ep6/36「見えざる純黒」

「ぐっ……!」


 みしみしと軋む閉鎖空間に、幻也ゲンヤの呻き声が響く。

 操縦桿とフットペダルを備えた閉鎖空間とは、つまるところ呪操槐兵の体内だ。コックピットに乗り込んだ幻也ゲンヤを道連れにして、機体は今まさに猛烈な加速度に晒されている最中だった。

 走っていた。

 黒い木製巨人は、あろうことか街を駆けているのだ。


「少し動かしただけで……これかっ!」

『早く慣れろ、水鏡みかがみ。魂呼ばいが使えるお前なら操縦は出来るはずだ。人ではない人型の物体を遠隔操作する、それ自体は死体だろうと槐体だろうと変わらない』


 シートに括り付けた無線機からは、猛烈な雑音が聞こえて来る。

 呪術を併用して脳内に響かせなければ、聞き取れたものではない。


「例えば、こういう事か」


 幻也ゲンヤが操縦桿を押し込むと、機体は手ごろな電柱の上に降り立っていた。こう動かしたい、と脳裏にイメージした傍から手足が勝手に機体を捌き出すのだ。

 そして〈御霊みたま〉は、電線の上を走り始めていた。

 彼が僅かに力を込める度に、機体はコンマ数ミリ単位で寸分違わずに立ち止まり、駆け出し、思うがままに動作し続ける。コックピットに所狭しと並べられたアナクロな計器類が、小刻みに震えた。


