#20 仇を前に

「……出ないね」

「ああ」


 疲労が身体の余裕を奪い、振り返らずに後ろのアイナに相槌を打つ。


 もうすぐ夕方が訪れるだろうという時間帯。最後にアラトリーを倒してからかなりの時間歩いたものの、そこから遭遇していない。

 それが逆に、何が待っているのかと不安を煽る。


「ふう……ようやく終わりそうだな」


 体力自慢のギアーシュも、さすがに顔を軽く歪める。


 炎天下の中で歩いたのも大変だったが、土や砂と違う固い岩を飛び移っていくことは予想を遥かに超えて足への負担がかかる。


 岩の地帯を越えたら、という予定を変更し、こまめに休憩を取りながら、進んできた。



「マティ、昔ここ越えたことあるの?」

「うん、でもあのときはもっと西側に進んでいったんだ。そっちはここまで広がってないから、ここまで大変じゃなかったよ」


 頭上を鳥が羽ばたいていく。同じように飛べればなあと、子どものような想像を膨らませて嫉妬した。




***




「着いたーっ!」


 最後の岩から平地にジャンプし、アイナが両腕を上げる。その表情は達成感というより、「これで辛い思いをしないで済む」という安心感に満ちている。


「結局最後までアラトリー出なかったな」

「アイツらも疲れるんだよ、ここ渡るの」

 ギアーシュの呟きに冗談で返すと、「大した異形だ」と苦笑した。



 すっかり夕暮れ。起伏の少ない土の平地になり、気温も落ちたことで、俺達の歩くスピードは一気に早まる。


「このまま遭遇せずに抜けられれば、明日の朝には目的の場所に行けるかもね」


 そうマティウスが話した直後のことだった。



「ヴォオオオオオオ……」


 音、匂い、気配。何を感じとったのか、それとも偶然なのか分からないが、確かに遠くて聞こえる、あの声。

 久しぶりの邂逅は喜ばしいものではなく、脈は速くなる。



「リーダー格のお出ましかな」


 首に右手を当てながら、ギアーシュが目に闘争心の色を映した。グルネス南部に2匹いるであろうリーダー格、その1匹目。


「……行くしかないわよね」


 自分にも言い聞かせたアイナが、パンと両手を叩く。何かの験担ぎかもしれない、その音が号令になり、4人で音のもとへ歩みを進めた。




「ヴォオオオオオオオ!」


 四方を何にも囲まれていない、見晴らしの良い場所。木もなく川もなく、あるのは足元に広がる土だけ。そんな場所で、4本足でぬらぬらと歩き回っている。


「ヴォオオオオオオオオオ!」


 茶色の体色、気持ち悪いほど長い手足、表情のない顔、不快なだけの鳴き声。

 これまでのアラトリーと違うところと言えば、顔の上部についている角が白ではなく赤ということ。


 そして俺達を見つけ、ゆっくりと立ち上がると、違うところがもう一つ。


「デカいな……」


 俺達の倍ではきかない。3倍はある。立たれるともはや顔はよく分からず、アンバランスに長い足と呼吸に合わせてボゴボゴと動いているらしい腹部が見えた。



「大きければ強い。ガキの考えと一緒だな」

 しかし、言った俺自身が嫌になるほど、それは紛れもない事実だった。



 武器も使わない、意思疎通もできない、何匹かで固まって攻めることもできない、異形アラトリー。それでも俺達冒険者の脅威であるのは、単純に強いからだ。


 戦闘に特化し、殴って、避けて、蹴って、かわして、噛みつくだけ。ただ力を振るう、思いのままに力を振るう、その破壊力が凄まじい。


 それを活かすのが彼らの体格。体が大きいほど、その力は増加し、太刀打ちが難しくなっていく。


 化け物、どこまでも、化け物。




「そうか、お前か……」


 後ろで、クロスボウを構えるギアーシュが、口を弓のように曲げた。

 厳しい戦いを覚悟する中で、歓喜と狂気の混ざるような、似つかわしくない笑み。


「……ギア?」

「赤い角、忘れねえよ。それにその大きさもな」

 歯ぎしりの音。ギリギリ、ギリギリと、何もかも磨り潰してしまいそうな。


「オレの! オレの仲間を! 殺したヤツだよなあ!」




 理解するまでに一瞬の間があり、すぐに振り返って敵を見る。


 自分のことではないのに、血が沸騰するかのようなエネルギーが両手を震わせた。


 こいつが殺したのだ。俺の家族の仲間を殺したのだ。俺の家族の最愛の人を殺したのだ。



 どうしてくれよう。許さない。許さない。




「オレから行く!」

 言うが早いか、クロスボウで連射する。激情の矢が、右足に刺さった。


「ヴォオオオオ……」


 まるで効いていないかのように、ただ唸るアラトリー。灰色の血は流れているのでダメージを負っていることは間違いないものの、体格に比例して足も太くなっているのか、そこまでの深手ではないらしい。



