ep25/36「A.D.0088」

 八咫野やたの商事。特種用途自動車の分野にかけては、今や国内有数の規模を誇る専門商社の一つだ。

 主な取引地域はロシア。現地に存在する支社はダミーであり、実質的な〈神籬社ひもろぎしゃ〉支部の隠れ蓑として機能している。


 2028年現在、依然として経済的な低迷を続ける同国から、密造火器や横流し装備を密輸できるのは、現地の勢力あってこそのものだった。

 言うなれば、ヤタノ商事とは〈神籬社ひもろぎしゃ〉の軍事部門。その社が保有するビル最上階には特等席が設けられ、王たる男が静かに座していた。

 代表取締役、またの肩書きを教団第一位幹部サカキ。


「良い夜だ」


 普段通りの和装に身を包み、その手は盃を傾ける。

 まるで庭を愛でるような視線の先に広がるのは、赤々と残火が燻る目黒区の風景。燃え盛る公安霊装の庁舎ビルを見つめつつ、サカキはすっと目を細めていた。

 同時に、一人分の人影が現れる。

 サカキの背後に浮かび上がる陽炎は、急速に人型を象り始めていた。


『ガラスに投影しているのはただの映像だろう。何を見ようとしている、サカキ』

「こうすれば呪操槐兵も少しは見えないかと思ってねぇ、ま、無理だが。元公安所属機〈御霊みたま〉は随分と活躍してくれたらしい、おかげで助かった」


 特等席たる部屋にいるのは、サカキとアラトの二人のみ。

 実体のない幻として立ち会うアラトは、今も槐兵のコックピットに身を置いている。生霊として飛ばされた意識が依り代に降ろされ、陽炎も同然の姿だけが浮かび上がっているのだった。


「公安霊装が遂に陥落し、イチイはもういない。つまり我々の儀式を止められる奴は誰もいない……十年だ、俺は十年もこの時を待って来た」

『もう公安霊装に組織的な抵抗力は残っていない。もう止めろ! これ以上は教団にとっても不利益に働く。国が動くぞ』

「いいや、我々以外は誰も手だし出来ない。不可能だ。なにしろ何も見えていないからな……アラトよ、今さらシロヒメの心配でもしているのか?」


 それ以上の言葉は、返って来ない。

 サカキは無言の裡にも勝利を確信しながら、傍らのテーブルに盃を置く。

 彼の眼前には、既に記紀神話の巻物が二つ広げられていた。つまりは日本書紀の一部であり、国生み伝説に連なる一連の物語が記された数百年物の歴史書。しかし、サカキはおもむろに火を点けると、一方を灰と変えていった。


『サカキ、何をやっている』

「あの伝承は正しかった。つまり日本書紀からは抜け落ちている章があった、という事だ。載っていない方は欠損品に過ぎない」

『……ミケ伝説のことか』

「それ以外に何がある」


 じりじりと燃え尽きつつある方の神話からは、とある伝承だけが抜け落ちていた。古事記には一切記されなかった空白章、喪われた景行天皇の九州巡幸、その最中にあったと言われる現・福岡県三池郡における伝承が、それだった。

 サカキは残った方だけを選び取ると、まるで誰かへ捧げるかのように恭しく巻物を捧げ持つ。


「第十二代天皇・景行天皇が即位してから18年後。つまり西暦88年に、一行は筑紫後国でとある倒木を目にしたという。その樹高はおよそ2000m以上に達し、日没ともなれば阿蘇山をも隠したそうだ……もしも十年前だったなら、そんな記述を真に受ける奴はいなかっただろう」

『だが、今は現に、600m以上の世界最大樹が東京にそびえ立っている』

「そうだ、アラト。あれは何の誇張も無い・・・・・・・事実だった。今から二千年以上前の日本には、確かに2000m越えの大樹がそびえ立っていて、しかもその後の神話には一切登場しない。なら、御木ミケはどこへ行ったと思う?」

『イチイが正しかったとでも言うつもりか。呪操槐兵〈森羅〉は、その切り倒された御木ミケそのものから造り上げられた槐兵だったと』


 御木ミケの国伝説。

 山をも越える大樹の伝説は、あくまで事実に基づいた伝承だった。サカキはそう信じればこそ、教団がミケとして崇め奉って来た東京スカイツリーに感謝するよりほかに無かった。厳かな感慨が胸に込み上げて来る。


