第4章 乗り越える場所

#17 残る後悔、残された自分

 闇色の森を過ぎると、そこは岩があちこちに寝転がっている荒れ地だった。少しだけ横に逸れると、少し幅の狭い川。流れが急な部分もあり、滑らかに岩を噛んでいた。


 凹凸の少ない砂利の上に大きめのタオルを敷き、寝床を作る。


 昨日と同じ寝支度。でも、心持ちは全然違った。



「……焼けたぞ、アイナ」

「ん、ありがと」


 空気の読み合いの中で分担した準備、近くの鳥を捕まえてきて、短剣で捌いて焼いた。


 焚火が燃えて、黙っている4人の顔が照らされる。

 木の裂ける音が、心の動揺を映し出しているようだった。



「ギア、食べなよ」

「……あんまり食欲ねえんだよ」


 夜が空から落ちてきたような、重苦しい空気。何をどうすれば元に戻るのか、もうよく分からずにいた。



 さっきのマティウスの言葉を思い出す。


『2、3日前に組んだんだ、仕方ないじゃないか! ただの家族の僕達が!』



 ふと気付く。俺もアイナもマティウスも、攻撃の仕方という意味ではギアーシュも、制約を枷にしている。

 であれば、連携するには信頼関係が必要ということ。



 信頼関係、俺達はそれを持っているはず。何年一緒に暮らしたんだ。食事も掃除も散歩も草刈りも釣りも誕生会も、何度やったんだ。そんな家族以上の俺達がトーヴァの依頼を一緒に受けて、その関係はもう出来上がってるはずじゃないのか?


 なぜ今、戦って、うまくいかなくて、こんな状態になっているんだ?




「…………あああああっ!」


 葛藤を孕んだ意味のない叫びが、自分勝手に口をつく。じっと座っていられず、思わず立ち上がる。


 それを聞いた隣のギアーシュが、我慢できないというように立ち上がり、俺の防御服の襟元を掴んだ。



「オリヴェル! お前もしっかりやれよ! 魔導士なんだろ!」

 その言葉に、瞬間的に血が昇る。



「俺だってやりたいんだよ! でも魔導陣がなきゃ魔法が使えねえんだ! そういう体になっちまったんだよ、仕方ねえだろ! 気合でどうにかなるものじゃないんだ!」

「ちょ、ちょっとやめなよ、2人とも」


「お前もだぞアイナ! もっと早く回復してくれよ、オレ達は命懸けて戦ってんだ!」

 おそるおそる割って入るアイナにも牙を向けるギアーシュ。彼女の声のトーンが、がくんと下がる。



「……何それ、私が安全なところでのんびり冒険してるって言いたいの?」

「いや、そこまでは――」

 一度火がついたものは、すぐには消えない。



「言ってるわよ! ギアーシュに分かるの、どんだけ怖いか! 魔法使った瞬間、何にも見えなくなるんだよ! それで私は殺されかけた! 私だって回復したいわよ! あの時だって……あの時だって、見えてれば、みんなに何かしてあげられたかもしれない! 助けられたかもしれない!」



