ep31/36「アラト」
すっかり寝静まった世田谷区の住宅街。未だ天を貫いた光にさえ気付かない街並みを、黒い疾風が吹き抜ける。
時刻は既に十二時を回り、道をまばらに埋めるのはようやく帰途に就いた会社員たち。道行く彼らの頭上を乗り越えるように、呪操槐兵〈
――――速く!
猛烈な風圧に晒された腰布が、今にも千切れんばかりにはためく。
家々からの灯りを零す街並みは、残光を曳いて幾重もの線となる。
――――速く!!
目黒区一丁目の公安庁舎跡地までは直線距離にして約8km。トラックが行き交う幹線道路を突っ切った〈
一歩、二歩、そして三歩目。
ちょうど三段跳びの要領で土手を踏み出した機体は、夜の多摩川上空へ身を躍らせていた。月が映り込む多摩川の水面を荒立たせ、突風で高波を巻き上げながら黒き巨人は対岸へと辿り着く。
「止まって、いられるかよ……!」
着地、間髪入れずに疾走。岸から岸へと400m近い跳躍を果たした〈
第一位幹部サカキ率いる軍勢に勝負を挑んでも、勝ち目など無い。
ならば、と
――――もう一度だけ俺は帰ってみせる、だから。
夜空に瞬いた発砲炎、住宅街を駆けていた〈
刹那、装甲を掠めた弾頭が
それはおよそ缶ジュースほどの鉄塊、口径は25mm相当。
「こいつは……ッ!」
走る〈
即ち東京随一の高速道路、世田谷区を貫く首都高へ。
狙撃を避けて飛び上がった〈
「素直に行かせてはくれないか、アラト」
『ようやく捉えたぞ、
第三位幹部アラトの呪操槐兵〈
着地。首都高速内部へと降り立った〈
〈
公安庁舎跡地で待ち構えて袋叩きにすれば良いものを、たった一機で待ち受けていたのだ。
『まさか大人しく娘を引き渡しに来た、という訳でもないだろう。貴様をこれ以上〈
「俺の前にはいつもお前が現れた。何故だろうな」
次々に過ぎ行く車のヘッドライトが路面を照らす。しかし、何本もの長い影を落とす二機の槐兵は、誰にも気付かれる事無く互いを顔布越しに睨み続ける。
人には見えざる純白と漆黒の巨人、今はいかなる者もその狭間には割り込めない。
『貴様の目的は〈
「そうだと言ったら」
『そうだ、それが……欺瞞だと言っている!』
二機がその場から消え去るのは、同時だった。
恐るべき脚力で蹴り出された地面は礫を巻き上げ、遅れて吹き荒ぶ突風が霞を払う。視界が晴れ上がる間もなく、既に刀は打ち合わされていた。両機は共に一陣の風となり、常人の動体視力を超えた速度域で太刀を交えたのだ。
およそ数百m先の路面で残心を極めるのは、二つの機影だった。
それは、いつかの再現のようでもあり。
「こい、つ……っ!」
『驚いているのか、
手傷を負わされたのは〈
浅く裂かれた胸部は生々しい創傷を晒し、白き槐兵が放った剣筋の鋭さを物語っている。
先の交錯は、互角にぶつかり合った結果などでは無い。敵機の動きも見えぬままに刀を抜くしかなかった、というだけのものだ。
――――奴の抜刀が見えなかった。
「今までは手加減していたとでも言うつもりか」
『いいや、貴様にはいつもボクと〈
ギチチという異音と共に身を起こして行く〈
全身に纏うのは蒼白い鬼火。
火にも増して異様なのは、その体躯だ。
まるで突けば破裂しそうなほどに怒張した人工筋繊維が、漆塗りの南蛮鎧をぎちぎちと軋ませている。歪なまでに膨れ上がっていた人工筋繊維は、やがて時が巻き戻るかのように再び縮んで行った。
――――術で
『槐の呪い』は植物を操る呪術。機体の駆動部を強化する術として、神木から成る槐兵の筋繊維を操ることも可能ではあった。
だが、〈
ほんの少しでも加減とタイミングを間違えれば、バランスを崩した四肢は無残にも引き千切れ、ボディは空中分解していてもおかしくないはずだった。
「これほど精密に術を行使出来たとはな。まだ隠し玉を持っていたのか」
『いいや、違う。この槐兵に切り札などありはしない』
「戯れ言を」
『呪術戦では〈
宙高く放り上げられていた二挺拳銃は、再び敵の手中に収まる。
振り返る〈
『だが〈
アラトの言葉を皮切りに、再び二機の槐兵は激突していた。
白き槐兵が大刀を振るえば、黒き槐兵は一歩遅れる形で剣筋を逸らす。東名高速道路沿いに超高速戦闘を繰り広げる白黒の影は、車列の合間を縫うように刃を交えて行く。
宙に取り残された打ち合いの火花は、まるで絵筆が走らされたかのようにその縦横無尽の軌跡を描き出していた。
「これでも足りないのか!」
青い軌跡を描く〈
風より速く、音を置き去りにしてもなお遠い。
あまりにも高い機動性を誇る敵機を相手に、90mm対呪物ライフル砲を使うという選択肢は無かった。高速で流れる
『貴様はそこで止まっているのか?』
「なに……ッ!」
気が付けば、
