ep35/36「魔都の収奪者〈天地〉」
『逃げろ逃げろ
「何が手向けだ……!」
疾走。薄雲のようなヴェイパーコーンを纏う〈
執拗なまでに黒い槐兵を狙う火線の源は、一糸乱れぬ歩調で走る6機もの槐兵〈
「どれもサカキが操っているから、それぞれの弾道を示す為に曳光弾を使用しているな。呪術は……奴め、全く使わないつもりか」
故に厄介だった。
赤き量産型槐兵たちは、対呪術戦に特化した御霊対策として現代火器を装備しているに違いなかった。呪詛で木質化させられた改造対空機関砲が、電線から電線へと飛び移る〈
鮮やかに描かれる無数の弾道が、光の雨となって水平に降り注ぐ。
左右をビルに挟まれた大通りは、既に燃える蜂の巣と化していた。
――――もう3機は殺った。こいつらの相手をするだけならまだ……だが。
直後、辺りに盛大な土柱が立ち上がっていた。すぐさま電柱を蹴り出した〈
直後、音も無いままに電柱は引き千切られていた。
光る雨に割り込むように、鋭い劣化ウランの豪雨が降り注ぐ。
〈
『そんなビルごときが遮蔽物になるものか、アベンジャーだぞ?』
「く……ッ!」
連射を受けたビルの柱が瞬く間にやせ細り、遂には喰い千切られる。各国の主力戦車をも仕留めるという、世界最大の航空ガトリング砲が誇る威力は伊達ではない。
直撃を受けた小ビルが半ばから倒壊し始める。
大量の瓦礫が雪崩と化して大通りに流れ出て行く中、その轟音と粉塵に紛れるようにして〈
疾風となって駆ける巨人は、手頃な位置の〈
一閃、敵のライフルが宙を舞う。目にも留まらぬ速度で敵機の懐へ飛び込んだ〈
「貫けよ、〈
どん、という鈍い衝撃音が敵機の身体を震わせる。
赤い装甲を易々と打ち抜いた杭は、敵の腹をも貫いて背から飛び出していた。杭の周りからぼろぼろと腐り始めた朽ち木の槐兵は、木屑だけを残して崩れ落ちて行く。
――――これで撃破数は4。
木屑が舞い散る中、〈
大きさが10倍以上も違うだけで、イチイの礼拝所で配られていた種そのものだ。
「どの〈
〈
立ち上がりつつある敵機は
サカキに粉砕される前よりも、その数は増えている。
――――アベンジャーで株分けとは。
砕かれた木片から株分けされたことで、朽ち木の槐兵は数を増して行く。ガン細胞にも等しい無限増殖能を発揮する〈
神呪兵装〈
それら全てを一括で操っているのは、サカキの槐兵だ。
『公安霊装は陥落しイチイもいない。もう森羅の再起動を止められる者はいない……十年だ、俺は
耳をつんざくような轟音が全身を押し包む。全方位から浴びせられる鉄塊の嵐に、〈
たまらず跳躍。
嵐のような弾雨に逆らって黒い槐兵はビル壁面を垂直に走って行く。ちょうど90度だけ傾いた視界には、遥か彼方のスカイツリーが映り込んでいた。
「あの
『あれは二代目だ、初代の
「イチイが執心していた訳だ」
眼下を見据えた〈
着地、降り立ったのは8機の量産槐兵の只中だ。すぐさま抜き放った木刀はたった一振りで敵機を切り飛ばし、赤い前腕が、銃身が、あるいは頭部が、残心を極める〈
これだけでは〈
右腕に杭を伸ばした黒き槐兵は、そんな事は解っているとばかりに敵機の胸を刺し貫く。一機、更に続けてもう二機、抉り抜いた勢いのままに敵機を押し出す〈
――――これで残りは5機。このまま早くサカキを!
