#13 再現と発症
「ぐあああっ! クソッ、この野郎……!」
人間との比較で見れば気持ち悪いほど長いアラトリーの手。
その指についている、気味が悪いほど長い爪が、ギアーシュの左肩をずぶりと刺す。
森をしばらく直進し、遥か遠くに出口が見えたその時、脱出させるかを決める森の主であるかのように、異類異形が道を塞いだ。
俺達の先制攻撃を許さない敵の一撃は、標的の射手を貫く。
「ギアーシュ!」
叫ぶアイナの声に、目の前の化け物が関心を示し、グググッと首を動かした。
眼球のついてない窪んだ目、その黒い穴2つで、彼女をジッと見る。
「ヴォオオオ……」
アイナを守るように俺とマティウスが立つと、興味を無くしたのか再び攻撃中のギアーシュに向き直り、突き刺していた爪をきゅるりと抜いた。
「ぐううっ!」
目を強く瞑りながら歯をギリギリと擦り、痛みに耐えて片膝をつく。
「ギア!」
「アイナ……早く治してくれ……これじゃ武器が使えねえ…………」
「わ、分かった」
慌てて手を翳そうとする彼女を気にも留めず、アラトリーはその細長い顔についた口を縦に開ける。
さっき戦ったのと同様、俺達の倍はある体格。そこまで大きくない口とはいえ、人間の腕程度ならパキッと間食感覚で呑める。
「え、あ、ちょっ――」
開けた口を手負いのギアーシュに寄せるのを見て、動揺したアイナが言葉を止める。
その異形の前進を妨げたのは、がら空きの腹に一撃を加えた剣士だった。
「ヴォアアアアアア!」
「マティ!」
「今のうちに回復を、アイ」
「う、うん!」
ギアーシュの傍まで駆け寄り、魔法で肩の傷を治す。
光がシュンっと弾ける間に傷が塞がり血も止まるその再生速度は、今まで見てきた白魔術師と比べて頭二つは抜けていた。
「助かった。ありがとな、アイナ」
「ううん、良かった」
力を入れて微笑むアイナ。何も見えてない目でゆっくりと向きを変える彼女は、肩で息をしている。
魔力は魔導陣から半永久的に供給されるとはいえ、本人が精神的・肉体的に疲労すれば魔法の効果も落ちる。ブランクのある旅で連戦となれば、かなりの疲れになるだろう。
「さっきのお返しだ、この野郎!」
鋼製の円盤を構えるギアーシュ。よく見ると、ところどころに刃がついている。
渾身の力を込めて「うおおおっ!」と雄たけびをあげながら投げる。さすが遠隔攻撃のスペシャリスト、狙いすましたかのような軌道で、立ち上がったアラトリーの首を切り裂いた。
「ヴォオオオオオオ!」
「マティウス! 今のうちに!」
「任せて!」
剣を抜きながら走り、跳び上がって胴に斬りかかる。
その走力も、跳躍力も、一躍の儀で手にしたのだろう。厄介な反動を、どうにもならない犠牲を引き換えに背負って。
斬った場所からシュウウ……と煙があがる。出血が多かったのか、すぐに周囲を埋め尽くすような霧になった。
致命傷を与えたチャンスであり、視界を奪われたピンチであり。
「マティ、大丈夫?」
大声で叫ぶ隣のアイナに、「大丈夫だよ! 僕は見えてる!」と声が響いた。
よし、マティウスはまだ戦える。今のうちに仕留めれば――
「マズい! オリー、そっちに行ってる!」
「ヴォオオオオオオオオ!」
煙に乗じて、いつの間にか俺とアイナの真ん前まで来ていたアラトリー。
顔を横にして、口を開けている。
バツンッ
口を閉じる音がした。
俺はアイナを庇いながら後ろに跳んでいた。
誰も噛まれていない、俺もアイナも怪我を負ってない。
それで良いと思っていた。何の問題もないと思っていた。
「あああああああああああああああああああああああああああっ!」
俺の耳を引き裂くような、アイナの絶叫。「チャームポイントだよっ」と自慢していた、肩まである金髪を振り乱す。
「やめて! やめて! やめてえええ! やめてえええ!」
顔を伏せて、耳を塞いで、首を激しく振りながら、ただただ、喚く。
「来ないで! 来ないで来ないで来ないで来ないで!」
急に人が変わったかと思うほどの動揺に、彼女の話を思い出す。
そして気付く。本当に人が変わっているのだと。
彼女が仲間を失ったとき。視界を失った場所で、3人の仲間の叫び声だけが聞こえ、最後は彼女が襲われた。いつの間にか、首を噛まれた。
今彼女が見たものは何だ。目の前で、噛まれそうになった。
それがきっと、彼女にとっての引き金で。
今のアイナは、俺達と一緒にいるわけじゃない。昔の仲間と一緒にいて、あの頃の思い出をなぞって、不安を咀嚼して、恐怖を嚥下して、叫んでいる。
「あああああああああああああああああああああっ!」
「落ち着け! アイナ、落ち着け!」
バカみたいな慰めの言葉をかけて、思った通りに効果はない。目が見えている彼女は、現実を見ていない。一番辛かったあの時に、心が蝕まれるあの時に、戻っている。
