#12 幻影と共に歩む旅

「ヴォオオオオオ……」


 威圧するように、体格差を誇示するように、化け物が足音を響かせて近づいてくる。


 全長は、昨日戦ったどのアラトリーよりも大きい。軽く人間の倍はある。

 その事実が、少し体が大きくて少し手足が長いという事実が、俺達の体を強張らせる。


「ギア、行こう。オリー、戦いながら少しずつ魔導陣に近づいていけばいいよね?」

「あ、ああ。頼むぞ、マティ」

 抜刀しながら、マティウスがアイナに顔を向ける。


「防御の魔法、使える?」

「ええ、多少ダメージを和らげるだけだけど」


 言いながら、手を前に翳す。緑色の光がポウッ、と生まれ、靄を体に纏うように4人の体が光に包まれた。


「永続的なものじゃないから、途中でなくなるわ」

「十分だよ、ありがとう。アイは体調大丈夫?」

「……ええ、このくらい、何てことないわ」


 フッと強く息を吐いて、歯を見せて答えるアイナ。


 体を気遣う。回復と違い、全員を相手に、しかも長時間効果を持続させるこの類の魔法は、術者の体力・気力をガリガリと削ることを誰もが知っていた。



「よし。サポートよろしくね、ギア」


 1人で走っていくマティウス。

 嫌な思い出を、飲み込めない過去を振り払うように、剣を胴部に向けて振り下した。


「ヴォオオオオオオ!」


 灰色の血を噴き出しながら叫ぶ異形に向けて、すかさずギアーシュがクロスボウを放つ。右手に刺さった2本は、敵に爪を使わせなくするのに十分だった。


「ねえ、誰かいる? 近くにいる?」

 何も見えていない目で周囲を探りながら、アイナが叫ぶ。


「俺だ、俺がいる」



 でも、それが何の助けになるというんだろう。

 今の状態で魔法を使えない俺が彼女の傍にいたところで、何をどう守れるわけでもない。欠陥であることを嫌というほど自覚させられる。



「あああああっ!」


 マティウスは、一心不乱に斬撃を繰り返していた。時に殴られながら、腕から血を流しながら、防御魔法があることを最大限に活かして、攻めていく。


 そして彼の場合、



「おい、マティウス! 少し攻撃控えろ! 煙がひどくなってきた!」


 俺にももう、彼の姿は見えない。攻撃のチャンスなのに好きに攻撃できないなんて、剣士としてどれだけ悲しいことなんだろう。


「マティウス! これ以上やるとこっちが狙われるぞ!」

 もはやアラトリーの姿も見えなくなり、ギアーシュが怒鳴る。


 動く音が聞えなくなった、その時だった。



「ヴォオオオッ!」

「があっ……!」

「マティ!」


 止まった隙を狙われ、アラトリーの突進をまともに喰らった。転がりながら地面を滑り、俺達がいたところまで吹っ飛ばされる。声は出ない。気を失っている。



「ヴォウウウウ……」


 唸りながら4本足で近づき、目の前でまた2本足で立った。倍はある異形の、近くで見るとなんて気持ち悪く、なんて強そうなことか。


「アイナ、マティを治せ!」

「え、あ…………」

 何かを噛むように、ガチガチと歯を打ち付けるアイナ。


「無理……無理よ…………こんな化け物の前で、視界がなくなるなんて……」

「おい、アイナ! ギアーシュ、ヤツに矢を!」

 焦る俺に、ギアーシュも「無茶言うな!」と叫んだ。



「こんな距離じゃ狙えねえよ! クソッ、ちょっと待ってろ!」

 クロスボウを右手に持ちながら、後ろに下がるギアーシュ。


「おい、早くしろギアーシュ!」

「うるせえ分かってるよ!」

「ヴォオオオオオ!」

 目の前の異形が、足を大きく蹴り上げた。


「危ねえ!」

 横になっているマティウスを庇いながら、転がって避ける。


「きゃあっ!」

「おい大丈夫かアイナ!」

 ゆっくり起き上がった彼女は、足から血を流していた。



「……ざけんな! ざけんなっ!」


 誰に対して言ったものでもない。自分自身に、或いはこの状況に。



 剣士が攻撃すれば煙が邪魔をする。

 回復は隙がなければできない。

 近くに来られたら射手は攻撃できない。

 魔導陣に接近しなきゃ魔法が使えない。



 どうにも不完全で、どうしようもなく不格好で。

 パニックになりそうな脳を必死に制御して、戦い方を考える。



「待たせたな、アラトリー!」


 ギアーシュが矢を連撃する。運良く1本が目に刺さり、敵は悶えるように後退した。


「アイナ、今のうちにマティウスを!」

「う、うん! 守ってね、その後守ってね!」


 目を大きく見開いて俺に念を押し、白魔術で回復する。「ん……」と意識の戻りつつあるマティウスの声が聞こえた。


 よし、これで後は俺が行ける。



