エピローグ  その後……   10月19日

 朝比奈家の事件から、一週間が過ぎた。私達は、いつもの生活に戻り大学に通っていた。

「早いものね。もう一週間経ったのか」

 私が独り言のように言うと、法子は、

「そうね。でも先輩、まだ大学に出て来ないわね」

「ええ。お父さんが殺されて、犯人が義理のお母さんだなんてね。とんでもないわよね」

「うん」

 法子はこの一週間ずっと沈んでいた。自分はとんでもないことをしてしまったのではないか、と考えているのだ。彼女は事件に関わってそれを解き明かした後、大抵そういう心理状態になってしまう。冷たい言い方をすれば、関わらなきゃいいじゃん、となってしまうが、それでは彼女に酷すぎる。

 私自身は法子がしたことを間違ったことだとは思っていないし、松子のためにも裕子先輩のためにも、ああするしかなかったと結論を出している。全てうまくいくなんてことは現実にはあり得ないはずだ。

 私達は別に疲れたわけでもなかったが、何となくロビーの長椅子にベタッと座ってしまった。その時、

「中津さん」

 声をかけて来た人がいた。私達はハッとして声の主を見た。そこには大崎先生が立っていた。

「ちょっといいですか?」

 彼は法子の隣に座った。もう! どうしていつもそうなの? うん? でもそういう話ではなさそうだ。

「事件のことですね」

 法子が尋ねると、大崎先生はゆっくりと頷き、

「松子さんは、とうとうモルヒネの出所を話さないまま、送検されるそうですね」

「ええ。やはりあのモルヒネ、出所は大崎先生なんですね?」

 法子が言ったので、私はびっくりして大崎先生を見た。法子は、

「でも、それは大崎先生が渡したものではない。松子さんが勝手に持って行ったものですね?」

 大崎先生は天井を見上げて、

「ええ。しかし、実際の話、私は彼女がモルヒネを私の研究室から持って行ったのを知っていました。見て見ぬフリをしていたのです」

「松子さんを愛していたのですね? 」

 法子が単刀直入に言うと、大崎先生は苦笑いをして、

「はい。でも、彼女は私を利用していたに過ぎませんでした。私の片思いですよ。それはそれでいいのですが……」

 なるほど。だから法子がモルヒネのことを尋ねた時、あんなに動揺したのか。

「貴方はどこまで御存じなんですか? 高林先生のことも?」

 法子が尋ねると、大崎先生は法子を見て、

「高林先生の死亡時刻のトリックは彼女の発案です。可能かどうか、私に質問して来ました」

 法子は冷静に聞いているが、私はもう少しで、「どうして警察に言わなかったんですか!?」と叫びそうになった。

「何故朝比奈さんは高林先生を殺したのか御存じですか?」

 法子は静かに尋ねた。大崎先生はフーッと息を吐いてから、

「高林先生は、遺言状のことをネタに、朝比奈さんを脅迫したらしいのです。朝比奈さんはカッとなり、高林先生をゴルフクラブで殴り殺した。最初は警察に話すつもりだったらしいのですが、松子さんがそれを止めて、例のトリックを話したのです」

「何故松子さんはそんなことを思いついたのですか?」

 法子は大崎先生を覗き込むようにして言った。先生は、法子の顔がすぐそばにあるので、ちょっと照れたような顔で、

「松子さんは朝比奈さんとの離婚を考え、トリックを提案したのです。うまくいったら、離婚を承諾してほしいと。しかし、朝比奈さんは離婚に応じませんでした」

「それで朝比奈さん殺害を思い立ったのですか?」

「恐らく……」

 大崎先生は目を伏せて、切なげに言った。しかし法子は、

「それは違うと思います」

 反対の意を表した。大崎先生はびっくりして目を上げた。

「どういうことですか?」

 彼は不思議そうに法子に尋ねた。法子は、

「松子さんは貴方の愛に気づいたのではないですか? だからこそ、貴方の愛に応えるために、朝比奈さんとの離婚を考え、それがかなわないとわかったので、殺人まで思い立った……」

 大崎先生は、信じられないという顔で法子を見ていた。

「そんなバカな……。彼女は、私を単に便利な奴として……」

「松子さんがそう言ったわけではないのでしょう?」

 法子が促すように言うと、大崎先生は、

「そ、それはそうですが……」

 俯いてしまった。法子はニッコリして、

「だからこそ、逮捕されてから今まで、貴方のことを警察に話していないのではないでしょうか」

 大崎先生はゆっくりと顔を上げて法子を見ると、

「私はどうすればいいのでしょうか?」

 法子は微笑んだまま、

「松子さんを本当に愛しておられるのなら、待ってあげることです。彼女が帰って来るのを。裕子先輩が、被告人側の証人として、松子さんの減刑を申し立てると言っていましたし」

「裕子さんが……」

 大崎先生の目に涙が光っていた。彼はしばらくじっと何かを考えていたが、やがて立ち上がり、私達に深々とお辞儀をすると法学部棟を出て行った。

 これは後で知ったことなのだが、大崎先生は八王子署に出頭し、松子にモルヒネを提供したのは自分だと名乗り出たそうだ。少しでも松子の罪が軽くなるように。

「朝比奈さんは、松子さんの計画に気づいていたんじゃないかしら」

 法子が突然話し始めた。私はその内容に仰天して、

「ど、どういうことよ?」

 法子は私を見て、

「先輩の話を聞いてから、ずっとそうじゃないかって思ってたの。朝比奈さんは、松子さんへの罪滅ぼしのために、敢えて松子さんの計画に乗ってあげたんじゃないかってね」

「自分が殺されるのを知っていて?」

「そう。全て承知の上で。今となっては、真相はわからないけどね」

「……」

 今度は私が、沈んでしまいそうだった。

「講義が終わったら、先輩に会いに行こうか」

 法子は明るく言った。私も、

「うん、そうしよう」

 明るく応えた。法子はニッコリした。そして、

「ほら、早くしないと、また英語、一番前の席よ!」

 立ち上がった。私は一気に現実に引き戻されて、

「そ、それだけはもうゴメンよォッ!」

 走り出した。

                       END.

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殺人予告者 神村律子 @rittannbakkonn

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