ep16/36「感染性呪毒穿孔《パイル・バンカー》」

 黒く淀んだ曇天を背景に、パッと火花が散る。

 黒塗りの木刀を振り下ろす槐兵の影は、ほんの一瞬だけ夜景から浮かび上がっていた。その表情なき顔が見据えるのは、紫の衣を纏うもう一機の槐兵。

 〈御霊みたま〉の奇襲を皮切りに、一対一の槐兵戦は再び幕を開けていた。相手に近付くことも出来ずに落下した黒い槐兵は、次なる隙を窺って道を走り続ける。


『煩わしいお人ですね、いくらやっても無駄です。あなたの有するいかなる手段を以てしても、この〈氷雨ひさめ〉は止められませんよ』

「それはどうだろうな」

『記紀に伝えられて来た正しき教えを知らず、ミケの神聖さも解そうとしない……哀れな者はこれだから嫌ですよ!』


 空に悠然と佇むのは、相も変わらず紫の羽衣を広げる〈氷雨ひさめ〉。隻腕の敵機が振るった杖はひゅんと空を裂き、天から再び雷撃を呼び出していた。

 夜闇を暴く鮮烈な光に、街がホワイトアウトする。

 黒い背景をじぐざぐと切り裂いて行く電光の筋は、空力など無視して縦横無尽の軌道を描く。その標的たる〈御霊みたま〉は、車よりも素早く街を疾走し続けた。


 あの雷とて、呼び出された霊獣に付随する呪いの具現だ。

 そうと分かってしまえば対処も出来る。


 ――――そう何度も同じ手を食うものかよ。


 急反転、唐突に停止した〈御霊みたま〉は降り注ぐ雷を紙一重で避ける。漆塗りの甲冑から数十cmの表面を掠めていくのは、強烈な光の中に紛れる獣の影だ。

 神速の抜刀、鞘から抜き放たれた刃はもはや惑わされない。

 ごく瞬間的に発動させた神薙で呪いを打ち消しつつ、〈御霊みたま〉は交錯する雷撃に沿ってすぅっと剣先をなぞらせる。


 無音の一閃。

 互いに音よりも速くすれ違う最中の一撃、敵を斬るのに刀を振るう必要など無かった。両者が離れた後には、斬られた雷獣が煙となって霧散して行く。

 〈御霊みたま〉は刀を背に収めつつ、軽々とその場から飛び上がっていた。隅田川を跨ぐ新大橋、その人一人が座れるかどうかという主塔の上に漆黒の槐兵が静かに降り立つ。


「式神如き、斬れないと思うな」

『たかだか一匹を切り払ってみせたところで……!』


 どこか楽し気な様子のイチイは声を震わせていた。そして無数の葉を宙に浮かばせると、殺傷性の暴風として〈御霊みたま〉に向けて放って来る。

 ゆうに千枚は下らない葉に追い立てられ、〈御霊みたま〉は塔から飛び降りていた。

 さらにそこへ迫り来るのは幾重にも走る雷の筋、挟撃される格好になった機体は既に高度数十m超の足場なき世界に脚を踏み入れてしまっていた。

 あとは自由落下するのみ。


 槐兵に翼は無い。

 推進器も無い。

 故に動けない。

 そう信じた敵を嘲笑うかのようにライフルを取り出した〈御霊みたま〉は、がきりとレバーを引き込んでいた。90mm対呪物ライフル砲、装填完了。

 敵の挟撃によって押し潰されるその瞬間こそ、絶好の好機だった。トリガーを押し込んだ直後に襲い来るはずのGに備えて、全身に固く力が込められる。


「やっと来てくれたか……行くぞ」


 空中で炸裂した発射炎がイチイの操る葉を焼き払う、直後にライフルを撃った〈御霊みたま〉はその場から消え失せていた。

 捨て身の反動利用機動リコイル・マニューバ

 1tにも満たない異常軽量の機体だからこそ、身の丈に合わない戦車砲の反動をも利用できる。幻也げんやが採ったのは咄嗟の空中機動だった。


 瞬間的に百Gを超える加速度に晒された〈御霊みたま〉は、強烈な反動で以て鋭角に宙を蹴り出してみせる。

 機体から猛烈な軋み音が上がる中、機体は紙一重で雷撃と突風を避け切っていた。そして〈御霊みたま〉から投げ放たれた刀は、柄に括り付けられた鎖を伸ばしながら一直線に〈氷雨ひさめ〉へと吸い寄せられる。

