第36話 その後の話

 舞花とガングニールズ将軍の結婚はなんとも呆気なく決まった。


 まず、あの記念式典の翌日に何とも気恥ずかしい気分で魔術師用の寮の自室に戻ると、部屋がもぬけの殻だった。歯ブラシからお気に入りの洋服まで、昨日まであったはずの物が何一つ無い。狼狽える舞花にアナスタシアは笑顔で一言こうのたまったのだ。


「引っ越しが大変かと思って、やっておいてあげたわ」


 そして、唖然とする舞花も私物を追うようにアナスタシアによりとある場所に転送された。

 舞花の殆ど無いと言って良いほどの荷物が運び込まれていたのは、夜這い事件の日に舞花が最初に飛ばされた部屋だった。後に判明したが、あの部屋はガングニールズ家の当主の妻の為の部屋だったらしい。そして、あの日舞花が足を踏み入れた隣の部屋は当主夫婦の寝室、最後に足を踏み入れたのがガングニールズ家当主であるガングニールズ将軍の自室だったのだ。


「マイカ!?」


 屋敷に戻ったガングニールズ将軍が目を丸くするのも無理は無い。先ほど届けた筈の女性がいつの間にか荷物をまとめて自宅にいたのだから。


「アナスタシアさんが……」


 舞花は一部始終をガングニールズ将軍に話して泣きついた。当然ガングニールズ将軍が姉の横暴を諭してくれるのかと思ったのだ。しかし、実際は違った。


「そうか。マイカはいずれにせよここに住むことになるから手間が省けたな。屋敷の使用人を紹介しよう」


 ガングニールズ将軍はそれはそれは嬉しそうに微笑み、その日から舞花はガングニールズ将軍の妻として屋敷に住むことになった。


 舞花は結婚するにあたり、ガングニールズ将軍に舞花の実家まで挨拶しに来て欲しいとお願いした。やはり結婚するならば親にも伝えたいと言うのが親を思う娘の心情だ。ここでもひと悶着あると思いきや、何とも呆気なく話が終わった。


「マイカのお相手が在日米軍の方だなんてびっくりだわー」と頬に手を当ててしみじみと言うのは母の智子。

「これで我が家も国際派だな」と言ってワッハッハと笑うのは父の茂雄。


 もちろん舞花はガングニールズ将軍がアメリカ人だとも在日米軍だとも一言も言っていない。何をしている人なのかと聞かれたガングニールズ将軍が『軍人だ』と言った一言で、2人が勝手に勘違いしてガングニールズ将軍は在日米軍の軍人さんだと言うことで話がまとまったのだ。ちなみに惟子にも紹介したら、やはり『在日米軍の人』だと勝手に勘違いされた。



♢♢♢


 舞花の朝は夫(の筋肉)をでることから始まる。


 まず目覚めると、大きなベッドの隣にいるガングニールズ将軍の上に馬乗りになる。もちろん屈強な夫は舞花が全体重をかけてもびくともしない。そしてもっこりとした大胸筋、割れた腹筋、舞花の太腿より太い上腕二頭筋、盛り上がる三角筋、長くなるから説明はここでやめにするが、とにかく見える範囲の全ての筋肉を指でなぞってゆく。


「マイカ、くすぐったい」


 ツツツっとなぞるその指が焦れったく、ガングニールズ将軍は身を捩よじった。舞花は慌ててガングニールズ将軍の身体を抑えつける。


「お願い、もうちょっと。あ、いま笑ったから腹筋の割れ目が深くなった。いい! いいよ!」


 マッチョの筋肉に触れて愛でる。これぞ至福の一時。


 はっきりいって相当おかしな趣味嗜好だ。今まではマッチョを眺めるだけで満足していた舞花だったが、一度触れてしまうと人間欲が出てしまうというものだ。すぐ近くの触れられる距離にこの肉体美。これは触れて確かめ無いわけにはいかない。

