#9 煙、巻き上がって

「……どういうことだ」


 魔法で爆発を起こし、足が吹き飛んだ状態で絶命したアラトリーの横で、アイナに問いかける。



 彼女の言葉で、状況を瞬時に理解した3人。

 マティウスがアイナの手を引き、ギアーシュがクロスボウを打ちながら誘導し、俺が魔導陣に向かって走る。そうして今、なんとか撃破することが出来た。



 ポツリと彼女が口にした、予想通りの言葉。ギアーシュが「嘘だろ……」と目を丸くする。


「白魔術の力を高めたくて、儀式やったの。まだ13~14歳だったし、何も心配してなかった」

 左の手首、水晶が埋め込まれている辺りを見つめながら話す。


「力は強くなったわ。治癒のスピードも速くなったし、攻撃の防御にも役に立てるようになった。でもその代わり、私にとって、あの光が強くなりすぎたの」


 彼女が魔法を使った時を思い出す。

 彼女の顔の前、正に目の近くで一気に明るくなる、緑色の光。


「目を瞑っていても、あの強い光に眩むの。目の前が真っ暗になって、視界が使い物にならなくなって、10数えた辺りから少しずつ元に戻る」


 トンネルから急に外に出たときみたいだね、とマティウスが相槌を打った。脳内で想像して、思わず目を細める。


「反動、なのかしらね。オリヴェルと一緒」



 そう、俺と一緒。強い魔法、パーティーに貢献できる魔力を求め、俺は恒久的な自由を失い、彼女は一時的な視界を失った。


 こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったのに。



「そうか」

 何か思いついたかのように、マティウスが目線を上に向ける。

「アイの二つ名、『不可視の法術ダブル・インビジブル』ってそういうことなのか」

「ん、そだね」


 コクコクと、最小限の動きで頷く。聞いていた俺にも、理解できた。

 魔法も光以外は見えないし、かけた本人も視えなくなる。秘密を知った誰がつけたのか、彼女を表す、適切で、少し残酷ですらある二つ名。



「だからね……モーグも、タバネも、シオンちゃんも、その瞬間を私は見てないの」


 そして彼女は、下を向き、美しい金髪で目を隠し、沈めた思い出を紐解く。


 魔法剣士モーグと、格闘家タバネと、召喚士シオン。一緒に冒険して、自分が魔法を使えるように誰かがカバーしてくれて。



「視えないけど、怖くなかった。みんな一緒だったから」


 微笑んだまま、あるアラトリーとの戦いに話題は移った。みんなで攻撃したこと、タバネが怪我をしたこと、魔法で回復したこと。それは、いつものこと。



 いつだって、そんな当たり前の中にふらりと絶望はやってきて、夢のような日々から安寧をくすねていく。



「魔法を使った直後、前から泣き叫ぶ声が聞こえてきたの。真っ暗な中であんな絶叫が耳に響いて、何度もみんなの名前呼んで」


 体が震え、うずくまる。ギュッと強く握られた俺の手に、爪が食い込む。



「でもね……目が回復する前に、私、首を噛まれたの、アイツに。そのまま意識を失って、アイツも殺したと思って満足したのかな。奇跡的に他のパーティ―に助けられたときには、もう1人だった」


 首が治ってから、彼女はハウスに来たのだろう。他のみんなと同じように、孤独を着込んで。


「だから、怖いの……怖いのよ!」


 俺達と同じように、白魔術でも埋められない傷を負って。


「見えない時にまた噛まれたらって! 視界が戻った時にいなかったらどうしようって! 怖いの! アラトリーが怖いの!」



 冒険者であるプライドも、俺達に与える不安も、とめどなく流れる涙も厭わず、彼女ははっきりと口にした。


 きっと、知っているから。俺達が同じような仲間で、何かを失って何かが歪んで、それでもこの旅を始めたと、知っているから。




「……安心しろ、俺も怖いから」

「だね、僕も怖い」

「オレだって、戦わないで済むならそうしたいぜ」

 家族以上の仲間が、ここにいる。


「……ありがと。私が魔法使うときは、みんな全力で守ってよね。冒険の要なんだから!」


 鼻を啜りながら冗談めかす彼女に、男3人は顔を見合わせて「だってよ」と笑った。



「でも、そっか。それなら僕も、言いやすいな」


 歩き始めてしばらくしたところで、先頭にいたマティウスが誰に向かってでもなく呟く。


 観念したかのような、決意したかのような、若干力の入った言葉。


 そして、その固い表情を更に強張らせる、近づきつつある異形の呻き。



「マティ、来る」

「分かってるよ、オリヴェル」

 剣を抜いて、振り返る。額には、気温に似つかわしくない汗。


「ここは僕がいく。後方支援、よろしくね」



 そして、その場で足を止める。徐々にこちらに向かっている足音が、力を振るう相手を求めて鳴らす喉が、いつでも俺の記憶をあの場所に――1人になったあの場所に――引き戻す。