つまり、機体を背から蹴り付けられたのだ。
吹き飛ばされつつあった〈
「素早いだけなら、止めるさ」
なんとか体勢を立て直した〈
絡め取った〈
白い南蛮甲冑に巻き付いた鎖は敵機を締め上げ、〈
「機動性に優れた槐兵か知らないが……!」
『こんな小細工で』
鎖に巻き付かれた〈
途端に千切れた鎖が、怒り狂うように空中を切り裂く。
鎖だけを精密に撃ち抜き、敵は戒めを解いたのだ。拘束から解き放たれた〈
『これで大人しくなれ』
投げ捨てられた二挺拳銃が、運悪く直撃したスポーツカーの運転席をすり潰す。車がクラッシュして行った直後、〈
敵機の動きにばかり気を取られていた
蛇だ。
遮音壁や路面から湧き出していたのは白い大蛇の群れ、いつの間にか召喚されていたらしい霊獣が〈
『ボクからのお返しだ』
「こんな霊獣が槐兵戦で通用すると思ったか」
『そう、槐兵にとっては取るに足らないお返しだ。それでも生じた一瞬の隙を貴様はどうやって贖う』
「……っ!」
脚を踏み出した〈
霊獣を召喚しても槐兵相手には効き目が薄い。
互いに高速で機動するとなれば、なおのこと困難。
だが、〈
――――印を切っている、だと。
呪操槐兵〈
一対の腕では剣戟を。
もう一対の腕では呪術を。
〈
白い大蛇の群れを召喚したばかりの敵機は、腕が弾け飛ぶかのような勢いで木質性人工筋繊維を肥大化させているのだ。
間一髪で躱した〈
『この〈
大気を打ち鳴らすような衝撃波を轟かせる超音速機動、残光を曳いて疾駆する〈
敵の札が無数に漂う空間領域は、ある種の結界だ。
アラトの呪符によって現世と区切られた半球状空間には、常世に住まう霊獣たちが易々と現れる。無数の蛇が全方位から〈
黒い槐兵は刃を振るうも、神域と化した結界の中で翻弄されるしかない。
片や敵機は三次元的な機動で飛び回り、予測不能な斬撃を浴びせて来る。操った呪符で空中に足場さえ作り出し、文字通りに縦横から突っ込んで来るのだ。
機体重量はおよそ1t足らず、極めて軽量を誇る機体はもはや重力の軛からも解放されているとしか見えない。
――――〈神薙〉を使うにしてもこれでは!
咄嗟に交差させた二刀流、防御の構えをとった〈
〈
目にも留まらぬ速さで行使され続ける呪術と、その間も全く衰えることなく冴え渡る剣術。呪具としての槐兵と陸戦兵器としての槐兵を融合させた戦術、それはあるいは一つの完成形なのかもしれなかった。
飛び上がった〈
首都高を照らす街灯さえ呑み込みつつ、蒼い炎が辺りを照らす。
『貴様に受け止められるか、この
「温存は無理か。散らせよ、神呪兵装〈神薙〉……ッ!」
刀身から伸ばされた鬼火は長さ百m近い刃と化し、ほとんど視界を埋めるほどの斬撃となって振り下ろされる。
道路に沿って深々と刻み付けられる地割れ、巻き上げられた瓦礫は大爆発を起こしたかのような勢いで飛散した。切り裂かれた遮音壁は遥か用賀パーキングエリアの方まで吹き飛び、辺りは一瞬で玉突き事故後の地獄絵図へと書き換わる。
槐兵とて例外ではない。
たとえ鬼火を無効化してもなお襲い来るほどの物理的衝撃が、〈
「奴は!」
『遅いな』
瓦礫の隙間を縫い上げるようにして白き光が迫る。すれ違いざまの一閃、遅れて衝撃波が機体を吹き飛ばすもはや剣筋を目で追い切れない。
怯えたように走り抜ける車さえ追い越して、白き光が駆けて行く。
機体駆動部の強化、鬼火の形状制御、式神の召喚。その全てが鮮やかなまでに剣術と組み合わさって〈
衝撃。恐るべき膂力によって弾き飛ばされた〈
無残にも路面へ叩き付けられた黒い巨人は、折れた一太刀を手に純白の機影を見上げるしかない。
第三位教団幹部アラト専用機〈
光を意味する神速の綽名に一切の偽りは無いのだと、
『たったそれだけの力で娘を救おうなどと思いあがっていたのか、
「なら、お前にはあるのか。願う為の資格とやらが」
『あるとも。ボクの刃はあの
語りつつ、立ち止まった〈
敵にも、尋常ならざる負荷がかかっていたのだ。
局所的な雨乞い儀式で呼び出された冷気によって、今は機体冷却が始まっているらしい。断熱圧縮された空気に熱せられた木製装甲は、水を蒸発させるほどだった温度を急速に下げて行く。
『ボクの使命はシロヒメ様を守ること、それだけだ。〈
装甲表面で凝結し始めた水分を纏い、〈
『仮面を被る必要もない貴様には分かるまい。これは
秘められた顔布の奥、
対峙する白と黒の呪操槐兵だけが、世界の全てとなって視界を狭める。奇妙に減速した体感時間の中、
「お前は一体誰だ」
『ボクはシロヒメ様に口寄せされた式神だ。出来損ないの
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