 ――――筋肉性自動作用オートマティスムか。


 つまり、トランス状態に陥ったイタコと何も変わらない、幻也ゲンヤはそう理解した。

 降霊状態に陥った霊媒師は、時に自らの意思とは無関係に話し出すという。それと同じように、身体が知りもしない操縦をこなしているのだ。


『呪術を使える者でなければ槐兵は動かせない。だが』

「使える奴なら動かせる、そういう事だな。犬山」


 魂呼ばいと似たような呪術を行使し、その上で機械的操作系を動かす必要がある。

恐らくはそれ自体が儀式化されているのだろう、と察しがついた。

 神楽舞など、人体の動作行為を神に奉納する儀式は数多存在する。それらはいずれも神霊の口寄せ、ならびに部分的制御のノウハウだ。

 こんな事が出来るのも、機体動作を管轄するOSの補助あってこそ。


「気味が悪いな」

『機体動作は全て呪操OS〈かんなぎ〉で制御されているんだ。早く慣れろ』


 かんなぎとは神託を伝える者を指す言葉。幻也ゲンヤ自身の困惑をよそに、古き巫女の名を冠したOSは一切の隙を見せない。

 操縦桿を押し込めば機体は跳躍し、一陣の風となった。

 木製とは思えない重量出力比パワーウェイトレシオが、推進器も無しに実に数十mもの跳躍機動を可能とする。予想を遥かに超えて力強く、強靭なボディだった。


「何で動いているんだ、こいつは」

植物性筋電池カルビン・モーター。光合成型燃料電池と駆動部を兼ねるある種の人工筋繊維だ。つまり、今のお前の身体に近い』

「なに?」


 視界は一気にビルの屋上へと移っていた。

 腰布をはためかせる〈御霊みたま〉が、公安霊装庁舎ビルの屋上へと降り立つ。柔軟に曲がった木質筋繊維は、僅か1t足らずの機体重量を音も無く支えていた。

 呪操OS〈かんなぎ〉の補助は完璧だ。

 だから、犬山の声もはっきりと聞こえてしまう。


『お前はここ一年、何も経口摂取していない。水と空気と日光だけで生きていたんだ。つまり槐の呪いで身体の大半が木質化しているんだよ、こいつと同じにな』

「……そうだったか」


 驚きは、意外なほどに薄かった。

 致死性の呪いを受けて生き残ったのだ。ただでは済まないだろうと思っていたから驚けない。

 むしろ呪操槐兵という身体が、身近に思えて来るくらいだった。


 ――――なら、俺ともっと深く繋がれるはずだろう。〈御霊みたま〉。


 交感接続シンクロニシティ、開始。

 ミタマの全身に張り巡らされたガラス質の繊維を介し、魔なる者をも映し出す銅鏡が幻也ゲンヤ自身の眼となる。

 彼は銅鏡にリンクした視界で、赤いビル街を見渡していた。

 辺りは夕暮れ、既に一般市民が逃げたらしい街並みは空っぽだ。公安霊装の庁舎が置かれていたのは、都心ビル街の只中だったと分かる。


 ――――葉を隠すならば森の中、なら人を隠すには人の中ということか。


 何か怪しげな物は見当たらないかと、更に視界の倍率を引き上げて行く。

 そして見つけた。

 ビルとビルの影、人目から逃れるように止められた白塗りのワゴン車が数十台。車内から降りて来る信徒たちは、誰も彼もがフルフェイスヘルメットに密造銃火器という姿だ。

 敵の増援戦力なのは明らかだった。


「犬山、第二波の敵集団を発見した。あと五分以内で庁舎に着く位置取りだぞ」

『そうか。これ以上の混乱で警察しろうとの介入を招くのは避けたい……それに私の予想が正しければ遥かに厄介なやつがいるはずだ。すぐに潰せ』

「了解」


 敵を潰す、その意味は一つしかない。

 幻也ゲンヤがフットペダルを繊細に踏み込むと、機体はビル屋上の縁をとんっと蹴り出していた。高度数十mからの自由落下。風を裂いてアスファルトを目指す〈御霊みたま〉は、空中で背に手を伸ばしていた。


 抜刀。

 着地と同時に、〈御霊みたま〉は全長8m近い木刀を振り下ろす。

 神木から削り出された無垢材の刀身は、鋼鉄にも勝る切れ味を以て車を一刀両断としていた。

 裂かれた鉄片に混じって、車に乗り込んでいたらしい信徒たちの腕が、脚が、首が宙を舞う。


「排除、完了」


 赤い飛沫の中を跳躍し、機体は即座に離脱。たった一太刀で生み出した惨状を見下ろしながら、幻也ゲンヤは誰に気付かれるともなくその場を後にしていた。

 呪操槐兵は究極の呪術兵装だ、と。

 犬山が口にした言葉の意味をようやく悟る。操縦桿に乗せた幻也ゲンヤの手は、気付かぬ間に震え始めていた。


「本当に、こいつが見えていないのか」


 眼下の信者たちは、未だ誰一人として〈御霊みたま〉に気付いていない。

 その暴力的なまでの優位性に、思わず背筋が凍り付く。


 ――――だが、7.62mmで殺すのと何も変わらないだろう。


 そう、何も変わりはしない。変わりはしないのだと、思わず呪操槐兵の力に怯みかけた我が身に言い聞かせる。

 幻也ゲンヤの足は、再びフットペダルを踏み込んでいた。すると、ばさりと腰布を広げた機体は緩やかに減速して、舞い散る木の葉のように着地する。

 ターゲット捕捉。既に黒い木刀を振り上げた〈御霊みたま〉の眼前には、見当違いな方角へ銃を構える信徒が五人並んでいた。


 ――――れてしまう、今度も。確実に。


 音も無く接地した機体の脚部が、滑らかに踏み込む。

 次の瞬間には、血飛沫とアスファルトの混合物が辺りに飛散していた。


水鏡みかがみ、機体の状況は』

「問題無い」


 赤く汚れた木刀を振り下ろせば、遠心力で引き剥がされた血潮はシャワーのようにビル壁面へ降り注ぐ。

 闇討ちにも等しい攻撃で討ち取って来た、数十人分もの血だった。


 ――――敵からすると、何が起こったように見えるのだろう。


 幻也ゲンヤの脳裏を、素朴な疑問が掠めて行く。

 赤い雨、ビルの合間を翔ける突風、車をも切り裂くカマイタチ。あるいは雷だとか、地割れだとか、そういった天災が起こったと思うのかもしれない。

 そこまで気付いてようやく、呪操槐兵という存在の本質が見え始めて来た。


「犬山、呪操槐兵は究極のステルス兵器だとか言っていたな」

『ああ、言ったな』

「ふざけるな、これはそんなものじゃないだろう」


 古来より人々は、天災や自然の猛威に八百万の神々の姿を見て来た。

 ならば、今の〈御霊みたま〉は、まさに神域に足を踏み入れているに違いないのだ。人間には本質を露わにせず、畏れられる者へと成ったのだ。


『――――尋常よのつねならず人の及ばぬことのありて、かしこき者。呪操OS〈かんなぎ〉に記されている一節だ』

「神の定義だったか? そういう事は、分かりやすく仕様書に書いておけ」


 犬山は、しかしそれ以上は答えない。

 漆黒の甲冑に血と油を滴らせる〈御霊みたま〉は、幻也ゲンヤを収めたままビルの合間に佇んでいた。銅鏡を嵌め込まれた顔は、自ら生み出した惨状を顔布越しに睥睨している。

 敵増援戦力の殲滅は完了。もはや人の姿は見当たらない。


「犬山、掃討はこれでいいのか」

『いや、奴らに庁舎への侵入を許したんだ。歩兵だけで警戒網を抜けられる訳が無い。連中も必ず同じモノ・・・・を送り込んで来ている』

「それは――――」

『ギリギリでお前を覚醒させられたのが救いだ。来るぞ、同格が』


 何かに見られている・・・・・・・・・

 幻也ゲンヤの背筋に戦慄が走ったのは、その瞬間だった。

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