#8 暗闇の白魔術

「ヴォウウウウウウ……」


 2本足で立つアラトリーは、比較的小型、俺達の1.5倍程度の大きさ。

 表情も何もない、窪みと口だけがある顔で、ギアーシュを見ている。


 正確に言えばヤツらに目があるのかも不明なので、視覚で捉えているのかどうかは分からない。



 時折、悩んでいるのか、迷っているのか、首を傾げるように傾ける。それが生理的に不快で、今すぐにでも頭を撥ねたい衝動に駆られた。


「んじゃ、こっちから行かせてもらうか……なっ!」

 喋り終わるが早いか、踵で強く蹴りだし、敵との距離を一気に詰める。



「しゃあっ!」

 ダークブラウンの髪がアラトリーの腹に触れるほど近づき、その真ん前にクロスボウを向けた。


 相手は危険を察知したのか、後ろ体重で一気に後退する…………が。



「……射手にそれは通じねえぞ」


 構えはそのまま、矢を発射する。

 狙い通り、腹部に突き刺さり、アラトリーは気色悪く声をあげた。


「クロスボウ相手に前後の動きじゃあ、こっちの思うツボだ」

「ヴォオオオオ!」


 反撃とばかりに、四つ足に戻ってザリザリと迫ってくる。この移動中は狙いも定めにくく、攻撃はしにくい。


「ヴォオオオオオオ!」

「うおっ!」


 立ち上がってすぐ、まっすぐに右腕を打つ異形。突き刺すことに特化したような手の長い爪を、ギアーシュは咄嗟にもう1つの武器である鋼製の円盤で防いだ。


「グッ……!」

 ガキンッという堅い音が響き、アラトリーは一度腕を引いて体勢を立て直す。


 今度は外側から回り込むように腕を伸ばした。しなる鞭のように勢いよく迫るその攻撃に対し、彼はフッと力を抜いたかと思うと横に跳び、そのままくるりと回り込む。


 目標を見失ってバランスを崩した敵に、間髪入れずにクロスボウを向けた。


「こういう時くらいしか、近距離で打てねえからな」


 ガガンッと額に2発、ほぼ同じ位置に綺麗に刺さる。


「ヴォオオオオオ! ヴォオオオ……」


 反射的に暴れ、自らの手で矢を払い落したアラトリー。ボタボタと灰色の血を流し、声を弱めながら膝から崩れ落ちて、それ以上動くことはなかった。



「ギアーシュ、すごいすごい!」

「強いね、ギア。狙った獲物は逃がさないって感じだ」


 アイナとマティウスが興奮気味に駆け寄る。俺も思わず「すげえ……」と声を漏らしていた。


「ここまでの射手とはな……さすが、一躍の儀やらずに二つ名がついてるだけある」

 俺の称賛に、彼は居心地悪そうに苦笑した。



「そんな大したことじゃねえよ。喉に2本打った時点で、結構コイツも弱ってたしな」


 言いながら、倒れたアラトリーを一瞥する。

 無関心の中に憎しみが灯るような、鋭い目。


「それに、倒したって、こっちが生きてなきゃ意味がねえんだ」


 諦めにも似たそのトーン。クロスボウを背にしまって、そのまま歩き出した。



 ギアーシュにも守りたかったパーティーがあって。それでも1人になって。


 ハウスは、彼の虚無を埋める役に立っただろうか。俺達は、彼のそばにいた俺達は、役に立てただろうか。



「辛いね、みんな。みんな辛い」



 横にいたアイナが「でも、このメンバーならちゃんとアラトリー倒せるね」とこっちを見る。気休めのような希望が心に沁みて、走ってギアーシュの後を追った。




***




「それにしても、群れで動いてるはずなのに、この地点でもう2匹も出てきた。群れ本体も案外近いってことか……?」


 先頭で森を進む途中、後列を振り返って頭によぎった疑問を口にした。

 背の高い木が日光をほぼ塞いで、行き先は暗く、湿った地面にはカビのように芽が生えている。



「いや、全体でこっち側に移動していたら、さすがにもっと目撃情報も増えるはずだよ。多分、群れの中でも更に小さいグループが出来てるんだ」

「ってことはマティ、そのうち2、3匹のグループが一斉に攻めてくることも有り得るってこと?」

 マティウスは「可能性はあるね」とアイナの肩を叩く。


「僕も前のパーティ―で一度、遭遇したことがあるしね。そういうときは、アイの回復魔法が大活躍だと思う」


 そっか、と頷く彼女。頼られているのに、いつもの彼女らしくない、力が無い声に聞こえるのは気のせいだろうか。





 しばらく歩くと、道が横に分かれていた。その先にあったのは、池と湧き水。鳥や虫に博愛の精神を捧げるかのような、自然共生のためのオアシス。


「そういえばこんな場所あったな。前に来た時も、ここで休んだ気がする」

「さすがに人間が踏み込んでない場所だ。綺麗な水だな」


 4人で池を囲み、ギアーシュが湧いてる場所に両手を近づくて水を掬う。


「美味え! お前らもほら」