 それはこの3人もきっと同じで、だからこそ、余裕も自信も持ちきれないまま、不器用に対峙していく。



「ヴォオオオオオオ!」


 そしてまた、闘争心を潰されるような叫び。2本足で立って、窪んだ目で俺達を見下ろす。

 気味が悪い。気持ち悪い。



「じゃあ、いくよ!」

 マティウスが剣を水平に構えながら突っ込んでいく。


「ヴォオオオオオオオオ!」


 茶色の長い右腕と長い爪をギュオンと伸ばすアラトリー。

 マティウスの白い前髪に触れるかと思うほど近づいた手に、アイナは「やっ……!」と小さな悲鳴をあげる。


 が、マティウスは寸前で右にけ、その化物の攻撃をかわした。


「しっ!」


 真横から薙ぎ払うように振った剣が、アラトリーの腕に食い込む。「ヴォオオオオオオ!」という喚くような声とともに灰色の血が噴き出て、敵は腕を庇うかのように胸元に引き寄せて暴れた。


「さすが二つ名がつくだけあるな、マティウス」

 クロスボウの構えを崩さないギアーシュが、安心したように笑って見せる。


「もう一発!」


 攻撃より防御に意識が向かっている敵に仕掛けるのは、そう難しくない。

 今度は足の低い位置に、一撃を斬りつけた。



「マティ、すごいすごい!」

 興奮して手を叩くアイナに、俺も頷いた。



 異変に気付いたのは、そのすぐ後。



「……なんだ、この煙?」


 アラトリーの方から俺達に向かって漂ってきた、

 無臭のその煙が、徐々に周囲を覆っていく。


 さっきまでマティウス達がいた場所では、何か戦っているような音はするが、何が起こってるかはよく分からなかった。


「クソッ、何だこれ。オリヴェル、あいつらにこんな攻撃あったか?」

「いいや、俺は見たことない。ギアーシュも知らないんだろ?」


 毒かと慌てたが、そういうわけでもない。目への刺激があるわけでもない。

 ただただ、濃い灰色で、視界が悪くなっていく。


 ちょうど、そう、、忌まわしい灰色。



「マティ、見えなくなっちゃった……」


 アイナの言葉に、ハッと息を呑んだ。


 俺達には、マティウスとアラトリーが見えていない。

 



「ギアーシュ!」

「おうよ、行くぞ!」


 同じタイミングで気付いた2人で、数十歩先へ飛び込む。

 尤も、魔法の使えない俺が何を出来るわけではないけど。



「マティウス! いるか!」

「ああ、ありがとう」


 靄がかかったようになっている戦闘場所バトルフィールドで、声の元を探る。腕と顔に幾つか擦り傷を作ったマティウスが、僅かに息を切らしていた。



「オリヴェル、この煙どうにかなんねえのか?」

「魔法が使えれば、風で吹き飛ばしたりできるだろうけど……」

「……だよな」

 お互い、その先は言わない。魔導陣が近くにない中で、俺は何もできない。



「ヴォオオオオオオ!」


 俺を無視するな、と言わんばかりのけたたましい咆哮。俺達の1.5倍はある巨躯を3人で睨みつける。相変わらず揺蕩う煙が、目の前の世界を灰色に変えていた。


「ギア、僕が足を斬って転ばせるから、頭か胸にとどめ、お願いできるかな」

「おう、任せとけ」

「助かるよ」

 ぐっと深く沈んだマティウスが、地面を跳ぶように蹴って走り出した。


「せいっ!」


 突撃するマティウスが、相手のかなり手前で振りかぶる。


 比較的近くから見ている俺ですら「間合いを読み違えたか?」と思ったが、その心配は杞憂。地面に向けて大きく振った剣を地面に突き刺す。


 その反動で宙を舞い、アラトリーが伸ばした腕を綺麗にかわした。



「ヴォオオオ!」


 1回転しながら刺さった剣を抜き、すぐに攻撃できる体勢になってから着地。そのまま、無防備な敵の足をザシュッと斬った。


「ヴォアアアアアアアア……」


 砂埃を巻き上げて転び、途切れ途切れに喚くアラトリーの頭に、ギアーシュが2発連射する。


 声も出さなくなった異形は、やがてゆっくりと動かなくなった。




「マティ、すごーい! あんな攻撃初めて見た!」

 いつの間にか俺達の後ろに来ていたアイナが、マティウスのもとに駆け寄る。


「ホントにすごいな。俺、間合い間違えたかと思ったもん」

 彼はいつも通りの優男の表情を崩さす、「ありがとう」と微笑む。



「みんなが後ろにいると思うと、心強いね」

「にしても、何なんだ、この煙は」



 少し薄くなったとはいえ、未だに見通しは悪い。不快そうに目を細めて、ギアーシュが顔の辺りを手で払う。




 そしてその答えは、彼から告げられた。




「その煙……僕のせいだよ」

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