ep8/36「贋造神呪兵装〈神薙〉」

水鏡みかがみ、〈御霊みたま〉を駐機場に降ろすぞ』

「やってくれ」


 初陣を終えた後、〈御霊みたま〉は公安霊装の庁舎裏口まで辿り着いていた。

 ギギィと響き出すのは、鉄のレールが砂を噛む不快音。貨物搬入口が重々しく開いて行くと、ゆうに10tトラックは飲み込めそうな車輛用昇降台が姿を現していた。

 地下駐車場に偽装された、格納庫への進入口だ。

 膝をついた〈御霊みたま〉は、安全灯の微光を浴びながら地下へ沈んで行く。


 徐々にせり上がって来る地面を銅鏡越しに見下ろしつつ、幻也ゲンヤは手持ちの無線機を手に取っていた。


「犬山、そろそろ聞かせてくれるだろうな」

『良いとも。まず神呪兵装しんじゅへいそうとは、槐兵に固有の指向性呪詛放出システムだ』

「つまり?」

『槐兵だけが使える大規模呪術だ。それも機体によってまるで形態が違う』


 あんな威力の呪いがあるか、と幻也ゲンヤは一人ごちる。

 呪術戦は本来、決して派手なものではない。呪詛攻撃、対呪詛対抗手段、対々呪詛対抗手段からなる、極めて地味なイタチゴッコの不可視戦闘だ。

 槐兵が扱う呪いの究極、それが神呪兵装だとするなら対人戦とは次元が違う世界の話だった。


『槐兵は付喪神つくもがみが憑いた神木製で、下手をすれば千年以上に亘って蓄積されて来た呪いの塊だ。むしろ神性の祟りと言っても良いかも知れないが』

「そんな汚染を都市部に撒き散らしているのか、どうかしてる」

『全くだな。〈神籬社ひもろぎしゃ〉の連中にもそう言ってやってくれ』


 木製装甲を通して、地下駐機場から腹に響くような重低音が聞こえて来る。

 狭い屋内空間に木霊する幾重もの詠唱。

 烏帽子えぼし狩衣かりぎぬを着込んだ公安霊装所属の解呪班が、列を組んで大祓詞おおはらえのことばを唱えているのだ。


『アラブルカミタチヲバカムトハシニトハシタマヒ。カムハラヒニハラヘタマヒテ――――』


 壁面にびっしりと張り付けられた神符、スポットライトの間を潜るように張り巡らされたしめ縄。そして格納庫入口を塞ぐ鳥居といい、駐機場自体が呪いを封じ込め浄化する造りになっているらしかった。


 ――――槐兵を清める為に、ここまでするのか。


 7.62mm呪装徹甲弾フルスペル・ジャケットとは比べ物にならない体積の神木を使う呪操槐兵は、やはり隔離されて然るべき危険物に違いなかった。

 紛れもなく、機体そのものが第一級の呪詛汚染源なのだ。


「〈御霊みたま〉にも神呪兵装が搭載されているのか?」

『勿論。現にお前は一度使っている』


 なんだと、と驚愕が口をついて出ていた。

 思わず身を起こした弾みで、皮張りのシートが軋む。


『〈御霊みたま〉の場合は特殊で、神呪兵装に実体がない。機体制御を担う呪操OS〈かんなぎ〉の他に、もう一つのOSが組み込まれている。ログを解析した結果、それをお前は先の戦闘で一秒近くに亘って発動させたらしい』

「まさか俺が生き残ったのは、それで」


 正面から漏れ出して来る光に、彼は目を細める。

 視界前方を塞いでいたコックピットハッチは、金具一つ使われていないのが信じられないほど滑らかに開いて行った。


「――――裏の呪操OS〈神薙かんなぎ〉。それがこいつの神呪兵装だ」


 降り立った幻也ゲンヤを迎えるのは、祈祷の只中で紫煙を吹かす犬山。

 行こう、と無言の裡に告げた犬山を追うように、彼はそろりそろりと機体から降りていた。撃たれた左脛が歩く度にひどく痛んで仕方がなかった。


「〈御霊みたま〉に搭載されているOS、神薙とか言ったか」

「そう、神呪兵装を無効化する神呪兵装。神殺しの古い禁厭まじないが、神代かみよ文字の一つ……阿比留草あひるくさ文字で刻まれているOSだ。敵が発動させた呪いを無効化したから、お前は今もこうして生き残っている」

「確かに、不可能ではないか」


 放出量に雲泥の差はあれど、神呪兵装とて呪いを放っていることに変わりはない。そして呪詛に対抗するには幾つかの方法論があるのだと、幻也ゲンヤは脳裏に対抗策の数々を思い浮かべて行った。

 一、使わせない。

 一、形代に引き受けさせる。

 一、祝詞によって呪詛を返す、無効化する。

 呪操OS〈神薙かんなぎ〉が三つ目に該当するというのなら、不自然な話ではない。むしろ祝詞によって穢れを払うというシステム自体は、実に単純明快な動作原理とさえ感じられるほどだった。

 それでも解せないのは、神薙に記されているという呪言のことだ。


「神殺しの禁厭まじないなんて聞いたことが無い、そんなものは存在するのか」

「いいや、存在しない・・・・・。少なくとも古神道呪術が拠り所とする日本神話にはな」


 その不可解な言葉に、幻也げんやは自然と口を閉ざしていた。

 バックボーンを持たぬ呪文は呪文足り得ない、そのはずだったからだ。


「日本神話を記した書物の中には、偽書と断じられて来たものが幾つもある。先代旧事本紀に大成経といった古き書物だ。それらは古神道体系によって否定される事によって、それ自体が贋作であり偽書としての力を持つに至った」

