ep32/36「紛いなる者たち」
『この仮面の下にある顔が分かるか? 誰でも無い、この仮面こそがボクだ』
二振りの大刀を携えた〈
故に彼は仮面の男。「お前は誰だ」と問うたのがいかに無意味な行為であったのかを、
仮面は何も隠してはいない。
仮面の下には何も無い、それだけの事だった。
『あの方は孤独だった。ずっと来るはずもない迎えを待っていた。だから無意識に式神などを創り出して一人ではないと信じようとした、ボクはその為だけにこの現世へ形を留めるなり損ないなんだよ。なのに……ボクでは到底孤独を埋められない』
「それがお前の生きる意味か」
『貴様への復讐でもある、消えて貰うぞ。
鬼火を纏う〈
誰かになる為に生み出された。
故に誰でもない存在だった。
己をそう語るアラトを前にして、
「お前も誰かに成り切れなかったのか」
白と黒。相容れない色を纏っているはずなのに、自ずと〈
誰かの代替品として呼び出された男が、そこにいた。
誰かの複製品として造り出された男が、ここにいた。
誰かを装って生み出された紛い物であるならば、アラトも
誰かを守る為に生きると決めた事も。
そして、その想いこそが己を己たらしめる事さえも。
「アラト……ッ!」
『
瞬間、玉突き事故後の惨状に突風が吹き荒れる。
対峙していた二機はその場から消え去ると、再び目黒区方面へ向けての疾走を始めていた。傍から見ればまるでカマイタチが吹き抜けて行くかのように、首都高の遮音壁や街灯が次々に斬り付けられては砕け落ちる。
巨人たちが繰り広げられる超高速戦闘は、鏡写しの果し合いだった。
白き〈
――――〈
またも〈
――――〈
優勢は明白、にも関わらず壮絶な斬り合いが終わる気配はない。
前代未聞とも言える剣戟の最中に走破した距離は実に10km超、いつしか二機は通行規制区間へと足を踏み入れ、異様な静けさに満たされるゴーストタウンに剣戟の音を轟かせていた。
ここは既に〈
〈
苛烈なGが機体を軋ませる。
「早く……!」
跳躍。まるで鏡面に光が反射するかのように、〈
途端に、背後で全長100mにも達する鬼火の刃が空を切る。凄まじい破断音と共にマンションを斬りつけて行った呪詛の刃は、寸前で〈
『逃がすか』
背後から猛然と追い上げて来る〈
辺りはもはや人が住まう街ではない。
一か月前に起動した〈
白い弾道と黒い弾道は鋭角的に街を縫い上げ、ジグザグと壁から壁へと飛んで伸びて行く。二つの曲線はいつしか絡まるようにして重なり合い、拮抗する二機の戦況はやはりショートレンジでの剣戟にもつれ込んでいた。
そう、今や鍔迫り合いは
『何故だ、貴様はどうしてまだ〈
速度も馬力も今は〈
断続的な発光が一瞬ごとに切り取るのは、コマ撮りじみた風景。打ち合わされる度に弾ける火花は、まるで機関銃が連射されるが如くに弾けて夜闇に散って行った。
「俺と〈
『〈
「お前はそれさえ止められない……!」
関節部を過負荷に軋ませながら、〈
付喪神さえ宿していないイレギュラーがどうしてこうも稼働できるのか。
今や極めて強力な第三位教団幹部専用機と渡り合えるだけの槐兵、それこそが〈
――――〈
敵を斃してもう一度だけ、共にかなえの下へ帰れるかも知れない。
未だ僅かばかりに小指に残っているのは、この〈
だから、これは賭けなのだ。
――――どちらにしても長くは保たない、だったら!
