ep11/36「解呪領域《キルゾーン》」

 ステージの上に立っているのはイチイと、木質化を始めた死体が一つ。どれだけ目を凝らしても他に妖しき影など見当らない。

 それでも幻也げんやは確信していた。

 全高10m近い巨人が、今そこにいるのだ。

 それも恐らくは、呪いに長けたイチイが操る第二位の槐兵。見えているはずなのに感知できない槐兵は、生身の人間にしてみれば怪異以外の何物でもない。


 だから、居場所も分からぬままに潜まれるよりはよほど好都合だった。

 確実に葬るべきは、イチイとその専用槐兵なのだから。


 ――――手間が省けたな。


 初めの男が首を刎ねられたのを皮切りにして、信者たちの生贄はぽつぽつと続いて行った。四人、五人、そして十人を数えた頃になると、ステージ上はちょっとした林のように緑が生い茂る庭と化していた。

 幻也ゲンヤは時刻を確かめると、その場で静かに立ち上がる。


 ――――いよいよか。


 視界の端では、既に配置に着きつつある部隊員の影が見えた。

 全ては事前の打ち合わせ通り。信者たちに気取られぬように選ばれた射点は、ステージ上をキルゾーンに設定しているはずだった。

 礼拝の間だけはイチイも孤立せざるを得ない。

 しかも、都合が好いことに槐兵までもが傍にいる。

 そこを狙うのだ。


 しかし、イチイが結界を構築していないはずがない。

 すぐ傍まで接近して、イチイの結界を妨害するチャンスは一度。幻也ゲンヤは周囲で湧き上がる拍手に包まれながら、懐に仕込んだナイフの刃先に指を滑らせる。

 指先から流れ出す血液は、コートの内にじわりと染み込み始めた。


「かなえ、パパも行って来るよ」

「えっ」


 かなえが浮かべる驚きの表情は、すぐに寂し気なそれへと変わる。咄嗟に服の裾を掴んだはずの小さな手は、しかし、そのまますり抜けて幻也ゲンヤを引き留めるに至らない。

 行かないで。潤んだ瞳はそう訴えかけている。


「かなえは、目を瞑っていてくれ」

「……はい」


 幻でしかない彼女にこんなことをさせても、意味がないのは分かっていた。それでもこれから起こる事は見せられない。

 律儀に両手で顔を覆ったかなえに微笑み、幻也ゲンヤは歩き始めた。拍手に送り出されるまま壇上へ、そしてイチイの下へ。


 ステージ上に設けられた段差を踏み越えれば、そこから先はイチイの結界だ。首を刎ねられた死体が変化した木を潜り、幻也ゲンヤは老人の前で膝をつく。

 イチイは、号泣していた。

 理解が及ばない。抱擁するように手を広げた老人を前に、幻也ゲンヤの思考は一瞬止まりかける。


「あなたの目は、救いを求めている目だ。おぉ、なんと哀しい……」

「俺が救いを?」

「その通り。あなたは何かを喪ったのですね、ミケが私に教えて下さいます」


 ――――何かを喪った、だと。


 途端に腹の底で、何かがのたうち回った。

 こいつらさえいなければ、と握り締めた拳に血が滲む。これまで見て見ぬ振りをして来た怒りが、呪詛のように心臓を締め上げて視界を血走らせていた。

 イチイはそっと杖を振り上げると、哀れみに満ちた視線をよこして来る。


「しかし、苦しみはもう終わります。さあ手を合わせて」

「イチイ様、最期にお聞きしたいことがあるのです」


 幻也ゲンヤは言葉を遮りつつ、指先を床になすり付けた。

 皮膚を傷つけるという行為は、それ自体が既に効力を生んでいる。

 生膚断いきはだたち神代かみよの時代に定義された――古くは日本書紀にも言及が見られる――極めて古い罪の一つだ。


 結界の内側で罪を犯せば、イチイの領域は穢されるより他にない。呪術師たる幻也げんやが行えば、その効果は更に高まる。

 あとは時間稼ぎさえ出来れば、結界術は破綻するはずだった。


「生きることは移り行くことだと、イチイ様は仰いました。それならもし十年前に縛られ続けている男がいるとしたら、彼は生きていると言えるのでしょうか」

「その方は既に死んでいるのでしょう。生きている意味はありません」

「そうですか……失礼」


 幻也ゲンヤはおもむろに立ち上がると、懐から煙草を取り出す。

 それが合図だった。直後に鼓膜を殴り付ける発砲音。イチイ目掛けて撃ち込まれた7.62mm徹甲弾の雨は、次々にその身体をすり抜けてステージ床に数百もの穴を開ける。

 失敗だった。

 銃声が轟き始めた礼拝所には、徐々にパニックの波が広がって行く。イチイはゆらゆらと陽炎のように薄れ行く身を起こしながら、銃声が発せられた射点の方を見つめていた。


「儀式を無下にせんと企む輩には裁きを下さねばなりません……そうです、そこのあなたです、私と目が合いました・・・・・・・ね」

「――――マズい、えにしを切れ!」


 イチイが見つめる先に居るのは、今しがた銃撃を終えたばかりの部隊員の一人。咄嗟にその場を後にしようとした彼は、しかし突如として脳漿を弾けさせていた。

 撃った/撃たれた。

 二人の間に結ばれていたのは、たったそれだけの因果に過ぎない。弾道を介して結ばれたほんの微かなえにしを手繰るように、イチイは返し矢・・・の代わりに弾丸を返したのだった。


