ep3/36「開幕、現代呪術戦(後編)」

 女が一心不乱に唱えているのは、贋作の祝詞デザイナー・スペル

 一時期流行した脱法ドラッグと同じように、古来より伝わる祝詞のりとの有効節だけを抜粋して滅茶苦茶につなぎ合わせた呪いの羅列だ。

 強力な反面、不安定極まりない。


「無力化しろ!」


 詠唱を止める為に喉元を撃ち抜く。口元からごぽりと血が零れ出す。だが、女は自らの血に溺れそうになりながらも、なお呪言を唱え続けていた。

 次に太腿、膝下を撃ち抜くも、やはり止まらない。

 何らかの呪術を行使しているだけではなく、密造薬物をも服用して降霊トランス状態に陥っているようだった。


 こうなってはもう、何が起こるか分かったものではない。

 否、女が呪詛を重ねる度に芽吹いて行く草々を見れば、呪詛の中で最も危険とされる類の術式が熾されつつある事だけは分かった。


 第一級木質化感染呪術。

 ――――またの名を『エンジュの呪い』。


 農耕文化を背景に発達して来た神道系呪術が、古来より発達させてきた呪術の一つだ。植物を操る、その一点に特化するゆえに極めて汎用性が高い。

 解呪困難、しかも感染性の呪術が、今まさに目の前で発動しようとしている。そんな事実を考えるだけで、幻也ゲンヤたち訓練された精鋭たちの額にもじわりと汗が滲んで行く。


 そして女の濁った目元からは滴が零れ落ち、口元が痙攣する。

 「こ、ろ、し、て」と。ほんの微かに動いた唇が、確かに口元をそう形作っていた。


「……動くなよ」


 直後、額を撃ち抜かれた女は倒れていた。全ての苦しみは無に帰っていた。そして死体の周りからは、爆発的な勢いで茂みが吹き出して行く。

 初めから、自爆用の呪詛爆弾だったのだ。

 口の中に広がる苦さは、努めて忘れようとする。幻也ゲンヤは腰に手を伸ばすと、今まで使っていなかった弾倉マガジンを取り出していた。


「周りの死体を撃て!」


 穢れを封じ込めるために巻き付けられた封印を破り去れば、アサルトライフルの薬室には或る特殊弾頭が装填される。

 7.62mm呪装徹甲弾フルスペル・ジャケット

 周りの死体へ弾を撃ち込み始めた途端に、異様な音が響いて行った。パキ、パキリと着弾の衝撃ではねた死体が、次々に木質化して行くのだ。


 祟りだった。

 百年を経て付喪神が降りた神木を切り倒し、八百万の神々を辱めて作り出される呪物こそが7.62mm呪装徹甲弾フルスペル・ジャケット

 神木の祟りによって汚染された死体は、やがて呪われた木の人形となって立ち上がって行く。


「発動する前に封じろ!」


 公安側に操られた木人形たちは、臨界寸前の呪いを溜め込んだ死体に覆い被さり始める。一つ、三つ、六つ、何重にも被さった木人形が女を封じ込める。

 直後、死体は一瞬の閃光を放つと、あっけなく沈黙していた。


「やったか」


 思わず安堵の息が漏れる。幻也ゲンヤはじっとりと滲んだ汗を拭おうとしたが、目元を覆うゴーグルに阻まれて失敗に終わった。

 後で除染が必要になるはずだが、木質化の呪いは最小限に食い止められていた。沈黙した死体たちは、今や拝殿の中央で巨大な種子のように固まっている。

 あの、操られていた女を押し潰すように。


 ――――考えるな。


 喉元から込み上げて来る苦いものを、飲み下す。

 すると、視界で何かが動いた。

 物陰から飛び出して来た男が一人、立ち止まった幻也ゲンヤに拳銃を向ける。両者の姿は瓜二つ。

 追い詰められて焦ったのか、男は幻也ゲンヤの姿へと化けていた。


 ――――あの女を操っていたのは奴か。


 男へ一斉に向けられていた銃口は、呆れるように降ろされる。隊員たちは一斉に背を向けると、次なる指示を請うて歩き始めていた。

