第2話 ち、違うんです!
ひゅんとピンク色の物が超高速で手元から消え去ったその瞬間、比喩では無く気温が2℃、いや、5℃位は下がった。凍り付きそうな冷気があたりを覆い、舞花まいかはぶるりと体を震わせた。
「俺に向かって矢を射るとは良い度胸だ!どこのどいつだ!前に出ろー!!!!」
地響きのような怒号があたりに響き渡る。その男の、声だけで人を気絶させそうな地を這うような強烈な怒号に、舞花は恐怖のあまり震えあがった。
まずい。これは非常にまずい状況である。
舞花から少し離れた場所には身長2メートル近くありそうな厳つい強面の男。男の鎧の肩にはこの場の雰囲気に全くそぐわないピンク色の矢がちょこんと刺さっている。
神社の入り口の金剛力士の様な厳しい表情をしたその男の無精髭で覆われた顔には剣で切られたかのような古傷が残っており、恐怖感を倍増させていた。まずいことに一人だけ衣装が違い、どうやら偉い人っぽい雰囲気だ。
そして、元々強面の男の眉間には深い皺がより、明らかに怒っている。まさに怒れる金剛力士、阿形像が実在したらこんな感じだろう。
いや、わかりますよ?怒るのもわかります!でも事故なんです!!
舞花は心の中で盛大に叫んだ。恐怖のあまり、もちろん口には出せない。
男の剣幕に恐れをなしたのか、周囲にいた部下らしき兵士たちは一言も発する事無くサササーっと蜘蛛の子を散らすかのようにその場からいなくなる。必然的に離れた場所にいる舞花が晒されるように残る形になった。
男はちょこんと刺さったおもちゃの様な矢を皮の鎧から引き抜くと、矢軸をバキッと片手で折った。男の手に握られた棒の先のキラキラのピンクのあのマークが場違いすぎる。
ギロっとした男の険しい目が舞花を捉え、舞花は心臓が縮こまるかのような恐怖で震え上がった。逃げようにも腰が抜けて逃走不能に陥っている。そして、舞花と男の間にあるのは空気のみ。
「あ、あ、あの、申し訳ありませんでした」
「なにいぃ?!!聞こえん!!」
「ひぃい!す、すいません!ごめんなさい!!わざとじゃありません。事故なんです!!!」
男の目が更に厳しいものへと変わる。ザクッザクッという足音とともに男は舞花に近づいてきた。そしてヒュンと風を切る音がした次の瞬間、舞花の喉元に鋭利な剣がヒタリと向けられていた。
「女。何者だ?」
「た、た、た、ただの……通りがかりの者です」
「名前を言え!!」
必死に言い訳しようとすると強面の男から大声で怒鳴られ、舞花は更に竦み上がった。これまでの人生最強の恐怖体験であることは間違いない。こんな時に限って誰も付き添いがおらず一人きりでいるなんて運がないことこの上ない。
当てられただけだった剣先は先ほどまではひんやりしただけだったが、今はチクンと痛む。もしかしたら血が出てるのかもしれない。
「ま、舞花」
舞花は何とか自分の名前を告げた。この世界では貴族様以外は姓は無いらしいので、告げるのは名前だけだ。
「マイカとやら。ここは部外者は入れないはずだ。どこから送られた刺客だ?10秒以内に言わなければお前の頭は首から離れることになる」
遠巻きにこちらを見る兵士達は一言も発せずに固唾をのんで様子を見守っている。誰も舞花を助けてくれそうな雰囲気は無い。
喉にあたる剣先のチクリとした感覚に、舞花は改めてこれが夢ではないと感じてゴクリと唾を呑んだ。
「あの、本当にごめんなさい。事故なんです!」
「10、9、8……」
舞花は咄嗟に謝ったが、男は無情にもカウントダウンを始めた。部外者は入れないどころかここまで完全なるオールバリアフリーだったが、今それを言うと火に油を注ぐことは明らかだ。
「ご、ごめんなさいっ!」
「6、5、4……」
男のカウントダウンは止まらない。このままでは本当に殺される。舞花は激しい恐怖心からボロボロと両目から勝手に涙がこぼれ落ちた。
「あの、散歩に行こうとしたらアナスタシアさんから弓矢を渡されて……」
「なに、アナスタシアだと?奴は謀反を企てているのか!?」
険しい表情のまま身を乗り出した男に聞き返され、カウントダウンがとりあえず止まったことに舞花はほっとした。しかし、目の前の男は首もとの剣を下ろさず厳しい表情のまま舞花を睨みつけている。
「恋に効く道具を……」
「全員に聞こえるようにもっと大きな声で言え!!」
「恋に効く道具だと言われて渡された弓矢の矢があなたに刺さっちゃったんです!!」
舞花は力の限りそう叫んだ。
厳しい表情のまま舞花を取り囲んでいた男の部下の兵士たちはポカンとした顔をして、一様に目を丸くしている。そして、一番呆気に取られた表情をしている目の前の強面の巨大男の手には、この場の雰囲気に場違いすぎるキラキラの可愛いピンク色クリスタルのハートがくっ付いたこれまたピンク色の棒。
あぁ、本当に何でこんな事に!!どんな羞恥プレイなのか。
「……。はぁ???」
暫しの沈黙の後に男の口から洩れたのは、何とも間抜けな一言だった。
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