ep12/36「極夜の古呪術戦」
壮絶な馬力で競り合う二機の槐兵。その足元では、既に信者と公安部隊員が撃ち合いを始めていた。数十人規模で繰り広げられる対人戦闘、水平に降り注ぐ鉛の雨は止むことを知らない。
幾つかの流れ弾が、軽い音と共に漆塗りの装甲を跳弾して行った。
「それが〈
『よくご存知で』
教団第二位の呪操槐兵〈
大きく突き出した頭部が形作る三角形のボディは、高位の神官が纏うような紫の袈裟に覆われている。何より目を引くのは背負った鳥居状のパーツ、リアウイングじみた笠木からはひらひらと紙垂が下がっている。
背丈はちょうど〈
しかし、これこそが槐兵の中でも一位二位を争うほどに危険な機体であり、公安にとっての最重要抹殺目標である事を
「知っているさ。十年前の戦争では市民千人以上の呪殺に関与したとされる……呪われた紫の槐兵だ」
かつての戦争では槐兵をも呪い殺したという呪術戦特化機体。
――――この俺にやれるのか。
既にイチイが乗り込んでいるらしい紫の槐兵は、頭に笠を被ったような顔をこちらに向けて来る。顔布を透かして艶めく銅鏡は、刀と杖で切り結ぶ間にも〈
槐兵と槐兵の魂無き視線が、鍔ぜり合う得物越しに交錯する。
『おやおや、その槐兵はまだ若い神木で造られたようですね。付喪神も無しに動くとは、実に、実に……奇怪な槐兵であることよ』
「そちらは呪術の行使に特化した槐兵か、噂は本当らしい」
〈
そして最大馬力での抜刀を期して、目にも留まらぬ勢いで懐へと飛び込む。筋力を一時的に肥大化させた〈
『良いでしょう、そこまで私の邪魔をしたいのなら』
再び木刀で斬りかかろうとした〈
敵が携える杖には、みるみる内に鮮やかな赤い葉が生い茂って行く。それもただの葉ではない、呪詛を込めた神木の葉が次々に杖から芽吹き始める。
呪術の発動兆候だ、そう直感した
『神呪兵装――――
言いつつ、〈
三本指によってぎりぎりと締め上げられていく八咫烏は、なまじ実体を帯びているばかりに苦痛を訴える。この世ならざる鴉の臓腑は弾け、煙となって流れて行った。
何かが起こる、そんな予感だけが辺りの空気を凍り付かせるかのよう。
杖に芽吹いた葉は活き活きと艶めき、イチイの熾そうとしている術がピークに達していることを物語っていた。
『秘せよ、極夜の儀』
遂に八咫烏が握り潰される。時を同じくして放たれたイチイの言葉は、礼拝所に注ぐ光を奪い去っていた。
窓から注いでいた月光が、ふっと消え去る。
思わず我が目を疑う
「貴様、何をした」
『簡単な事ですよ。太陽の化身とされる八咫烏を殺す……然るべき手段を踏めばそれ自体が類感呪術となって、この世を照らすあらゆる光を
あまりの馬鹿馬鹿しさにもはや言葉さえ出ない。
目の前で行われたのは、呪操槐兵を介して極めて広範囲に展開された大呪術。お伽噺じみた呪術師を前にして
永遠に続く夜、すなわち常夜の世界は人外の住まう領域だ。イチイが次に何を企んでいるかは容易に想像がついた。
――――まさか。
〈
鳥居とは、神域に繋がる結界だ。
猫、狐、狸、鷺、鴉――――いずれも実体を持たない霊獣たちが、神域に接続された鳥居を通じて現世に踏み込んで来る。礼拝所の天井や壁をすり抜けて行く霊獣たちは、今や数百匹を下らぬ群れとなって外に流れ出していた。
『これらの霊獣はほんの先導者たち……つまり、今宵呼び出すべきモノの
〈
背後から聞こえて来るのは、
だが、〈
何もかもが違う。こんなものは
――――こんな奴がいるのか……!
