第19話 人はこの気持ちを何というか?

 訓練に参加したこの日、舞花はいつものように仕事終わりにセドラと一緒に飲みに行った。

 セドラの働いているこの食堂は定食のようなセットから酒のつまみまで幅広く扱っており、すっかり舞花の行きつけになっている。

 お昼ご飯もセドラの売りに来るこの食堂のお弁当だし、夜もかなりの頻度で訪れて何回かに一度はセドラと一緒に飲んでいる。

 そのかわり、セドラの旦那様に恨まれないようにお開きの時間はかなり早めだ。


「乾杯!」


 舞花の掛け声に合わせてセドラも「かんぱーい」と言ってグラスを持ち上げた。初めて舞花がこれをやったときはなんのことかと怪訝な顔をされたものだが、今となってはすっかり慣れて付き合ってくれる。


「今日は北方軍の訓練に付いていったんでしょ? 大丈夫だった?」

「うん。だいぶ慣れたよ」


 舞花は笑顔でこたえてお酒をぐびっと飲む。仕事終わりの一杯は格別である。これぞ舞花の日々の癒し。

 テーブルに置かれたテンテン鳥のフリットをつまむとこれまた柔らかく、至福の一品。ちなみに、このテンテン鳥なる鳥はこちらの世界でポピュラーな食材で、ダチョウに見た目をしているらしい。らしい、と言うのは舞花は実物を見たことが無いからである。

 人から聞いた話から想像を膨らませて、テンテン鳥がダチョウと似た見た目なのだと舞花は勝手に思っている。


「ねえ、ガングニールズ将軍と進展はないの?」


 この日もセドラは目をキラキラさせて舞花に聞いてきた。


 セドラは飲みに行くと、必ず舞花にガングニールズ将軍のことを聞いてくる。ガングニールズ将軍に舞花の射た恋に効く弓矢が当たった事を知っているので、いつあの強面将軍と舞花が恋愛関係になるのか興味津々で楽しみにしているのだ。


「はひよ。ひふももうり」

「え?」


 舞花は口に入っていたテンテン鳥をもぐもぐと咀嚼してごくっと飲み込むとドンドンと胸の辺りを叩く。


「ちょっと、大丈夫!?」


 どうやら咽が軽く詰まったようである。

 背中をトントントンと叩かれてようやく落ち着いた舞花は涙目で顔を上げた。


「ないよ。いつも通り」

「えー。そっかー」


 セドラは残念そうに口を尖らせた。「つまんないのー」と小さな声で呟いているが、全部舞花には聞こえている。

 他人事だと思っていい気なものだと舞花は苦笑した。そして、ガングニールズ将軍の話を出されて、舞花は昼間にスデリファン副将軍から聞いた話を思い出した。


「そう言えばね……」


 その話をし始めると、セドラは人が変わったように神妙な顔つきになって静かにそれを聞いた。セドラにとってはその戦争は自分の国でかつて起きた出来事なので、他人事では無いようだ。


「なるほどね。そんなことがあったんだ。確かにあの戦争では沢山の兵士が亡くなったって私も両親から聞いたことがあるわ。戦場が王都からずっと離れた北の国境地帯だったから、一般人にはあまり知らされていないけどね」とセドラは眉をひそめて難しい顔をする。


「今の若い兵士は実際には戦場には行ったことがない人達だからね。ガングニールズ将軍も余計に心配になって厳しく指導しちゃうのかもね」

「そうなのよ。何も知らない外野が『鬼将軍』とか陰口を叩いてて、酷いと思うの。ガングニールズ将軍って心が休まるときがあるのかなって思って」


 舞花が口を尖らせると、「そうだね」とセドラも頷く。


「それで、マイカは何をしたいの?」


 こちらを見つめてにこりと微笑んだセドラの質問に、舞花は戸惑った。


「私が何をしたいか??」

「だって、すっかり落ち込んでこんな話を私にするくらいなんだもの。マイカはガングニールズ将軍が好きで、自分は味方になってあげたいんでしょ? マイカは将軍の心の休まる場所になりたいんじゃないの?」


 舞花はセドラのその指摘に目を見開いた。


 自分はガングニールズ将軍が好きで、彼の心の休まる場所になりたい?


 舞花は自分の胸に手を当てる。


 そうなのだろうか??

 確かに最近よくあの強面が頭に浮かぶ。

 一緒に過ごしてて楽しい気もする。


「うーん。よくわかんない」


 舞花は脳裏にいかついひげ面の大男を思い浮かべた。


 身長2メートル近く、がっしりとした体付きは山のようだ。焦げ茶色のひげが顔の半分を覆っている。右の眉尻から頬にかけては古い傷跡が残っていて、意思が強よそうな上がり眉は太い一本線。茶色い瞳は人を眼光だけで殺せそうな程鋭く、最初は本当に怖ろしい人だと震え上がった。


 最初は怖かった。

 でも、今は?


 嫌いでは無い。けれど、異性として好きかと聞かれると正直よくわからない。最後に人を好きになったのはいつだったろう。好きってどんな気持だっけ?