 幻也ゲンヤもまた、それに続く。

 そして背後を振り返ることもなく、その場で抜いた拳銃を振り上げる。


 発砲。あらぬ方向へ放たれた弾丸は、複雑怪奇な跳弾を繰り返した後、吸い込まれるように男の側頭部を吹き飛ばしていた。

 ぐぇっ、という奇妙な悲鳴が上がる。首から下が跪くように倒れた。


「三流が」


 なまじ本人に化けようとするから、必然的にえにしを作ってしまう。

 えにしとは、物事を繋げようとする因果律だ。一方が弾を撃てば、因果をも捻じ曲げて弾はもう一方に引き寄せられる。

 だから、本来ならその場で殺した者に化けるのが鉄則だった。

 三流のやることだった、何もかも。

 いつにもまして酷い後味が全身に広がって行く。


 今度こそ制圧は完了。

 後続班へ任務を引き継ぐまでは待機を継続、その後はようやく帰還となる。

 幻也ゲンヤは防弾ベストの内に仕舞った写真に手を当てると、ありがとう、とだけ呟いていた。


 ――――こんな俺でも、守ってくれるのか。


 あの三流呪術師と自分は、まったくの同類だ。

 死体を弄び、呪いに手を染め、外道と成り果てた自分でさえもかなえは守ってくれているのだと。呪術戦を生き残る度、彼にはそう思えてならない。

 しかし、まだ終わりではないと彼に告げる声があった。


『総員、任務を継続せよ』

「任務?」


 任務が途中で追加されるなど、よくある事だ。

 だが、今夜は何かが違う。無線機から届けられる抑揚のない声には、ひどく不安を誘う響きが込められていた。


『奥へ進め、本殿で呪物を回収せよ』

「呪物とは?」

『現地で判断せよ。本殿では呪装の使用を禁止する』


 ――――そんな命令は、聞かされていないぞ。


「……了解。任務を続行する」


 何を回収すれば良いのかさえ分からないままに、隊員たちは神社の最奥を目指して歩き始める。

 普通、神社で最も目立つ建造物といえば、礼拝を行うための拝殿だ。敷地をさらに奥へ進んでいけば、御神体を祀っておくための本殿が控えている。

 そんな本殿で回収すべき呪物といえば、御神体・・・としか考えられない。現状の装備では対処し切れないモノである可能性は、充分にある。


「解呪処理班も無しで、御神体を回収するのか……?」


 ざっざっ、と五名の足が砂利を軋ませて行く。幻也ゲンヤは神社最奥に佇む建物へ近付くにつれ、胸騒ぎを抑えられなくなっていった。

 緩い下り坂を歩むにつれ、不吉な高鳴りが止まなくなる。


「ここか」


 一軒家と大差ない大きさの本殿を見上げながら、幻也ゲンヤは呪装弾を込めたアサルトライフルを構える。仏教伝来以前から存在する古いタイプの本殿、大社造の本殿の正面扉に、隊員二名がそれぞれ手をかけていた。

 ゴーグル越しに視線を交わす。

 直後のハンドサインが、突入の合図となった。


 ――――突入開始。


 勢いよく開け放たれた扉に向け、銃口をブレさせることなく接近。人影を見つけたなら即座に射撃可能な態勢のまま、男たちは影のように内部へ入り込んでいた。

 クリアー。動く者の気配は一切ない。

 初めから敵はいなかったらしいと分かると、幻也ゲンヤ暗視装置ゴーグルを取り去っていた。代わりにライフルに備え付けられたライトを点灯、他の隊員たちもライトを点けると五本の光線が狭い室内をまさぐり始め――――





 居た・・





 少女が、居た。

 本殿の中央にそびえる太い木柱と一体化するように、写真・・に映っていた当時のままの彼女がライトに照らされていた。

 上下に細かく揺れ動く光線は、我知らず震え出した幻也ゲンヤが向けているものに他ならない。両目を見開き、乾き切った唇を震わせながら、彼はもう一度会いたいと願っていたその寝顔に向けて言葉を絞り出す。