「古事記にも記されていますが、呪術師に不用意に弾など撃ちかけるものではありませんよ。返した弾は……必ず命中するのですから」


 イチイが指差す先では、弾を撃ち返された部隊員がいとも容易く倒れていった。逃げても弾からは逃れられない、返し矢カウンター・スナイプによる必中の弾道が次々に隊員たちを撃ち抜いて行く。

 それも必要充分な呪術防護策を施したはずの呪術師たちが、だ。


「現代の呪術師などかくも脆きものです」

「無茶苦茶なッ!」


 呪術師としての次元がまるで違う。敵う相手ではない。

 幻也げんやは背筋に走る悪寒を払うように、拳銃を抜き放った。

 一射ごとに縁切りの祝詞を唱えつつ発砲。噴き出す発射炎がストロボのようにステージ上を照らし出し、近距離から浴びせてやった弾丸はあやまたずイチイの頭部を貫いて行く。


 だが、やはり効果は無い。


 結界に穢れを持ち込んでもなお、術を解呪し切れていなかったのだ。

 イチイは本来よりも少しズレた位置に、自らの姿を認識させているに違いない。本来ならば数十人規模の結界を併用する高難度の幻惑術の一種だった――――が、イチイはいとも容易く発動してみせている。

 そう悟った幻也ゲンヤはじりじりと後退しつつ、うまくもなさそうに紫煙を吐き出していた。

 その姿に、敬虔な信者を装う素振りはない。


「おや、煙草はいけませんね。戒律に反していますし身体に悪い……それとも既に呪われている身だから平気という事でしょうか?」


 我先にと出口に殺到する信者。ただならぬ悲鳴と銃声が木霊する場所にあってもなお、イチイは豊かな声で語り掛けて来る。いつしか彼の周りで燃え始めていた札からは、次々に漆黒の影が羽ばたいて行った。

 指に導かれるがままにイチイの肩にとまったのは、この世ならざる三本脚の鴉だ。

 日本神話にも語られるその霊獣の名は、八咫烏やたがらす。高位の霊獣を何十羽という規模で呼び出し、意のままに侍らせる男の姿は、まさしくこの世ならざる超越者を気取っているかのようだった。


 ――――神代の呪術師にでもなったつもりか。


 呪術師としての腕はまさしく化け物。そんな得体の知れぬ老人を前にして、幻也げんやはようやく気付いた事があった。

 どうしようもなく、許せない。

 あの時手を離してしまった自分が、

 何も知らぬままに十年を過ごした自分が、

 十年前の東京に戦火を持ち込んでおきながら今この瞬間も呼吸をして口から訳の分からない教義を吐いている聖者気取りのこの男が――――許せない。


「……全ての魂は杜へ還る、とか言ったな」

「はい、全ての命は杜に還って土となります」


 自分はかなえに償いたくて生きてきたのだ。

 だから、こいつにも償わせなければ。

 この染み付いた後悔こそが、決して解けぬ呪いなのだと気付いた。イチイという規格外の呪術師を前にしてさえ、恐れはどこか遠くへ溶け去って行く。

 視界を埋め尽くさんばかりの八咫烏が、二人の間を横切った。


「なら、俺が今すぐに土に還してやる」


 犬山製の煙草を吹かし切れば、ステージ上には赤い花吹雪が渦巻き出す。ほんの一秒にも満たない時間の中で、幻也ゲンヤは胸に誓っていた。

 関わった者は全てこの手で葬り去る。

 それこそが、守れなかったかなえへの償いだと。


「来い、〈御霊みたま〉!」

「来なさい、〈氷雨ひさめ〉」


 瞬間、何羽もの烏が死体となって千切れ飛び、辺りに漆黒の羽が舞い上がる。壇上では見えぬ刃が交錯し、無音の衝撃だけが屋内を駆け巡っていった。


 姿は無論の事、音さえも認識できない巨人同士の打ち合い。余波で幾つかの天井照明が砕け散ったのか、辺りはちらちらと明滅し出す。

 やかましいほどに騒ぎ出した八咫烏の群れを散らしつつ、見えざる巨人同士は遠隔操作されるがままに初段を撃ち込み終えていた。

 まだ起動し切っていない〈御霊みたま〉は、そこで動きを止める。


 ――――結局はこうなるか!


 幻也ゲンヤは花吹雪の只中から現れ出た愛機へ走ると、コックピットに飛び乗った。すぐさま機体の銅鏡とリンクさせた視界には、〈御霊みたま〉の目の前に立ち塞がるもう一機の槐兵が映り込む。


『公安霊装の犬は嫌いですよ』

「イチイ!」


 暗殺作戦は槐兵による実力行使へとシフト。二機は真っ向から対峙する。

 丑三つ時、墨田区にて熾烈なる槐兵戦が始まろうとしていた。

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