第12話 魔法の呪文は無いらしい

「あはははっ!それはさぞかしガングニールズ将軍も驚いただろうねえ。だって、良いもの貰ったって言って見せられた手紙の内容が将軍に一晩介抱して貰えって……」


 セドラはそこまで言うと、もう堪えきれないと言った様子でまたくくくっとお腹を抱えて笑い出した。


 仕事終わりにセドラと飲みに行った舞花は先日の出来事の一部始終を彼女に話した。セドラはその話を大層気に入り、さっきからずっと話をぶり返しては何度も大笑いしている。


「もうっ、セドラさん!毎回毎回笑いごとじゃないですよ!私、あんな手紙を見せてまるでこっちから誘ってる欲求不満の痴女ですよ!本当に恥ずかしかった」


 舞花は思い出しただけで赤面してしまい、両頬に手をあてた。あれは間違いなくに舞花の人生で最も恥ずかしかった体験の5本の指に入る。もう、酔っ払ってでもいなきゃ恥ずかし過ぎて悶え死にそうなくらいだ。


 舞花はアナスタシアには当然あの後すぐに文句を言いに行った。


「アナスタシアさん!」


「あら、マイカ。元気になって良かったわ」


 当の本人は悪びれる様子もなくにこにこしている。


「ありがとうございます……って違う!なんですかあの手紙は!」


「魔力ゲージ要らなかった?」


「要ります。そうじゃなくって!!」


 舞花の赤面具合にアナスタシアは「あぁ」と言ってぽんと手を打った。


「気を利かせてあげたの。だって、2人とも焦れったいのよ。ちょっとした冗談よ。ね?」


 とても爽やかな笑顔で返されてしまい、すっかりと毒気を抜かれてしまった。そして、そのままうやむやにされてしまったのである。


 「確かに誘ってるとは思われたわよね」とセドラは笑いながら頷いた。「でもさぁ、異性からそんなにストレートに気持ちをぶつけられて、ガングニールズ将軍も嬉しくないわけ無いと思うんだけどなぁ?あの人あの見た目だから、大抵の異性には怖がられてるからさ」


 舞花はガングニールズ将軍の姿を思い浮かべた。2メートル近い身長に逞しい体付き、鋭い目つきに頬の傷と顔の半分を覆うもじゃもじゃの髭……


「そうかな?見慣れるとヒグマのでっかい人形みたいでちょっとかわいいですよ?」


 舞花の言葉を聞いたセドラは目を大きく見開いた。そして、口元をにまにまと緩めて舞花に意味ありげな視線を送ってくる。


「あれがかわいく見えるなんて、愛だねえ」


「愛じゃ無いってば!!」


 舞花は持っていたグラスをドンッと置くと、慌ててそれを否定した。


「はいはい。でも、嫌いじゃ無いでしょ?」


「うーん。嫌いではない」


 舞花はガングニールズ将軍の姿を思い浮かべた。初めて会ったときは死の恐怖を味あわされた事もあり、ハッキリ言ってめちゃくちゃ怖かったし苦手だった。

 けれど、何回か顔を合わせるにつれて段々とその恐怖感は薄れてきて、今となっては嫌悪感もすっかり無くなった。


 むしろ……


「じゃあ好きだ」


「ち、違うって。なんですか、その子どもみたいな理論は!」


 舞花は慌てて否定した。今自分はむしろなんだと思ったのだろう?

 頬をあかくした舞花が膨れっ面を作ると、セドラは本日何回目かわからない大笑いをしたのだった。




 ♢♢♢




 その日、舞花は魔術研究所の一画で、事務処理の作業をしていた。未処理ボックスを確認すると、備品や薬草の購入から経理処理、よくわからない実験の許可申請やアナスタシアへの先見の依頼書まで結構な量が貯まっている。

 舞花はそれらをさくさくっと処理して、一段落したところでふぅっとひと息ついた。ちょうど目の前の空中をティーカップがふわりふわりと浮いていたので、舞花は椅子に乗ってそれをキャッチする。初めてこの世界に来た日は周囲の状況に目が点になったが、こんな風景も今やすっかり見慣れてしまった。

 ティーカップを手元へと運んでいたであろうどこかの誰かさんには心の中でごめんね、と謝っておいた。


 まだ未処理ボックスにのこるアナスタシアへの先見の依頼書をティーカップ片手にペラペラとめくる。依頼主はどこかの貴族様のようで姓と名が書かれていて、先見の対象はその貴族様の娘さんのようだ。


