ep28/36「男、一編の幻なれば」

 かなえが寝付いた後に、都内各所に点在する〈神籬社ひもろぎしゃ〉の拠点を襲撃する。それが幻也ゲンヤにとっての日常となった。

 毎晩、毎晩、槐兵を駆って構成員を殺す。拠点を潰して行く。

 そして朝には帰った。かなえに敵が迫れば悟られぬように排除した。そうすることでかなえと居られるタイムリミットが削られて行く、たとえ死への歩みを加速させる行為に他ならないとしても止まれない。

 教団がかなえを狙っているのなら、命が尽きる前にやるべき事があった。


「まだだ」


 ある初秋の晩、風にはためく腰布の音が夜気に溶け去って行く。送電鉄塔の上に佇む〈御霊みたま〉は、眼下で赤々と燃え盛る教団拠点を睥睨していた。

 今まさに灰となって崩れ落ちて行く施設は、渋谷区内に設けられていたアジトの一つ。敢えて誘い出した構成員にマーカーを施すことで割り出した、教団の武装拠点だった。

 だが、本命ではないようだった。


 ――――こんな施設は無数にある。幹部を殺らないと終わらない。


 夜露に濡れた〈御霊みたま〉の顔面を、音も無く凝結した滴が伝う。槐兵の表情無き顔をつーっと濡らして行った一滴は、やがて大気の底へ引き摺り込まれるように剥がれ落ちる。

 一体、これで何度目の襲撃だろうか。

 幻也ゲンヤは視界とリンクさせた銅鏡越しに、この手に掛けた死体の数々を見つめて行く。〈御霊みたま〉で殺して来たのはいずれも呪術師たち、まさに呪われた明日の我が身を見つめているようだった。


「それでも俺はやる、やってやる」


 かなえに降りかかる危険を1つずつ潰して行く。それがたとえ東京の全てを敵に回す事に他ならないとしても、止まる理由にはならないと己に言い聞かせる。

 敵を全て殺し切るまでは、死ねない。

 終わりを早める事になっても、止まれない。

 これまで殺し続けて来た者の数に比べれば、己の中に芽生えた願いの一つを殺すくらいは容易いのだと。そう信じて操縦桿を握り込む。


 ――――俺の命は、ただ一人かなえの為に。


 白み始めた夜景の向こうから、純白の煌めきを放つ機影が迫って来る。

 今さら見間違えようもない、因縁浅からぬ呪操槐兵〈影光ようこう〉の姿だった。〈御霊みたま〉は即座にその場から飛び立つと、ビル風に紛れるように戦場から消え去って行った。



 * * *



「またあの男を逃したのか、ボクは」


 東京都墨田区、元東京スカイツリー内部の教団本部にて。〈神籬社ひもろぎしゃ〉の社たる施設に降り立ったアラトは、仮面の奥で苦々しく吐き捨てた。

 アラトが歩み始めたのは、木で出来た洞窟のような空間だ。

 まるで造りかけのトンネルのような閉鎖空間には、絶えず詠唱が反響してじんじんと鼓膜を震わせる。


 ――――ボクは何をやっている。


 足を止めて振り返ってみれば、何十人もの呪術師たちに囲まれて〈影光ようこう〉が跪いていた。純白の南蛮鎧を纏う槐兵は、白漆を塗り込んだ装甲表面にてらてらと灯りを映り込ませている。