 夫が大人しくしていることをいいことに調子に乗ってツンツンしていると、エロ将軍が遂に動き出す。


「マイカ!」


 形勢逆転で組み敷かれた舞花はガングニールズ将軍を睨みつける。 


「ねぇ! リークは私のものでしょ? だから私はこの肉体を愛でる権利がある訳よ。大人しくしてて!」


 ガングニールズ将軍はそれを聞いてふむと頷いた。


「確かにその通りだ。しかし、逆を言えば俺はマイカを愛でる権利があるな?」


 仕返しとばかりに舞花の身体をいやらしく撫で始めるガングニールズ将軍の手から逃れようと舞花は暴れる。


「ちょ、ちょっと!」

「舞花はどこを触っても柔らかいな」

「朝っぱらから変なとこ触んないで! それ脂肪だから抓まないで!!」

「マイカが先に触ってきたんだろう?」


 ガングニールズ将軍はニヤリと笑った。


「やん。助けてー!!」


 もちろん誰も助けには来ない。そんなこんなで舞花の一日は始まる。



 ♢♢♢



 その日、ガングニールズ将軍の運転する魔法のジープカーで魔術研究所に送って貰った舞花は、研究所の入口の鉄格子の門の前で車を降りた。


「ありがとう!」


 ジープカーを降りて窓越しにお礼を言うと、ガングニールズ将軍は口の端を持ち上げた。

 あの日終戦10周年記念式典以来、ガングニールズ将軍はよく笑うようになった。これまでは厳しい表情が多かったが、本来ならよく笑う人なのかもしれないと舞花は感じていた。これから笑顔の絶えない家庭にしていきたいと思う。


 その場から離れて移動しようと背を向けると、ガングニールズ将軍は「マイカ」と呼び止めた。舞花は振り返ってガングニールズ将軍を見つめる。どうしたのか、一転して表情が固い。


「なに?」

「嫌な予感がする。あいつの魔力を感じる。今日は仕事を休め」

「え? でも……」


 舞花は言い淀んだ。さすがに「休め」と言われて「はい、そうですね」とすんなり言うことを聞くほど舞花は仕事に対して無責任ではない。お金を貰って働いている以上、きちんと仕事はすべきだ。

 ガングニールズ将軍は舞花が難色を示すと、代わりに今日は北方軍で働くことを提案してきた。


「では、今日は北方軍に治癒魔法師として来てくれ。あいつには俺から連絡しておく」


 舞花は勤務日のうち3分の1は北方軍で治癒魔法師として働いている。朝から直行する日も多い。それならば大丈夫だろうと舞花も納得した。再び舞花がジープカーに乗り込むとガングニールズ将軍は途端にホッとした顔をした。


「急にどうしたの?」

「あいつの、アナスタシアの魔力の気配を強く感じたんだ。この雰囲気は嫌な予感がする」

「もう、大袈裟だよ」


 ケラケラと笑う舞花の様子に、ガングニールズ将軍は「大袈裟ではない。マイカに何かあったらどうする?」と眉を寄せた。

「あいつには本当に酷い目に遭わされた。子供の頃に『強くなりたい』と相談したことがあるんだ。そうしたらヤツに森に飛ばされて帰宅するのに2週間かかった。野獣はでるわ、食べ物はないわで死ぬかと思ったぞ。それなのに、戻ってきたらヤツはなんて言ったと思う? 『ちょっとは鍛えられてアンタもましになったんじゃない?』だ。まだ10歳だったんだぞ? 崖の下に飛ばされたこともあるな。それに、異空間の迷宮だったこともある」

「それは‥‥なかなかだね」


 聞いている舞花の顔も思わず引き攣る。ガングニールズ将軍がガングニールズ将軍たる理由はあの姉にあったのかと舞花は悟った。子どもの頃から相当過酷に鍛えられていたのだろう。実の弟なのに全く容赦ない仕打ちだ。


 やっぱりちょっと心配しすぎだなとは思うけれど、今日のところは大人しく言うことを聞いておこう。舞花はガングニールズ将軍の言うとおりに北方軍で過ごす事にした。その判断が大正解であったことを知ったのは翌日のこと。


