ep2/36「開幕、現代呪術戦(前編)」
やや色褪せて来た写真には、笑顔の
ちょうど7才の誕生日パーティーを切り取った写真の中で、彼女はいつだって満面の笑みを絶やさない。
「ごめんな。今日は遅くなりそうだ」
男は、これまで何度見つめたとも知れない写真を防弾ベストの内に仕舞い込むと、
かなえには笑顔がよく似合う。
だからもう少しだけ、その輝くような笑顔を見ていたかった。
――――俺は、何処へ行けばかなえに会える。
会いたいと願っても、写真の中の彼女は何も答えてくれない。
『
「了解」
じっと息を潜めたまま、
月光さえあれば充分だった。肉眼では何も見えないほどに濃密な夜闇は、ほんの僅かな微光に照らされれば昼間のように明るい。
深夜零時の暗闇。神社の境内には十人近くの特殊部隊員が潜んでいた。
『B班、配置完了』
『A班、配置完了。待機を継続する』
警視庁公安部 重呪術犯罪対策本部 公安霊装捜査隊。
俗に『公安霊装』と呼称される対呪術犯罪のエキスパートたちは、今、廃れて久しい神社を制圧しようとしていた。およそ2027年とは思えぬ
「ここから先は霊障により電子機器が正常に動作し辛い。各員、使用は最低限に留めよ」
霊魂の類が漂う場所ではハイテクほど役に立たない、それが現代呪術戦の常識だ。
故に
隊員たちは揃えた指を小さく掲げ、一斉に印を切る。
「同期、
脳内で思考を交わせるよう、隊員間で相互に呪詛がセットされる。
そして銃の安全装置を解除、初弾装填済み。アサルトライフルを構える
『――――突入開始』
疾走。
脳裏に響く命令を耳にした途端、
走る間にも、
まだこちらが動き出したと気付いていない信者が一名、手にしたサブマシンガンで歩哨よろしく歩いている。
――――この距離ならば外しはしない。
発砲。頭蓋を貫かれた信者は膝から崩れ落ち、玉砂利に脳漿を散らしていった。
途端に社屋から撃ち返されて来た火線を避けつつも、仲間の援護射撃が発射元を撃ち倒して行く。
事もあろうに重火器で武装した信者たちを、黒ずくめの男たちが無駄弾も撃たずに沈黙させていく。
状況は想定通りだ。
地域拠点として使われていた世田谷区のとある神社の敷地内に、武装、ならびに呪装した新興宗教教団の信徒が立てこもっている。
事前情報に間違いはない。
『総員、拝殿の制圧を開始せよ』
「了解」
再び疾走。クリアになった参道を突っ切り、
侵入口は、あった。
拝殿の脇にある通用口に、隊員の一名が装備していたショットガンを向ける。発砲、砕け飛んだ錠前を抉じ開けて次々に隊員たちが内へと雪崩れ込む。
まるでストロボのように、間断なく銃火が弾けた。
だが、交わされているのは銃弾だけではない。
この時既に、対人呪術戦の応酬も熾烈を極めていた。
形代として呪いを引き受ける、人型札の原理は藁人形と同様だ。
まるで人魂のように人型札が燃え散り、千切れる。この拝殿に充満しつつある呪いの密度を思えば、思わずゾッとするほどだった。
「アマノミカゲヒノミカゲトカクリマシテヤスクニトタイラケクシロシメサムクヌチニナリイデムアマノマスヒトラガアヤマチオカシケム……」
断続的な銃声、戦場に絶え間なく流れ続ける
現代呪術戦の奏でる音色に浸りながら、彼は引き金を引き続けた。
訓練された人間を呪い殺すには、相応にコストがかかる。その点、殺すだけなら現代兵器は遥かに安上がりで済むのだ。
撃たれれば誰でも死ぬ、そんな真理が血潮となって視界を染める。
――――
殺意と銃弾と呪いが飛び交う戦場で、視界に入った相手をサイクル通りに撃ち殺して行く。敵の頭を、鼓動する心臓を、この手で撃ち抜く度に暗視スコープの向こうには白い飛沫が散らされる。
脳内麻薬が
――――ああ、まただ。
こうして死線をさ迷っていれば、あの世とこの世の境がぼやけるような感覚に陥る。性的快感に限りなく近い、爬虫類的快感が押し寄せて来る。
それもこれも、戦場に身を置く兵士ならば珍しくもない。
脳内麻薬がもたらすある種の逃避作用に過ぎない。
だが、こうしている間だけはあの世へ足を踏み入れられそうな気がしてしまう。
いつかはかなえにも会えるのではないかと、そんな狂気に心を動かされるになったのは、何人を呪い殺した頃からだっただろうか。
自分自身が分からなかった。
照準器越しに次なる狙いを定めようとした時、
――――掠ったか!