「かなえは……かなえは、十年も前に死んだんだぞ」


 他の隊員がいることなど、頭から吹き飛んでいた。

 幻也ゲンヤは光に吸い寄せられる羽虫の如く、ふらふらと脚を踏み出して行く。かなえがそこにいる、かなえが、かなえが、居る。そこに居る。


「どうしてここに!」

「あああああぁぁッ!」


 その時、背後で上がった絶叫が、ふらふらと無自覚に歩み出す幻也ゲンヤの脚を止めていた。

 何事かと振り返ってみれば、床に転がった他の隊員たちが苦悶に顔を歪めている。思わず駆け寄ろうとした彼は、しかし、パキ、パキリという音を耳にすると眼下で絶叫する男たちから距離を開けていた。

 間違いない。エンジュの呪いだ。


『呪物を回収せよ』


 再び無線機から聞こえて来た命令に、一切の変更はない。

 幻也ゲンヤは腰から拳銃を取り出すと、もう手の施しようがない隊員たちに銃口を向ける。

 体内から木質化が進行したら救うことは叶わない。一発、二発と銃声が響く。今まさに体内から皮膚を突き破られつつある男たちを、彼は一人ずつ苦しみから解放していった。

 視界が揺れる、頭がひどく痛み始めていた。


『繰り返す、呪物を回収せよ』

「そんなこと出来るか!」

『繰り返す、呪物かなえを回収せよ』


 頭が痛い。

 鼻孔に飽和する血の香り。狂っているとしか思えない命令を耳にしながら、幻也ゲンヤは徐々に薄れて行く意識の中でかなえに歩み寄る。

 穏やかな表情で瞼を閉じる彼女は、視線の先で僅かに肩を上下させていた。何度も見守ったはずの寝顔が思い出されて、思わず胸が潰れそうになる。


 ――――これは何だ。


 理性はそう問うているはずなのに、勝手に指が伸びてしまう。抗う理性を振り切って、言葉は勝手に口から零れ出していった。

 たとえ幻だろうと、構わなかった。


「……かなえ、帰ろう」


 このまま彼女と家に帰れたなら、止まっていた時がようやく動き出すような気がする。妄執と分かっていてもなお縋り続けた願いは、身体を勝手に突き動かしていた。

 十年越しに出会えた娘を、かなえに瓜二つの何者かを、幻也ゲンヤはただ抱きしめるように手を伸ばしていった。

 そして、遂に指が触れる。

 途端に喉が潰れるほどの叫びが、彼の口から吐き出される。


 激痛。あまりの刺激に明滅し始めた視界の中で、幻也ゲンヤはほとんど意識するともなく拳銃を頭に当てていた。

 が、弾切れだ。

 もし、今すぐ楽になれるのだとしたら、躊躇いも無く引き金を引いていただろう。そう思えるほどの激痛が眼窩を抉るように波打ち、神経を1mmずつ切り刻んで行くように全身へ広がって行く。

 何ということは無い、彼にも遅れて槐の呪いが効いて来たのだった。


「……かな、え!」


 全身を痛みに苛まれながら、幻也ゲンヤはなおも木に侵されたかなえに向けて手を伸ばして行く。

 そして――――錯覚だったのだろうか。

 幻也ゲンヤが精一杯伸ばした指の先で、眠りについていたはずの彼女がもぞもぞと動き始める。頭には花かんむりのようにシロツメクサが花開き、一糸纏わぬ身体からはまるでワンピースか袈裟のように葉が芽吹いて行く。


 白く退色した艶やかな長髪も、緑に透き通った瞳も、記憶とは違う。

 違うというのに、それ・・はかなえだと感じた。


「パパが……今度こそ、守るから……」

「――――ぱぱ?」


 死んだ妻に会うため、死者の国へ踏み入った男がいるらしい。

 しかし、幻也ゲンヤは、死した娘を前にしても微塵も恐ろしさを感じていなかった。興味深げにこちらを覗き込むかなえが手を伸ばして来ても、ついぞ逃げ出そうなどとは思わなかった。


 ようやく会えたのだ。

 この世ならざる者と成り果てたかなえに。

 幻也ゲンヤは呪いに侵される痛みで遠のく意識を、奇妙な安堵感の中で手離していた。今宵は遂に、死者の国へ足を踏み入れてしまったのかも知れなかった。

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