 要領を得ない舞花の様子にセドラは肩を竦めた。


「でも、ガングニールズ将軍がマイカのお相手の最有力候補には間違いないわよね?」


 セドラに『最有力候補』と言われ、舞花はふと菊池さんのことを思い出した。


「あ、そう言えば私、最近元の世界の友達に男の人を紹介されたの」

「男の人? 紹介??」


 セドラはそれを聞いた途端に怪訝な顔をした。舞花はそんなセドラに元の世界でバーベキュー合コンに行った話をした。


「……って訳なのよ。なかなか恋人が出来ないことを元の世界の友達に心配されて紹介されたの。今度2人で出掛けるんだ」

「ど、どんな人?」

「うーんとね、歳は私と一緒で営業マン……ものを売る仕事をしてる人だよ。ランニングが趣味で休日は2、30キロ走るんだって。平日の夜も翌日に響かないように5キロだけ走るって言ってた」

「そっ、その人と結婚するの!?」


 セドラの血相を変えた様子に舞花は思わず体を後ずさりさせる。


「いや、まだそう言う関係じゃ無いよ。ただ単に紹介されただけ」

「でも、紹介っていうのは恋人候補ってことじゃないの!?」


 そう言われると言葉に詰まる。お互い30歳過ぎているのだから、次にあった時にはそう言う関係になるかも知れない。付き合えば結婚もする可能性だってゼロでは無い。


「早まらない方がいいわ!」

「へ?」

「早まらない方がいいって言ったの。舞花の相手は絶対にガングニールズ将軍よ!」


 セドラはぐっと拳を作って力説した。


「私がなんとかしてあげる!」

「……なにを??」


 舞花はすっかりと忘れていた。セドラはこの世界の人であり、アナスタシア崇拝者であり、圧倒的にこの世界の男性、すなわちガングニールズ将軍押しであることを。


 ♢♢♢


「マイカ。ほら」


 今日も真っ赤になりながらも差し出されたマシュマロをぱくりと半分齧るとガングニールズ将軍は満足げにそののこり半分を口に入れた。マシュマロの袋を見ると残りあと一つになっている。


「それ、貸してください」


 舞花は戸惑うガングニールズ将軍からマシュマロの袋をひったくると、最後の一つを自分で摘まんだ。そして半分だけ自分で齧った。


 毎回毎回、鳥の餌付けのように手ずから食べさせられるという羞恥プレイをさせられていた。しかし、最初っからこうすればよかったのでは? と今頃になって舞花は気付いたのだ。その残りの半分になったマシュマロをスッと差し出す。


「はい。どうぞ」


 舞花は半分になったマシュマロをガングニールズ将軍の口元に持っていった。ガングニールズ将軍は舞花の行動に目を見開く。


「いつも私にやってるじゃないですか? 今日は逆です」


 ニヤニヤした舞花がグイッとガングニールズ将軍の口元に更にマシュマロを寄せると、戸惑ったような顔をした。明らかに困っている。


「もしかして、恥ずかしくて食べれられないんですか?」


 舞花がフフンと勝ち誇ったかのように言うと、ガングニールズ将軍は片眉をピクリと持ち上げた。このとき舞花は、自分がガングニールズ将軍の『負けられない病』の熱に火を灯したことに気づいていなかった。


「もちろん食べるさ」


 そういって不敵に微笑んだ(ようにみえた)ガングニールズ将軍はマシュマロを持つ舞花の手首をガシッと掴む。そして、おもむろにそれを口に入れた。


「ひゃっ!!」


 一気に真っ赤になってアワアワとする舞花をガングニールズ将軍はニヤリと見下ろした。


「うまい」

「ちょっ。い、いまちょっと触れた!!」

「マイカがしっかりと手に持っていたんだから仕方がないだろう?」


 指先に唇の熱を感じてうろたえる舞花を見下ろしてガングニールズ将軍はフフンと鼻で笑う。

 確かにいつもはマシュマロを摘まむガングニールズ将軍の手を噛まないように気を付けて舞花が齧っていた。しかし、今日は舞花が先に齧ってしまったので、舞花の手を避けて後からガングニールズ将軍がそれを口に入れるのは困難だ。

 羞恥からわなわなと震える舞花の横で、ガングニールズ将軍は空になった袋を見つめた。


「もう無くなったな」

「そうですね」


 舞花が相づちを打った後もそのまま無言で袋をじーっと見つめるガングニールズ将軍。さらりと流そうと思っていたのに、大切なオモチャが無くなってしょんぼりする子供のような態度で、何となく流しにくい。


「……あの、そんなに気に入ったならまた買って来ましょうか?」

「そうか?」


 ガングニールズ将軍の表情がパッと明るくなる。


「いつ行くんだ?」

「土曜日……5日後です」

「そうか」


 ガングニールズ将軍は満足げに頷いた。


 これは、よっぽどマシュマロがお気に召したようだ。次はコンビニじゃなくてスーパーまで行ってもっと大きいサイズのマシュマロを買ってきてあげよう。


「ところでマイカ、これはなんだ?」


 ガングニールズ将軍は今日納品した回復薬の中から一本の小瓶を差し出した。その小瓶はよく見ると、他の回復薬に比べて一本だけ色が濃い気がする。

 舞花はその小瓶を受け取った。貼られたラベルには『特製回復薬』の文字の他に『将軍用』と書いてある。何処からどう見てもガングニールズ将軍用の回復薬にしか見えない。


「ガングニールズ将軍用ですね?」


 舞花は笑顔で答えると、それをガングニールズ将軍に返した。将軍は大変なお仕事だから回復薬も特別仕様だとは知らなかった。


「……そうか」


 ガングニールズ将軍は返された小瓶を受け取ると、舞花の顔と小瓶を見比べた。そして、少し困ったように眉尻を下げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る