#15 開けてしまった箱

「クソッ、近づくんじゃねえ! 打てねえだろうが!」

 クロスボウを持って大きく後ろに下がるギアーシュが、敵に向かって怒鳴る。


「ヴォオオオオオオオ!」


 すぐに間を詰めるアラトリー。灰色の血を流しながら、マティウスの力で一部を煙に変えながら、口を開けて進んでくる。


「……っの野郎!」


 体勢を崩しながらクロスボウを構えるものの、急に走ってきた相手に照準を合わせるのは難しく、その巨躯の突進に足を轢かれる。


 その勢いには、物理攻撃を和らげる魔法など、ほぼ役に立たない。



「ぐあああああ……っ!」

「ギアーシュ!」

「ギア!」


 しっかりと狙いを定めて遠隔攻撃することが射手の基本。それが最前線に出ているのだから、間合いもうまく取れずに厳しい戦いを強いられるのは、ある意味当然のこと。


 そして、その原因は戦闘要員の不足で、俺のせいで。

 自責の念が胸のあたりからせり上がって来て、酸味の混ざる唾を飲む。



「…………やっぱり手強いな、化け物め……」


 暗闇でも微かに見える、淡々とギアーシュに迫る異形。


 勝利の笑みも蹂躙の悦びも攻撃への怒りも見せず、何の表情も浮かべずに細長い顔で近寄る。

 その無反応が、一番怖い。


「ギア! もう少しだけ耐えて! こっち片付けて僕が行く!」


 目の前のアラトリーと戦闘しながら、マティウスが叫ぶ。致命傷を狙って腹部や首に斬撃を集中させるが、敵もそのパターンをなんとなく理解しているのか、長い腕で弾きながら防いでいた。



「ヴォオオオオオオオオ!」

「よし!」


 一瞬の隙をついて、がら空きの足に回転斬りを決めるマティウス。

 血が蒸発し、いつもの煙が一気に充満する中で、ギアーシュに接近しているアラトリーの背に剣を突き立てる。



「ヴォアアア!」


 不快な声が、何の味も感じなそうな無機質な口から漏れた。背中の傷を触ろうとしてバランスを崩し、後ろに倒れ込む。


「アイ、ギアの回復!」

「う、うん!」


 その戦いを見ている俺。見ているだけの俺。

 頭の中は、選択肢と苦悩でごちゃまぜになっていた。




 今、俺がこの場で出来ることなんてない。本来やらなきゃいけないのは、この近くの魔導陣を探すこと。



 でも、探すのに手間取ったらどうする。見つからなかったらどうする。見つかったとして、どうやってこの3人に場所を伝える。そう考えると、かなり遠くても、さっき確認したあの陣の場所まで戻るのが良いに違いない。



 じゃあ、今戻るのか。この状況で。マティウスとギアーシュが1対1で戦っている、この状況で。アイナが回復魔法を使ったらどうする。誰が彼女を守る。



 とはいえ、ここにいて何ができる。魔法も使えない自分がアイナを守れるはずもない。彼女が攻撃を受けないように魔導陣まで一緒に連れていったら。そのときは誰がマティウスとギアーシュの回復をするんだ。見殺しも同然じゃないか。



 魔法が自在に使えたら。前の冒険だって今の冒険だって、ハウスにいたときだって、そう願わなかったことはない、そう想わなかったことはない。でも現実はこうで、そんなのどうにもならなくて、今だってこうして思考が右往左往している。




「悪い、俺は魔導陣のところに行く! うまく誘導してくれ! 2体まとめてでも構わない!」

「分かったよ、オリー!」

「うまくいくか分からねえけどな!」


 2人の言葉を背に受けて、ギリリと歯噛みしながら走り出す。こんな状態の戦闘中にパーティ―メンバーの元を離れるなんて。悔しさが血液に混じって体中を駆け巡る。


 それでも送り出してくれるメンバーにすら、「いても何も出来ないし、そう言うしかないよな」と悲観的な感情が脳から溢れて目の奥で涙に変わる。



「見てろよ……見てろよ! 見てろよ!」


 その叫びは、アラトリーに対して。お前らが近づいてきたら、消し炭になるまで燃やしてやるからな。俺が今ここを離れたことは、間違ってないんだからな。



「あった!」


 大分前に通り過ぎた地点。暗闇でも目立つ白い花の横を抜けたところに陣が描かれていた。


 すぐに鉤を打ち込み、針を腕に刺す。



「待つか……」


 昔、鉤と針を繋いでいる紐を長くすれば、もっと自由に動けるのでは、と考えてやってみたことがある。


 だが、それは非常にリスクの大きい賭けだった。動けるには動けるが、何かの拍子に鉤が陣から抜けた時間でただの無能に戻ってしまう。



 確実に仕留めるなら、やはり仲間の誘導を待った方が良い。魔法さえ使えれば、俺は並の魔導士には負けない力を出せる。


 制限の中での並外れ、正に「制限内の規格外ストレンジ・ストリング




「遅いな」


 3人が誘導してきてくれるのを待つ。うまくいけば、そろそろ来るだろう。1匹だろうか、2匹だろうか。2匹なら、少し威力は下がるけど連続で発動して、どっちの動きも止めよう。



 かなり距離が離れたため、アラトリーの地響きもマティウス達の声も聞こえない。唯一耳に入ってくるのは、あの異形の吠える声だけ。遠くから聞いても、こんなに不快なのか。


 静寂の暗がりの下でこの声だけ聞いてなきゃいけないなんて、地獄――



「……………………あ」



 記憶の底に沈めていたその可能性がバタリバタリと蓋を開ける。黒々とした、悪臭のする、苦味のある、思い出と共に。



「あ…………あ、あ…………あ………………」



 だらしなく開いた口から、言葉にならない言葉が吐き出される。制御できない身体が、震え始めた。



「…………う、ああ…………あ、あ…………」



 もし、もし。。もっと別の理由、例えば……例えば……



「あ、あ、ああああああああっ!」



 寒い、寒い、寒い。体が震える。抑えがきかない。寒気がする、気分が悪い、気持悪い、寒い、頭が痛い、胸が、全身が、頭が、痛い、寒い、口から、声、勝手に、寒い、痛い、苦しい、また、置いてかれて、俺は、また、痛い、一人で



「いやだ、いやだ、いやだいやだ!  ううああああああああああっ!」





 自分の歯がガチガチあたる、木の葉が風でざわめく、うるさい、うるさい。聞こえない、聞こえなくなる、あの、あの、化け物、声はする、アイナは、ギアーシュは、イージュは、ガヤトは、マティウスは、ガヤトは、アンギは、アイツらの、声は、どこに、無い、なんで、どこに、そんなはずは、うるさい、うるさい、陣も、魔法も、森も、聞えない、声が、何も、聞こえない





「うう……ううう…………」





 戻れない、立てない、動けない、うるさい、悪いのは、俺で、行って、いなかったら、もう、おしまいで、俺も、旅も、おしまいで、俺が、うるさい、声を、聞かせて、立てない、戻れない、戻りたい、戻りたくない、暗い、寒い、痛い、知りたくない、知りたくない、苦しい、うるさい、立てない、痛い、辛い、苦しい、寂しい











「……ヴェル! オリヴェル!」

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