#16 ただ、家族以上の
「オリヴェル!」
「オリー!」
ふいに、叫び声が目の前から飛んできた。
それが自分を呼ぶ声だと分かり、ハッと我に返る。
「何やってんだおい! 来るぞ!」
先頭にいたのは、ギアーシュ。その後ろにマティウスとアイナ。
更に後ろに、茶色の化け物、アラトリーが2匹。
手に目を遣る。針は刺さったまま、紐の先の鉤も、魔導陣に刺さったまま。
大丈夫、これは現実、大丈夫。
戦える、まだ戦える。
「あ、あ…………ああ! 任せろ!」
「ヴォオオオオオオオオ!」
すぐに手を翳し、呪文を唱える。
いつもと変わらず、手を包み込む、黄色い光。
「伏せろ!」
3人が転がるように左右に散らばって伏せたのを確認し、魔法を発動する。
ゴオオオオオオウッという轟と共に、壁状の炎が相手に向かい、そのまま2匹の異形の周りを取り囲む。
その輪が徐々に絞まっていき、逃げ場を無くしたアラトリーは怒りとも恐怖ともつかない叫びをあげながら焼かれていった。
「ふう……なんとか勝ったわね……」
ヘタッと座り込んだまま、肩の力をガクッと抜くアイナ。僅かに木々の隙間を縫って差し込む月光が金髪を鮮やかに照らす。
隣のマティウスも「危なかったよ」と苦笑し、白い髪についた汗の雫を指で挟んで拭った。
「ったくよ、お前気付くの遅いんだよ。何度呼んだと思ってんだ」
呆然と立っている俺の前に、ガタイの良いギアーシュが来て呆れたような表情。
「あ、ああ、ごめ――」
言葉に詰まる。言葉に詰まる。
代わりに溢れだしたのは、涙。
「……っ! おい、どうしたんだよオリヴェル」
「何、ギアーシュ泣かせたの?」
「ギア、何か言ったの?」
「おいこらアイナ、マティウス! オレは無実だ!」
2人も集まって、俺の周りを囲む。
「ごめん……ごめん……っ!」
いてくれた。アイナもマティウスもギアーシュも、いてくれた。
アラトリーなんか引き連れて来なくても良かった。俺の活躍の場なんてなくても良かった。
ただ、ただ、3人がいるということに、これほど救われている。
「良か……った…………生きてて良かった…………」
足の力が抜けて座り込みながら泣く俺を「大袈裟だなあ」と笑うメンバーはいない。
みんな知っているから。大袈裟じゃないと。
その時は、いなくなる時は日常に溶け混ざってふらっと気まぐれにやってきて、わけも分からないうちに1人になるのだと、みんなが経験しているから。
「ほら、行くわよ、オリヴェル。結構戻って来ちゃったんだから、また歩かないと」
「出口もそろそろ見えていくと思うけどね。ギア、オリーの荷物、ちょっと持ってあげてよ」
「はあ? 俺が? ……やいオリヴェル、貸しだからな。ハウス戻ったら朝食作り1回交代権」
「……ああ、仕方ない、変わってやるよ」
いつものように接してくれる、家族以上の家族。
立ち上がる。立ち上がって、歩き出す。
闇に引きずり込まれないように、歩き出す。
***
「ううん、地図で見た森の距離考えると、そろそろ出口でもおかしくないんだけどなあ……」
「そうだね、そろそろだと思う。暗いから見えないけど、そんなに遠くないと思うよ」
軽く首を傾げるアイナに、マティウスが励ましも込めた相槌を打つ。
雲に隠れたのか、月明かりも閉ざされた森。周囲の3人は辛うじて見えるものの、遥か先で木々がなくなっているかどうかなど、到底視界に入るものではなかった。
いつ終わるか、そろそろ抜けられるんじゃないか、まだ終わらないのか。そんな焦燥感に駆られかけた俺達の耳にぶちまけられた、あの野蛮な声。
「ヴォオオオオオ……」
渇いた砂を踏みしめる音は小さく、それでも動きを止めた俺達にはしっかり聞こえる。
またアイツが来る。アイツが近づいてくる。
さっき3人と会って凪いだはずの心が腐食するようにじゅくじゅくと痛みだし、脈が速くなる。
それはひょっとしたら、使い物にならなかったさっきの自分への復讐の機会で、仲間への恩返しの機会で。
「いつ走り出すか分からない、注意して」
「ヴォオオオオオオオ!」
アラトリーの声が更に大きく森を揺らした時、直前の記憶が鮮明に蘇った。
ちょうど俺は、さっき陣を発見したじゃないか。すぐに魔法が使えるじゃないか。
「ちょっ……オリヴェル! どこ行くのよ!」
「陣だ! 今回は誘導は要らない!」
列から離れ、
その獲物が、俺からも見える位置まで歩いてくるのを待つ。離れた相手に対して攻めるなら、爆発が良いはずだ。呪文を唱え始め、攻撃の瞬間を待つ。
「ヴォオオオオオ――」
見えた、今だ。
「ここから放つぞ!」
大声で3人に伝えてすぐ、手から光が放たれ、光線のように4つ足で歩くアラトリーに向かって伸びていく。
しかし、思ったよりも俺と向こうとの距離があったこと、そして何より、恩返しに焦って俺の気が急いていたことが、2つのミスに繋がった。
まず、遠すぎて魔法が届かない。
そして、他の3人が俺の注意に気付いていない。
ドゴオオオオオオオッ!
