第18話 揺れる気持ち

 自室で本を読んでいた舞花はポロリンっという通知音が聞こえた気がして棚に置かれたアナスタシア特製の魔法の木箱を開ける。

 思った通りスマートフォンのランプが点滅しており、何通かメッセージが来ていた。中身を見ると、差出人は惟子と先日のバーベキュー合コンで知り合った菊池だった。舞花はまず菊池からのメッセージを開く。


『こんばんは。仕事の飲み会が多くて連絡遅れてごめん。明日から出張だから、今週末潰れそうなんだ。来週末会えるかな?』


 メッセージを見て舞花は手帳を確認した。魔術研究所は不定休で必ずしも日本の週末が休みになるわけではない。ただ、来週末はたまたま片方が舞花も休日だった。


『土曜日なら大丈夫です。出張はどちらに行くんですか?』


 舞花が送信ボタンを押すと、数分で返信が戻ってきた。


『じゃあ来週末の土曜日に会おう。出張は姫路だよ』


『姫路って白いお城があるところですよね?気を付けて行ってきてくださいね。土曜日OKです!』


 再度送信ボタンを押すと、今度はすぐにスタンプが戻ってきたので舞花もスタンプを返した。

 付き合うか付き合わないかの駆け引きが一番楽しい時期のやり取り。いつもだったらうきうきするの筈なのに、何となく舞花の中ですっきりとしないもやもや感が広がる。


 気を取り直して惟子からのメッセージの方を開いてみると、予想通り菊池さんとどうなっているのかを探る内容だった。


『菊池さんおすすめだよ♡舞花の好みでしょ?頑張れ!』


 舞花はメッセージを見て苦笑する。きっと彼氏さん経由で何か聞いているのだろう。こちらにも当たり障りのないスタンプを返した。


「良い人なんだよね……」


 舞花は先日会ったばかりの爽やか青年を思い浮かべて独り言ちる。クローゼットとテーブルとシングルベットだけが置かれたシンプルな魔術師用の寮の部屋で、舞花はベットに無造作にごろんと転がった。

 優しくて誠実そうな雰囲気のある人だった。自分もいい歳なのだから、このまま話が進むことに何も迷う必要はないはず。上手くいけば結婚だってあり得る。


「彼氏……結婚かぁ」


 白い天井を眺めていると舞花の脳裏にはふともう一人の男性が思い浮かんだ。


 あの人は自分のことをどう思っているんだろう?


 そんなことを思ってしまった自分に舞花は愕然とした。脳裏に浮かぶその人の姿を慌てて消し去ると、頭を冷やそうと急いでシャワーへと向かう。


「……もう寝よ」


 いつもより少し早いけれど、その日はもう寝ることにした。



 ◇◇◇



 もうそろそろ今日はお終いかな、と思って舞花は外を窺った。既に多くの兵士達が撤収の準備をしているのが遠目に見える。魔力ゲージをみると線が3分の1のラインまで減っているが、まだ余裕はありそうだ。今日も沢山の人を治療したな、と舞花はぐいっと一つ伸びをした。


「お、マイカ。ご苦労さん」


「お疲れさまです、スデリファン副将軍」


 撤収して仮設の陣営地に戻ってきたスデリファン副将軍は舞花を見つけて労いの言葉を掛けてきた。今日もしっかりと訓練したようで、身に付けている防具は埃まみれになっていた。


「そこ擦り剥いてるの治しますよ」


 舞花がスデリファン副将軍の腕を指でさすとスデリファン副将軍は腕をあげてその部分をみた。右腕の肘の下のあたりが擦り剥けて血が滲んでいた。


「じゃあ頼むわ」


 スデリファン副将軍は舞花の前にある椅子に腰を下ろすと腕をぐいっと差し出した。舞花は傷を直接触れないように出来るだけ近くに手を添え、ゆっくりと魔力を注ぐ。傷口はみるみるうちに綺麗に塞がった。