 悠然と佇む敵機の羽衣に、漆黒の木刀が突き立てられた。


『無茶な……!』

「無茶でもやるんだよ!」


 幻也ゲンヤが見据える先には、木製の鎖で繋ぎ止めた〈氷雨ひさめ〉の機影が浮かぶ。

 遂に敵機を捉えたとはいえまだ早い、二つ目の切り札・・・・・・・を使うには未だ間合いを詰め切れていなかった。猛烈な速度で巻き上げられる鎖は、二機を強引極まりない荒業で近付けて行く。


 骨を軋ませる程の加速の最中、ぴしり、と体内で鋭い音が響いた。

 負担に喘ぐ心臓には、見えざる手に鷲掴みにされたような痛みが走る。幻也ゲンヤの身体を蝕む負荷は、呪操OS神薙を発動させる度に増そうとしていた。


「〈御霊みたま〉、お前はまだ行けるんだろう」


 木製装甲を震わせていた風切り音が、ふっと消え失せる。

 そんな錯覚に包まれた幻也ゲンヤの手中で、ぴくりと僅かに跳ねる操縦桿の感触。その時確かに、意思など持たないはずの愛機が問いに答えたように感じた。


 そうだ、と。

 そうか、と彼は壊れんばかりにペダルを踏み締める。


 先に限界を迎えようとしているのは機体ではなく、己が身に他ならない。

 衝撃波を轟かせて敵に突っ込む〈御霊みたま〉は、敵の寸前で見えざる呪術障壁にぶつかっていた。が、あれほど強固に張り巡らされていた障壁でさえ神薙の前では役に立たない。


「この機体の前で今さら呪術の一つや二つが効くものか。こっちにはもう一つあるんだよ……神呪兵装きりふだがな!」

『そんなものがあるはずはない……!』

「だったら、黙って喰らってろ!」


 90mm呪装徹甲弾を寄せ付けなかった摩訶不思議な呪術でさえも、〈御霊みたま〉の前では等しく無力。呪術結界のことごとくを無効化した機体は、獲物の懐に飛び込んでいた。

 遂に敵機に取り付いた〈御霊みたま〉の銅鏡が、笑むようにぎらりと煌めく。


 ――――ようやく捕えた。


 真正面からの衝突。機体が激震に揺さぶられる中、切り裂かれていた袖からは一本の杭が尖端を覗かせる。

 これで終わりだと。

 分厚い鎧を纏う敵に取り付いた〈御霊みたま〉は、殴り付けるように右腕を押し当てる。袖に仕込まれた杭の先からは、毒々しいまでに鮮烈な彼岸花が零れ落ちていた。

 呪詛の毒針。ぽたりと滴り落ちた彼岸花が敵の上で弾ける。


「貫け、神呪兵装〈御木之真柱ミケノミハシラ〉!!」


 どん、と大気を鈍く打ち鳴らす衝撃波。暗器よろしく袖の内に秘されていた神木製の杭は、音の壁をも突き破って撃ち出される。

 超音速穿孔の前では、厚さ数十cmの青銅鎧も意味をなさない。

 ぱきり、という音が響き渡った後、杭に貫かれた青銅装甲はみるみる内に萎み始める。呪詛で実体化されていたに過ぎない鎧は、落ち行く欠片と化して弱弱しく川面を叩いていた。


