ep14/36「無月の神域侵犯」

 全長50mもの片腕が、星さえ見えない夜空に漂う。

 思わず己の正気を疑いたくなるような光景だった。

 天照大御神が岩戸に隠れ、世界中からあまねく光が奪い去られたという天岩戸伝説。かの神話的事象を彷彿とさせるような黒一色の夜天には、紫の槐兵と巨大な腕だけが浮かび上がっている。


『この常夜では全てが赦されます。そして遂に蘇りし奇蹟を見よ……見るのです! これこそが歴史上初めて建造された呪操槐兵の一部、御神体そのものです』


 黒い背景に溶け込む腕に目を凝らしてみれば、先端に生えた指は太いしめ縄で出来ている。緑青の艶を帯びた腕部は錆びた青銅製だ。

 そして腕が放つ魔性に引かれるように、八咫烏たちが次々に舞い降りる。その度に木質化する死体は力なく落下し、遥か下方で木端微塵に砕けていった。

 それほどに強烈な呪いを帯びた鎧の合間からは、呪詛の源たる化石化一歩手前の樹皮が覗いている。


 ――――イチイはこれが最も古き呪操槐兵・・・・・・・・、と言ったか。


 確かに槐兵とよく似ている、そう思えなくもない。

 そうだとすればこれは神木製の呪物。何千年と生きた神木を切り倒し、呪術的手段を用いて人型に仕立て上げた呪い人形に違いなかった。

 どう少なく見積もっても、片腕の体積だけで呪操槐兵を何機か建造できるほどだ。


『この私めを、そして〈氷雨ひさめ〉をも依り代として捧げましょう……さあ降りて来るのです!』


 〈氷雨ひさめ〉は残った片腕を振り上げると、天を仰ぐような姿勢のままで高度を増して行く。

 その頭上では、呼び出されたばかりの巨大な腕が蒼白い炎を帯び始めていた。無音の炎が周りの八咫烏をも巻き込み、盛大に燃え盛る松明と化した腕は、徐々に実体を失って半透明に透けている。


 これから一体、何が起こるというのか。


 そんな疑問に答えるように、〈氷雨ひさめ〉は鋭く杖を振るっていた。すると袈裟を纏う紫の機影は、燃え盛る鬼火そのものと化した掌の中に消える。

 〈氷雨ひさめ〉が八咫烏を握り潰して儀式を完成させたように、巨大な腕が槐兵そのものを握り潰して儀式を完成させる――――それはまさしく口寄せの儀だ。


『神木製の人型そのものを依り代として、付喪神を降ろすのが呪操槐兵という器。ならば、自身よりも更に上位の存在を降ろすことも出来るのです……どうですか、〈氷雨ひさめ〉のこの姿は』


 イチイの言葉が脳内へ響いて来るにつれ、幻也げんやは宙に浮かぶ〈氷雨ひさめ〉の姿に目を奪われていた。

 今やその機影は、鎧を纏った大樹とでも言うべき姿だ。

 華奢な脚が突き出していた部分からは数え切れない根が伸びており、まるで羽衣のようにたなびく布は全幅数十mばかり。〈御霊みたま〉より小柄だったはずのシルエットは、合体を経て二回りほど増している。