瞬くマズルファイアが見えざる槐兵の姿を照らし出した。
次の瞬間、礼拝所の壁はいとも容易く突き崩されていた。壁面へと打ち込まれた杖が呪いを押し広げ、鉄骨が組まれていた壁をも砕いて行ったのだ。
後に残されたのは槐兵が通れるほどの大穴、既に〈
『公安の犬よ、ついて来なさい。あなたも槐兵を操る者の端くれならば、今宵起こる奇蹟の業を目にする義務があります』
「世迷いごとを!」
『さぁ、場所を変えて続きを始めましょう』
紫色の腰布をなびかせる〈
暗闇の住宅街へと繰り出した〈
「奴は、そこか」
開けた空間に出てしまった時点で生じた不利は明白。しかし、二十階建てビルの屋上に佇む敵機を見つけることで、それも打ち消されていた。
敵の思惑に乗る必要などない。
勝機があるとすれば至近距離戦闘のみ。
ただ一歩を踏み出しただけで、わずか1t足らずの機体はみしりと加速する。神木製装甲を軋ませながら亜音速に達した〈
それはまさしく、敵の意識から消え去る脚運びの極地。
――――舐めるなよ、時代遅れの呪術師風情が。
重力に逆らって疾駆する〈
目と鼻の先には、無防備な背姿を晒す敵機がいる。今さらこちらの接近に気付こうとも、柄に手をかけた槐兵の前では既に遅い。
数々の隠密作戦で培って来た背後からの接近術、実戦経験では
『な……っ!』
一閃。躊躇なく振り下ろされた太刀筋は、〈
夜気に敵機の片腕が舞う中、〈
――――ここで確実に殺る。
瞬間、渾身の力で引き絞られた刀が間合いを捉えた。
もう一撃で殺れる。垂直方向へのGに意識を飛ばしそうになりながらも、
だが、足先は唐突に引き剥がされた。
激震。内臓を置き去りにするような横方向への加速度が、交通事故にも匹敵する衝撃で脳髄を揺さぶって行く。
「ぐ……っ!」
強烈な横殴りの衝撃に襲われたのだ。彼がそう理解した頃には既に、〈
ばさり、と広げた腰布が空気を捉える。
咄嗟の減速機動。両腕の袖布をも広げた機体は、空気抵抗で巧みに落下速度を殺すとしなやかに着地せしめていた。
「何者だ」
『まったく油断してしまいましたよ』
混乱の中で視線を上げた
街灯に照らし上げられたビル壁面には何本もの木々が張り付いている。まるで寄生植物たちがコンクリートに根を張っているような景色は、紛れもなく呪術で作り出されたものだ。
それだけではない。
暗い屋上に陣取った〈
「まさか、その傀儡全てを
『確かにそうとも呼びますね。これは呪操槐兵が出来上がるよりも前、人に似せた神木そのものを操っていた頃の古き呪術です。木の鬼、
同じモノは、確かに
一年前の呪物回収任務、踏み込んだ神社の中で使った死者を辱める呪いの一つ。7.62mm
今、目にしているのも、それと全くの同原理の術だった。しかし、生身の人間が扱う呪術とはまるで規模が違う。
『神呪兵装
イチイがそう叫ぶのと同時に、数十体にも及ぶ木の鬼たちは一斉に動き始めていた。
狙いは〈
ぎこちない足取りで駆け出した木々は、たとえ民家を潰しても気にする素振りなど見せない。土ともコンクリートともつかない粉塵を巻き上げ、電線を引き千切る度に漏電の火花を散らすまま、こちらを目指して突き進んで来る。
『槐兵とは呪いをその身に宿す者、なのに木刀を振り回す事しか出来ないとはなんと嘆かわしい姿か。この醜態、ミケもさぞお怒りのことでしょう』
夜の街を進軍するのは呪われた鬼の群れだ。
闇に沈んで然るべき丑三つ時の街には、ちらちらと光が瞬いた。
――――こいつ、市街地で! 正気なのか。
なればこそ、すぐにでも決着をつけなければならない。
ちらほらと灯りが点き始めた街に、漆黒の槐兵が繰り出していった。
最速で奴を殺す。
〈
ぶわり、と吹き荒れるつむじ風。
道端で辺りを見渡す人々のすぐ傍を、全高10mもの人型が走り抜ける。時速数百km/hもの速度でアスファルトに振り下ろされる足先は、突風だけを残して音も無く過ぎ去っていた。
『ミケよ、私は今度こそ失敗致しません。このイチイ、10年前よりひたすらに研鑽を積んで参りました!! 今度こそ、今度こそっ!』
「貴様、ここで何をした!」
『スカイツリーを依り代としてこの世に呼び出したのですよ、ミケを! そして今度こそ私は
隻腕の〈
イチイは数十体もの木人形を操るのと同時に、何らかの召喚呪術をたった一人で執り行おうとしているのだ。事前調査が正しければ、それは『奇蹟の人型』なる何らかの呪物である可能性が極めて高い。
とても人間業とは思えない。
――――奴は何を呼び出そうとしている!