「ナターニャさん。アナスタシアさんへの先見の依頼って凄い人気なのね?」


 舞花はちょうど目の前を通りかかったナターニャに、先見の依頼書をめくりながら話しかけた。今日だけで3枚もきている。昨日はたしか、6枚もきていた。


「師匠の得意分野ですから」


「未来を見るのが?」と舞花は首をかしげる。


「未来と言っても近い将来とだいたいの運命です。師匠はとても優れた先見の力を持っているので、子の幸せのために親が頼むことが多いですね。そのままいくと悪い未来が見える場合、その状況を打開する策とその先の未来までもが見えるのは私が知る限り師匠だけです」


 ナターニャの話に舞花は「ふーん」と小さく頷いた。


 近い将来とだいたいの運命。それは初めてアナスタシアに出会った時に言い当てると言われたものだ。言葉通り、舞花と一緒に占って貰った惟子は素敵な彼氏が出来て幸せな生活をしている。アナスタシアの予言が当たるならば、もうじき子どもも出来るはずだ。


──あなたは私の世界で仕事をし、恋をし、幸せに暮らす。今まで体験したことの無いような刺激的な人生が待ってると保証するわよ。


 妖艶に微笑んだアナスタシアはあの時、舞花にそう告げた。確かに舞花は今アナスタシアの世界で仕事をし、仲の良い同僚や友達も出来てそれなりに幸せに過ごしている。魔法が普通にあるなんて体験したことのない刺激的な人生だ。でも、恋は??


「外れることもあるの?」


「私が知る限りはありません」


 おかしい。舞花の所には来るべき恋のお相手と恋心が全くやってこない。舞花はナターニャの返事を聞いてむむむっと低く呻いた。もしかしてやっぱりそれはあの人なのか?と髭もじゃの大男が頭に浮かぷ。舞花はそれを慌ててかき消した。


「マイカ。事務処理が終わったなら今日から少しだけ魔法の練習をしましょう。魔力を流し込むだけの魔法治癒だけしか出来ないとまた魔力枯渇を起こす可能性があります。基礎的なものを少し覚えるだけで全然違いますから」


「え?私って異世界人だけど魔法使えるの??」


 予想外の提案に目を丸くした舞花に対し、「もちろんです」とナターニャは頷いた。そして、「では1時間後に来て下さい」と言い残して颯爽と去って行った。


 1時間後にナターニャの元を訪れた舞花はいくつかの魔法を説明されたが、その中でもまず最初に覚えるようにと提示されたのは比較的簡単だとされる2つの魔法だった。

 一つは感覚を無くす麻酔のような作用をする無痛魔法。もう一つは一時的に筋力をアップさせる筋力増強魔法だ。


 ナターニャによると、感覚を無くす無痛魔法は、前回のような状況で力を発揮する。完全に治すことが出来ない怪我をした患者の痛みを一時的に取り去り、治癒できるベテラン魔法治癒師の元に辿り着くまでの時間稼ぎをするのだ。


 そして、筋力アップの筋力増強魔法は自力では動けなくなった患者を抱えて安全な場所に退避させる時に使う。例えば高熱で魘されていたり、怪我の程度が酷すぎて立ち上がることが出来ない場合、気絶している場合なとが想定される。


 どれも実際に起こったらと思うと怖ろしすぎる状況だが、覚えておくにこしたことは無い。


「頑張りましょうね」とナターニャに顔をのぞき込まれて、舞花は気を引き締めた。「よろしくお願いします!」と返事する声に気合が入った。


 練習を始めて数時間、薄々と気付いていたとあることに舞花は確信を持ち始めていた。


「ねえ、ナターニャさん。もしかしてこの世界の魔法って呪文はないの?」


 この練習、イメージを膨らませるばかりで完全なる無言なのだ。端からみたら無言で難しい顔をしている舞花はさぞかし滑稽な姿だろう。それに、思い返してみると魔術研究所では奇声は聞こえても呪文らしき声は聞こえたことがない。


「呪文…ですか?例えばどんな??」


「え?えーっとね、例えば『ウィンガーディアム・レヴィオーサ!』って杖を使ってさ。こうやって……」


 舞花は世界的大人気シリーズであるハリー・ポッターの世界の言葉である浮遊魔法の呪文を叫び、たまたま持っていたペンを片手に持って魔法の杖を振る真似をした。当然ながら何もおこらない。


「マイカの世界はそんなふうに魔法を使うのですか?呪文を覚えるのが大変ですね。間違えて言うとどうなるのです?杖は何のために使うのですか??」


 ナターニャは眉をひそめて真剣な顔で質問してきた。確かに呪文をいちいち覚えるのがめちゃくちゃ大変そうだし、杖ってそもそも何なんだ?


「すいません、話を逸らしました。忘れて下さい」


「はい。ではもう一度」


「はい……」


 そして、再び長い長い沈黙が舞花を包みこんだのであった。

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