『この〈氷雨ひさめ〉の口寄せに干渉し、神域より降ろしていた神を引き剥がしたとでも言うのですか……たったあれだけで封じるなど、馬鹿な』


 信じられぬと言いたげな様子で、イチイは驚愕に声を震わせる。高位の神を降ろしていたはずの〈氷雨ひさめ〉は、すっかり元の姿へと戻っていた。

 恨めし気にこちらを見つめて来る敵機は、主の怒りを反映してか鋭く隻腕を振るう。紫の顔布を透かし、赤銅色の眼が〈御霊みたま〉を睨んだ。


『〈御霊みたま〉にもう一つの神呪兵装が積まれていた……? 聞いていませんよ、私はそんなことは認めません。これほどの呪術を食い破るなど、それは一体何なのです!』

「偽書の毒だよ、正史だけに目を向けて来たお前には分かるまい。古神道系呪術正しき教えで動く槐兵には、よく効くだろう?」


 古神道系呪術のことごとくを無効化し否定する、杭から流し込んだのはまさにそういった偽書由来の呪いだ。神薙システムの贋作祝詞を呪毒として利用する、それこそが〈御霊みたま〉の持つ呪詛無効化の本質だった。

 だが、機体の真相を知らされたのは数十分前に過ぎない。

 しばし重力を忘れて浮き出す自由落下中の身体を、皮製ベルトがぎぃとシートに縛り付ける。


「イチイ、あとは貴様だけだ」


 戦車砲の反動で距離を詰め、

 神薙によって術を無効化し、

 必殺の毒針を以て止めを差す。

 その全てが上手く行ったことには違いなかったが、同時にこれだけの呪いを扱った代償は大きかった。

 もはや指一本動かせない。幻也ゲンヤは血反吐で汚れた口元を歪ませると、対岸で苦しみ始めたイチイに言葉を吐き捨てる。


「ちなみにこの呪いは感染性、術者にも逆流するおまけつきだ」

『この私に呪毒など……そんなもの効くはずが……っ!』

「せいぜい俺と同じ痛みを味わえ」


 がくりと膝をついた〈氷雨ひさめ〉の中では、イチイもまた杭から流し込まれた呪詛に侵されているに違いなかった。

 多数の式神を行使する〈氷雨ひさめ〉にとって、術者本体へ致死性の呪詛を流し込めるこの杭は相性がいい。強制的に術を無効化し、敵の懐へ飛び込む為のOSと組み合わさる事で初めて、〈御霊みたま〉が誇る対呪術戦術は完成する。


 ――――封印されていた本来の神呪兵装・・・・・・・、アラトの言っていた通りに上手く機能してくれたか。


 落下し続けていた〈御霊みたま〉は、区内の校庭に叩きつけられていた。受け身もとれずに落下した機体は、巻き上げた砂塵の中で影となる。


「う……っ」


 幻也ゲンヤは激しく打ち付けられた身体を捩ると、突き刺すような痛みに耐えかねて呻き声をあげた。

 致死性の呪いの多くは、臓器不全という形で表面化する。

 呪操OS神薙を続けて発動したこと、長時間に亘って呪操槐兵に乗り続けたこと、神呪兵装を使ったこと。その全てが重なってしまえば、こうして多臓器不全を起こすのも当然の結果でしかない。

 既に呪いに侵されて久しい身体は、限界を迎えようとしていた。


 ――――俺は死ぬのか。いや、死ねるのか。


 血で赤く染まる視界には、白く小さな花が映り込んでいた。一体どこから忍び込んで来た呪いによるものか、操縦桿の傍にはいつの間にか可憐なシロツメクサが咲いていたのだ。


 かなえが好きな花だった。

 幻也ゲンヤはそっと花を撫でようと、意識するともなくそれに指を伸ばす。触れたかった、何度失ったとも知れない姿を今度こそ繋ぎ止めたかった。

 しかし、指先が血で汚れている事に気付いてしまえば、もはや触れる資格はないのだと分かってしまう。指先からほんの数cmで揺れている花に、彼は笑い掛けた。


「俺はきっとかなえに生かされて来たんだ……そうだよな、だから今度こそケリをつけさせてくれ。そうしなくちゃ俺は、俺でいられない」


 かなえの未来を奪った仇を殺す。

 たとえこの身が耐えられなくとも。そう願う幻也ゲンヤの脳裏をよぎって行くのは、この晩にアラトから告げられた言葉だった。









「貴様は何人目・・・のミカガミゲンヤなんだ? 十年前にどこで何をしていた?」


 アラトの手で左目を抉り取られる直前のこと。

 廃ビルのオフィスで向き合う中、アラトが放ったのはそんな問い掛けだった。

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