第11話 気を付けてはいたのだけど……
その日も舞花は魔法治癒師として訓練演習に参加していた。
既に4回ほど参加しているので、今日は舞花にとって5回目の参加になる。5回目ともなるとだいぶ慣れが生じてくる。この慣れが生じてくる頃が一番失敗しやすい頃なのだと言うことを、舞花はすっかり失念していた。
「はい、次の人どうぞ」
訓練もそろそろ終わりという時間帯になったころに舞花の目の前に現れたのは、腕を怪我したという一人の青年だった。
その青年は腕を抑えながら無言で舞花の前に腰を下ろした。彼の左腕の上腕中程が不自然に腫れ上がっていて、よくよく見ると肩と肘と手先の角度がおかしい。全身も擦り傷だらけだ。
これって、絶対に骨にちょっとひびが入ったってレベルじゃ無いよね……
舞花はその患部を見て、即座にそう判断した。素人目にも明らかに軽症では無い。何となく体の怠さを感じていた事も有り、そろそろ魔力も少なくなってきているはずだ。自分の手には負えないかも知れないとすぐに誰か他のベテラン魔法治癒師にバトンタッチしようと辺りを見渡したが、あいにく誰も近くに居なかった。
「痛みますか?」
「かなり痛む」
顔を顰める目の前の青年の額には脂汗が浮かんでいる。きっと、我慢しているものの相当の痛みがあることは予想出来た。このまま放っておく訳にもいかない。舞花は一先ず、腕の患部に軽く両手を当てていつもの要領で治癒を試みた。
「どうです?」
「気持ち楽になったくらいでほとんど変わらない」
相変わらず目の前の青年は痛みに耐えるような苦悶の表情を浮かべている。確かに沢山あった擦り傷は治っているが、一番大きな怪我である腕の患部の腫れは引いていない。
舞花は唇を噛んだ。今まで意図的に怪我の程度の軽い患者さんを宛がわれていたので、こういう場面での経験値が圧倒的に足りていなかった。
「もう少し治癒してみます」
舞花はもう一度患者に手を当てて魔力を流し込むイメージをした。自分の体から相手の体に何かを流し込むような、何度やっても不思議な感覚だ。かなりの時間をそうやって過ごし、若者の嬉しそうな声で舞花は閉じていた目をパチッと開いた。
「かなり良くなった。腫れも引いてきた」
舞花が患部を見ると、ぱんぱんに腫れ上がっていた腕がほんのり腫れているくらいになっている。明らかにおかしかった肘や指先の方向も戻っていた。
「よかった・・・」
ホッとした瞬間にずっと張っていた気が緩んでしまった。視界がぐにゃりと歪んで暗幕が降りたかのように暗転した。
あ、まずい……
そう思ったときには時すでに遅し。舞花は意識が混濁していくのを感じた。
♢♢♢
あれ、ここって……
舞花が意識を取り戻した時、目に入ったのは知らない景色だった。舞花の魔術師用の寮の部屋の天井とも日本に居たときのワンルームマンションの天井とも違う、石造りの天井。起き上がるとサイドテーブルには手紙が置かれている。舞花は手を伸ばしてその手紙を取ると、内容に目を通した。
『マイカへ
魔力枯渇で倒れちゃったんですって?頭打ったりすると大変だから気を付けてね。
そんなマイカのために私が特製の携帯用魔力ゲージを作ってあげたわよ。ゲージの緑線が魔力の残量を表しているわ。危険レベルまで下がると色が黄色、最後は赤へと変わるの。わかりやすいでしょ?
