#7 不完全な魔導士
「え…………」
皆、黙りこむ。真っ先に口を開いたのは、アイナだった。
「ちょ、ちょっと待って! 直接じゃないとって……どこでも使えるわけじゃないってこと?」
「ああ、手首に埋めた
自嘲気味に笑っていると、口に手を当てて考えていたマティウスが「あっ」と何かを思い出したように呟いた。
「その方法、どこかで聞いたことあると思ったら、昔のやり方だ」
「博識だな、マティ。50年前くらいまではこのやり方が主流だったらしい」
それが対アラトリーの研究が進むにつれ、こんな移動に限界のある方法はダメだ、となり、今のように水晶の欠片を埋めて間接的に波を受信する形になった。
「で、でもオリヴェル、なんでそんな体質に――」
言いかけた問いを飲み込む。彼女が思いついたであろう仮説を、ギアーシュが代弁した。
「一躍の儀、か」
「…………ご名答」
俺の自由を奪った、俺の仲間を奪った、この
一躍の儀。
物理攻撃を行う者の力を、魔法を扱う者の力を、鍛冶や薬調合を行う者の力を、飛躍的に高める儀式。
10代前半、つまり冒険を始める前の修行の段階で、宮廷使えの賢者が魔法を施した流体状の液体を飲む。
紫色のあの液の気味悪さと、飲んだ後の内臓が暴れるような不気味さは、今でも忘れることが出来ない。だがともかく俺はそれを飲み、魔法の力を飛躍的に高めた。
これでアラトリーを蹴散らせる。これでグルネスを守れる。
しかし。しかし。
「まさか、反動で?」
哀しそうに目を細めるマティウスの肩を、空元気で叩く。
「笑っちまうよな」
同意を求めながら、表情は固いまま。日陰に漂う生温い風が、脱力した手を嘲るように包む。
能力が上がりすぎた結果、ごく稀に、何かしらの反動を受けることがある。能力の飛躍が大きければ、尚更。
それでも、そんな大したことは起きないだろうと高を括っていた。一躍の儀は成功し、確かに俺の攻撃魔法の威力は上がった。一気に上がった。
一気に上がりすぎて、「遠隔から間接的に魔導波を受けるのでは魔力が足りない」という望まぬ副作用が表れた。皮肉で、憐れで、信じがたい顛末。
「マティウスもアイナも、一躍の儀、やってるのか?」
「ええ、やったわ。みんなを助けられるようになりたかったし……」
睨んでいるような表情のギアーシュに、アイナに続いてマティウスが答える。
「僕もやったよ。もともと非力だったからね」
お互い、こんなことも知らない、こんなことも言っていない。
家族以上の関係だけど、だからこそ、ハウスでは口にしなかった。
「ギアは? やってるの?」
「オレはやってねえよ、自分の力だけで冒険したかったからな」
その言葉を耳にし、一気に頭が熱くなる。気が付くと、ギアーシュに掴みかかっていた。
「俺だってなあ! 自分の力だけでやれば良かったと思ってんだよ!」
「んだよおい、いきなり。ケンカ売ってんなら買うぞ」
俺がおかしいことくらい分かってる。
それでも、それでも。「自分の力だけでやらないから、そんなことになるんだ」と言われた気がして、感情が血を噴いて止まらない。
「一躍の儀を悪く言うんじゃねえ! こんなことになるなんて誰も思ってねえんだよ!」
「オリー、落ち着いて」
マティウスに引き剥がされ、呆然と俯く。
視線の先の地面が揺れ、波立ち、瞬きすると土が焦げ茶に濡れた。
「この魔法のせいで死んだんだよ……俺のせいで……っ!」
忘れたことはない。そう思わなかった日はない。
あの日、いつもと同じように、アラトリーと対峙した。角の青い、大柄のアラトリー。
作戦もいつも通り。剣士のガヤトが削り、射手のアンギが遠隔から狙い、白魔術師のイージュが回復しながら、俺が魔導陣に行く隙を作る。「悪いな」と言えば「気にすんな、頼むぜ」と返ってくる。
陣の場所を把握していた俺は夢中で走った。後ろから3人はついてこない。そういう日もある。足止めに時間がかかっているに違いない。それでも、いつか来る。それを追って、あの異形も来る。そこを狙って焼けばいい。陣の中に鉤を打って、その時を待つ。
どれだけ経ったか。聞こえるのは咆哮だけ。道に迷ったのか、一時的に避難しているのか、声も聞こえない彼らを待つ。
やがて、胸を侵食する一つの可能性。その場に留まっているのが辛くなり、覚束ない足取りで戻る。生きていることを確認するために、戻る。
そこで、胴を削られたガヤトを見た。腕のないイージュを見た。血に浸ったアンギを見た。
敵はいない。動かないおもちゃに興味を無くした子どものように、もうその場にいない。
謝った。叫びながら謝った。俺が悪いのだと。