残りの雑兵は半分。
ライフルを抜き放った〈
横転しアスファルトを滑り始めたトラックは、その轟音と巨体で以て〈
『必死なことだな』
「装填完了、照準固定……
トラックを重し代わりにした〈
狙いは目の前の雑兵では無く〈
こうして戦っている内に敵機との距離は詰まっている、それこそが狙いだった。弾速を殺されないほどに近い場所から放たれた呪装徹甲弾は、あやまたずビルの上にそびえる敵機へ着弾する。
だが、効果は無い。
晴れ行く煙の向こうに現れたのは、神木製90mm弾頭の直撃を受けても煤けただけの〈
『近付けば貫徹できるとでも思ったのか、この機体が纏う
「この距離でも抜けないか。これではっきりしたな……!」
反撃とばかりに降り注ぐ劣化ウラン弾の雨が、横倒しのトラックをいとも容易く引き千切る。辛うじて射線から逃れた〈
――――やはり〈
第一位幹部サカキ専用呪操槐兵〈
それは本来ならば降霊を妨げてしまう金属を纏い、超重量を誇り、呪術の一切を使わないイレギュラーの槐兵だ。何もかもが槐兵らしくない。
故にあれは〈
――――呪術戦なんてものは端からやる気がないんだ。
神薙システムと
呪操槐兵を装い、対呪術戦へ特化した〈
呪操槐兵でありながら、対呪術戦へ特化した〈
違うとすればその一点でしかない。サカキの機体はあくまで槐兵でありながら、徹底的に物量戦と火力戦へ引きずり込む為の対呪術戦仕様に違いなかった。
「昔話は聞き飽きた、そんな槐兵に乗ってまで貴様は何がしたい。目的は何だ」
『たかが
「絵空事を!」
隙間など見当らない集中砲火をすり抜けるように、〈
ビルの屋上に陣取る〈
『元来、
「それならこんな騒ぎを起こす必要も無いだろうに!」
『いいや、意味ならあるさ。呪術は秘されてこそ意義がある。しかし秘されてばかりいると、民衆という奴は畏れることを忘れちまうんだ。神への信仰はただの形骸と化し、バックボーンを失った神像なんていうモノは、ちょっとばかし曰く付きのインテリアでしかなくなって行く!』
「その槐兵〈
跳躍。電線を蹴って天高く飛び上がる〈
いくら〈
目指すは〈
拭き上がるビル風に腰布をなびかせながら、黒き槐兵はほぼ一直線に敵機へ突っ込んで行く。手にしたライフルは既に装填を終えていた、リコイルマニューバによる軌道変更もいつでも可能だった。
――――隙を見せた瞬間に殺る、来い。
狙うべきは、敵機が撃ちかけて来るその一瞬。
その時、不意に皮膚を温められるような錯覚が走った。
全く予想外な方向に光が瞬くのを認めたのは、ペダルを蹴り出した直後の事だ。
「あれは」
目黒区上空を一条の光線が貫いて行く。
途端に〈
この出力のレーザー光を撃てる存在は、一つしかない。
「くそッ!」
背から煙を噴いて姿勢を崩す〈
続けて襲い来る第二波。
再び夜空を貫いたレーザー光は、しかし召喚された八咫烏の群れによってせき止められていた。一瞬にして烏が蒸発した煽りを喰らい、辛うじてレーザー狙撃を防ぎ切った〈
『今はあまりに多くの奴が神を忘れてしまった。だからこそ今この時代に再び神を具現させる必要があったんだよ、それこそが〈
「シロヒメはもう機体を動かせる状態じゃなかった。貴様は〈
『高く飛び過ぎると、俺の〈
俺は神に祈ったりなんかしない、続けてそう吐いてみせたサカキの声音には愉悦が混ざり始めている。ガトリング砲の掃射が〈
『ただしこんな時代だから、神は制御し得るものではなければならない。イチイはやり過ぎた、しかし奴は強過ぎてね。原理主義的に神を崇め、ありのままの姿で呼び出そうとしたばかりに、お前に消してもらう事になった』
「貴様、一体何年前からそうさせるつもりだった……」
『
イチイを葬り去る為の取引は、教団の総意だとアラトは語っていた。その裏に在ったのはサカキとアラトによる結託、そして古代兵器の復活を防ぎたかった公安側の思惑だ。
しかし、サカキの目的だけは少しズレていたのではないか。
――――何もかも謀ったように言ってくれる!