「ありがとな。魔力は大丈夫?」


 舞花はもう一度魔力ゲージをみた。緑色の線は3分の1位から殆ど変わっていない。舞花は魔力ゲージをスデリファン副将軍の前に差し出すと「大丈夫です。ほら」とそれを見せる。

 スデリファン副将軍はゲージの位置を確認して、「よかった。マイカを倒れさせるとリークにぶん殴られるからな」と笑った。


「ガングニールズ将軍は昔何かあったんですか?やけに魔法治癒師に過保護ですよね?」


 舞花は前々から疑問に思っていたことをスデリファン副将軍に聞いてみた。


 ガングニールズ将軍は今日も訓練の合間に何回も舞花が魔力涸渇を起こしていないか確認に来た。魔力ゲージを持っていることを知っているにも関わらずだ。

 これは舞花に限った事では無く、ガングニールズ将軍は全ての魔法治癒師に対して過保護な傾向がある。

 最前線には絶対に出さないし、魔法治癒師が一人にならないように部下に徹底して言い付けていた。いつも魔法治癒師をとても重要視して大切に扱っているのだ。ここまで徹底して過保護だと、過去に何かがあったのかと舞花が疑問に思うのも当然だった。


 その質問を聞いたスデリファン副将軍は「リークの事を知りたい?」と舞花に聞き返し、にんまりと笑った。


「知りたいです」


 舞花はコクコクと頷く。


「おうおう。素直でよろしい」とスデリファン副将軍は笑った。そして、「これは俺が言ったって秘密な」と言って、少しだけ昔話を始めた。


「リークと俺は同じ年に北方軍に新人配属された。今から18年前でお互いにまだ20歳の頃だ。あの頃はこの国は平和だった。今と同じように東西南北に四つの軍がいた。もちろん訓練はしていたが、誰も実際に軍隊が動くような戦いがあるなんて思っていなかった。あの頃、国の軍隊が動くほどの戦いがおこるなんて思っていたのは当時まだ下っ端の魔女だったあいつの姉だけだ」


「ガングニールズ将軍はお姉さんがいるんですか?」


 舞花は意外な情報に思わず聞き返したが、「ああそうだ。まあその話は今はいい」とスデリファン副将軍は話を流した。


「俺たちが軍隊に入って数年が経った頃、この国の北の国境では隣国と相当緊迫感が高まっていた。理由なんてただの軍人だった俺らが知るはずもない。その頃、リークと俺は2人とも徐々に実力をつけて部下が増え始めていたころだった。俺たちはお互いに北方軍にある小隊の隊長になっていた。


 北の国境地帯ってのは鬱蒼と茂る広大な密林地帯が広がっているんだ。この前、マイカを連れて行ってやった野営訓練の森とは比べものにならないほど大きく、鬱蒼としている。そして、あそこには魔法を操る多くの魔獣も沢山いた。


 理由は省略するが、やがて国同士の緊迫がピークに達したときに戦争が始まった。北方軍に限らず全ての軍隊が戦争にかり出されたが、やはり一番の前進基地は北方軍で固められた。リークと俺ももちろん戦場に行ったさ」


 スデリファン副将軍はその当時を思い出すようにゆっくりと言葉を重ねる。


「北方軍は5つの中隊で構成されていて、その中隊はいくつかの小隊と魔法治癒師隊で構成される。これはマイカも知ってるよな?」


 スデリファン副将軍に聞かれ、舞花は頷いた。何回か実演訓練に参加し、そのたびに舞花達魔法治癒師達は5班に分かれてどこかしらの中隊に配属されてた。


「リークの小隊と俺の小隊は同じ中隊にいた。俺らの中隊にも魔法治癒師がついていたよ」


 スデリファン副将軍はそこでいったん話すのをやめ、下を向くとハァっと一つため息を吐く。舞花は何も言わずに静かに続きを待った。


「俺らはあの当時、魔法治癒師の魔力が有限だってことをよくわかっていなかった。そこまで疲弊する戦いを経験したことがなかったし、それだけ優秀な魔法治癒師隊が俺らの中隊に付いていたってことだ。それに、リークは自身が溢れる魔力を持つ優秀な魔術師家系で魔力枯渇なんて無縁だったしな。