「まさか、それ自体が」

「そうだ。偽書から編纂された文字列は、祝詞の構文に整えれば、あらゆる古神道系呪術の効力を否定する贋作祝詞デザイナー・スペルになるということだ」


 贋作祝詞デザイナー・スペルによって駆動する、贋造の神呪兵装。

 犬山が語る〈神薙〉の正体はあまりにも歪なものに違いなかった。己で己を否定するようなものだと、幻也げんやは黒き槐兵の抱える矛盾に気付く。


「だから、〈御霊みたま〉は対呪術戦・・・・に特化した槐兵として完成した。分かるか」

「呪術で動くのが槐兵だっていうのに、難儀なシステムだ」


 犬山と肩を並べて、幻也ゲンヤは鳥居の下を潜る。

 最後に振り返った地下駐機場の中心で、〈御霊みたま〉は禊の為に用意された水で清められていた。閉ざされて行く鉄扉によって、その機影は遂に見えなくなる。


「なあ、犬山」


 引きずるように歩いていた足を止め、幻也ゲンヤは辺りを見渡していた。

 〈御霊みたま〉が収められている地下駐機場を後にしたというのに、地下には同じような鉄扉が幾つも並んでいるのだ。

 鳥居による呪術的封印、強固な物理的封印が施された扉。

 庁舎の地下に幾つも用意されたそれらは、まるで一つ一つが洞のようにも見える。


「公安の槐兵は〈御霊みたま〉だけだと聞いていたが、まだ他にあるのか」

「いや、あそこに入っているのは槐兵じゃないが、それと同じくらい危険な物資ばかりだ。開発中の呪装も封印されている」


 お前は知らなかったかも知れないが、と犬山は歩き始めていた。


「基本的にはこれまで押収した呪物ブツを封印しているんだ。とても外には出せないようなモノを含めてな」

「触らぬ神に祟りなし、だな」


 法治国家においてあってはならない執行機関、それが公安霊装。合法非合法とを問わずに押収した品を収める扉は、開かれてはならないモノに違いなかった。

 幻也ゲンヤは鳥居の数々に背を向け、その場を立ち去ろうとする。

 しかし、すぐに立ち止まっていた。


 ――――ぱ、ぱ。


「誰だ」


 聞き覚えのある声音に導かれるまま、幻也ゲンヤは背後を振り返る。

 だが、それらしい人影は見当たらない。

 庁舎地下を行き交うのは狩衣姿の解呪班だけで、他に不審な人物などいるはずがない。視界に映るのはごく当たり前の光景だった。


「どうした」

「誰かに呼ばれた……ような気がする」


 馬鹿馬鹿しい、と思いながらもそう表現するしか無かった。

 声の主を確かめてみたい。そんな衝動が湧き上がって来るのを抑えながら、幻也ゲンヤは誰もいない空間を見つめ続ける。

 誰だ。

 心の中でもう一度問いかけてみても、しかし誰かが応えるはずはない。気のせいだろうと犬山に一蹴されるまま、彼は再び左足を庇って歩き出していた。


水鏡みかがみ、今日はもう休んでおけ。明日からはまた仕事だ」

「教団の襲撃を受けた直後にか?」

上層部うえも庁舎に乗り込まれたというので、本気になったらしい。今回の襲撃を受けて次の任務が前倒しになった。次はこいつ・・・の暗殺任務だ」


 犬山が差し出して来た写真を、幻也ゲンヤは説明もないままに受け取る。見れば、写真には超望遠カメラで盗撮したと思しき人影が写り込んでいた。

 大勢の信者を前に諸手を上げる、紫の礼装を纏った老人だ。


「こいつは誰だ」

「奴の名はイチイ。前々から公安がマークしていた教団幹部の一人だ。襲撃を主導したのもこいつでほぼ間違いない。確実に奴を殺せ」


 暗殺。呪操槐兵にはこの上なく相応しい仕事だった。

 いよいよ戦争なのだと思えば、否が応にも気は引き締まる。


「ただ、教団側も警戒しているだろうから、第二位の槐兵と戦闘になる可能性が極めて高い。その時は……〈御霊みたま〉が切り札になる」


 言いつつ、犬山は一箱の煙草を差し出して来た。

 十二本入りの紙煙草だ。ごく一般的な市販品を装ったパッケージからは、却ってきな臭い雰囲気が漂っている。

 

「これは特殊な呪装だ。巻紙の内側に神符が仕込まれていて、着火すると焚焼符法ふんしょうふほう式の召喚術式が発動する仕掛けになっている。使え」

「これで〈御霊みたま〉を呼び出せる仕掛けか」


 犬山から受け取ってみれば、箱は少しばかり重たく感じられた。

 それは決して失敗できない責任の重さでもあった。


「煙草は好きじゃないんだがな」

「安心しろよ。尾行を避ける為に匂いも無い。勿体ない事だ」


 犬山は口角を小さく上げながら、いかにもうまそうに煙を吐き出す。

 煙草を仕舞いつつ、幻也ゲンヤは使わせてもらうとだけ返す。これで遂に犬山の仲間入りを果たしてしまうのだと、小さなため息が零れ出た。

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