死力を振り絞って喰らい付いてもなお倒せない、〈
愛機たる〈
途端にふっと操縦桿が軽くなる。
――――そうか、お前も明日に行きたいのか。
もう構いはしない、と
賭けるのはたった一つの呪われた真実、だが恐れはしない。共に帰ると誓った愛機の正体がいかなる物であろうとも、身を委ねる覚悟は出来ていた。
友に導かれて〈
『貴様には感謝している。貴様こそが神呪兵装〈
激しい競り合いの中で、遂に〈
がら空きとなった隙を見逃すアラトではない、すぐさま〈
大刀が黒き甲冑を切り開くまであと僅か。まるで豆腐に包丁を突き立てるかのように、刃はごく滑らかに漆塗りに食い込んで行く。
『――――後はボクが貰い受けよう』
「断る、こいつは俺に託された槐兵だ」
大刀が振り抜かれる間もなく、一帯に衝撃波が轟く。
〈
ほんのコンマ数秒、僅かに生じたその隙に。
宙に高々と大刀が舞う。〈
『この……ッ!』
「
神木製の大刀が切り開いているのは、同じく神木で出来た〈
無論、それだけで終わるはずがない。
〈
茶色い朽ち木と化し始めた腕部は、次の瞬間には
「判断が早い、流石だな」
『呪詛に対して極めて高い耐性を誇る槐兵をこうも朽ち果てさせる、これは何だ……
僅かに後退る〈
アラトの言う事は正しい。
ただの呪詛ならば槐兵をこうも朽ち果てさせることなど出来ない。
降霊した神木からただの木片へと成り果てた腕は、強制的に付喪神を剥がされたのだという事実を物語っている。そして付喪神の代わりに、見えざる何かが流し込まれたという証に他ならないのだから。
『貴様、付喪神を剥がしただけではないな。代わりに何を流し込んだ……!』
「死霊だ」
無数の創傷を刻まれた〈
顔布の奥にのぞく
己の本性を露わにするかのように、幽鬼の十の眼光が煌めく。
「イチイが言っていたよ。神薙システムの根幹を成しているのは神木に宿った魂だったと。だから俺にも気付けた、〈
触れた者の命をも奪う赤き雨の呪い、すなわち禁呪〈
本来なら自分にあれほどの術を使えるはずがない。稀代の呪術師たるイチイだからこそ可能だった超高難度の大術式を、いかに手を尽くしたとはいえ己の力量だけで発動させられるはずが無かった。
ならば何故使えてしまったのか。
不可能を可能とした答えは、一つに違いなかった。
「殺めた者の魂を取り込む
『魂を、取り込む……?』
〈
呪操槐兵〈
まさにアラトの言葉通り、十年前は半端な存在でしか無かった槐兵が、今や真っ向から教団幹部専用機と渡り合えるほどにだ。
「こいつは神霊を降ろす
殺めた者の魂と縁を結び、取り込むことで自らの血肉と変える。
それではまるで、自らの裡に黄泉の国を作っているようなものだ。狂気と言い表わしてもなお足りない程の、現代呪術が煮詰めた業のような機体特性だった。
『これまで一体何機の槐兵が死霊に祟られて、制御不能になって来たと思っている。不可能だ。口寄せした死霊の安定制御などそんな事が……』
「だが、この機体に付喪神は憑いていない」
〈
黒い甲冑から零れ出す彼岸花は、滴る血のように地面で弾けた。
『だとしたらそれは呪操槐兵ですらない……ただの化け物だよ、槐兵とは似て非なる紛い物だ』
残った三本腕を構える〈
呪操槐兵としての汎用性を極めた〈
そんな光差す正道の機体を前にするからこそ、〈
――あなたが振るう力は何もかもが偽りです、その槐兵も!――
かつてイチイはそう看破してみせた。
――化け物だよ、槐兵とは似て非なる紛い物だ――
立ちはだかる者は皆、そう否定して来た。
〈
化け物と言われても否定など出来ない、だが。
それがどうした、と
「偽物の俺にはお似合いだよ――――熾せ、神呪兵装〈
かつてイチイが言い放った様子そのままに、その一言が神呪兵装たる杖を目覚めさせる。〈
それはまさしく稀代の呪術師が執り行った儀式の再現。
――――イチイ、貴様のやったようにだ!
黒き〈
召喚されたのは空間を埋めるほどの八咫烏の群れだった。
ほんの一秒にも満たない時間の裡に、辺りは一寸先も見通せぬほどの闇に押し包まれる。〈
「これは八咫烏か、小賢しい真似をする」
『お前がやってみせてくれた事だ! そして犬山も……!』
言うやいなや、殺到する鴉の群れは火の津波と化した。
90mm対呪物ライフルを手にした〈
断末魔の悲鳴を上げて狂ったように飛び回る鴉たちは、あろうことか衝突した〈
ただの炎ではない。
無数の赤い火の玉が、蒼白い鬼火の鎧を剥いでいるのだ。
『忌み火とは。考えたな
「もう遅い」
無数の八咫烏が燃え散った直後、〈
超常の獣である八咫烏を燃やしていたのは、清浄な火種から熾された神聖なる火。穢れを払う忌み火が鬼火を払うは必然の道理だ、黒い槐兵は今や何の術も掛かっていない生身の〈
「〈
〈
敵は既に腕を一本喪い、更には全身に毒が回っている状態だ。
付喪神を宿して動く身体へと流し込まれた、死霊という名の毒を。
ここからは我慢比べだった。不規則な心拍で霞む意識の中、
――――機体の強化術は使わせるものかよ。
付かず離れず、決して間合いを取らせぬように立ち回る。
神薙の効果範囲まで踏み込むことで、〈
身に宿した死霊の毒は、呪操槐兵そのものを。
正統なる神道系呪術を蝕む二重の毒が、この瞬間にも〈
全ての呪術を封じられ、付喪神をも侵された呪操槐兵は、人に例えるなら麻痺毒と出血毒を同時に流し込まれたにも等しかった。
「アラト、お前がこの〈
『あらゆる呪詛を殺す異端の槐兵だと思っていた、だからボクは貴様の神呪兵装を解き放ちもした。だが……これとはな。娘を殺したかも知れない槐兵と知ってのことだろう!』
「違う、もう"そうだったかもしれない"なんていう可能性の話じゃない」
黒き槐兵は、ようやく〈
「今ならもう分かるんだよ、〈
肩部装甲を砕かれ、肘からは千切れかけた人工筋繊維が飛び出す、そんな満身創痍の身体を晒して〈
互いにぶつけるのは恩讐の言葉。
「〈
『貴様はまさかそこから』
「この意味が分かるよな、〈
かなえの魂を宿し、定着させた神木とは一体何なのか。
ずっと考え続けて来た。
その答えが〈
かなえを轢き殺した時に魂を取り込んだ機体が、何らかの原因で魂を神木片ごと分離させていたとしたら。全ての辻褄が合ってしまうのだ。
イチイでさえ知らぬ事が起こったことも。
かなえが神木として蘇ったことも。
樹齢がぴたりと一致することも。
つまり〈
「あの夜、かなえを殺した〈
『あの娘に出会えたからと、それで何もかもを救えた気になったつもりか。貴様は何一つ救えてはいない!』
あるいはアラトの言う通りなのかも知れなかった。
忌々しいほどに似ていた。
救いたい者の為に戦う、そう叫んで喰らい付いて来る男はまるで鏡写しの自分の姿を見ているかのようだった。しつこく付きまとう既視感を振り払うかのように、〈
『ボクは貴様とは違う、シロヒメ様をお救いしてみせる!』
「いいや、俺たちはきっと違わない。だから……消えろッ!」
立場が違えば、分かり合えていたかもしれない。
だからこそ、今この瞬間には相容れないと分かってしまう。
純白と漆黒。どこまで行っても対照的な色を纏う巨人たちは、両者ともに傷付いた身を引いて刺突の構えを取る。無色透明の殺意が刃を研ぎ澄ますその一瞬、一斉に脚を踏み出した二機は超音速の極地で互いを捉える。
それでも僅かに。
ほんの僅かに〈
『
互いにどこまでも近い存在だから分かってしまう。脚を踏み出した瞬間に、あるいは刃を引いた瞬間に、刃を交えるまでもなくどちらが先に斬るかを理解出来てしまう。
極限まで引き延ばされた刹那の裡に、既にその勝負は決していた。
後は慣性という名の惰性が必然的な結果を導くのみ。両機が真っ向から突き込んだ刃は、激突の衝撃を乗せてばきりと神木製装甲を貫く。
衝突。互いに力なくもたれかかるようにして停止した二機は、遅れてやって来る発砲音に身を震わせた。
『なんだと……いや、そういう事か』
「そういう事だ、アラト」
身動ぎしたのは黒い槐兵の方だった。〈
そして〈
最後の切り札は、
衝突する寸前に撃ち放った空砲こそが、その切り札たる一射だった。桁外れの戦車砲がもたらした莫大な反動は僅か1tに満たない機体を弾丸の如くに押し出し、その勢い全てを木刀の突きに注ぎ込む荒業を可能としたのだ。
〈
「俺にはな、約束がある」
『……だったらどうする。ここにはもう教団の戦力が集結しつつあるぞ、その前に森羅を見つけられるのか、貴様に!』
直後にアラトは喉を血反吐でつまらせたのか、ごぽりという粘着質な呼吸音を伝えて来る。致命傷を負ってそう長くはないはずだというのに、その声音は思わず
実際、既に時間が無い。
「まだ終わっちゃいない、あと少しだ」
明後日には死ぬかも知れない。
それでも明日、一緒にいる為に約束を交わしたのだ。
たとえ力を使い尽くしたところで全てを救う事など出来はしない。それでも今、この瞬間に己が持てる全てを振り絞るには充分な理由だった。
持てる限りの気力を振り絞り、その右手はなんとか操縦桿を押し出す。
――――パパは帰るよ、かなえ。
排莢、装填。引き込まれたレバーの動作音が機体を伝う。
銃剣を構えて走る〈
薬室に込めたのは一発の呪装徹甲弾。
そして狙いを付けたのは、霞む月が浮かぶ夜空だ。
手頃なビルの屋上まで駆け上がった〈
「こいつでやれるか……!」
ライフルに据え付けられた神呪兵装〈
それはかつて呪操槐兵〈
すなわち都内から400kmも離れた大仙陵古墳の〈
今やこれだけが最後に葬るべき敵への道標だった。一度は高位の神を宿した仇の呪物に、神降しの
「
発砲。炎を足場にして飛び出した呪装徹甲弾は、夜空に複雑怪奇な弾道を描いて行った。
やがてゴーストタウンに爆炎が上がる。まるで自らが撃ち抜くべき敵を知っていたかのように、縁によって引き寄せられた90mm弾は何もないかのように見える地点に着弾したのだ。
「そこだな」
山手線恵比寿駅付近、都道317号線を挟んだビル街の只中には着弾の煙が立ち昇っている。すぐさま屋上を蹴り出した〈
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