〈
至るところで民家の屋根を突き破り、次々に住宅街で伸びて行く木々。敵の周囲一kmほどが森と化していく光景に、
恐らくは呪いに侵された住人たちが、木へと変えられたのだ。
信者ならまだいい。イチイの大呪術に巻き込まれた生贄の数は、無関係な民間人を含めれば既に数百人は下らない。
「関係のない人々を巻き添えにして……ミケとやらを呼び出したのがそこまで誇らしいのか! 貴様は……!」
『はい、勿論です。今宵はミケが見守っていて下さいます。邪魔が入りましたが、再び始めようではありませんか』
恍惚と宣言するイチイの術式は止まる気配がない。空中に浮揚した〈
ちょうどミケの方角だ。
「逃げるな」
黒い砲弾と化した機体は闇に溶け込み、不可視の暴風となって街を突き進む。これ以上、亡き娘のような犠牲者を増やす訳にはいかなかった。
刀が閃く度に倒れていく木人形、漆黒の槐兵が通った後には木片ばかりが宙を舞う。
――――東京であんな事が起こったせいで、かなえも……!
自らが斬り伏せた敵を省みることも無く、〈
呪操OSに支えられる剣筋は、この上なく冴え渡っていた。そして、この機体には
それは〈
前はわずか一秒しか発動できなかったOSに頼ろうとする、それがどれ程のリスクなのかは分かり切っていた。それでも他の手段など思いつかない。
「やはり奴を止めるには……!」
神呪兵装に対抗できるのは、神呪兵装だ。
しかし、確実に仕留めなければ返り討ちは避けられない。この数の敵に囲まれた状態で使うのは、あまりに無謀だった。
しかし、しかし――――
恐るべき速度で操縦桿を弾く
『
「犬山か、今は〈
『なら、進路上の公園で合流しろ。今、こちらで槐兵用の武装を運んでいる。調整が遅れて済まなかった』
「今下がったら、奴はどうする! このままだと逃げられるぞ」
『……現地でマッチングを行う、急げ』
有無を言わさず打ち切られた通信。
跳躍。助走をつけて飛び上がった〈
犬山は、恐らくそこにいる。
高速道路を下って来る車輛を目にした
ほどなくして、公園には十tトラックが進入して来た。
柵をなぎ倒して突入してきた車輛は、ライトさえ点けないままぎぎぃと公園中央で停車。降霊を解いた〈
「犬山、こいつには何が載せてあるんだ」
コックピットハッチを開いた
すぐ下に見えるトラック荷台は布で覆い隠されていた。頼りない街灯が浮かび上がらせる起伏を指差し、犬山はその何たるかを告げる。
「
「正気か?」
イチイの古き呪術を目にしてしまえば、今夜はもはやこれ以上驚くこともあるまいと思っていた。
しかし、それはあまりに楽観的な見方だったのだと、
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