「ここも随分と静かになった、いいもんだ……アレはこの夜にこそ相応しい。もう戦いはケリがついたがまぁいいだろう」


 最古の呪操槐兵〈森羅〉

 不可侵の地たる大仙陵古墳を暴き、数日にも亘る解呪作業を経てようやく発掘出来たそれは、既に戦地――公安霊装庁舎――へと向かいつつある。教団にとっての長年の悲劇を叶える存在、その詳らかなイメージを脳裏に描きながらサカキは立ち上がる。


やれ・・


 盃の水面がさざめき始めたのは、その時だった。

 震源の深さは計測不能、およそ震度1。少なくとも10km以上離れているビルの最上階にさえ届く衝撃は、文字通りに東京一帯を揺さぶる。やがて一分が経過した頃には目黒区の揺れも収まり、首都直下型の地震は過ぎ去りつつあった。


 地震そのものの被害は大したものではない。

 問題は、この現象が純然たる人工地震だという事だった。その莫大なエネルギー量を概算するだけで、サカキの口からは抑え切れない笑いが零れ出して行く。


「同じだけの人工地震を起こすとしたら、東京上空で核弾頭でも炸裂させるしか無いだろうよ……流石だ、〈森羅〉の伝承は間違っちゃいない」

『こち……は、酷い状た……ろ! サカ……』


 現地にいるアラトからの通信は途切れ途切れとなり、現地で吹き荒れているであろう森羅の脅威を物語っている。


 西暦88年に存在した旧き御木ミケ

 西暦2028年に存在する新しき御木ミケ

 呪操槐兵〈森羅〉が古き御木ミケから建造されたとするなら、今や東京には二本もの大神木が集いつつある事になる。サカキは嵐が吹き荒れる目黒区を見下ろすと、その運命ともいえる光景に眼を奪われていた。


「これでようやく日本書紀は東京で再現される……十年前に東京スカイツリーが槐の呪いで木質化したのだって偶然じゃない。神代の頃の生態系が再現される先駆けに過ぎなかった」

『……サカキ、お前も下らない妄執を!』

「現実を見ろよ。今こそ失われた奇蹟が蘇る時だ」


 ある古文書曰く、それは見えざる災厄。

 ある古文書曰く、それは歩く神樹ミケ。

 教団に伝わるまたの名を、呪操槐兵〈森羅しんら

 古神道系呪術体系の根源とも言える存在は、今や現実の災厄となって公安庁舎へ進軍しようとしている。

 入信以来、長きに亘って望み続けて来たその光景を前に、サカキは社会的地位をも忘れて凶暴な笑みを浮かべていた。


「この下らない街の全てを杜に還せよ、最も古き呪操槐兵……いや、そう呼ぶのは相応しくないかな」


 呪操槐兵などというカテゴリには収められない、全ての古神道系呪術の祖たる呪い人形。

 教団の聖典にも記された、その忌み名こそは。


「エンジュの王にして、呪操槐兵を統べる者……御木ミケの化身たる槐神霊装きしんれいそう森羅しんら〉よ!」



 * * *



 ちらちらと火の粉が舞い散る街を、白き影が走り抜けて行く。

 局所的な地震に見舞われた目黒区一帯はあちらこちらで停電へと至り、既に決着がついて久しい戦場を闇に沈めている。〈影光ようこう〉は弾痕を刻まれたビル壁面を軽々と駆け上がると、そんな死せる夜景を眼下に収めていた。

 追うべき敵を探し求め、純白の槐兵は屋上を蹴り出す。


「どこだ、水鏡みかがみ幻也げんや


 街を走り抜ける間にも、機体の周りでは次々に木々が芽生えつつあった。アスファルトを押し退け、あるいは民家の基礎を砕き割り、一心不乱に天上を目指して伸び行く木々はいっそ狂気に駆られているようでもある。


