第32話 言質はとった

「何をしている?」


 防御壁の解除をしようと奮闘していたウルロン達は後ろから声を掛けられて振り返った。応援していた舞花も視線を移動させる。

 そこに居たのは沢山の勲章を付けた式典用の軍服を身につけた先ほどのめちゃくちゃ舞花好みの軍人さんだった。近くで見てもやっぱり格好いい。


「実は、この防御壁が邪魔してマイカを助け出せないのです。マイカを見つけたので連れて帰ってガラスの靴をはめたいのですが」


 ウルロンは軍人さんに状況を説明して肩を竦めた。ウルロンを始めとする魔術師達は先ほどから様々な解除魔法を試しているが、防御壁を造ったアナスタシアの方が魔法技術が上なので解除出来ずに居た。

 軍人さんは話を聞き終えると、右手を伸ばして防御壁があるのを確認した。そして、次の瞬間にブワッと空気が揺れた。おそらく、防御壁の解除を試みたのだ。


「駄目だな」


 軍人さんは腕を組む。中にいる舞花は固唾を飲んでそのやり取りを見守った。どこかで聞いた事がある声に見たことのある顔だがそれがどこなのか考える余裕も無かった。

 駄目だな、で諦められては困るのである。こんなところに置いてきぼりは真っ平ごめんだ。

 実際には制限時間1時間で誰も達成できなかったら全員が転移魔法で元の王宮の大広間に転移させられるのだが、それを知らない舞花にとってはまさに死活問題だった。


「かっこいい軍人さん、助けて!!」


 舞花の必死の懇願に軍人さんは驚いたように目を瞠り、怪訝な顔をした。そして、顎に手を当ててから何かに気付いたようにニヤリと笑った。


「マイカ、こっちに来い」


 今度は舞花が怪訝な顔で軍人さんを見上げる。こっちに来いと言われて行けてたら今こんな状況になって無いわけで。

 そこまで考えて、舞花はハッとした。目の前の軍人さんは短い髪で爽やかな印象だ。しかし、茶色い瞳は鋭く、右側の眉から頰には古い傷跡がある。それにこの聞き覚えのある低い声。ひげも無いし髪形も全然違うけどこの人は……


「もしかして、ガングニールズ将軍?」


 舞花の呼びかけに軍人さんは口の端を持ち上げて、自らの左の手首を指さした。


「マイカ、来い」


 舞花の左の手首にはアナスタシア特製の魔法の腕輪がある。舞花も腕輪を見て気付いた。ガングニールズ将軍の元に行くのだったらこの防御壁も無効になるかも知れないのだ。

 舞花が恐る恐るガングニールズ将軍に手を伸ばした。その手の動きをじっと見ていたガングニールズ将軍はその手が防御壁を越えた瞬間にグイッと引っ張った。引き寄せられた舞花はガングニールズ将軍の腕の中に閉じ込められる。舞花は突然のことで戸惑いが隠せない。


「マイカ、執務室にマシュマロがまだ残ってる」


 頭上からガングニールズ将軍の声が落ちてくるのを聞いた。舞花を抱き締めたまま下を向いて喋るので頭の頭頂部に吐息を感じてむず痒い。


「マシュマロ?」


 舞花は怪訝な表情で顔を上げたが、抱きしめているガングニールズ将軍の顔は見えない。


「食べさせてくれる約束だ」

「はぁ」


 思わず気の抜けた返事になってしまったが無理もないと思う。この状況でマシュマロ? こんな時にもマシュマロの話をするとは、本当に余程マシュマロがお気に召したようだ。


「これからもずっと俺に食べさせる役目はマイカだ」


 顔は見えないが、ぐぐもった声だけが頭上から落ちてくる。


「マイカ。これからも俺とずっと食べるだろ?」

「えっと……、いいですけど?」


 そんなにマシュマロが好きなら買ってくるのはお安い御用だ。一緒に食べるのもまあ良い。食べさせる役目は舞花の精神衛生上の問題で解任要請したいが、今ここで言わなくてもいいだろう。

 ガングニールズ将軍は少し腕を緩めた。そして舞花を見下ろすと、口の端を持ち上げた。

 ひげが無いと表情がわかりやすい上に若く見える。何度みても格好いい。めちゃくちゃ舞花の好みなので思わず見惚れてしまう。もじゃもじゃおひげの下にこんな甘いマスクを隠しているなんて反則だ。そのままガングニールズ将軍を見つめているとなぜか焦ったような同僚達の「あぁっ!」と言う声がすぐ近くで聞こえた。


「言質はとったぞ」


 舞花を見下ろしたまま、ガングニールズ将軍はニヤリとした。


「はい?」


 次の瞬間、目の前に契約書のようなものが現れて光り輝きながらひとりでに文字が印字されていく。まさに魔法の契約書だ。


 この光景は前に見覚えがある。


──言質はとったわよ。


 そうだ。アナスタシアに言われてこの世界に連れてこられたときだ。『私の世界にいらっしゃい』と言われて『はい』と頷いた舞花にアナスタシアは『言質はとった』と言った。そしてこの魔法の契約書が現れて、舞花はいつの間にかアナスタシアの部下として労働契約を結んでいたのだ。

 舞花は呆然とその光景を見守った。舞花はすっかり忘れていたが、この世界では『言質はとった』と言うのは立派な何かの契約を結ぶことになるのだ。魔法の契約書を作れるのは一部の優秀な魔術師だけと聞いていたが、この人はあのアナスタシアの弟なのだから作れても不思議はない。

 と言うことは、舞花は今ガングニールズ将軍に『一生マシュマロを食べさせてあげる契約』を結んだのかと気付き、さーっと血の気が引くのを感じた。


「うそ!?」

「嘘ではない」


 舞花の腕のアナスタシア特製の魔法の腕輪がストンと抜け落ちる。あれほど何をしても抜け無かったのに、いとも簡単に外れてしまった。

 代わりにそこに現れたのは鎖状のチェーンブレスレット。光り輝きながら左腕手首に測ったかのようにぴったりと巻き付いてゆく。

 訳がわからずに見上げたガングニールズ将軍と目が合うと、蕩けるような目で見返された。


「マイカ。これよりおまえは俺のものだ。もやし男にはやらん」


 ガングニールズ将軍はフッと小さく笑う。頬に優しく撫でられ、舞花の顔に熱が集まってくる。そしてそのまま顔が近づき、貪るよな荒々しいキスをされた。

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