「マイカは昨日大丈夫でしたか?」


 朝、魔術研究所に出勤した舞花はナターニャに声をかけられて首をかしげた。ナターニャは疲れているのか目の下にクマが出来ている。


「大丈夫ってなにが? 何かあったの??」

「実は‥‥」


 ここからはナターニャの話しである。



 ♢♢♢



 昨日、魔術研究所でいつものように朝早くから勤務していたナターニャはふと異変に気づいた。もう昼近いにも関わらずやけに研究所内が静かなのである。

 おかしいと思ったナターニャは、別のフロアも見にいったが人の気配が全くない。いったいどうしたのだろう? 嫌な予感がどんどん膨らんでゆくのを止められない。

 研究所をくまなく見て回り、最後に所長室に辿り着いたナターニャは優雅に紅茶を飲むアナスタシアの姿を見つけた。


「師匠。今日はみんな遅刻ですかね?」


 ナターニャに問われ、アナスタシアは大きな目をぱちくりとした。


「あら。そう言えば仕事の依頼が多すぎるから研究所の門から玄関までを異空間に繋いで巨大迷路にしたの。そのせいかしら?」


 あっけらかんとしたアナスタシアの様子にナターニャはこめかみを抑えながら必死に理性を保つ努力をした。


「すぐに戻してきて下さい」

「えぇ? お陰で今日は仕事の依頼が無いのに。あの子達も良い魔術の鍛錬になるでしょ?」


 アナスタシアは不服そうに口を尖らせた。


「師匠の事だからとんでもなく難しい迷路なのでしょう? 仕事の依頼どころか所員まで来られなくなってるんです!」

「せっかく造ったのに……」


 努めて冷静な態度で接しているナターニャに対し、アナスタシアは未だに渋る。ナターニャの堪忍袋の緒の強度を試しているのかと聞きたくなるほどだ。その後も互いに一歩も譲らない攻防が続く。


「崖登りだったら良かったかしら?」

「駄目です」

「じゃあ、門をくぐって捜し物を3つ揃えないと扉が開かないなんてどう?」

「いいから戻して下さい!!」


 結局最後はナターニャの堪忍袋の緒が切れた。



 ♢♢♢



「それはまた、流石はアナスタシアさん。相変わらず色々と飛び抜けてるね」


 話を聞いた舞花は苦笑いを浮かべる。


 昨日、舞花を引き留めてくれたガングニールズ将軍には感謝だ。もしかすると、幼少期からアナスタシアと一緒に過ごしたガングニールズ将軍にはアナスタシアの悪戯センサーのようなものが備わっているのかもしれない。


「こっちの身にもなって欲しいですよ。師匠みたいな魔女が沢山いるとか、本当に怖ろしい……」


 ナターニャは普段は動かないポーカーフェイスを珍しくしかめっ面にして身震いをした。


「師匠みたいな魔女が沢山??」


 ナターニャの呟きを聞いた舞花は思わず聞き返した。

 師匠みたいな魔女とはアナスタシアのような魔女ということだろうか。それは確かに色んな意味で怖ろしい。まさか、そういう魔女がどこかに沢山居るのだろうか。まさか未来の我が子の話をされているとは露にも思っていない舞花は眉を寄せた。


「マイカ、妊娠は?」

「やだ、ナターニャったら。まだしてないわ」


 突然踏み込んだことを聞かれた舞花の頬は途端にぽぽぽっとあかくなる。


「なら良いんです」

「え?」

「いえ、なんでもありません」


 訝しげな表情を浮かべる舞花にナターニャはハッとしたように愛想笑いを浮かべた。舞花がガングニールズ将軍の子を宿したと知り、ナターニャが恐れおののくのは僅か数ヶ月後のこと。


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大魔女アナスタシアの悪戯~恋の弓矢が刺さったみたいですが、それ、間違いなんです!~ 三沢ケイ @kei_misawa

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