#29 ドアを開けて
「ヴォガアアアアアアア!」
咆哮がビリビリと俺の髪を揺らす。
このまま爪で刺してきたら、すぐに命は消え果てるだろう。手で殴ってきても、噛みつかれても、風前の灯の命は絶たれるだろう。
「強いなあ……あいつら倒しただけのことはあるよ」
ああ、本当に。あの3人が負けてしまったのも、仕方ないのかもしれない。
体も大きくて、タフで、力も強くて。人間が勝つ方が難しい。うまく働かない頭でそんなことを考えていた。
やりたいことが出来た。ギアーシュと一緒だ。
2年ぶりの冒険だったけど、多くのアラトリーを倒した。村の人達を守ることが出来た。誰かの役に立てた。それで十分だ。本当はこいつを倒したかったけど、それでも精一杯やることができた。
ガヤト、イージュ、アンギ。仇は討てないかもしれないけど、結構頑張ったぞ。
あれからいつも、俺は後悔ばかりで、冒険のときにあれだけ魔法の力を褒めてもらってたのに、その能力の制約のせいで死んだなら、もう魔法なんか要らないと思って。
そうやって2年経って、ここまで来たぞ。
「へへ……」
不思議と笑いが込み上げてくる。いなくなってしまったギアーシュにも恥ずかしくない旅になった。
もういつ終えても――
もし、終えない理由があるとすれば――帰ること
「ヴォオオオオオオオオ!」
「ああああああっ!」
痛みを叫びで誤魔化しつつ、伸ばしてきた手を倒れ込みながら避ける。
約束した。ハウスに帰ると。そのために、今は足掻けるだけ足掻く。
「ああああああああああっ!」
全力で、魔導陣と反対側の崖に走る。傷も血も関係ない。
足掻くと決めると、体は随分軽くなったような気がした。
「ヴォアアアアアッ!」
「ぐあああっ…………!」
後ろから爪で腕を刺された。前に振り上げてその凶器を抜き、血も汗も涙も混じった体液まみれの顔で、崖下に転がるように飛び込む。
逃げ場は、無い。
目の前には、異類異形、アラトリー。
体力の限界でぼやけた視界で、地面を見る。
土煙の中で、陽光を僅かに反射して光るものを見つけた。
「なあアラトリー……」
ゆっくりと近づいてくる言葉の通じない敵に、話しかける。
「アイナは……4人で旅してるって言ったけどよ…………もう少し多いんだぜ」
その光る物体を拾い上げ、腕に刺す。
釣り針。出発のときにスーキーからもらった、「帰ったら釣りに行こう」と約束した、その釣り針。
賢者に教わっておいて良かった。鉤状のものなら、呪文を書いて、針で魔法陣と繋がれば、魔法は使えると。
反対側の崖下、魔導陣。さっき飛ばされてしまったものとは別に、もう一つ打ち込んである。
それは、「帰ったら芝生の手入れをやろう」と約束して渡された、柄の短い鎌。
さっきの戦闘前の準備で、非常事態に備えて呪文を書き、長い紐で釣り針を結わえてこっち側に置いておいた、柄の短い鎌。
ずっとずっと、一緒に旅してきた。
待っているみんなとの約束を引き連れて、旅してきた。
「……もうちょっと先だな、終わりは」
手を前に翳し、呪文を詠唱する。
敵も迫ってきたけど、間に合う自信があった。
「ヴォオオオオオオオオ!」
恐れずに、その顔をしっかり見据えながら叫ぶ。
「燃えろ!」
掌を黄色い光が包み、火球が生まれる。
それはみるみるうちに肥大化し、これまでで最も大きな炎の塊となって、異形にぶつかった。
「ヴォオオオオオ! ヴォオオオオオオ……ヴォオオオ…………」
断末魔の咆哮が、徐々に弱まっていく。
のたうち回りながら、爪で地面を掻き毟りながら、その異形は茶色の皮膚を黒く焼かれ、遂に動かなくなった。
「…………疲れた!」
その場に仰向けに倒れ込む。口をついたのは、カッコいい言葉でも何でもない、日常に戻る一言。
「……だね。オリー……お疲れ」
「オリヴェル……ありがと」
さっきより幾分元気そうな声。
「少し休んだら帰るか」
さあ、ハウスに帰って、芝生の手入れと釣りでもしようか。
***
「オリー、おはよう。トーヴァが来たよ」
ノックと共に入ってきたマティウスの足音に「んん……」と口を開かずに返事をする。
「オリヴェル! 起きなさーい!」
続いて入ってきたアイナがジャッとカーテンを開ける。
日光が瞼を襲い、眠気を追い払った。
「ぐう……もう少し寝かせてくれよ……昨日あんなに飲んだのに……」
「それはアンタが悪いんでしょ! ほら、朝食もあるんだから、準備準備!」
腕を引っ張られ、観念して服を着替える。
「今日も良い天気だねえ」
ハウスの窓を叩きつける陽光。開け放すと、雲が少し暑そうにゆったり泳いでいた。
「トーヴァさん、お久しぶりです」
階段を降り、食堂に入ると、既にハウスのメンバーが全員集まってお皿の配膳をしていた。
そこで一緒に手伝っている、赤いショートヘアを後ろで留めた元上官、トーヴァ。
「すっかり訪問するのが遅れてしまった、すまない」
手を止め、礼儀正しく一礼する彼女に、慌てて首を振る。
「いえいえ。北部の指揮があったでしょうから。落ち着いて何よりです」
フッと微笑んだ後、トーヴァは回想するかのように天井を見上げた。
「あれから10日経つんだな」
「そう、ですね」
あの戦いに勝った後、水晶でトーヴァに報告を入れ、3日かけてここに帰ってきた。
その数日後、北部でも無事にアラトリーを殲滅させたという連絡が入り、トーヴァはそこから都合をつけて、訪問に来てくれた。
あれから、グルネス王国で、アラトリーの目撃情報は入っていない。
「オリヴェル、マティウス、アイナ。今回のこと、本当に感謝している」
「やめてください、トーヴァさん! 自分達で行きたいって言ったことですから!」
アイナが大きく手を振ると、トーヴァが窓の方を向いて目を細める。
「……その、アイツのこともあるしな」
一瞬静まり返る3人。でも、マティウスがすぐに笑ってみせる。
「後悔してないって言ってましたよ、ギアも」
「そうそう。俺達も、また一緒に生きてくだけですよ」
ハウスの裏手には、骸のない墓が一つ増えた。
悲しいけど、淋しいけど、これまでと同じ。このメンバーと、乗り越えていく。
「そういえばオリヴェル、ハウスで仕事の依頼受けるようにしたそうだな」
「ええ、やっぱりみんな、外に出るきっかけはあった方がいいと思うんです。だから、荷物の運搬でも鉱石の採掘でも、俺達が出来ることがあれば話聞いてもいいんじゃないかと思って」
誰かの役に立つことが、動き出すきっかけになるかもしれないから。
「あ、でもトーヴァさん、アラトリーの討伐はしばらく結構ですからね!」
アイナが突っぱねるように掌を前に向け、全員で噴き出した。
「お前達、まだしばらくハウスに残るのか?」
2人と交互に顔を見合わせた後、彼女に向かって強く頷いた。
「ええ、もう少し。新しくやりたいこともできたので」
「やりたいこと?」
「1人だけ生き残った人以外も、ハウスで受け入れ始めたんです。死んだ仲間が1人でも、誰も死んでなくても、冒険で心に傷を負った人はいるはずなので、そういう人達も過ごせる場所にしたいなって」
俺の親友が、家族が、パーティ―メンバーが、やりたいと言っていたこと。
それで、一緒にリハビリが出来れば。
誰かの役に立ちながら、傷を癒せれば。
「ああ、いいな、そういうの」
「へへっ、ですよね」
その時、玄関にノックの音が響く。アイナがポンと手を打った。
「あ! ほら、今日来ることになってた新しい子!」
「オリー、アイ、一緒に迎えに行こう」
食堂を出ながら、振り向いて他のメンバーに声をかける。
「お前ら、朝食1人分多く準備しておいてくれよ!」
「もちろん!」
全員揃った声を聞いて、マティウスとアイナと、玄関まで走る。
トラウマが消えることはない。
消えないことを分かったうえで、付かず離れず、一緒に生きていく。
そうやって、日々を過ごしていく。
「いらっしゃい!」
「あ、あの……ここを薦められて……」
「ハウスへようこそ!」
「まずは朝ごはん食べるぞ!」
ドアを開ければ、ほら。
今日もまた、傷を持った誰かが。
リハビリ・クエスト ~パーティ―で生き残った寄せ集めの俺達~ 六畳のえる @rokujo_noel
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます