ep7/36「呪操槐兵 対 呪操槐兵」

 幻也ゲンヤは背筋を撫でていく殺気に、全身が強張って行くのを感じていた。

 何かが来る、直感に突き動かされるままに辺りを見渡す。夕陽に赤く染められた街並みは無人、動く者など何もいないはずだった。

 次の瞬間、視界の端で何かがキラリと光る。窮鼠の敏捷さで身構えた〈御霊みたま〉は、振り向きざまにビルの屋上へと視線を向けた。


「……ッ!」


 上だ。陽光に赤く染められる景色の中にあって、なおも純白の煌めきを放つ巨人がこちらを見下ろしている。

 〈御霊みたま〉と同じく腰布を纏い、顔布で覆った顔面の奥にはちらりと覗く赤銅色の銅鏡。南蛮鎧を彷彿とさせる端正なフォルムは、しかし四本の腕という異形によって歪められていた。


水鏡みかがみ、何があった』

「お前の言った通りに敵の槐兵だ。色は白と金、腕は……四本ある」

『……それは本当なのか、マズいぞ』


 白金の呪操槐兵、黒赤の呪操槐兵。

 二体の木人形は、しばし高度数十mの距離を挟んで睨み合う。


 しかし、その均衡も長くは続かなかった。

 軽やかに地面へ降り立ったかと思えば、白金の槐兵は弾丸のような速度で〈御霊みたま〉に向けて突っ込んで来る。

 瞬間的に見れば、10G機動は下らない苛烈な加速力。

 猛烈な勢いで地面を蹴り出す敵機は、広げた腰布で巧みに加減速を繰り出しながら距離を詰めて来る。空気抵抗をも利用した接敵機動は、まるで獲物を見据えた猛禽類のように洗練され切っていた。

 疑いようもなく、敵は手練れだ。


 ――――なんだこいつは!


 幻也ゲンヤの額から、一筋の冷や汗が零れ落ちて行く。

 これまで目にしたいかなる兵器とも違う、槐兵という異常軽量/高出力/人型/陸戦有脚機動兵器の本質がそこにはあった。

 木質性筋繊維から発揮される馬力に対し、あまりに軽い槐兵だからこそ出来る曲芸機動。敵に回してしまえば、それ自体が恐るべき自由度を誇る武器と化す。


水鏡みかがみ! そいつは同格などでは』

「分かっている!」


 ――――手練れの槐兵を敵に回すというのは、こういう事か!


 格が違う。

 勝てない勝負に乗る道理は、無かった。

 幻也ゲンヤが引き込んだ操縦桿は、膝を屈した〈御霊みたま〉を勢いよく後方へと飛び退かせる。しかし、必死の後退速度よりも、白い敵が迫って来る速度の方が遥かに早い。


「くそ……っ!」


 白金と黒赤の呪操槐兵が、遂に接触する。

 迎撃開始。〈御霊みたま〉は視界を覆わんばかりに迫って来た敵機に向けて、背から抜き放った二振り目の刀を振り下ろす。

 だが、空を切った刀身は何の手応えももたらさない。直後、幻也ゲンヤを収めるコックピットには痛烈な衝撃が加えられていた。


「こいつ……!」


 〈御霊みたま〉を打ち据えたのは、四つ・・の拳だった。

 白金の槐兵は繊細にも見える拳を引き絞ると、何の躊躇いも無く打撃を撃ち込んで来る。突き、払い、貫き手、くるりと翻って手刀――――神速の早業、音速の壁をも突き破る白い拳がパンっと乾いた音を響かせた。

 止まることを知らない嵐のような連撃が、〈御霊みたま〉の甲冑を鋭く打ち据え続ける。


『……水鏡みかがみ、そいつは〈神籬社ひもろぎしゃ〉が保有する槐兵の一機、第三位の呪操槐兵〈影光ようこう〉だ』

「ヨウコウ?」


 針のように突き出される四重拳撃。

 振る度に黒い円弧を描く両刀が、嵐のような攻撃をいなし続ける。

 必死に攻撃をさばいていく中、幻也ゲンヤは犬山の声を聴いた。


『十年前の戦争で公安が投入した槐兵は五十機超。にも関わらず、教団が持つ三機の前に敗れ去った……その内の一機だ。勝ち目はない、今すぐ逃げろ』

「奴が許してくれればな!」


 コックピットを襲う激震。ゲンヤは舌を噛み切らぬようにと歯を食い縛りながら、操縦桿を目一杯押し込んでいた。

 甲高い衝突音、散った火花が視界を灼く。

 〈御霊みたま〉が辛うじて突き出した黒い木刀は、コックピットの至近一メートルで拳を弾いていた。衝撃で飛びすさる両機、黒き〈御霊みたま〉と白き〈影光ようこう〉はようやく距離を開けて相対していた。