 街全体が、槐の呪いに侵されているのだ。

 〈影光ようこう〉は淡い草原と化して行く地面を蹴り出し、すっかり大樹と成り果てた電柱をも足場として飛び上がる。

 シダにも似た枝葉が、蹴られた弾みで大きく揺らいだ。


「なんだこの森は」


 操縦桿を握るアラトの掌に、うっすらと汗が滲んだ。数え切れないほどの木々が視界に映っているというのに、一本たりとも見覚えが無い。

 最古の植物クックソニア

 最古の樹木アーケオプテリス

 博物学的知識があればそうと同定出来たはずの植物たちは、数億年前に滅び去っている絶滅種たち。現に目黒区を覆いつつあるのは、黄泉より蘇った森に他ならなかった。


 それだけではない。

 古き緑に呑まれて行く街は、まるで水が注がれるように人魂を湛え始める。生え立つビルと数え切れない樹木に切り取られた地平線は、今や蒼白い湖と化してぼぅっと淡い燐光を放っていた。

 街に燻る残り火も、奇妙な弓なりに歪んでいる有様だ。

 アラトは、何が起こっているのかを理解した。


「これら全ての旧き神木かみがみが、黄泉を再現しつつあるのか」


 霊障による局所的重力レンズ効果・・・・・・・

 および、空間を漂う魂の可視化現象。

 本来なら微々たるものでしかない物質干渉作用が合わさった結果として、数千本に達する神木の森が空間を歪ませているのだ。

 常夜の国。そんな喩えがアラトの脳裏を掠めて行く。

 真夜中の陽炎に歪む森は、もはやこの世ならざる術理が支配する異界と化しつつあった。空中放電を伴うミサキ風が、機体を軋ませるほどに吹き荒れる。


「それでも逃がしはしない……何処だ」


 数億年前の植生を残した古代森に、敵を求める白き槐兵は立ち尽くす。

 意識を研ぎ澄ませば、何処かから微かに聞こえて来る声があった。


『ぱぱ……っ!』

『もうすぐここを抜けられる。捕まってろ!』


 鼓膜を介さずに聞こえて来る声を感じ、アラトは躊躇いなくフットペダルを踏み込んでいた。

 加速。爆発的な加速度によって押しひしがれる身体は、シートの上で軋み音を立てた。見えない巨人の手に押し潰されそうな眼を見開けば、その視界の中心にはただ一機の黒き槐兵が映り込む。


「そこか」


 無数に漂う人魂が群れをなして天の川となり、淡く森を彩る。そんな幻想的な風景を切り裂くように、〈影光ようこう〉は生え立つ巨樹の間を駆け抜けて行った。

 跳躍。ほんの数百m先に捕らえた黒い槐兵を目指し、人工筋繊維を組み込まれた脚部は痛烈に地面を蹴り出した。


 ――――水鏡みかがみ幻也げんや、お前はもう用済みだ。


 千切れんばかりに腰布をはためかせ、白き槐兵が風よりも早く飛び掛かる。背負った大刀は既に抜き放たれ、ただ一刀の下に敵を斬り捨てんとする構え。

 顔布の奥に秘された銅鏡は、殺意を帯びて僅かに赤く艶めいた。


「消えろ」


 しかし、機体は稲妻の如き速さでその場から飛びすさる。

 飛び掛からんとしていた〈影光ようこう〉、そして力尽きるように膝を屈していた〈御霊みたま〉。両者の間に割り込むように現れた何かが、壁としか思えないほどの巨大さを以て視界を遮ったのだ。

 異変を察知した白黒の槐兵は、両者揃ってその何かへと視線を向ける。


『何だこいつは』

「そうか、まさかこれが……!」


 まったく唐突に姿を現したのは、巨樹だった。

 全高10mを誇る槐兵と比べてもなお、比較にならないほどの体積を誇る古木の幹だった。そしてやや視線を引いてみれば、両機の間に割り込んだのはただ腕の一本に過ぎなかったのだと分かる。

 二十階建てビルさえ追い抜くほどの巨躯。緑青で錆び付いた青銅甲冑を纏うそれは、優に100mを超えながらも紛う事無き人型だった。


『これが呪操槐兵だと』

「呪操槐兵じゃない。つわものに非ざりてかむなる存在、これが全ての呪術の祖たる槐神霊装〈森羅〉だ」


 現代に蘇りし神代の王、〈森羅〉は悠々と足を踏み出して行く。

 二機の槐兵はただ立ち尽くし、小山のような背を見送るしか無かった。

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