「しっかりしろ、アイナ!」
走って近づいてきたギアーシュが平手打ちを浴びせる。頬を赤くして、動きを止める。
少しして、見開いた目でこちらを向き、体を震わせて大粒の涙を流した。
「私も噛まれた! みんなも噛まれた! いなくなっちゃったの! モーグもタバネもシオンも! いなくなっちゃったの!」
ああ。ああ。神様。神様。
アイナは、良い奴なんだよ。明るくて、楽しくて。一緒に住んでるだけで、空気が華やかになる、良い奴なんだよ。
なぜ奪った。なぜ彼女から奪った。あんなに、何もかも。
「マティウス! 煙が多すぎる、一度やめろ! オレが狙えねえ!」
「わかった!」
すっかり灰色に包まれた空間で、近くにいるアイナとギアーシュだけが見えている。
アイナは頭を抱え、俯いてガタガタと震えていた。
「ダメだ、しばらくは休ませておいた方がいい」
「ああ……回復が使えないのは厳しいな」
片目を瞑り、口元を歪めるギアーシュ。少し離れたところに彼女を連れていき座らせると、クロスボウを構えて森の入口まで響くかのような大声をあげる。
「おい、マティウス! 剣をやめろよ! 打てねえぞ!」
「待ってくれ! 離れようとするとすぐに迫ってきて、距離が取れないんだ!」
ギャリンという斬撃音と、異形の吠える音。目が利かない世界で、音だけが居場所を知らせてくれる。
「クソッ、近くに行くしか……」
走りだそうとする射手の腕を掴む。
「落ち着けよ。至近距離じゃ射った後を狙われるぞ」
さっき投げた円盤はどこかに落ちたまま。この煙では探せない。クロスボウの後に追撃することも、異形の攻撃を防ぐこともできない。
「じゃあどうすんだよ!」
「待つしかないだろ! 煙がおさまって、お前がここから狙えるまでは我慢だ!」
一回り大きいギアーシュが、敵意すら含んでそうな睨みで顔を寄せた。
「マティウスがもつか分かんねえだろ!」
「お前が近く行って何かできんのかよ! アラトリーが届かないところから狙えんのが射手の強みだろうが!」
酷な言葉だと知っていて、浴びせる。そしてそれは、円盤が返ってくるように、自分に刺さる。
俺が今、あの化け物の近くに行っても、何もできない。
「…………あああっ!」
怒りを吐き捨てるように、クロスボウを地面に叩きつける。ぐしゃぐしゃの髪を両手で掴み、捩じるように掻き毟った。
「前もそうだったんだよ……! そうやって遠くから狙ってたら、近くにいたヤツから殺されたんだ! 今度はさせねえ! 今度はそうはさせねえ!」
「……ギアーシュ…………」
こうして、いつも気付かされる。強そうに見えるこいつだって、何かを抱えて、何かを守って、生きている。
同じだ、同じだ。俺達と一緒。
だって全員が、仲間を失くしてるんだから。
「オリー! ギア!」
マティウスが走って戻ってきた。重い剣をあれだけ振り回してきたのに、そこまで汗をかいていない。一躍の儀で、体力も大幅に伸びたのだろう。
「遂にお互い見えなくなった。向こうで暴れてるよ。結構ダメージ負ってるけど、まだ追ってくると思う」
「むしろ、より狂暴になってるかもな」
少し距離の開いた先で、地面を踏み鳴らしながら異形が呻いている。この濃霧が止めば、俺達を見つけて一目散に力を振るいに来るだろう。
「ギア、後は一緒にいける?」
「……任せとけ」
そうして俺の前で、剣と矢を構えた。
見られないように、こっそり両手を翳してみる。まるで、そんな風に構えたら魔法が使えるかのように。魔導波を捉えて、自在に攻撃ができるかのように。
「オリヴェル、アイナの近くにいてやってくれ。アイツが立ち直るのが最重要だ」
「ああ。アラトリーの方、頼むぞ」
分かってる。俺は俺ができることをやる。それだけだ。
「アイナ、アイナ、大丈夫か」
座り込んで顔を見せない彼女に、出来るだけいつも通りにしようと気を張りながら、柔らかく声をかける。
「…………ダメだね、私」
自虐的な笑いを噛み殺すような一言。「そんなことないよ」しか返す言葉は思い付かないけど、多分それは間違いなのだろう。
「迫ってきたアラトリーの顔見て、そこから先はよく覚えてないの。戦ってる途中なのにね、パーティー失格だよね」
こういう投げかけに、一番似合う答えを知らない。だから、だからこそ、俺のそのままで答える。
「お前も戦ってたんだろ」
過去の自分と。失った自分と。孤独な自分と。戦ってたんだろ。
「……だね」
ゆっくりと立ち上がる。両頬をパンパンと叩いて、「よし」と呟く。
「でも、もう決着つきそうだね」
「ああ、どっちも強いからな」
会話が終わるのとほぼ同時、「ヴォオオ……」と掠れたような叫びを残して、アラトリーが倒れる音がした。
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