 つまり、ここは教団が保有する槐兵駐機場の内部なのだ。

 樹高600m超を誇る大神木〈御木ミケ〉にあいた樹洞を利用して、高度300m付近の幹には教団幹部専用機の格納庫が設けられている。


「アラト様、お休みになられては……」

「構うな」


 アラトは寄って来た信者を払いのけるように、その場を後にする。

 格納庫から伸びていた通路を抜け、螺旋階段を上がり、やがてとある部屋に辿り着いたアラトは扉を閉ざしていた。

 おぼろげな視界に、所せましと並べられた解剖台の輪郭が映る。灯りの一つも無い暗闇には歩く度に足音が木霊し、纏う袈裟には霜が張り付いて行った。


 室内温度は零下40℃。

 それでも隠せぬのは、微かな死臭。

 アラトは自らの顔に手を伸ばすと、ある解剖台の前で足を止めていた。そして脳裏に響き始めた声に応えながら、そっと白き仮面を外して行く。


『アラト、本部へ戻ったのか』

「サカキか」

『その様子では、また〈御霊みたま〉を逃したという事で良いんだな』


 サカキが今どこにいるのかは知らない。だが、今夜の失敗も早速伝わってしまっているようだった。


水鏡みかがみ幻也げんやによる襲撃は、ここ一ヶ月で二十回を数えている。呪操槐兵の奇襲を止めるのはほぼ不可能だ」

『公安攻略戦の時は役に立ってくれたと思ったんだがねぇ、鬱陶しい。早く娘を確保しなければ、〈森羅しんら〉はあのまま動かせない事になるぞ』

「分かっている。シロヒメ様を〈森羅しんら〉から引き剥がすには代わりに動かせる者が要る。それはあの水鏡みかがみ幻也げんやが連れている娘だけだ」


 未だに水鏡みかがみ幻也げんやの行方は知れない。一流の専門家が呪操槐兵を操るとはどういうことなのか、アラトはその意味を改めて思い知らされるようだった。

 呪操槐兵は対人奇襲、暗殺作戦において真価を発揮する。

 どこにも属さず、どこから現れるかも分からぬ槐兵を止めるというのは、東京全域に深く根を張る教団にとっても至難の業だった。


『既にこちらは数百人規模の大損害だ。だが、真に恐れるべきは物理的な被害なんかじゃない』


 やはりそう来たか、とアラトは悟る。

 サカキはトーンを落とした声で囁くように続けた。


『アラトよ、水鏡みかがみ幻也げんやが術を掛けつつある事に気付いているか』

「気付いているとも。槐兵による襲撃は知らぬ者から見れば災厄そのものだ。だから噂も立ち始めてしまう……これは教団への祟りではないか、とな」


 付喪神を降ろして神域へと踏み込む呪操槐兵の本質は、畏れられる者に成るという点にある。

 そして、既に〈御霊みたま〉の存在は怪異/都市伝説という形で噂が立ち始めていた。教団に降りかかる祟りそのものとして、あの黒き槐兵は誰にも正体を悟らせぬままに一つの怪異へと成りつつあった。


『真相が見えないから恐怖を呼び起こす。そして肥大化した恐怖は虚像を作り上げて、いつしかそれ自体が真実となって行く。人々の間で語られる内は消えることのない力だ』

「神への信仰そのものが、神の権威を造り上げるようにか」

『そうだ。あの男はまさにそれをやろうとしている。この噂が東京で広まれば広がるほどに人々は噂を語るだろう。そして呪術師でも何でもない奴らまでもが、無意識の裡にこの呪術に加担して、更に効果を強力にさせて行く』


 それはつまり、虚像で以て語られること。

 一つの伝説となって人々に畏れられること。

 一言で言い表すとすれば、それはまさしく――――


水鏡みかがみ幻也げんやは、この東京に物語・・を作ろうとしていると言い換えてもいい』


 怪異として語られた時点で、その本質は覆い隠される。

 人々に怪異として語られた者は、人ではいられなくなる。

 毎夜の襲撃そのものを儀式として、水鏡みかがみ幻也げんやという男は自らに極めて大規模な呪術を掛けているのかも知れなかった。

 畏るるは実体に非ず、語り継がれるまぼろしなり

 幻たる虚像で自らを鎧い、本質を葬り去るという深淵なる呪いを。


 ――――恐るべき奴だ。


 水鏡みかがみ幻也げんや

 そして呪操槐兵〈御霊みたま〉。

 教団にとっての脅威となりつつある存在を前に、アラトは復讐の意思を固め直していた。


「奴は、ボクがこの手で必ず滅ぼす」


 自らの手で外した仮面を、目の前の解剖台に横たえられた男へと付ける。そうして指が離れた途端に、アラトは糸が切れた操り人形のごとく倒れ伏していた。

 代わりに、仮面を据え付けられた男が解剖台の上で起き上がる。

 男は凍り付いた筋繊維を解すようにゆっくりと足先を伸ばすと、袈裟を纏って何事も無かったかのように歩き出していた。

 第三位教団幹部、仮面の男〈アラト〉として。


「ボクはまた行くぞ」

『移し替えたばかりで早速か。今度は俺も行こう・・・・・


 第一位教団幹部サカキが、出る。

 都内を水面下で支配する〈神籬社ひもろぎしゃ〉にあって、その言葉が持つ意味は極めて重い。アラトは今度こそ何かが終わって行く予感を覚えながら、再び教団幹部専用格納庫へ戻って行った。


『昨晩になってようやく、公安庁舎の跡から一つだけ復元に成功した呪物がある。それで必ず水鏡みかがみ幻也げんやを炙り出せる』

「サカキ、お前も呪操槐兵で出るのか」

『ああ、俺の〈天地あめつち〉の整備は整えてある』


 数分後、御木ミケの高度300m付近に設けられていた鉄扉が、軋み音を立てながら口を開けて行く。そして露わになった樹洞の中に、銅鏡カメラアイの赤い反射光が瞬いた。

 二機同時に・・・・・、だった。


『俺も乗るのは一年ぶりだが悪くない』

「後れを取るなよ、サカキ」

『誰に言っている』


 暗い樹洞の奥から抜け出した一機は、白き腰布を風になびかせる〈影光ようこう〉。その隣に並び立つのは、まるで全身に盾を取り付けたような威容を誇る茶色の呪操槐兵だ。

 両脚に取り付けられた装甲に至っては厚さにして20cmを下らない。更にその巨躯が携えるのは、2028年において未だ世界最大を誇るガトリング砲〈GAU-8 アヴェンジャー〉そのものだった。


 第一位幹部サカキ専用・呪操槐兵〈天地あめつち


 音も無く降り注ぐ月光の下で、〈天地あめつち〉は槐兵にあるまじき鈍い金属光沢を放っている。超重装甲、重火力、合金製装甲、どれをとっても掟破りの槐兵は、腰布を鋭く翻すと東京の夜闇へと飛び立った。

 〈影光ようこう〉も後に続いて飛び去って行く。


 水鏡みかがみ幻也げんやという名の幻を叩き潰す為に。

 公安無き東京にて、来たる決戦の時だった。

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