ep5/36「葬られし戦争、東京にて」
「犬山、止まれ」
傍らの犬山を手で制止しつつ、
敵だ。廊下を曲がった先では、安っぽいフルフェイスヘルメットで顔を覆った信徒たち数人が銃を構えている。
「行けそうなのか、
「ああ。五秒後だ、
「分かった」
犬山は懐から人形札を取り出すと、煙草の先端を押し付ける。
やがて焦げ始めた札を、そっと宙に投げ放っていた。
ふわり、ふわりと廊下を舞い踊って行く札は、やがてぴたりと信徒の背に張り付く。
犬山はそれを見るや、手元のもう一枚の札を引き千切っていた。
途端に、廊下の向こうから絶叫が上がる。
壁を汚していく返り血。
たったそれだけで、あっけなく事は終わっていた。
「このまま行くぞ」
犬山の人形札を背に張り付けられた死体は、ちょうど引き千切られた人形と同じように肉を裂かれていた。類感呪術理論を応用した基礎的な呪殺だ。
「こいつらは素人だな」
ぶつぶつと呪文を唱えつつも、合間に犬山が断ずる。
敵は促成栽培の素人まで動員している。そこに嫌な予感があった。
「こんなのは……戦争じゃないか」
「初めからそうだ。
「何の話だ」
遠くに信徒の影を見付けて、
先に見付けられたらしい。こちらへ撃ち込まれる銃弾に気付くと、彼は犬山を庇うように角へと回り込んでいた。
「ち……っ」
左脛に鋭い痛みが走る。跳弾した弾が運悪く当たったのだ。
しかし、それも致命傷にはならないと判断すると、
「
「いや、今はいい。それよりも戦争とは何なんだ」
たとえ一人一人が素人でも厄介だ。このまま地下まで行けるのだろうか。そんな彼の不安をよそに、犬山は取り出し掛けていた焼灼止血札を懐にしまい込む。
そして表情を変えるでもなく、ああ、と口を開いていた。
「2018年、公安は新興宗教法人〈神籬社〉と首都抗争を繰り広げた。投入された人員は呪術戦に精通した公安警察数千人、敵も都内からかき集めた数万人の信者を動員したらしい」
機を見計らって走る、撃つ。呪う。そしてまた走る。
滴る血が固い生地にしみ込み続け、足元を赤黒く染め上げて行く。
そうして地下へ降りつつある間にも、犬山はかつて起こったという"戦争"について訥々と語り続けた。
曰く、あれは国内で最も新しい戦争だった。
曰く、初の大規模な現代呪術紛争でもあった。
曰く、公安霊装の中でもごく一部の人間しか知らない、かつて極秘裏に開発された呪術兵装が実戦投入されたのだと。
――――そんなこと、知るか。
十年前、日本で国内紛争が起こっていた、などとは。
笑えない冗談を聞かされてしまっては、妙な悪寒が背筋を走って行く。鉛弾に貫かれた骨の痛みをこらえながらも、ひきつるような笑いを堪えられない。
「平成最後の年に、我々は誰も知らない戦争に負けたんだ。首都圏がカルト共の手に落ちた結果がこれだ。十年の間にスカイツリーは教団本部となり、信者共が東京の至るところで都市ゲリラとなって潜伏している」
「そんな話、信じろと言うのか」
「なら、あの年の都内での死亡者数を調べてみたらいい」
飛び交う銃弾、呪詛を引き受けて燃え上がる人形札。
進路クリアー。二人は閉鎖扉の内まで辿り着くと、ふぅと大きく息を吐いていた。
「で、都内で何人死んだんだ」
「都内の死亡者数およそ十万人に限っても、推定で四千人近くが呪殺された。病死と判定されることが殆どだから正確な集計は難しいが」
「全体の数%が呪殺されたっていうのに、それで誰も戦争に気付かなかったというのか……無理があるな」
「ただの戦争だったら、そうかもな」
非常用電源の灯りに照らされた狭い階段。犬山に先導される形で、
左足が痛む。致命傷では無いとはいえ流血は未だ止まっていない。
だが、区画を閉鎖した以上、敵はしばらくはここまでやって来られないのだ。ようやく落ち着いて質問が出来そうだった。
「犬山、地下に入ったらもう逃げられないぞ。この先には何がある」
「十年前の戦争の生き残りだ」
ほどなくして、二人は地下通路の突き当りに辿り着く。
行き先を塞いでいるのは、人間よりも大きな鉄扉。日本銀行の地下金庫もかくやという強靭な扉が、犬山の掌紋認証を経てゆっくりと開いて行く。
何重もの防壁に隔てられた鉄扉が開き切ったその時、
犬山は彼を見つめるでもなく、すぐ傍で煙を吹かしている。
「
見ろ、と犬山が告げた途端に、天井からの白色光線が暗がりを貫く。
途端に浮かび上がったのは、強烈な光を浴びせられてなお闇から抜け出そうとしない人型のシルエットだ。
漆塗りの甲冑を纏う人型は、膝立ちの姿勢で身を屈めても人より大きい。立てば二階建ての家に並ぶほどだろうと、勝手に想像は膨らんだ。
