第22話 その時そこでは
時は舞花がガングニールズに「酷い!」と捨て台詞を吐いて走り去った昼間まで戻る。
舞花が泣きながら自分に向かって「酷い!」と叫び、走り去って行った。ガングニールズはその状況が理解できず、そのまま呆然と立ち尽くしていた。
「マイカは一体どうしたんだ?」
ガングニールズは眉を寄せる。
はっきり言って訳がわからない。自分は舞花に偶然廊下で出会って声をかけただけだ。一体どこがどう酷いのか?
ガングニールズは今日の舞花との一連のやり取りをもう一度反芻した。
先ほど舞花がいつものように回復薬の納品に来た。それをガングニールズもいつものように受け取った。そして、舞花がプレゼントしてくれたマシュマロをいつものように半分こにして一緒に食べた。最後に魔術研究所に帰ったと思っていた舞花を廊下で見つけて声をかけた。
ガングニールズはそこでふと気がついた。よく考えると、いつもと違うことが2つあった。
1つ目は、いつもならガングニールズから食べさせられるだけの舞花なのに、今日はマシュマロをガングニールズに食べさせようとした。
2つ目は、ガングニールズが特製回復薬のことを舞花に初めて問うた。
特製回復薬は通称『夜の薬』とも言われ、端的に言えばあっちの方向に元気が回復する回復薬だ。男性が飲めば精力がみなぎり、女性が飲めば快感が増す。
この特製回復薬、舞花が回復薬を納品するようになってから、毎回毎回お決まりのように普通の回復薬にまざって一本だけ紛れ込ませてある。さらに、その特製回復薬にはわざわざ『将軍用』と但し書きがされている。
ずっと見なかったことにして流してきたが、さすがのガングニールズもここまで直接的であからさまなアプローチは初めてだ。
もしかしたらまたアナスタシアの悪戯かもしれない。そう思ったガングニールズは、今日始めて舞花にこれはどういうつもりなのかと問うた。
舞花は驚く様子も無く、ただ『ガングニールズ将軍の回復薬です』と笑顔で答えるだけだった。あんな薬をみせられてもとくにいつもと変わりは無いということは、舞花も承知の上であれを紛れ込ませていると言うことだ。
だが、今は明らかに泣いていた。
いったいなぜ??
ガングニールズはもう一度先ほどの舞花の様子を思い返す。そういえば、舞花はガングニールズの口元を凝視していた気がする。
「もしかして、ひげか?」
舞花は事ある毎にガングニールズにひげを剃ることを勧めてきていた。もしかして、先ほどの『酷い!』はガングニールズのひげが泣くほど酷すぎると言う意味なのかと思い当たる。
ガングニールズは自らのひげに無意識に触れる。伸ばしっぱなしでもじゃもじゃだ。確かに酷いとは思うが、泣くほどなのか?
その時、ガングニールズは「リーク!」と呼ぶ大きな声ではっと顔を上げた。目の前には昼御飯の弁当を抱えたスデリファンが深刻な顔をして立っている。
「フィン、俺のひげは泣くほどひどいか?」
ガングニールズはちょうど良いところに居たとばかりにスデリファンに自らのひげについて尋ねる。
「ああ? お前のひげは昔っからクマみたいだろ? 悪人面だし年中泣く子だらけだ。今更何言ってんだ?」
スデリファンは怪訝な顔をして言い返してきた。確かにガングニールズのひげはもじゃもじゃで、自分でも酷いという自覚はある。女子どもに泣かれるのは日常茶飯事だ。しかし、舞花に限っては今までそんなことは一度も無かった。
「マイカが俺の口元を見つめた後に『酷い!』と叫んで泣きながら走っていったんだ」
「マイカが?」
「ああ。確かに俺の口元を凝視していた。そして『酷い!』と叫んで泣いて走り去っていたんだ」
実はガングニールズは結構なショックを受けていた。
呆然とした様子でそう言うガングニールズの説明に、スデリファンは眉をひそめた。そして、ガングニールズの肩にポンと手をおくと、真剣な目で覗き込んできた。
「リーク。それはきっとひげのせいじゃない」
「なんだと?」
「お前がいつまでも煮え切らない態度をとるから、マイカは元の世界でいつまでも恋人が出来ない女と不名誉なレッテルを貼られているそうだ。そして、友人から紹介と称して適当な男を宛がわれそうになっているらしい。これは煮え切らないお前に対して『酷い』という意味だ」
それはガングニールズにとって思いがけない話だった。舞花に男が宛がわれそうになっている?