ビルの屋上から屋上へと駆ける〈
撃ち出された無数の劣化ウラン弾は、次々に人形札を消し飛ばして行く。
『盾にでもしたいのなら戦車の正面装甲でも持って来る事だな!』
「なら、お前で試してやるさ……仕込みには時間がかかったが、不用意に弾など撃ちかけるべきじゃなかったな!」
砲火から逃れていた〈
すると、30mmガトリング砲の七連砲身は唐突に火を噴き、触れてもいない砲身が連鎖爆発を起こし始める。それだけではない、敵機そのものに殺到する30mm劣化ウラン弾の嵐が分厚い装甲を打ち据えて行った。
『く……ッ、何をした!』
「返し矢だ」
それは
あくまでイチイが生身で行っていた事を辛うじて再現したに過ぎない。だが、相手がサカキのような三流の呪術師ともなれば話は別だった。
「返した弾は……必ず命中する」
瞬間、夜空に幾百もの弾道が一斉に浮かび上がる。その全てが人形札を撃ち抜いた弾頭だ。
壮絶な着弾の煙と衝撃が止むころを見計らって、〈
「喰らえ」
〈
眼下で砲火に晒された敵機に、避ける術など無い。
火花が上がるほどの勢いで鎖を巻き取りつつ、機体は勢いを殺さぬように刀身を振り下ろしていた。
角運動量保存則により、鎖が巻き取られて半径が最小となった時に角速度は極大に達する。
――――すなわち、今だ。
斬撃の速度は極大。ヴェイパーコーンの鞘を纏わせて振り下ろした木刀が、兜割りの要領で敵機の頭上へ叩き付けられる。
轟音が大気を打ち据えた。
激突の衝撃だけでビルの屋上は崩壊し始め、僅か1tにも満たない物体が衝突したとは思えないほどの余波が数kmに亘って轟き渡って行く。
だが、渾身の一撃を受け止めているのは、辛うじて切断し切った肩部装甲と前腕だ。装甲に食い込みはしても左腕を切断し切れていない、急所にはなお浅い。
「浅い!」
『甘いねぇ!』
数百もの弾着によって全身をひしゃげさせた〈
しかし、その動きは衰えてなどいない。
むしろその巨体からは想像できぬほどの速度で以て、煤けた敵機は煙を突き破って来ていた。背負った二基のジェットエンジンは獰猛な唸りを上げ、ノズルから噴き出す青炎が莫大な推進力で機体を押し出す。
『せっかく十年以上も前から練って来た計画なんだ、それを見るまで俺は死にたくないんでね。プレイヤーが駒に殺られたらただのお笑い種だろう』
それはまるで戦車が航空機の運動性を得たようなものだ。いかなる仕掛けによるものか、超重装甲の機体はほぼ一瞬で時速数百kmへ達する。
次の瞬間には衝突。
〈
『この〈
「なんて馬力だ、こいつは……!」
圧倒的な馬力で吹き飛ばされた〈
直後に降りかかって来た敵機の拳は、轟、と恐るべき風切り音と共に突風を巻き起こす。一気に戦闘レンジを詰めた二機の槐兵は、中目黒付近のビル街を抜けて疾風のように代官山方面へ駆け始めていた。
代官山地区を貫く山手線路線地帯、ちょうど4本の線路が並行して伸びる路線内には壮絶な火花が上がる。
ぶつかり合う拳と銃剣は互いを削り合い、人には見えざる巨人たちの姿をストロボのように闇から浮かび上がらせていた。〈
対向する電車が過ぎ行くのも構わず、二機は擦過する勢いで猿楽橋付近をも通過して行った。
――――これは、マズい!
渋谷駅のホームへと雪崩れ込んだ二機は、打ち合いの衝撃で屋根を切り裂きながら取っ組み合っていた。
〈
槐兵に気付けないのは人だけではない、電車もだ。
甲高いブレーキ音と共にホームへ進入して来た電車は、狭い路線内で打ち合いを続ける巨人たちを轢き殺さんと迫って来る。
すかさず跳躍。
〈
――――感電の効果は、無いか!
上空から振り返った
跳躍した〈
人々の頭上で激しく拳と刀を打ち鳴らす両機は、辺りを取り囲むように配置された〈
「こいつにはどこまで見えている……!」
第一教団幹部サカキ、その予言じみた先読み能力に
サカキを昂らせている喜悦の正体が何なのか。
それは計略が実を結びつつある快感に他ならないだろうと直感した。
『〈
「だからお前は見逃したとでも言うのか」
『そう、概ねこの状況を望んだのは俺だよ!』
ジェット推進の炎を曳きながら、〈
交通事故にも勝る衝撃に、一瞬意識が遠のく。
だが、すぐさま制御を取り戻した〈
『たまたま突入した礼拝所で娘の呪物に遭遇するなんて、十年前の夜は何もかもが都合よく行き過ぎていたとは思わなかったのか』
「お前は!」
あの夜のちっぽけな奇蹟さえ否定する言葉が、許せない。
視界を埋めるのは、爆裂する炎と鉄片の嵐だ。
〈
一撃で戦車をも屠る無誘導ロケット弾が逸れ、誘爆させられ、都心上空に炎と鉄片を散らして進路を埋める。その壮絶な弾幕に傷付きながらも〈
――――奴の関節の隙間を狙う、今度こそ!