しかし、根本的な事はまだ何も聞いていない。
そのあまりに艶めかしく濡れた漆塗りに、
背負った二振りの日本刀が放つ殺気に、
刃物のように薄く尖った脚部のアンバランスさに。
「これが
「御霊……みたまと読むのか」
肩に白い筆字で書き込まれた名は、黒いキャンバスの上で誇らしく名乗りを上げている。謎めいた巨人の、それがほとんど唯一の手掛かりだった。
――――何なんだ、こいつは。
「半世紀前に建造された最新鋭機、2018年東京で初めて実戦投入されたうちの一機が〈
「なんだってこんな……デカい人型の兵器が東京で戦ったのか?」
馬鹿馬鹿しいにも程がある、と
しかし、犬山は「人型でなければならなかったんだ」と口にしていた。
「槐兵という兵器は、機体そのものを
「つまり、人形札や藁人形の原理と同じか」
「そうだ、呪操槐兵は
銅鏡を除いて金属部品は一切ない、と犬山は説明を付け足す。
それが本当ならば、思わず身震いするような話だった。
7.62mm
「これほどの神木をどこで……正気じゃない」
「いや、〈
そう説明されている間にも、地下格納庫を隔てる分厚い鉄扉の向こうでは銃声が聞こえ始めていた。奴らもここまで乗り込んで来たか、と忌々し気な舌打ちが響く。
そして犬山は何本目とも知れない煙草に火を点けると、告げた。
「
「乗り込むだと……?」
「ここでカルト信者どもに殺されるか、乗り込むか、選べよ」
驚愕を殺し切れず、
鉄扉を塞ぐ
もはや時間が無い。
この脚では逃げることも出来ない。
彼が選択を下すその瞬間を、犬山と〈
「これが、俺に扱えるのか?」
「呪詛耐性が無ければこいつには乗り込めない。他は全員呪いで死んだ。槐の呪いを受けても生き残ったお前にしか、今は扱えないんだ」
そう告げる犬山の目には、眼鏡のレンズを通してさえ隠し切れないほどの痛切さが滲んでいた。死んでもいい、などと思っている人間の眼では無い。
若かりし警察学校時代を思い出すほどの、熱く真っ直ぐな目だった。
――――公安霊装は、厳密には警察でも法の執行機関でもない。
何度となく講義で聞かされた言葉が、脳裏をよぎって行く。
法治国家においてあってはならない暴力装置、それが公安霊装。法では裁けない呪術犯罪に対処するには、やはり法の埒外に居る者達が必要だった。
必要悪なのだ。だからこそ、呪術は人々を守る為にこそ使わなければならないのだと。
「力を使え、
「人々の為にか」
共にそう教えられてきたのだ。
それこそが公安霊装としてのプライドだった。
犬山が言わんとしていることを、
一歩、また一歩、血滴を垂らしながら甲冑姿に近付いて行く。
「犬山、最後に聞きたい。こいつは起動すると何が起こる」
「そうだな、神を寄せることで人に
どろり、と胸の奥で黒い何かが蠢くような感覚を覚えた。
呪操槐兵とは誰にも見えない神木人形。ならば、戦争があったという十年前のあの夜、あの交差点にたまたま呪操槐兵がいたとしてもおかしくはない。
証拠など何一つ無い。
しかし、否定することも叶わなかった。
――――かなえを殺したのは、この機体かも知れない。
呪操槐兵〈
漆黒の甲冑を縁取る深紅は、まるで黒いアスファルトの上にべったりとこびり付く血痕のようにも見えた。
――――〈
機体は膝立ちで項垂れたまま、黙して答えない。
お前にその覚悟はあるのかと、〈
それでも、
この魔都東京を、公安霊装として戦う為に。
そして生き残ったなら、あの夜に出会ったかなえと会う為に。
呪われた力に手を伸ばしてもなお、生き残らなければ見えないものがあるはずなのだ。
――――かなえ、パパは決めたよ。
〈
カチリ、と冷徹な音が耳朶を打った。
向けられた銃口は十を下らない。もう避ける術はない。
弾ける銃声、銃口から次々に撃ち出された鉛弾は
「呪え、〈
第一級植質化感染呪術。
またの名を『
辺りは不自然な緑に覆われた屋内庭園と化し、漆黒の甲冑を纏う〈
――――これは、予想以上だな。
こいつとならば、かなえの居るところまで共に堕ちて行けるかも知れない。不思議とそう予感できるだけの魔性が、神木製装甲からは滲み出ている。
乗り込まずとも十人を殺したのだ。既にこの呪われた木人形と、運命共同体に堕ちてしまったという確信があった。
――――かなえにもう一度会う為なら、この身ごと呪われてやろう。
「行くぞ、〈
風も無いのにはためく顔布の奥で、みたまの
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