「どういうことだ?」
無意識のうちにスデリファンに問い詰めるガングニールズの声は怒声になる。
「弁当屋のセドラからさっき聞いたんだ。マイカの元の世界の友人がマイカのことを心配して男を紹介しようとしてるってな。もちろん恋人としてだ。今度向こうに行くときは2人で会うそうだ」
確かに舞花は弁当屋のセドラと仲が良い。
いつの間にそんなことに?? 次に向こうに行くときとは、さっき舞花が言っていた『5日後』のことか?
マイカに元の世界で男が出来そうだと知り、ガングニールズは自分でも予想してないほどに衝撃を受けていた。
「……しかし、執務室では普通の態度だった。さっき急に泣き出したんだ」
絞り出すような声でガングニールズはそう言った。
「なにか執務室で変わったことはなかったか?」
スデリファンからの問いにガングニールズは考える。
そういわれると、今日はいつもと違うことが2つあったのだ。ガングニールズはハッとしてスデリファンにそのことを話した。
「それはな、おそらくその菓子と掛けて『私も食べて欲しい』というメッセージだ。それに加えて、特製回復薬の存在にも気づいているのにお前が知らんぷりして流していると知って、きっとマイカの心が折れたんだ」
「そんなことは……」
しかし、思い返せばスデリファンの言うとおりな気がした。『そんなことはない』とは言い切れない。まさかあれがそんなメッセージを含んでいたとは、ガングニールズは全く気付いていなかった。
だから今日は無理やりマシュマロの袋を奪ったのか……
ガングニールズは自らの不甲斐なさに拳を握り締める。
「マイカが一途に気持ちを伝えてくれるのをいい事に、お前がいつまでも煮え切らない態度をとりつづけるからこうなるんだ」
真剣な顔をして諭すスデリファンに対し、ガングニールズは苦悶の表情を浮かべた。
「しかし、俺がやつの先見で女を不幸にすると言われたことは知っているだろう? 気持ちに応えればマイカが不幸になる」
それは思い出したくもない10年前のこと。終戦で数年ぶりに帰還したガングニールズは、当時の婚約者と一緒にアナスタシアに先見をして貰った。アナスタシアは少し考えるように首をかしげ、そして、声高々にこう言った。
『この男には先の戦争による呪いがかかっている。この男は、愛した女を不幸にする。これは向こう10年続くだろう』
結果として、ガングニールズは婚約を一方的に破棄された。これはその場に居合わせたスデリファンも知っていることだ。
「今度の記念式典でちょうど10年だ。先見で予言された期間も終わる。ここでマイカを手放すと一生後悔するかもしれないぞ?」
「わかってる。だが……」
「リーク。マイカのお相手はな、走るのが趣味と言いながら、休日は2、30キロ、平日の夜は翌日に響くから5キロだけランニングするそうだ」
「走るのが趣味で休日は2、30キロ、平日の夜は5キロだと?」
ガングニールズは心底驚いて目を見開いた。スデリファンもガングニールズの目を見て頷く。
「そんなひ弱な奴にマイカを任せていいのか? きっともやしのような男だぞ? マイカはひ弱な夫を支えるために苦労するかも知れない」
顔を顰めて眉を寄せたスデリファンの顔を、ガングニールズは信じられない思いで見返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます