とは別方向、かなり外れたところに集落があることが分かったので、スコップを借りに行った。
ゆっくり歩いていると体が悔恨の毒に蝕まれてしまう気がして、全速力で走った。借りに行って、戻ってきて、掘って埋めて、3人で走って返しに行って、そのまま集落の近くで疲れ果てた。
全て終わった今は、昨日ならとっくに寝ている時間。それでもどうにも眠れず、こうして無言で過ごしている。
ハウスに骸を持って帰ってあげたかったけど、それは難しい。何より、見ていたら何かが折れてしまいそうで、とても長い時間一緒にいる気にはなれなかった。
「……疲れたね……ギアーシュ重いし」
「ん、そだね」
無理やり冗談に変えるアイナに、マティウスが合わせる。
「この辺りに埋められても、土ばっかでつまんないだろうな。ホントはもっと花がたくさんあるところだと良いんだろうけどさ」
俺も同じように、やせ我慢した。
そこへ。
「あ、トーヴァだ」
マティウスの持っていた水晶が、柔らかい白の光をほわっと放ち、数回明滅する。
さっきこちらから連絡したけど繋がらなかったので、折り返してきたんだろう。彼がサッと撫でると、懐かしい声が聞こえてきた。
「申し訳ない。北での戦闘の指示や報告が多くてね、返すのが遅れてしまった」
折り目正しいピシッとした堅い口調に、赤いショートヘアの顔が浮かぶ。
「それで、そっちは大丈夫か?」
彼女は何も悪くない。悪くないのに、大丈夫なわけないだろう、と水晶を割ってしまいたい衝動に駆られる。
固い表情の俺に代わって、アイナが努めて冷静に話し始めた。
「トーヴァさん、すみません、忙しいときに。一応パーティーに関する報告なので。あの、ギア――」
努めて冷静に。それは、そこまでだった。
音が途切れて、声が波だって、唇が震えだす。
「ギアーシュが! ギアーシュがああああああ!」
俺もマティウスも、また目を腫らす。
思い出す度に、死ぬ間際のシーンを頭が再現してしまう。
悲しみを追体験しても何も良いことはないのに、そうせずにはいられない。生きているギアーシュに会うことを、やめられない。
「そうか……ギアーシュが……」
それっきりトーヴァが黙った。鼻を啜る音がするのを、水晶越しに聞いている。
抉られたように痛む胸に、ギアーシュと過ごしたハウスでの思い出の劇薬が刷り込まれ、体全体を痙攣させて、過呼吸に陥りそうになりながら落涙する。
やがて、元上官は、呼吸を落ち着かせながら喋った。
「私のせいだな、すまない」
「いいえ、トーヴァさんが悪いわけじゃない。僕達で行くと決めた冒険です」
「ありがとうな、マティウス。でも、どうしたって責任を感じるよ。すまない」
そして彼女は「討伐局長として失格だな」と続けた。
「今のお前達にかけられる言葉が見つからない。ただ……この先の旅のことはよく考えるんだ。私はいつでも話を聞く。でも、話を聞いてあげることしかできない。後はオリヴェル、アイナ、マティウス、お前達次第だ」
その後、何度も「すまない」を繰り返す彼女に「分かりました」と告げて、連絡を切った。
3人に静寂が戻る。新しくくべた薪がパチンッと爆ぜ、月を眺めに行くかのように煙がゆらりと昇っていく。
食事もしていない。何も食べる気にならなくて、コーヒーだけをずっと飲んでいる。
いつもは4人いたからバランスよく囲めていた火をうまく囲めなくなっていて、そんな事実1つだけでも寂寥感が押し寄せてきてしまう。
「やっぱり、帰った方がいいかな……」
アイナのその言葉に、勢いよく顔を上げて迫り、両肩を掴んだ。
「ここまで来たんだぞ! 諦めるのか! じゃあアイツはどうなる! 無駄死にかよ!」
「そうじゃない! そんなこと言ってない!」
バッと、俺の手を払うアイナに、隣のマティウスが続ける。
「オリー、ここで帰ったら確かにギアの戦いは無に帰してしまうかもしれない。でも、僕達3人で戦える?」
「それは……」
分かっていた。頭の中でシミュレーションするほど、「
遠隔からも攻撃できる間合いはもちろん、味方を鼓舞するような通る声も、精神的支柱になっていたのだ。
「もし僕達まで無鉄砲に突っ込んで、全員死んだらどうなる? それこそ無駄死にだ。一度帰って、他のハウスのメンバーや北のメンバーに助けを求めてもいい……なんて言うけどさ」
そこで急にトーンを緩めて、彼は自嘲的に笑った。
「僕も正直、心からそこまでは思ってないよ……迷ってるんだ、このまま行った方がいいんじゃないかって。ギアのことを想うとね」
「マティ……」
彼に相槌を打つように、嘆息するアイナ。
「……私も少し、考えてる。このまま旅を続けた方がいいのかもしれない」
「じゃあ――」
「でも」
はっきりと、俺の言葉を遮る。誰も叫ばない、誰も喚かない、これまでと違う静かな静かな、口論。
「迷ってるなら、行かない方がいいのよ」
「なんで……」
「戦える自信がないの。ううん、違う。きっともともと、4人でも上手く戦える自信なんかなかった。それを何となく誤魔化してここまで来たけど、ギアーシュがいなくなって気付かされたの」
諦めたような微笑み、力のない瞳で、俺とマティウスを見る。それは怒りではなく、どこか寂しげな、悲しみ。
「元のパーティーより、信じられないのよ」
俺の中で朧気に膨らんでいた想いが、次第に輪郭を帯びていく。
そう、俺は、彼女の気持ちが分かる。
きっとマティウスも分かっている。
自覚しなかったのは、きっと、自覚したくなかったから。
俺は、ガヤトと、イージュと、アンギと。
アイナは、モーグと、タバネと、シオンと。
マティウスは、オルジと、ガンハと、カーミャと。
一緒に、旅をしていた。2年以上旅をして、アラトリーを倒して。
別れは突然だったけど、長い間一緒に歩いた。
毎日が冒険で、危険で、楽しくて。
ハウスにも、2年いた。みんなで遊んで、料理して、散歩して。
家族だった。同じ傷を負っていて、それをみんなで癒していって、ある意味で家族以上だった。
でも、パーティーじゃない。2年一緒に過ごしただけで、命を懸けて一緒に戦ったのはほんのごく僅かで、だからこそ、前のパーティーとは違う。
アイナも、マティウスも、ギアーシュも、ガヤトや、イージュや、アンギとは違う。
「そうだな、アイナの言う通りだ」
気付いたら、涙が出ていた。ギアーシュを失くしたときよりも熱く、でもとめどない。
「……僕もそう思うよ」
マティウスも、アイナも、微笑を湛えながら泣いている。
あんなに上手く行くと思えた4人は、3人になって、もうすっかりバラバラで、修復できそうになくて、それが寂しくて、淋しくて。
夜が深くなっていく中で、ずっとずっと、泣いていた。
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