『高位の神との合一、それこそが呪操槐兵の真価の一つです』


 呼び出した御神体をも取り込み、より大きな神の器と成る。

 呪操槐兵が本来持つ形代としての機能を極限まで拡張し、〈氷雨ひさめ〉はまさにそれをやってのけていた。


 ――――かむなる者を人の意思で操る、それこそが禁忌だ。


 腕との合体を終えた〈氷雨ひさめ〉が、杖を振るう。

 突くべき地面も無いというのに、杖はカンッと神妙な響きを持って打ち鳴らされていた。天に渦巻き始めた曇天からは、その不可思議な音に誘われるように電光の筋が迸る。

 式神が呼び出される兆候だ、と幻也げんやは悪寒と共に直感した。


『墜ちなさい、夜駆けし雷獣よ』


 その言葉を聞き終える間もなく、幻也げんやの視界が真っ白に染まる。

 緊急回避。彼が咄嗟に踏み込んだフットペダルに鞭打たれるように、〈御霊みたま〉は明かりとてない球場から駆け出していた。

 突如として降り注いだ雷撃を避け、機体は亜音速で電柱を蹴り出して行く。


「腕の次は雷獣ぬえだと!」


 パッと、辺りが昼のように照らされる。

 黒い機影のすぐ後を追って、敵に操られた雷は次々に地面を穿っていた。イチイは雷と共に落ちて来ると伝えられる高位の霊獣、雷獣ぬえを絶え間なく召喚しているのだった。

 天変地異にも等しいそれは、呪術的な雷撃に他ならない。


『これこそが原初の槐兵、呪われた人型のあるべき姿! 人型に整えた神木を操っていた頃から、奇蹟の人型として崇められていた最初の呪操槐兵の力ですよ。光栄に思って下さい、この力が人の目に触れるのはこれで千年振りです』


 八咫烏、呼び出した無数の霊獣。そして雷獣。

 もはやイチイが使役している式神は数知れない。呪操槐兵によって拡大された力がこの世ならざる獣たちを統べているのだとしたら、それは高位の神の力そのものだ。


 ――――奴と戦うには〈御霊みたま〉は若過ぎる。


 たった半世紀前に建造された〈御霊みたま〉は、呪操槐兵としては最新型。樹齢数百年を超える機体すらある中で、千年前という数字は決して虚言とも思えない。

 五十年前に作られた最新鋭機。

 千年前には既に在ったという原型機。

 二機の呪操槐兵の激突は、誰に悟られるともなく夜の都市を妖しき戦場と変える。黒い槐兵は住宅街を走り抜けると、都市部を貫く荒川河川敷に辿り着いていた。


「千年ぶりのお披露目の最中で悪いが……!」


 〈御霊みたま〉はライフルを振り上げるように構えると、鋭い足先そのものをコンクリート護岸に叩き付ける。たまらず砕け散った破片を漆黒甲冑に浴びつつ、完全に脚を止めた機体は既に反動を受け止める体勢を整えていた。

 夜空に浮かぶ紫の敵影が、狭い照準視界にぴたりと同期する。


 ――――懐古趣味の槐兵にはここで砕けてもらう。


 照準固定、発射ファイア

 砲口から噴き出た発射炎が、迫り来る機影を夜闇の中にパッと照らし上げる。

 狙いは寸分たりともズレていない。敵へ吸い込まれるように伸びていく火線は、消火器ほどもある大口径弾頭で以て〈氷雨ひさめ〉を貫く――――かに思えた。


「……止めた!?」

『今さらこんなもの。お返しですよ』


 90mm呪装徹甲弾は空中でぴたりと静止していた。

 有り得ない。敵の鼻先で止まった弾頭を目にして、幻也ゲンヤは停まりかけていた思考を振るい立たせる。咄嗟に踏み込んだフットペダルは、機体をほとんど真横に飛び退かせていた。

 たった一秒前まで〈御霊みたま〉がいた空間を、敵から撃ち出された枝の数々が寸分の隙も無く貫いて行く。


「だったら、この距離で!」


 がきりという音が響いた直後、黒い機影から噴き出した発射炎が闇を舐める。

 空中での砲撃、〈御霊みたま〉が至近距離でライフルを発砲したのだ。戦車砲の反動を殺せないほどに軽い機体は、その貧弱な自重を弄ばれるように衝撃で殴り飛ばされていた。


 それでもボルトアクションは止まらない。

 流れるような手捌きで排莢、装填、発砲。

 〈御霊みたま〉がアスファルトに叩き付けられるまでに撃ち放った弾頭は、その全てが標的への直撃コースを描いていた。発射する度に数十Gもの加速度で内臓を握り潰されながら、幻也ゲンヤは命中を確信する。


 ――――今度はどうだ。


 ある弾頭は空中で消し飛ばされていた。

 或いは音も無く静止していた。

 或いは弾道を遡ろうとしていた。


 言葉にしてしまえばたったそれだけの事実の裏に、一体どんな複雑怪奇な呪術が絡み合っているのかも見当がつかない。自在に天候そのものを操ることに至っては、神々の祟りに近い現象だ。