「よし、俺も飲むぞ」

「冷たいし、疲れが取れるぜ」


 笑って俺達3人の方を向いていたギアーシュが、すぐに目を吊り上げる。

 背中に手を伸ばし、クロスボウを引き抜いた。


 その音に、すぐに気付く。



 それは当たり前のことで。人が入らないはずの、この池に繋がる道があるということは、誰かが通って道が出来たということで。


 パーティ―が通ってもこんな太くはならない。そう、例えばもっとでかい図体で、例えばもっとこの森に慣れていて。


 そんな異形の、気配を隠す気のない足音。水を飲みに来たのか、俺達を呑みに来たのか。



「ヴォオオオオオ!」

「……ちょっと厄介だな」


 顔が強張らないよう、極力軽いトーンで呟く。立ち上がったアラトリーは、これまで戦った2体より大きい。体長は俺の倍近くはあるだろう。


「俺の魔法なら、上手くいけば一撃でいけるかもしれない。近くに魔導陣があったはずだ」

「待てよオリヴェル」

 走りだそうとする俺を、ギアーシュが止めた。


「俺達はどうすんだよ。コイツの体力削りながら魔導陣まで少しずつ誘導しろっていうのか」

「ああ、そうしてもらえると助かる」

「そんなうまくいくかよ! こっちは魔導陣の場所も知らねえんだぞ!」


 苛立つ彼に、俺はかぎを見せて怒鳴り返す。


「俺はこの場じゃ使い物にならないんだよ!」


 無能だと。自分は無能だと。そう言うしかない。


 元のパーティ―のアイツらも、同じように思っていただろうか。



「2人とも、言い合いしてる場合じゃ――」

「マティ!」

 マティウスの言葉を遮る2つの叫び声。1つは、アイナ。もう1つは、化け物。


「ヴォオオオオ!」

 突き出した手に弾かれ、剣士は池の横の木に打ち付けられる。


「ごふっ……!」

「マティウス!」


 枝で割けた腕の血が木にベッタリとつき、鮮やかに幹を染めた。


 これまで倒してきたヤツより、半人分は大きい。ことアラトリーについては、それだけのことが大きな恐怖になる。


 力に任せた暴力は至極単純、大きければ大きいほど強い。


 攻撃後のスキが大きくなるだの、小回りが利かないだの、そんなことは些末なこと。重量を乗せて、リーチの分勢いをつけて、その一撃の破壊力が、倍加していく。


「アイナ、マティの回復頼む!」

「うあ、え…………」


 お願いした相手にちらと目を遣る。彼女は、青ざめて固まっていた。

 血が怖いのか。アラトリーが怖いのか。



「おい、アイナ!」

「え、あ、え…………」


 両親とはぐれてしまった幼児のように、慌てながら俺とギアーシュを交互に見る。口は開いたままで、視線も一点に定まらない。



「どうしたんだよ!」

「早くしろ! マティウスが危ねえ!」


 プレッシャーを拭うように、彼女は右手を額に何度も当てた。金色の前髪が激しく揺れる。


「やる! やる! やるから!」

 俺達に宣言するように、自分に言い聞かせるように、繰り返し喚く。


「2人とも、私のそばにいて……お願いね!」


 懇願するように叫でから開いた両手を合わせ、祈るような恰好で顔の中心にあてがう。


 程なくして、緑色の光が彼女の顔を眩く照らした。俺がどんなにやりたくてもやれない、魔導波の間接捕捉。


 マティウスに向けて、その手を翳す。蝶が花に留まるように、光が彼に向けて浮遊し、彼の体全体を包む。

 やがて、傷もない、血も出ていない、元通りの体になった。



「ありがとう、アイ」

「ヴォアアアアアアア!」

 叫ぶアラトリーに向かって、マティウスとギアーシュと一緒に体勢を整える。


 しかし、動かないパーティ―メンバーが、1人。



「アイナ、次来るぞ、気をつけろ」


 返事がない。マティウスのいた木の方に体を向けたまま、「う、う……」顔をキョロキョロとさせている。



 そんな無防備な人間を、異形が狙わない手はない。

 計略を練るほどの知能はないが、弱そうな人間から殴殺する程度の知能はある。


 喉を鳴らしながら、目の前の俺達には構わず、孤立した彼女に歩みを進める。



「アイナ、逃げろ!」


 ギアーシュが叫びながら、真横の敵に向けてクロスボウを打つ。次の矢を準備する間、マティウスが足を狙って剣を振るったが、敏捷な動きでかわされた。



「ねえ、オリヴェル! マティ! ギアーシュ! どこ! どこ!」


 切羽詰まった声で、今にも泣き出しそうな声で、彼女は叫ぶ。



 言い出しにくかったであろう告白を、一つ添えて。




「見えないの! 魔法使ってから暫く、何も見えなくなるの!」

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