 ――――ここからどうする。


 すっかり上がった息は、既に木質化が進んでいるらしい身体がなおも酸素を欲している証。幻也ゲンヤはいやに汗が滲んだ掌で、操縦桿を握り直す。

 撤退、応戦、撃破、どれを採っても手詰まりだった。


 その時、幻也ゲンヤの耳朶を何者かの声が震わせていった。いつの間にか回線に割り込まれた無線通信機からは、若い声音が漏れ出している。


『公安の槐兵が現れたと聞いて来てみれば……この程度か』


 声が聴こえて来るのと同時に、目の前の白い槐兵は背を正していた。一対の腕は悠然と腕を組み、もう一対の腕が背から黒塗りの刀を引き抜いて行く。

 その形状は、刀よりもむしろ大弓に近い。

 緩やかな弧を描く刃がほぼ全てをなす、機体全高にも迫るほどの大弓刀。恐らく百kgにも満たないであろう木製刀身は、白い南蛮鎧とは対照的に黒光りしている。


 ――――まさか、こいつが通信を……?


 敵が構える大弓刀、その黒い刀身を見つめるほどに幻也ゲンヤの胸では不吉な予感が膨らんで行く。悪寒が走っていた。


 ――――こいつは、ヤバい・・・


 これまで幾度となく、呪いの術式が発動する場面を見て来た。その度に感じて来た悪寒を、今また、白い槐兵が抜き放った大弓刀を目にして感じている。

 つまり、あの刀は強烈な呪いを帯びているのだ。

 そう結論した途端に、幻也ゲンヤは唐突な息苦しさを覚えていた。機体の出力が上がるにつれて、術者の心臓へ掛かる負荷は徐々に増して行く。


「くっ」


 どくん、急速に心臓の鼓動が早まる。

 どくん、脈動がリズムを忘れて狂い出す。

 唐突な不整脈に喘ぎながらも、幻也ゲンヤは決して敵から目を離そうとしない。逃げるか、先に仕掛けるか、二つに一つの選択肢が脳髄を過熱させる。


神呪兵装しんじゅへいそう――――御木之生太刀みけのいくたち、起動』


 神呪兵装、その単語を告げた途端に敵機は刀を振り上げる。

 途端に、黒々と艶めく刀身には蒼白い鬼火が纏わりつき始めていた。天高く燃え立つ炎はビル風と無関係に揺らめき、辺りを陽炎で歪ませて行く。

 そして死刑宣告のような言葉が、幻也ゲンヤの耳に届けられた。


『もう消えろ』


 かなえにまだ会えてもいないのに、ここで果てるのか。

 ふざけるな、そう思った途端に幻也ゲンヤの裡で何かが切り替わる。咄嗟に操縦桿を弾く指は、彼でさえも意味を知らないコマンドを実行していた。

 瞬間、肺が潰れるほどのGに身体が悲鳴を上げる。

 〈御霊みたま〉の木質性筋繊維は最大馬力で地面を蹴り出していた。


「まだ、死ねるかああぁっ!」


 接近し、大弓刀を躊躇いも無く振り下ろす〈影光ようこう〉。

 一方の〈御霊みたま〉は、二振りの木刀を以て受ける構え。その瞬間、漆黒の甲冑からはぶわりと深紅の花吹雪が吹き出し、刀身は彼岸花に飾り立てられる。


 蒼白い鬼火で燃え立つ大弓刀、一振り。

 紅い花吹雪を纏う日本刀、二振り。

 真っ向から交錯する刹那、白と黒の槐兵は異なる呪いを込めた一撃を振り切っていた。

 ヴェイパーコーンを纏う超音速斬撃。音速の壁を超えた刃は衝撃波を打ち鳴らし、その音すら置き去りにして切り抜けた両機は残心を極める。


 鬼火と花吹雪が交差点を埋める、一秒にも満たない無音世界。

 ビルの窓が一斉にひび割れ出し、ようやく音が追い付き始める。


 交錯の衝撃で白く雲った窓ガラスは一斉に砕け散り、動きを止めた両機に透明硝子の雨を浴びせていった。しばしヴェイパーコーンの鞘に覆われていた刀身も、雲が晴れて再び露わになって行く。

 結露したように濡れる木製刀身は、互いに刃こぼれ一つなかった。

 白金と黒赤の呪操槐兵はやはり微動だにしないまま――――だが、先に膝を屈したのは、黒い甲冑を纏う〈御霊みたま〉の方だった。


 ――――あれは一体なんだったんだ……?


