第6章 共に生きて

#26 やってきた声

「オリー、今のうちに陣に!」


 マティウスが叫びながら、アラトリーの真正面に飛び込むように跳躍する。

 喧騒に嫌気がさしたのか、鳥がバサバサと忙しなく木を飛び立った。


「ああああっ!」

 胸の部分を真横に斬りながら、右脇へと着地する。


「ヴォオオオオオ!」


 大量に血を流す異形。すぐさま、彼が一躍の儀で受けた反動が起こる。

 灰色の血がシュウウ……と音を立て、見える世界を灰色に変える煙になった。




 冒険4日目。目標の場所へ向かうために抜けなくてはならない、幹の大きい木々が連なる森。


 ここまで南端に近いと、普通の人間はおろか、冒険者もほぼ通ったことがないに違いない。見られない鳥や小動物が走り回る、未開の地。



 そして、人間が立ち入らなかったこの場所で好き勝手に生きていた怪物。

 地図に拠ればそろそろ森の出口が見えそうな位置、戦ったアラトリーは目の前の相手が既に3匹目だった。




「まずい、煙で見えねえ!」


 左の茂みに飛び込んだものの、さっき見つけたはずの陣が見当たらない。

 すぐ近くに、あるいはひょっとしたら足元にあるのかもしれないが、大量の煙が一気に流れてきたことで見えなくなっている。



「オリー、僕がもう少し時間を稼ぐ!」


 ザシュッという一撃の音が響き、またもや異形の気色悪い鳴き声が聞こえる。その間に必死に手で煙を払いながら、俺の命綱、魔導陣を探した。


「あった!」


 5歩先にあった陣に飛びつくように近づき、呪文の書かれた鉤を投げて陣に打ち込む。


 あとは詠唱を――


「待て! 待――ぐああっ!」

 激痛に耐える叫び声が耳を襲った。助けに行くか、動揺して迷った、その直後。



「ヴォオオオオ……」


 俺がここに駆けて来たのを見ていたのだろうか。

 様子を見に来て、生きてたら殺そう、と言わんばかりに両腕を伸ばして、灰色の血で体を汚した異形が顔を覗かせる。



 体長は俺の2倍はないくらいで、そんなに大きくない。それでも、人間が1対1で戦うには無理のある体格差。



「チッ、まだ呪文が……!」


 頭は瞬時に2択の可能性を比較する。今からでは攻撃は間に合わない。


 上等なチャンスだったけど、ここは一旦マティウスを助けながら戦況を整えて――



「オリヴェル! そのまま!」


 アラトリーの後ろから、アイナの声。


「私が止めるから! そのまま攻撃!」


 そして彼女の口から聞き慣れない呪文が。その効果は、すぐに分かった。


「ヴォオオオオオオ…………オオオオ…………」


 動かない。口を開き、黒く窪んだ目の部分でこちらを無表情で見ながら、手も足も動かさない。


 否、動けない。魔法に縛られて。



「アイナ、恩に着るぜ!」

 針の刺さった手を前に翳し、敵から目を離さず、詠唱する。


「うあ……オリ……ヴェル……もうこれ以上は無理……っ!」

 自由になったアラトリーが俺と遊ぼうと手を伸ばした、そのタイミングで。



「間に合ったな……」



 ガガガガガガガガガがガッ!