アナスタシアより』
「そっか。私やっぱり魔力枯渇で倒れちゃったんだ」
そうだろうとは思っていたが、アナスタシアの手紙を見て間違いなくそうだったのだと現実を突き付けられて、舞花は落ち込んだ。気を付けていたつもりなのだが、最後の彼の治癒で魔力を渡しすぎたようだ。
サイドテーブルには手紙とは別にキーホルダーのようなものが置かれていた。直径1センチ、長さ10センチ程の透明な円柱の中に緑色の縦線が入っていて、昔小学校の理科の実験で使った水銀式の温度計に似ている。この緑色の縦線が舞花の魔力の残量を表しているようで、今は半分より少し多い位を指していた。
コンコンと扉をノックする音がして舞花が顔を上げると、扉の隙間からガングニールズ将軍が中を窺っていた。中に入ろうかどうか迷っているようで、髭面の大きな身体で逡巡している様子がなんだか北海道旅行で訪れたクマ牧場のヒグマに似てて可愛く見えた。
「どうぞ」
舞花が声を掛けると、ガングニールズ将軍は中に入ってきて、立ったまま無言で舞花を見下ろした。
「ここはどこですか?」
「北方軍の応急医務室だ」
「運んで下さったのですね。ありがとうございます」
舞花がガングニールズ将軍に御礼を言うと、2人の間には何とも言えない沈黙が流れた。
「きちんと注意して見てなくて済まなかった」
暫くの沈黙の後に舞花に掛けられたのは意外にも謝罪の言葉だった。てっきり怒られると思っていた舞花が驚いて顔を上げると、鎮痛な面持ちのガングニールズ将軍と目が合った。
「なぜ謝るのです?きちんと魔力を調整しなかった私が悪いのに」
舞花の問いかけに小さくガングニールズ将軍は首を振った。
「魔法治癒師達は全てアナスタシアからの預かり者だ。お前達は軍人では無い。軍から要請されてついてくるだけだ。故に俺は従軍させた魔法治癒師達を無事に家まで送り届ける責務が有る」
舞花は何も答えずに続きを促した。
「マイカは2回目の訓練演習参加以降はきちんと自身の魔力の調整をしていたから油断した。まだ新人なのだから、もっときちんと見てやるべきだった」
舞花は驚いて将軍を凝視した。
私は新人なのだから、将軍が見てやるべきだった?
将軍には何千、時としては何万の部下がいる筈だ。その中の一人の新人を将軍自身が気に掛けるべきだった?本気で言っているのだろうか??そんなことは普通の人間には無理に決まっている。
「ガングニールズ将軍。お言葉ですが」と舞花は右手を小さく挙げて発言の許可を願い出た。ガングニールズ将軍は小さく頷く。
「私が倒れたのは私の力量不足であり、私に責任があってもガングニールズ将軍に責任はありません。私以外がその責任を問われるなら、今回の魔法治癒師団の私の直属の上長であるノンシャさん又は未熟な私を派遣するとした魔術研究所所長のアナスタシアさんです。将軍は『実演訓練に同伴する魔法治癒師を派遣して欲しい』と要請したのですから、派遣される側も過酷なことはわかっていました。一介の魔法治癒師を気に掛ける必要など、一切ありません」
力強く言い放った舞花の顔をガングニールズ将軍はまじまじと見つめた。そして、元々縦皺が消えない眉の皺を益々深いものにした。
「お前はわかっていない」とガングニールズ将軍はため息交じりに呟いた。「これが訓練で無いなら、お前は死んでいた」
舞花は目を逸らさずに頷いた。
「そうです。これが実戦なら私は死んでいました。そうならないように訓練で経験を積んで学ぶのでは無いのですか?」
実戦で魔法治癒師が気絶する。それは想像もしたくないような状況だ。気絶した人を運ぶというのは大変な重労働だ。戦場でそれをしたら、恐らく気絶した人と運ぶ人の両方が逃げ遅れて死ぬ。そうならないためにも自分達は訓練しているはずだ。
「とにかく、ガングニールズ将軍は過保護すぎます!それに私、とっても良いもの貰ったのです。アナスタシアさんから寝てる間に手紙を貰って」
「良いもの?手紙??」
ガングニールズ将軍はサイドテーブルに置かれた手紙に気付き、それを手にして読み始めた。
「・・・マイカ。悪いが俺は忙しい。暫く休んで良いが、気分が良くなったら自宅に戻るんだ」
読み終えたガングニールズ将軍は暫く逡巡するような仕草をみせて、心なしか落ち着かない様子でそう諭してきた。舞花はどうしたのかと首を傾げたが、笑顔で御礼を言った。去り際の将軍のお耳が少しあかい。
「どうしたんだろ?」
舞花はガングニールズ将軍の置いたサイドテーブルの手紙を手に取った。
『マイカへ
今日はゆっくり休んでね。頑張ったご褒美にバカ将軍に責任もって朝まで介抱して貰うといいわ。
アナスタシアより
P.S 明日は午後からの出所で良いわよ♡』
この後、舞花の絶叫が北方軍の施設に響きわたったのは言うまでもない。
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