 ようやく〈氷雨ひさめ〉の纏う力の本質に気付いた幻也げんやは、畏れとも不敵ともつかない様子で口元を歪めていた。


「そうか。人知の及ばぬ神を纏うという禁忌を侵す事で意図的に祟りを引き起こす……その祟りを操ることで、天変地異を引き起こしているのか」

『おやおや気付きましたか、その通りです。神を辱めて人為的に祟りを引き起こすという試みは、古くは雨乞いの儀式にも応用されてきました。単に自分以外へと逸らしてやればいいのです、ほら』


 〈氷雨ひさめ〉が腕を振るえば、遊歩道に生えていた木々は一斉にツルを伸ばし始める。ちょうど〈御霊みたま〉の進路を塞ぐように異常成長する木々は、緑の大波となって足元を絡めとらんとしていた。

 切り払おうとしたが、既に遅い。


「くそ……ッ!」


 緑の波に押し流されるがまま鉄柱に衝突。川岸の街灯へと叩き付けられた〈御霊みたま〉は、アスファルトを捲りながらなんとか止まっていた。

 だが、休む暇など与えられない。

 跳ね起きるように走り出した機体の後を、敵に操られた葉の嵐が薙いで行く。薄い刃そのものと化した葉は殺傷性の暴風と化し、龍のように地表を掠め飛ぶ。


『荒ぶる神々の祟りは天候すら左右する。そんな大砲ごときでこの神代の呪術を突破出来ると思いましたか』


 ――――確かに理論的にはそうなのかも知れないが。


 敵が舞うのは曇天の下、月さえも見えない空には雷鳴が轟く。

 やはり至近距離で術者を殺すしかない。

 幻也げんやは荒れ狂う暴風を横目に、再び〈氷雨ひさめ〉に目標を絞っていた。地面に脚部を突き刺しての砲撃。一通りの90mm呪装徹甲弾を撃ち込むと、〈御霊みたま〉は自らが放った火線の後を追うように駆け始める。


「こんなふざけた呪術戦があるか……!」


 超低空飛行にも等しい跳躍機動、地面からほんの数mという高度を保ちつつ〈御霊みたま〉がイチイに迫る。

 だが、懐へ飛び込むことは叶わなかった。

 機体と同期させた視界の先には、突如として純白の砲弾が降り注ぐ。

 雷光に照らされた白き影は、落雷の隙間を縫うように接近。新たな敵の気配を悟った幻也ゲンヤは、咄嗟に操縦桿を引き込まざるを得ない。


 ――――こいつは!


 ばさりと展開された腰布が、夜気を捕えて軋み出す。

 激烈な減速機動で機体が悲鳴を上げる中、彼の視界を埋め尽くすのは純白の衣。その眩いばかりの白さに危機感を呼び起こされるまま、彼は退避を選んでいた。

 すぐさま距離を開けた機体は、〈氷雨ひさめ〉の隣に降り立つもう一機の人型を睨みつける。


「〈影光ようこう〉だと……!」


 あの機影は見間違えようもない、と幻也ゲンヤの額を汗が伝っていった。

 高位の神との合一を果たし、大樹のような根を垂らす〈氷雨ひさめ〉。そこへ更なる劣勢を呼び込む白き槐兵は、一度は太刀を交えた敵に他ならない。

 故に分かってしまう。

 その強さが、その圧倒的なまでの技量が。


『イチイ様、お力添えに参りました』

『アラトよ、余計なことです』


 第二位教団幹部イチイの〈氷雨ひさめ

 第三位教団幹部アラトの〈影光ようこう

 公安の最重要暗殺目標に数えられる二人が、ほんの1km先で言葉を交わしている。いずれにしても狙われるのは〈御霊みたま〉だ、幻也ゲンヤがそう覚悟した途端に白い槐兵は膝を屈していた。


 ――――来る!


『奴はこのボクにお任せを』


 汚れ一つない腰布を翻らせると、〈影光ようこう〉は真っ直ぐにこちらへと突っ込んで来る。

 一切の駆け引きを含まない急接近。その白い脚部がとんっと電柱を蹴り出した頃には、既に引き抜かれた大刀が風を切り裂き始めていた。


 衝撃。鋭利に振り下ろされた軌跡を逸らすように、〈御霊みたま〉が抜き放った木刀はその一撃を受け止める。

 互いに軽量を誇る槐兵同士の剣戟は、しかし強烈だ。

 目にも留まらぬ剣戟の応酬、黒と白の槐兵は狭い路地で斬りつけ合う。刃先が掠めただけで、辺りの電柱は毀れた鉄筋を露わにしていた。

 ぱりん、と砕けた電灯が、ちょうど槐兵の膝元でちかちかと明滅し出す。


『貴様、少しは槐兵の扱いを覚えたか』

「おかげさまでね」

『しかし、術の一つも使わないのではな』


 眼前に迫った〈影光ようこう〉は、顔布越しに赤銅色の銅鏡を煌めかせる。大刀を振るうのに二本の腕しか使っていなかった敵機は、残る二本の腕で拳銃を抜き放っていた。

 口径20mm拳銃、零距離での発砲・・・・・・・

 鍔ぜり合う中で敵機から発射された弾丸は、〈御霊みたま〉の刃じみた脚に蹴り上げられる。咄嗟にその場から飛び上がった〈御霊みたま〉の足元からは、異常成長した彼岸花の数々がまるで食虫植物の如くにツルを伸ばし始めていた。


「これは陽動……そうなんだろうが!」

『よくお分かりですね』


 空中に飛び上がった――――否、飛び上がらされてしまった〈御霊みたま〉は、無防備な体勢のままで住宅街上空を流れるしかない。

 全ては敵に仕組まれた流れだった。

 当然、上空には〈氷雨ひさめ〉が控えているのだ。

 紫の羽衣を広げた敵機は、待ち構えていたとばかりに杖を振り下ろす。その軌跡に沿って降り注ぐ雲塊は、見えざる空気の鉄槌となって襲い掛かって来る。

 避け切れない、と咄嗟に身構えた機体はそのまま突風に殴り飛ばされていた。


「ぐ……っ!」


 咄嗟に広げた布が、〈御霊みたま〉の落下速度を緩める。それでも墜落事故に等しい速度で川面に突っ込んだ機体は、夜の荒川に水柱を打ち立てていた。

 霧の中からは、水滴を帯びた黒い槐兵が立ち上がる。

 幻也ゲンヤは朦朧とする意識で、なおも操縦桿を離さない。およそ数百Gに達する加速度に晒され、それでも生きていられるのは身体の大半が木質化しているからだった。


 眼底出血で赤く滲んだ視界には、〈影光ようこう〉の白い機影が映る。考えるよりも先に踏み込んだフットペダルは、機体を橋の上へと逃れさせていた。

 黒き〈御霊みたま〉が手にするのは、二振りの日本刀。

 白き〈影光ようこう〉が手にするのは、二振りの大弓刀。

 二刀流と二刀流、橋の上で切り結ぶ槐兵は、時折通り過ぎていくトラックに気付かれることもなく剣戟を演じ続ける。硬化した神木同士が激しく打ち合わされれば、鋼鉄をも切り裂く木刀は互いを削って薄片を散らした。


 ――――このままなぶり殺しにするつもりか。


 アラトとイチイ、槐兵同士の連携戦術から逃れる術はない。〈影光ようこう〉が振るった大弓刀は機体を掠め、袖口を切り裂いて行った。

 奴らはやはり手練れなのだ、と幻也ゲンヤは絶望的なまでの戦況に歯噛みする。二対一、教団幹部が乗り込む槐兵相手には無謀とも言える数字だった。

 そしてまたも敵が接近して来た矢先、ノイズ交じりの囁きが耳朶を打つ。


水鏡みかがみ幻也ゲンヤ、娘に会いたくはないか』

「なに?」

『なら、これしきで死んでくれるなよ』


 幻也ゲンヤがその言葉の意味を解する間も無く、〈影光ようこう〉は目の前で大弓刀の二振りを大きく振りかぶっていた。

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