「ヴォギャギャアアアア!」



 敵の頭から足にかけて、凄まじい爆発が連続で起こり、頭の、首の、胴の、手足の、茶色の皮膚を破る。

 ぼたぼたと落ちる血が、振り乱す手足の勢いで俺の顔にベチャリとついた。


 そのまま地面を這い、少しずつ弱っていく異形。

 その頭上に、1つの影。



「オリー、ありがとう」


 頭頂から剣を突き立てるマティウス。アラトリーはびくびくと数回震えた後、そのまま倒れた。


「来てくれて助かったよ、マティ。さすがに魔法連発すると体力が大分削られるからな。さっき攻撃受けてたみたいだけど?」

「ああ、このくらいなんてことないよ。そんなことよりアイナ!」


 2人で茂みを抜け、仰向けで横になっている彼女のもとへ走る。


「おい、アイナ、しっかりしろ!」


 目は開いているが使い物にならないのだろう。声のする方へ手を数回動かしたが、やがて諦め、胸の上に置いた。


「ああ、うん……大丈夫。ちょっと強い魔法使ったから、体力の消耗も激しくて……」

「敵の動きを止めるなんて、僕初めて見たよ」


 両肩を掴んでゆっくりと上体を起こすマティウス。


「私も実戦では初めてよ……補助魔法の中でもかなり難度高いし、体力も尋常じゃなく消費するからしばらくは思うように動けないの。でも」


 そう言うと彼女は、手探りで俺の腕をグッと掴み、顔中に汗を掻きながら立ち上がった。



「負けてられないから。持てる力、全部出すの」


 覚悟。誰のためでもなく、自分のために戦う、覚悟。



「だな、全部出さなきゃな」

 見えていない彼女に向けて、俺もマティウスも強く頷いた。




***




「よし、森を抜けたね」

「後は真っ直ぐ歩けば、リーダー格が目撃された場所に到着だな」

「ようやくね」


 森の出口に咲いていた花をプチッと取り、アイナが匂いを愛でる。さっきの魔法で使った魔力は相当なものらしく、視力はついさっきまで治らなかった。


 

「ねえマティ、まだリーダーのアラトリー、いるかなあ」

「うん、いると思うよ」


 川沿い、背の高い草の生えた平原。これからの厳しい戦いが想像できない、穏やかな風景。


「森で戦ったアラトリー、みんな比較的小柄だった。この前のリーダー格も、群れを組んでたのは小さいヤツばっかりだったからね」

「なるほど。あんまり大きいと力量差で従わせるのも難しいだろうしな」


 ってことは、やはり近くにいるんだ。この近くに、俺達の標的が。


「……やっぱり、強いのかなあ」

「だろうな……体もデカいぞ、きっと。俺達の3倍はある」

 ギアーシュと最後に戦った、アイツくらいの大きさはある。



「うう、どうしようかなあ」


 アイナの質問に、あっけらかんと答えてみせた。きっと、彼女もそう答えることを願っていると信じて。


「倒すだけだろ」

「だね」


 マティウスと顔を合わせて、苦笑いを見せつけ合う。

 そうやって話しているうちに、地形も、見える景色も、大きく変わった。



「……着いたね」


 マティウスが晴れ晴れしたような表情で、目の前を見渡す。

 右も左も奥も、切り立った崖の絶壁に囲まれた、草のない平地。

 アラトリーが目撃された地点に近い、「縄張りの予想地」となっているこの場所。



「うん、今はいないみたいだな」


 明らかにそれと分かる足跡もあるが、姿は見えず、鳴き声も聞こえない。

 やけに広いこの一帯は、異形がいないと持て余すほど不格好だった。


「どうする、マティ。もう少し奥まで行ってみる?」

 

 しばらく下唇を噛んで考えていたが、やがて小さく首を振った。


「いや、待とう。いつか僕達の気配や匂いを感じとって来るはずだ。ここなら、逃げ場がない」



 それは正しい判断だったと思う。深追いして、地形のよく分からないところで遭遇してしまうより、この場所の特性も魔導陣の位置も把握して、慣れてから戦った方が良い。


 何より、三方が塞がっている方が、お互いきっと「ここが最後の戦場だ」と理解できる。俺達が覚悟を決めるにも、最適の場所だった。



「さて、あの化け物が来るまでは俺達の準備時間だ。今のうちに色々やっておくぞ……勝つためにな」

「うん!」


 そこから、それぞれが動き出す。俺は魔法陣の位置の把握、マティウスは剣を存分に活かすための地形確認、アイナは視力回復まで逃げ込める場所の探索。



 いつか、リーダー格が、ここに来る。そいつを倒せば、他のアラトリーも人目につかないところに逃げていき、グルネス南部の平和は保たれる。


 興奮と緊張と不安と恐怖と、全てがごっちゃになった感情をごくりと飲み込みながら、念入りに準備を重ねた。



 やがて。昇るのに疲れた太陽がゆっくりと下降し始めた頃。



 その声が、聞こえる。



「ヴォオオ……ヴォヴヴヴヴ……」



 呻くような低音、吐き気を催したかのように歪に喉を鳴らす。

 耳にするだけで不快で、体の毛が逆立つようで、一刻も早く葬り去ってしまいたい。



 足音。四つ足の足音。這って、這って、ベタベタと這って、軽い地響きが鳴って。

 そして、俺達の後ろ、四方のうち開いている一方から、アイツが現れた。




「ヴォオオオオオオオオオ!」



 化け物みたいに気色悪い化け物。化け物みたいに強い化け物。



 異類異形、アラトリー。

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