 幻也ゲンヤは針で突き刺されたように痛む胸を抑えながら、霞む視界で敵機を振り返っていた。

 〈影光ようこう〉の白い背は、金細工をあしらった腰布に至るまで無傷のまま。そして漆黒の大弓刀を振り抜いた先は、見事に吹き飛ばされていた。


 今も鬼火が燻る交差点には、元あったはずの信号機も放棄車輛も見当たらない。

 まるで見えない巨人に生皮を剥がされたかの如く、痛々しく捲れ上がったアスファルトを晒しているだけだ。


「どうして俺は生きているんだ……」

『貴様、神呪兵装を受けてなぜ生きている?』


 ――――こっちが知りたいね。


 一体、何の呪いが発動したのかも分からないほどの威力。

 〈御霊みたま〉に大した損傷がないことが嘘のような光景に、幻也ゲンヤは今さらながらに冷え切った息を吐いた。

 ただし、今は機体を動かせる状態ではない。

 心臓が痛む、更には視界も霞む。彼は朦朧とし始めた意識の中で、こちらを振り向いた敵機〈影光ようこう〉の姿を睨んでいた。


『この一撃を逸らすとは――――流石は〈御霊みたま〉。術者が未熟でもここまでやるとはしぶとい槐兵だ』


 〈影光ようこう〉は静かに歩み寄って来ると、大弓刀の一振りを機体に突き付けていた。

 コックピットが存在する腹部に向けられた刃先は、その気になればいとも容易く神木製装甲をも切り裂くのだろう。幻也ゲンヤがそう察し、直後に振り下ろされるはずの一撃を覚悟した矢先に、敵機は黒い刃を引いていた。


『いや、今は止めておこう。水鏡幻也ゲンヤ

「……誰だ、お前は」

『ボクは〈神籬社ひもろぎしゃ〉の神明官が一人、アラト』


 何故、俺の名を知っている。

 即座に二つ目の疑問が湧いて来るも、そちらは押し殺す。圧倒的優位の中で語り掛けて来た敵の意図は、あまりに不可解だった。

 アラト、そう名乗った男の声はやはり若い。青年だ。


『ボクと貴様は再び相見えることになるだろう。その存在しないはずの槐兵と共にな』

「〈御霊みたま〉が存在しないはず……? どういう意味だ」

『百年を経ていない神木を使っておいて、付喪神を降ろせるはずがない。つまり動けるはずがない……極めつけのイレギュラーだな。貴様はまだ殺すには惜しい』


 その言葉を最後に、〈影光ようこう〉は視界から消え去っていた。

 恐るべき跳躍力で空の住人となった敵機は、既に〈御霊みたま〉では追えない距離まで遠ざかってしまっている。

 幻也ゲンヤは今度こそ大きく息を吐くと、無線機から漏れ出して来る犬山の声に耳を傾けていた。


水鏡みかがみ、聞こえているのか水鏡みかがみ? 先ほど庁舎から信徒共が撤退していった。〈影光ようこう〉も既に撤退したのだろう』

「ああ、退いて行った。いつでも俺を殺せたはずなのにな」

『そうか。今回、〈影光ようこう〉が出撃して来た理由は、公安霊装庁舎へ突入した歩兵隊の支援だろう。そちらが退いたのだから、これ以上留まっている意味はない』


 いや、そんな理由では無かったはずだ。

 幻也ゲンヤはアラトと名乗った敵教団幹部の言葉を思い返しつつ、胸の裡で反論していた。初の槐兵戦には、分からないことがあまりに多過ぎた。

 ろくに事前説明もしなかった犬山の言葉を遮るように、彼は口を開く。


「犬山、神呪兵装とは何なんだ。何故、俺は生き残ることが出来た。奴は誰なんだ、そして奴は……アラトとかいう男は一体何を知っている?」

『聞かせてやるよ、私が知っていることならな。先ずは帰って来い』


 警視庁公安部上層が警察勢力の介入を抑えているとは言っても、さすがに限度がある。幻也ゲンヤは派手に抉られた交差点を振り返り、窓ガラスが打ち砕かれたビルの数々を見上げ、そう結論せざるを得なかった。


 戦争だ。

 これは、誤魔化しようもなく戦争なのだ。

 新興宗教法人〈神籬社ひもろぎしゃ〉と公安霊装の、十年越しの呪術闘争が始まろうとしている。彼の脳裏をそんな予感だけが過って行く。

 初夏。冷たい月光が注ぐ夜に、第二次首都抗争は幕を開けようとしていた。

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