「うおおっ!」
「きゃああっ!」
誰もいない空中で、爆発が起こる。異形にも仲間にも、ダメージを与えず、異形より軽い3人を爆風で後ろへ吹き飛ばしただけだった。
「ごめん、距離がありすぎた!」
「何、今のオリヴェルがやったの?」
「てめえ、危ねえことすんな!」
走って戻ると、ギアーシュに肩を殴られた。
「僕が先に攻めるよ!」
爆風にも驚かずに立ち上がったアラトリーに、抜刀したマティウスが対峙する。驚異的な跳躍力で敵の蹴りを何度も避け、胴や腕に次々と剣戟を加えていく。
たまたま斬った場所が相手にとってはマズいところだったのだろう。放出口を指で狭めたホースのように灰色の血が噴き出す。それはしかし、俺達にとってもマズいことだった。
「おい、マティウス、もうやめろ! 俺が攻撃できなくなる!」
闇の中で漂う灰色の煙。一気に充満したその煙は抜ける様子もなく、ただただ、全員の視界を麻痺させている。
「ギア、オリー、アイ、どこにいるんだ!」
「マティ、こっちだ、こっち!」
「ヴォオオオオオオオ!」
必死に居場所を知らせようとする俺の声に、アラトリーの吠える轟音が重なる。
「オリー、そっちにいるの――がああああっ!」
突然、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が聞こえた。
痛々しい、寒気のする、人間の悲鳴。
「マティ!」
「マティウス! おい、アイナ、回復してやれ!」
もはやギアーシュもアイナもほぼ見えない中で、声だけの作戦会議が続く。
「え、あ……ダメ、だよ……今は、アラトリー、どこにいるか分からないし……」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
「でも……うう……あぐ……でも…………」
硬直した声のアイナを、どうすることもできない。
彼女も、必死に戦って、苦しんでいる。
「僕は……大丈夫だ! ヤツとは離れた!」
声を聞いてひとまず安堵したものの、解決にはなっていない。
血はまだ噴き出ているだろうし、彼が斬った部分が恐ろしいほどの熱を帯びているのだろう。煙はどんどん濃くなっていく。
誰もが誰もの場所を、把握できていない。
「ギアーシュ、ここから攻撃は?」
「無茶言うなよ、マティウスに当たるかもしれないぞ。こんな見通しの悪い場所で遠隔攻撃ってのは一番向いてねえんだ。ああ、ああ、つくづく使えねえなあオレは!」
ガシャン、とクロスボウを叩きつける音がした。苛立ちに飲み込まれて、自分自身にトゲが刺さる。
「ねえ、オリヴェル、さっきの爆風で煙吹き飛ばせないの……?」
アイナの言葉に、諦観の絵具で塗り潰したように心が重くなる。
「ここまで煙が濃いとあの陣まで戻るのも一苦労だ。それに、ギアーシュと一緒だよ、狙いがきかないから、爆発させた先に誰がいるか分からない」
「クソッ……バラバラじゃねえか!」
胸に閊えたものを吐き出すように叫ぶギアーシュ。協力も、連携も、ままならない。
そして、それに勝るとも劣らない声量で、最前線の剣士、マティウスが声を荒げた。
「2、3日前に組んだんだ、仕方ないじゃないか! ただの家族の僕達が!」
その言葉が、杭になって、胸を貫く。全身の血が巡るのを止めてしまったかのような、自分の体ではないような、不思議な感覚。
ここまで衝撃を喰らってしまうのは簡単なことで。それが正しいからだ、理解できるからだ。
別々の場所から波に揺られて岸辺に打ち寄せられた流木のように、俺達はハウスに流れてついた。ハウスで2年も3年も一緒にいても、あくまで即席で、あくまで寄せ集めで。
家族より深くて痛い絆で繋がった俺達は、家族以上で、パーティー未満。
「……それでも、やってくしかないんだよ」
誰に対してというわけでもなく呟き、暗がりの中の灰色の世界で、さっきの陣まで戻る。
おそらくこっち、多分その先を曲がる、そんな感覚を頼りに、存外容易に辿り着いた。
「やってくしか、ないんだよ」
考えることに疲れて、考える毎に痛んで、想像の蓋を閉じる。
鉤を打ち込んで、針を刺して、いつもやっていたように。少なくとも3人には当たらないであろう宙を目掛けて、魔法をかけて、いつもやっていたように。
ドゴオオオオオオオオッ!
「うわっ!」
さっきと同じくらいの爆発で、風の波が巻き起こる。森をざわつかせ、木々の葉を落とし、血の煙を吹き飛ばす。
やがて静寂が戻る頃、自分のいる魔導陣からも、他の3人と異形の姿が見えるようになっていた。
「……助かった、オリヴェル。ようやく撃てる」
「マティウス、回復するわ」
「ありがとう。治ったら僕も行くよ」
もともと大量に血が抜けて弱っているアラトリーを倒すのは、造作ない。
ギアーシュとマティウス、2人で仕留める。
でも、でもその攻撃の連携はどこか、何かの螺子が緩んで、何かの歯車が軋んで、ぎこちない。
「…………そろそろ出口のはずだよ」
「………………抜けたらそこで泊まりね」
4人を繋いでいたバランス。
何かが変わってしまって、どこかで狂ってしまって。
それから先は全員が黙りこんだまま、深い森を抜けた。
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