 一度火がついたものは、すぐには消えない。それはまるで、目の前で赤々と燃える薪のように。

 皆が怒りを吐き出し、誰かに燃え移り、種火が大きくなっていく。



「大体ギアーシュ、お前だって自分で言ってただろうが。遠距離からしか攻撃できないって。それも制約みたいなもんだろ!」

「ああ、そうだよ! 射手なんてやるんじゃなかったと思うさ! オレ達には欠陥があるんだよ!」

「だったら何だってんだよ!」


 体格差も気にせず、掴みかかる。俺の黒髪がぶつかるように揺れ、彼の首に当たる。



「冒険しちゃいけねえのか! なりたくてこんな風になったんじゃねえんだよ! 俺もアイナもマティも、なりなくてなったわけじゃねえんだ!」

「でも、冒険が進められなきゃ意味がねえんだよ。こんなに苦戦してて、リーダー格のアラトリーなんて倒せるのかよ!」


 ギアーシュの怒鳴り声が、俺の喉を絞めつけて、口を開かせない。


 分かってる、そんなことは分かってる。



「今の僕達には……」


 ふいに、マティウスが口を開いた。こっちを向かず、白い髪を炎で照らして俯いている。


「今の僕達には難しいかもしれない。帰ることも――」

「ちょっとマティ!」


 アイナが睨むとほぼ同時、俺はギアーシュから手を離し、彼に躍りかかっていた。


「マティ! 今更なんだよ、ここで引き返すのか! 南の人間はどうなる! 犠牲者が出るぞ!」

「それはそうだけど……オリーだって魔導陣探して待ち伏せして、大変そうじゃないか。僕も辛いんだ、毎回毎回、攻撃する度に煙で迷惑をかけてる。それに……」


「大変とか辛いとか言ってる場合かよ! 命に代えても――」

「またみんなを失ったら、もう立ち直れないかもしれない」



 喚くわけでもなく、諭すわけでもない。自分に問いかけるように、マティウスは呟いた。




 ほら、こうやって、ちょっとしたきっかけで、記憶は色を取り戻す。




 ガヤト、イージュ、アンギ。3人を失った俺は、当時の上司だった討伐局長官のトーヴァに紹介されて、ハウスを訪れた。



「……私に出来るのは、これと、祈ることだけだ」


 息をしていない体を持って帰ることも叶わず、骸のない3人のために、トーヴァは俺の肩を痛いほど掴んで泣いた。



 誰かが泣いてくれる。毎年多くの冒険者が犠牲になって「冒険者になるってことは死の覚悟を決めることだ」なんて言われる中で、あの3人の顔をちゃんと知っている人が泣いてくれる。なんだかそれでもう、十分だった。




 ハウスの生活は楽しくて、笑い合って、遊んで、心を鎮めて、あの思い出を薄れさせてくれる。それでも、もうどんなに年老いても、決して忘れない。



 ギアーシュだって発破をかけているのだと、嫌われ役を買って出ているのだと、きっと誰もが分かっている。



 俺が頼りない声で「命に代えても」なんて強がっているのだって、みんな分かっているのだろう。




 自分が接近戦で戦って守ってあげられたら


 自分の出した煙でみんなを見失わなければ


 自分の目がきちんと見えていれば


 自分が魔法を自由に使えれば



 後悔を残して、自分だけ残された。


 記憶と感情のつるが脳に絡みついて、鈍色に染まる自己嫌悪と不安の花が芽吹く。



 怖いのだ。孤立することではなく、失うことが怖いのだ。





「マティウス、しっかりしろよ!」


 ギアーシュが自分の前髪をグッと握って、マティウスに叫んだ。太い腕に囲まれて、表情は見えない。


 さっきまでの苛立ちとは違う、もっともっと、感情から直接繋いだ言葉のトーン。



「苦戦してたら諦めんのかよ! いつもみたいに、何とかしようって、作戦考えようって言えよ!」

「ギア…………」


 表情は見えない。見えないけど、上に上に勢いを伸ばす炎が、濡れた頬を光らせる。



「オレは…………ずっと『一躍の儀』の奴らに嫉妬してたんだ」


 少しだけ強めに吹いた風が、4人の体を優しく撫でた。



「1人になってからずっと、嫉妬してた。あの儀式をやって、接近戦でも戦えるようになれば、とんでもない威力の弓を使えるようになればって。肝心なときに役に立たなかったから、もっと力があれば、死なせずに済んだんじゃないか」


 腕を降ろし、細めた赤い目で俺達を見る。


「それなのに、お前ら見てると、『ああ、一躍の儀でもダメなのか』って気になって辛くなるんだよ!」



 ああ、そうか。


 ギアーシュが本当に後悔していることは、それだったのか。



「お前らからしたら、勝手に幻滅して何なんだって話だよな。分かってんだよ、オレにとって……一躍の儀は逃げ道だったんだ。『自分はやってないから守れなかった。仕方なかった』って言い訳にしてたんだ。でもお前らの反動を見てたら、それが崩れてさ」



 力を授かるあの儀式をやっていないことが、心残りでもあり、それが「守れなかった自分」の正当化でもあり。

 でも、俺達3人は儀式をやってなお、失ってしまった。


 やれば良かった、やっても変わらないんじゃないか、自分がやったら変わったのか、死なせたくない。頭を飛び交う幾つもの過去の可能性が、想いが混乱と苛立ちを募らせる。




「大事だったんだね、ギア」


 話すのを躊躇うように耳の横を掻きながら、マティウスが声をかけた。

 気を張っていた目が僅かに緩み、どこを見るでもなく、ポツリポツリと返す。



「マーゴネットと、コリックと、後はメイノー…………恋人だ」




 神様は乗り越えられる試練しか与えないなんていうのは詭弁で、綺麗ごとで。


 そんなのは乗り越えた人間だから言えることで。


 他の人の不幸を願うなんて良くないことだと分かっていて、それでも俺はやっぱり思うよ。


 何で俺達なんだ、他にもっと不幸になっても仕方ないヤツがいるだろって、2年経った今でも本当に思ってるよ。



 何でギアーシュなんだよ。コイツが何したっていうんだよ。


 返してやってくれよ。恋人なんだよ。

 たった1人の恋人だったんだよ。



「辛いね。みんな。辛いね。辛いね」



 両手で顔を覆って、アイナが繰り返す。


 体が随分冷たく感じて、呑気に燃える焚火に寄り添った。

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