肌すれすれを掠めて行ったのは至近弾、それもただの弾では無い。強烈な悪寒が肌を抉ると、
呪装弾による狙撃だった。
一体、カルトの信者共が何の呪いを込めていたかは知らない。ただ、髪一本でも触れていれば、今頃は臓器不全で呪殺されていたに違いなかった。
「……ッ!」
ほとんど思考から切り離された反射で、高所から撃って来た敵兵へ弾を浴びせてやる。数秒後には、何か柔らかいモノがべちゃりと床を汚す音が聞こえて来た。
息を吐く、撃ち返す。
ケブラー繊維製の防弾ベストに内張りされた神符が無ければ、先ほどの狙撃で内臓を食い破られていたとも知れない。
「予想よりも、数が多いな」
「退避!」
退避開始。
彼の意図を汲んだ隊員の一人が、背後でかちりと手榴弾のピンを抜き放つ。
そして、絶妙のタイミングで投擲した。
――――起爆まで三秒。
札を張り付けられた手榴弾が放物線を描く。
――――起爆まで二、一。
かんっ、と金属殻が床に打ち付けられる音が響く。
そして起爆。
敵方で上がった悲鳴を爆音がかき消す。半径十mに亘って撒き散らされた鉄片が肉を裂き、同時に起動した術式は得も言われぬ鳴き声を轟かせる。
轟音が収まった頃には、飛散した鉄片で致命傷を負った者の呻き声と、辛うじて生き残った敵が奥へ退却していく足音が聞こえ始めていた。
「前進」
前進を始めた隊員たちに交じり、
信者たちの防御陣地に向けて投げ込んだのは、
起爆したが最後、犬神が人間の耳から体内の臓器に侵入し、全身の肉を食い千切るような激痛をもたらすという代物だった。
見渡せば、中には壁越しに死んだ信者も転がっている。
霊獣による呪殺相手に、物理的遮蔽など何の役にも立たない。ゆえに屋内戦闘ではこの種の手榴弾が好んで用いられる。
「敵防御陣地、クリアー」
撒き散らされた鉄片、そして犬神の効力でショック死した死体を跨ぐ隊員たち。
一旦、そこで足を止めた
三十秒後、床へ倒れ伏していたはずの死体が、ふらりと立ち上がって行く。
――――気持ちの良い光景じゃないな。
昔、死者復活の秘儀を執り行う礼拝所に踏み込んだことがある。カルトを相手にしていればよくある話だ。
死んだ息子に、娘に、恋人にもう一度会える。
そんな都合の良い言葉に踊らされ、理論化もされていない呪術を行おうとした哀れな者たちを何人も見てきた。
大抵の場合は、素人が何をやろうと何も起こらない。
たとえ運良く粗末な儀式が成功したとしても、
犬神によって呪殺された者特有の、犬の歯型を浮かび上がらせた死体の数々がぎこちない様子で走り始める。
現代呪術戦の常套手段は、質の悪いゾンビ映画と紙一重だった。
「前方、敵5。排除せよ」
無論、彼らとて生き返った訳では無い。
5.56mm弾頭ならば受け止め、機動力も確保された重量70kgほどの肉塊。死体は適切な呪いを掛けさえすれば、使い勝手の良い盾になる。
いつの間にか頭を砕かれていたらしい死体は、なおも盾として銃弾を受け止め続ける。ぶらり、ぶらりと垂れ下がる腕の腱は、
死体と肩を並べて走り、生ある者の命を奪って行く。
考えてもみれば、実に奇妙な光景だった。
ぴちゃり、ぴちゃりと浅い水面のように広がった血の海を走る。絶えることなく響き続ける
快感と恐怖。
生者と死者。
銃爪を引く度に、世界の境がぼやけて行く。
ほとんど考える事も無しに弾倉交換を済ませながら、
死んだ妻に会うため、死者の国へ踏み入った男がいるらしい。
名をイザナギ。彼は、黄泉の食物を口にし、この世ならざる者へと成り果てた妻を目にして逃げたという。
――――俺なら、どうするのだろう。
敵の眉間に弾を撃ち込みながら、考えてみた。
黄泉平坂を下って行った先で、もう一度会えたならと。
――――かなえの姿に恐れをなして、逃げ出してしまうのだろうか。
思わず身震いする。
いつか自分も死者の国へと降りて行った時、かなえを受け容れられないのではないか。そう思うだけで、これほど焦がれる再会の時がふいに恐ろしくなった。
走る
「止まれ」
制圧完了。ほぼ全ての敵を掃討し終え、静かになった拝殿の中を
今夜もやはり、黄泉へ足を踏み入れることは叶わなかった。
「拝殿、制圧完了。敵は全て――――」
「誰か来る」
まだ敵が居る。
ほとんど一瞬で戦闘態勢へ戻った隊員たちは、拝殿の更に奥、本殿の方から幽霊のように歩んで来る若い女を見つめる。
およそ二十代前半、武器を持っている気配はない。そして女が服を脱ぎ落とした途端に、
女はその場で服を落とすと、揺らめく炎の光に白い全身を晒していた。うっすらと浮き出た肋骨に影を落とす胸の膨らみ、滑らかに膨らむ腰から下腹部にかけて、蛇の入れ墨が彫り込まれている。
その瞳に生気は無い。たどたどしく歩みを進める足には、手錠を嵌められていたと思しき内出血の痕も見えた。
――――監禁されて操られているのか。
投薬、洗脳、そして呪術による制御。拉致されて来たのか、あるいは入信してからこうされたのかは分からない。今や脳機能を破壊された女には、ほとんど自意識も無いはずだった。
呪術を行使させられる生きた肉壁、それ故に対処しづらい。
「……カタトフルアカイズフラトオイスカミザオワス」
しかも、案の定だった。
呪術的文様を彫り込んだ全身の入れ墨、聞き慣れない詠唱。
女が歩いた跡から花が咲き出す、極めて危険な兆候だった。
「この女を殺すな……! こいつは、ヤバい」
華奢な脚で歩く瀕死の女を、誰も迂闊に止められない。
隊員たちの命は、今や風前の灯火に等しかった。
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