 とにかく、俺たちは疲れたり怪我をしたら魔法治癒師達に治癒して貰い、回復したらまた突っ込むって無茶な戦い方をしていた。そんなことしたらどうなると思う?」


「魔法治癒師達が倒れます」


 舞花の答えに、スデリファン副将軍は大きく頷いた。


「そうだ。あるとき俺らの中隊の魔法治癒師達が魔力枯渇で倒れた。すると、まだ倒れてない魔法治癒師に自分を治癒して欲しい兵士が殺到する。また1人また1人と魔法治癒師達が魔力涸渇をおこす悪循環の始まりだ。


 そのあとは本当に悲惨だった。怪我しても癒してくれる魔法治癒師が居ないから兵士はどんどん消耗していく。途中で倒れる奴が出ても運んでやることも出来ない。一緒に戦った仲間を見殺しにするしか出来ないんだぜ?あれはつらかったな」


 スデリファン副将軍は当時を思い出したのが、目頭をぐりぐりと指で抑えると額に手を置いて項垂れた。


「とにかく、魔法治癒師隊がやられるって言うのは同じ人数の兵士がやられるのより遙かに隊へのダメージが大きいんだ。だから、それ以来リークは魔法治癒師の連中には特に気に掛けている。俺らの業界じゃあれ以来、魔法治癒師1人が倒れると兵士が20人倒れるって言われているんだよ」


 魔法治癒師1人が倒れると兵士が20人倒れる。それは誇張でも何でもなく、真実を言っているのだろうなと舞花は思った。


「そんなことがあったんですね」


 舞花はガングニールズ将軍を何の考えもなしに過保護な人扱いしたことを申し訳なく思った。それと同時に、言ってくれればいいのに、と少しだけ不満にも思った。


「リークは厳しいけれど、あれはそれだけ自分の部下が大事だってことの裏返しなんだ。今は平和だけど、いざ戦争が起きたら自分の身は自分で護るしかないからね。俺たちだって新人配属されたときはまさか自分が本当に戦争に行くなんて夢にも思っていなかった。一番いいのは戦争なんて無いことだ。でも、もしも起こってしまったらと、その時を想定して厳しく訓練してる」


「そうですね」


「まあ、うちの兵士はリークのことを怖い上官だと恐れをなしている一方で尊敬もしているんだよ。マイカはわかっていると思うけど、ただ怖いだけの『鬼将軍』じゃないんだ。それに、私情を挟んで魔法治癒師を過保護に扱うようなやつでもない」


「はい。わかってます」


 舞花が頷くと、スデリファン副将軍はホッとしたように少し微笑んだ。そして、「よし、戻るか!」と立ち上がった。


 軽い話だと思って何気なく聞いたら、思ったよりもだいぶ重い話だった。スデリファン副将軍と並んで北方軍の施設に戻ろうと歩いていると、遠方にいる話の中心人物であるガングニールズ将軍が目に入る。ちらりと目を向けると、居残りして今も厳しく若手兵士達に指導をしているところだった。


 仕事はまじめに取り組み厳しく部下を指導して、外野からは鬼将軍と揶揄されている。プライベートはからきしだとスデリファン副将軍からは聞いた。



 あの人はいったいいつ心を休めているのだろう?



 色々と話を聞いたせいか、舞花にはガングニールズ将軍の大きな背中に哀愁が漂っているように見えた。

 その背に触れたいような気がして手を伸ばしかけ、遥か遠くの人に手が届くはずがないと気付き静かにその腕を下ろす。


 スデリファン副将軍は何も言わずに舞花のその様子を見つめていた。

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