たとえ魔法が強くなくなって、どこでも使えたなら俺1人移動することはなかったのだと。万が一それで一緒に死んでも、それはそれで本望だったのだと。
「…………悪かったな、ギアーシュ。変に思い出して、動揺してた」
「いや、気にすんな。そういうの、みんな持ってるだろ、オレ達は」
ダークブラウンの髪をガシガシと掻きながら、ぶっきらぼうで後腐れを残さない返し。
「オリー、ギア、先に進もうか」
「ん、だな」
マティウスが微笑みながら森を指差す。彼のこういうさりげないフォローに、俺達はいつも救われている。
いつの間にか空には雲がバラ撒かれていて、朝から上機嫌に4人を照らしていた日射しは身を潜めた。
「それにしても、アラトリーが分断するなんてね」
平坦な道を歩きながら、先頭にいるアイナが振り向いた。
いつの間にか、どこかで摘んだ紫の花を手に持っている。
「トーヴァの話だと、きっちり二分したわけじゃなさそうだよね。大部分は北側にいて、迷ったか仲違いしたリーダー格とその下が南に残ってるんだと思う」
「多分、マティの言う通りだろうな」
アラトリーには「分断して相手を襲って混乱させよう」なんて組織だった戦略はない。
持ち合わせているのは、戦うために発揮される埋伏や防御の知恵。あとはただただ、俺達の四肢など
「うう、弱いボスだといいなあ。私1人で勝てるくらいの」
「普通のアラトリーより弱いじゃねえか」
呆れるギアーシュに合わせて、俺も肩を落として見せる。
もちろん、本当は分かっている。アイナの言葉はきっと、心からの言葉で、俺だってそのくらいの強さの奴ならいいなあと、心から思う。
***
「森……だな」
一見、分け入るのが難しそうな木々の大群を前に、深呼吸する。
向かって右は、ロープでもなければ前進できない高低の激しい岩地。ここを抜けて南下するには、向かって左から正面にかけて鬱蒼と茂るこの深緑を抜けなければいけない。
人間が普段行き来しないであろうこの中は、皮肉なことにあの化け物の通った跡が道の代わりとなっていた。
「ふう。ごめん、入る前に少しだけ休ませて」
軽く足を伸ばしたマティウスが、右側の岩地に視線を遣った。
「賛成! 私も少し足休めたい!」
人が乗れそうな平べったい大きな石2つに、それぞれが四肢を投げ出して横になる。
「おい、マティウス。これからこの2倍の距離歩く予定なんだぞ。ここでへばってどうする、情けねえ」
「悪いねギア。もともと体力ないけど、さすがに3年のブランクがあるとキツいよ」
息を切らせる彼に、アイナが膝に手をついて「そうね」と頷いた。
「ギアーシュ、私も体が重いもん。ブランクかな」
「いや、お前はただの食べ過――」
「ふんっ」
「ごおおっ……!」
体が重いとは思えないほど軽い身のこなしからの、体の重さを乗せたボディブロー。
「まったく、レディーに向かって失礼な!」
「レディーはボディに拳打たねぇよ……」
みんなで笑って、手持ちの水で喉を潤す。
遠い道のりも、いつもの4人だと少しだけ不安が和らいだ。
「さて、この中じゃどこから狙われてもおかしくねえぞ。気をつけろ」
「そうね、全員の目でカバーしましょ」
森の一本道を歩きながら、注意力を網の目のように張り巡らせる。いつ襲ってくるか分からないというその恐怖が、五感を鋭敏にした。虫の羽音も、見慣れない鳥が枝にとまる音も、目の前のことのようなボリュームで聞こえる。
獣でも動いたのだろうか。葉が擦れ合ってガサガサと響いた、その直後。
「ヴォオオオオオオ!」
細い木を薙ぎ払い、横からアラトリーが飛び出す。遥か前から俺達に気付いていたのか、完全に気配を消して身を潜めていた敵は、その長い指を伸ばして倒れ込むように近づいてきた。
不運があるとすれば、直前に反対側で鳥が甲高く鳴いたため、全員が僅かに気を取られたこと。
そして、この異形が飛び出した延長線上に、アイナがいたこと。
「アイ!」
「え――」
細長い顔を更に縦に開いて、鍬の先のような歯を覗かせる。そのまま顔に食らいつこうと、不気味に首を伸ばした。
ガガンッ!
「ヴォエエエエエエエエッ!」
品性のない低い唸り。伸ばした首の横に2本の矢を受け、灰色の血を流しながら喉を掻き毟る、褐色の化け物。
「急に飛び出して噛みつこうなんて、浅ましい野郎だな」
いつの間にか俺達から数歩離れたところにいるギアーシュ。顔はやや綻び、手には赤いクロスボウ。
「アラトリー、『
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