「俺が魔導陣まで行く! アラトリーの誘導頼む!」

「おい、オリヴェル!」


 ギアーシュの声を背中に受けながら、戦闘の局面を離れ、右の草むらを分け入っていく。


 だが、そこで予期せぬ出来事が起こった。


「オリー……オリー! どこに行ったんだ! オリー!」

 完全に意識の戻ったらしいマティウスが、何度も俺の名を呼ぶ。



「マティ! どした!」

「オリー! どこ! どこにいるんだ!」


 いつもの彼とは全く違う、情緒不安定で落ち着きのない声。

 その時、ハッと、彼の話を思い出した。


『歩いてる途中でも、戦闘中でも、誰かがいなくなるのが僕は怖いんだ』


 血の無い所に煙は立たぬスモーク・オン・ザ・ブレード。アラトリーの血が煙になってしまう、彼の特性。

 一躍の儀で、力と引き換えに付加された、望まない反動。



 仲間の3人は、煙の中で行方不明になり、命を落とした。彼にとって、知らないうちに「いなくなる」ということは、死ぬことと同義なのではないか。

 だからこそ今、訳も分からず必死になって叫んでいる。


 失くした3人が残した、トラウマ。

 これは、その幻影と共に歩む旅。



「おい、マティ! ここだ、俺はここだ!」

「オリー!」


 やむなく、もう一度3人の前に戻る。彼の安堵に満ちた顔を見てから、陣に向かう作戦を改めて伝えた。



「分かった、引きながら攻撃して誘導するよ」

「頼む!」


 再度駆け出し、転がるように魔導陣の前まで走った。

 防御服から出したのは、紐を結わえた、呪文の書かれた鉤。



「来やがれってんだ」


 鉤を魔導陣に投げて食い込ませる。紐の反対側に結ばれた針を、勢いよく自分の手首に刺した。


 やがて近づいてくる、耳を塞ぎたくなるような咆哮。


「ヴォオオオオオオオッ!」


 ここは樹木が多い。下手に炎を出したら火事になってもおかしくない。とすれば……。



「オリヴェル! 来るわよ!」


 アイナを先頭に走ってくる3人。ギアーシュが時折後ろを向き、アラトリーの首に矢を射って牽制している。

 走ってるところを横から狙ったのか、首には斬撃の傷もついていた。


 よし、狙う場所も決まった。


 体に魔導波が来ている気配を感じとり、呪文を唱え始める。徐々に、手が黄色の光を帯びる。



「ギアーシュ、避けろよ!」

「おう、分かった!」


 その光が伸びて、相手の醜い顔の下を照らした。


「爆ぜろ」


 ドガガガガガガガガガッ!

「ヴォオッ……」



 一番良いタイミングで放った魔法が、異形の首に爆発を起こす。


 体が破け、頭部と胴体がほぼ繋がっていない敵は、叫ぶのを止め、そのままドサリと崩れ落ちた。


「オリー!」

 歓呼の声をあげるマティウスに、「2人のおかげだよ」と返す。


「マティもギアーシュも、首のあたり何回か攻撃してただろ? だから、あそこ攻撃すれば致命傷になるかと思ってさ」

「ふう、なんとか仕留めた、って感じだな」


 クロスボウを背中にしまいながら、ギアーシュが緊張を吐き出すかのように呟いた。



「ちょっとここで休憩しようぜ」


 腰元の水入れの蓋を開ける。昨日汲んでおいた湧き水はすっかりぬるくなっていたけど、息つく暇もない戦いで渇いた喉にゆるりと沁みていく。


「思ったより遅れてる、かな?」


 頭上を見上げるアイナ。微かに見える陽が意気揚々と高く昇っていて、出発からの時間の経過を思い知らされる。


「だね。今日はここともう1つ森を抜けなきゃいけない予定だけど……」

「ったく、こんな暗い森で過ごしてたら気も滅入っちまうぜ」



 グルネスも人口が増えつつあるとはいえ、国土全てを開拓しなくてはいけないほどの状況ではない。外周部分はほぼ森になっていて、こんな風に動植物とアラトリーと冒険者の領域になっている。


 いつかアラトリーを殲滅させたら、人々がこの国のどこにでも住めるようになるだろうか。この森も、子ども達が遊びにきて、大人たちが木を伐りにきて、そんな普通の場所になるだろうか。



「ひとまず、ここを早々に抜けるぞ。2つ目の森が夜になるのは避けたいしな」

 俺の言葉に「だね」と頷く白魔術師。


「まだまだアイツも出てくるだろうし、みんなで頑張らないと」

 何気なく発したであろう彼女の言葉が、頭の中でチクリと刺さる。




 みんなで頑張る。みんなで協力して戦う。そう言えるほどの連携は取れていない。


 どうにも不完全なパーティ―。どうしようもなく未完成なパーティー。

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