「マティウス!」

「分かってる! アイ、防御魔法かけておいて! こいつの破壊力じゃあんまり効果ないかもしれないけど」

「任せて!」


 すぐに手を前に出し、呪文を唱えるアイナ。緑色の光が4つ、メンバー全員のもとにフワフワと飛んでいき、体を包み込む。


 やがてそれは、皮膚に沁み込むように溶け、効力を表すように腕の一部だけぼんやりとした光を纏った。


「……っと」


 ガクッと体を落とすアイナの腕を支える。岩の移動で疲労が蓄積しているところに、持続時間の長い魔法。相当体に無理をしているに違いない。


「大丈夫か、アイナ」

「ええ……大丈夫。それに、ギアーシュの敵だもの、このくらい」


 そうだよな。俺も、全力で臨む気だ。


「ああああああっ!」


 視線の先で剣を抜きながら走るマティウス。切っ先を正面真っ直ぐに向けて、その助走をバネに跳ぶ。それでもこの大きさでは頭までは届かず、上腹部にズバッと突き刺した。


「ギア、頭は任せた!」

「おうよ! まずは目から潰す!」


 マティウスを手で払おうとする異形の頭部を、冷静にクロスボウで狙う。ガシュッガシュッという鋭い音とともに、片目に2本突き刺さる。完璧に狙い通りの攻撃。


「ヴォオオオオオオオオ!」



 手で目を押さえて矢を抜いている間に、マティウスが剣を抜いた。大量の血が噴出し、それは彼の剣に触れて、煙の群れに変わった。


「あれだけ巨躯だと血も多いわね」

「ああ、しかも風がない」


 森の中ほどは煙が籠らないにせよ、これだけの煙だとしばらくは視界不良になる。それは、俺が敵に気付かれずに動くには、好都合だった。


 敵が咆哮を繰り返しながら2本足を激しく踏みならしているうちに、パーティーを離れ、左へと移動する。


 そこには、さっき確認しておいた魔導陣。鉤と針で、自分の体と繋ぐ。


「やっぱり厳しいな……」


 近くに誘導してもらった後ならともかく、ここから魔法で攻撃するには、少し距離がありすぎる。


 ただ、それならそれで戦い方はある。


「いくか」


 ここだぞ、と声をかけてやろうかと思ったが、それもやめた。そんな余裕を見せることが、戦局にどういう影響を及ぼすか分からない。向こうがこちらに気付かないうちに、小声で呪文を唱える。



「崩れろ」


 ドゴガガガガガガッ!



 今回狙うのは、アラトリー本体ではない。その、そこに爆発を起こす。

 地面は深く抉られ、異形は足にダメージを負いつつ、そのへこんだ地面に沈んだ。



「助かるよ、オリー!」


 何が起こったかと驚いた様子のマティウスだったが、俺の魔法だと分かるとすぐにお礼を叫んだ。


「ヴォオオオオオオオオ!」

「これなら斬れる!」


 そう、地面を抉ることで、アラトリーの高さを変えた。息の根を止めるために攻撃したい、顔や首や腹部。そこが近づくことで、マティウスもギアーシュも、そして俺も攻撃しやすくなる。


「まずは首!」


 体を捻りながら斬りつけ、首の左側に深い一撃を刻む。


「ヴォオオオオオオオ!」

「まだまだあ!」



 良い作戦だと。我ながらうまいこと考えたと。そう思っていた。



「次は顔――」


 ザシュッ!


「あ……が…………」

「マティ!」


 アラトリーが伸ばした手、その爪が、剣士の足を貫く。


「ぐう……ああ…………」


 羽をもがれ、崩れ落ちる。

 致命傷ではない。しかし、走ることも跳ぶことも出来なくなったということは、攻撃を封じられたに等しい。



「クソッ! デカすぎんだよ!」

 更にマティウスを狙おうとする敵に、ギアーシュが叫びながら円盤を投げた。


「ヴォアアアッ!」

 すんでのところで円盤の周りの刃が相手の腕を切り裂き、攻撃の手が止まる。


「マティウス、気をつけろ! リーチ長いぞ!」


 俺もマティウスも見誤っていたこと。


 昨日までの戦いで「アラトリーとの間合い」が刷り込まれてしまっていた。

 巨躯になれば、より腕も長くなる、攻撃範囲も広くなる。



「あ、ありがとう、ギア」

「アイナ、回復頼む! 足なら治るだろ!」

「あ、あ、うん」


 致命傷でなければ、アイナが治すことができる。

 彼女とギアーシュがいる場所まで戻りながら彼女に頼んだ、その刹那。



「…………え?」


 ドンッと地面が軽く揺れる音がした。振り向くと、

 抉れた地面から抜け出て、またあの見上げるような高さで、細長く感情のない顔で、俺達を見ている。



「なっ…………!」


 ギアーシュが、咄嗟にアイナの前に立つ。笑ったようにも見えたその額には、汗が滲んでいる。



「そうだったな……アイツ、跳べるんだったな」

「ヴォオオオオオオオオ!」



 そのまま、二足歩行でこちらに走ってくる。血をボタボタと垂らしながら、眼球があるかも分からない黒く窪んでいる目でこちらを見ながら、長い爪でザリザリと土を掻きながら。



「射手相手に近づいてくんじゃねえ、よ!」


 クロスボウを構えて、連射する。その矢はしっかりと腹部に刺さった。しかし。



「ヴォオオオオオ!」


 その大きさ故、攻撃が効いていないのか。あるいは劣勢にあると感じた故の暴走なのか。


 傷も血も関係ないという勢いで、突撃してくる。



「マズい、散らないと――」


 孤立しないよう、なるべく固まろうとするパーティ―の習性が、悪い方に働いた。


 相手が人間なら誰か1人で済んだ。アラトリーだと、ましてリーダー格だと、そうはいかない。



「ヴォオオオッ!」

「がっ……!」

「うおっ!」

「きゃあっ!」



 鈍い衝突音とともに、巨大な馬に反動をつけて蹴られたかのように弧を描いて飛ばされる。


 地面に叩きつけられる衝撃は防御魔法で多少緩和されたが、魔法はそこで消滅。



「う、あ……」

「オリー……」



 4人全員、誰も立ち上がれない。

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