渾身の膂力で引いた左手は〈
「かなえは……あの場所で俺を待っていてくれたんだよ、ずっと!」
『感傷だな。そう夢見がちじゃあ何も掴めない、そろそろ終わりだ』
不意に〈
マズいと
機体を襲ったのはたった一撃、されど痛烈な打撃だった。
辛うじて敵機からの打撃を逸らしたライフルは、半ばから折れている。
千切れた左脚に至ってはもはや動かない。太腿を覆っていた装甲は無残にも打ち砕かれ、中身の木質性筋繊維に至ってはごっそり吹き飛ばされている始末だ。
――――派手に、やられたな。
機体と同じく、自分も脚を動かせない。
もはや痛みさえ感じない。全身を満たすのは痺れを伴う吐き気だった。
『やっと大人しくなってくれたなぁ、散々手を焼かせてくれた』
勝者の足取りで歩み寄って来る〈
それはまさしく鈍刀だった。並の乗用車より長い菜切包丁とでも言い表すべきだろうか、刃物にさえ見えない長方形の鉄塊がただ振るわれていたのだ。
喰らってしまえば槐兵など一たまりも無い。
『呪操槐兵〈
「現実、ね……」
脚をも潰された黒い槐兵は、聳え立つ壁のような〈
敵機は呪いらしい呪いなど使ってこない。舗装された大地が一歩ごとに砕け散る、その超重量はまさしく全身に現実的な火器を装備するが故の重さだ。
小細工程度の呪術では足も止められない。
火力では遥かに及ばない。
装甲も抜けない。
対呪術戦特化機としての〈
サカキという男は本質的には呪術など必要としていない、その真の恐ろしさは計略にあるのだと
――――サカキ自身が強い訳じゃない、だからか。
サカキは呪術の天才でも無ければ一流でもない、それでも戦う前から勝つ為に必要な全てを整えていた。
故に当たり前の結末しか許さない。
相対する者には一切の希望を与えない。
それこそが第一位教団幹部にまで上り詰めた男のやり方。つまりは勝つ為に十年もの歳月を費やし、最終的にはイチイさえ追い落とした男の戦闘教義なのだと知った。
ただ当たり前のように、現実を叩きつけて来る者の力だった。
「こんな奴をどうやって殺せばいい……」
もう一度だけかなえの下に帰る。確かに掴みかけていたはずのそんな願いが、指の間をすり抜けて急速に遠ざかって行く。
かなえとは沢山の約束を交わして来たし、その度に守って来た。それでも最後だけがどうしても叶えられそうにない。今度こそと思っていた約束なのに、もう帰れないことを受け容れつつある自分が居た。
――――俺はまた、嘘をついてしまったのかな。
今晩は観覧車にだって連れて行けた。
かなえとの約束は全て守って来たつもりだった。
ただ一つ、ずっと一緒にいるという願いを除いては。
――やくそく、です――
この期に及んで、かなえと指を結んだ感触が小指に蘇って来る。
それでも瀕死の身体に鞭打つのは止めない。
「それでもお前だけは……この手でッ!」
血を吐くような叫びが喉の奥から絞り出される。
約束と引き換えに、命と引き換えに、〈
『健気な事だな、
「出来るとも……お前には理解出来ないだろうがな」
もはや生身では歩くことさえ出来ないほどに弱り切った身で、
もはやそれで充分だった。
同じ
「そうだろう、〈
共に重ねて来た罪が、浴びて来た返り血が、一機と一人を運命共同体と変える。この数カ月で切り抜けて来た死闘には、いつも鎧であり仇であり同類でもある黒い人型が連れ添っていたのだから。
まともな射撃兵装さえ残っていない〈
左脚に接いだ杖は、義足の代わりだ。
たとえどこまで堕ちようとも一人ではない。これが最期になろうと今さら変わりはしない。千切れた脚を義足と変えた〈
――こいつとならば共に堕ちて行けるかも知れない――
歩むごとに上下する視界の中、霞む
あの夜から共に堕ち続けて来た、そして地獄のような戦場の底でこの機体はかなえに再び出逢わせてくれた。
だから今こそ、もう一度だけ確信できる事があった。
「俺たちはまだ堕ちて行ける、正道を外れた紛い物だっていうなら俺たちは更にその
瞬間、物言わぬ〈
それがただの感傷めいた妄想でも、ただの偶然でも構いはしなかった。
「悪いな」
きっと初めから運命は決まっていたのだ、と
父として、あるいは一人の男として、人の道を外れてでも理不尽に抗って来た意味はこの為にあったのだと確信できた。
――――パパは行って来るよ、かなえ。
全身に創傷と弾痕を刻み込まれ、今にも砕けそうな〈
誰もが無言で杭の行方を見守る中、右腕はすっと引き絞られる。
「こんな俺に生きる意味を与えてくれて……明日の夢を見させてくれて、ありがとう。愛しているよかなえ――――さよならだ」
そして、呪毒の杭は自らを貫いていた。
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