第三章 裕子先輩の話 10月10日
法子の車が朝比奈邸のガレージに着いたのは、それから5分後のことであった。この邸に車で来たのは初めてなので、朝比奈家所有の車が並んでいるガレージに来たのも、初めてである。
「すっごーい」
カーマニアでもある法子は、そこにある車を見て、目を輝かせていた。
「あのリムジン、ロールスロイスファントムよ。大きいでしょ? 隣のベンツが小型車に見えるわ」
「そ、そうね」
私は車はほとんど区別がつかないので、法子の言っていることは、チンプンカンプンだ。
「このトランザムファイヤーバード、一体誰が乗っているのかしら?」
法子はスターレットの隣にある黒いスポーツタイプの車を見て言った。その時、
「それは私よ、法子さん」
私達の後ろで声がした。法子と私は顔を見合わせてから、後ろに目をやった。
「今日は、裕子先輩」
「今日は、お二人さん。ようこそ、朝比奈家へ」
裕子先輩はニッコリ笑って私達に応えた。相変わらず、品のある、きれいな
「ところで今日は何かしら?」
裕子先輩は、邸の玄関へ向かう道すがら、尋ねて来た。法子はニッコリして、
「それは先輩のお部屋でお話します」
「そう」
裕子先輩も微笑み返した。私はこの二人の美人をとてもうらやましく思いながら、見ていた。
私達はガレージから温室の脇を抜け、庭園の中を通って噴水の横に出た。
「お嬢様」
その時、玄関の方から家政婦の三池さんが小走りで近づいて来た。彼女は私達に会釈した。法子と私も会釈を返した。彼女はそれから先輩を見て、
「旦那様がお呼びです」
「わかったわ。すぐ行きます」
裕子先輩が応えると、三池さんは再び軽く頭を下げ、そそくさと玄関へ戻って行った。
「取りあえず、私の部屋に行っていてちょうだい。父との話が終わったら、すぐ行くわ」
「わかりました」
私達と先輩は玄関まで一緒に行った。
中はまるでホテルのロビーのように広い。先輩は左手奥の方へ歩いて行き、私達は正面に見える緩やかで広々とした階段に向かい、先輩の部屋を目指した。
「そう言えば、先輩のお父さん、最近まで入院してたのよね」
私が言うと、法子は、
「そうね。もうお身体、大丈夫なのかしらね」
と言った。
私達は先輩の部屋の前で、話をするでもなく、少しボンヤリとして待っていた。
「あら、中に入っていればいいのに……」
しばらくして裕子先輩がやって来て、そう言った。法子が、
「先輩のお部屋に勝手に入るなんて、気が引けましたので」
裕子先輩は笑って、
「そんな遠慮し合う程度のつき合いなの、私達って?」
と応えながらドアを開き、
「さァ、どうぞ、慎み深いお嬢様方」
「ありがとうございます、先輩」
法子と私は異口同音に言って、部屋の中に入った。
「かけて」
先輩の部屋はフローリングの床に大きな絨毯を敷き詰めた、かなり広い部屋だ。これでこの部屋に入るのは何度目だろうか? いつ来ても、きれいになっていて、すごい。私のアパートの部屋なんて……。ああ、考えるの、やめとこ。
私と法子は先輩に勧められて、部屋の中央にある背もたれ付きのゆったりとした皮張りの椅子に腰を下ろした。目の前にあるテーブルは、落ち着いた感じのする円卓で、その上に置かれたテーブルクロスは、純白という言葉がピッタリだった。
「さァ、お話をして頂こうかしら、法子さん」
裕子先輩も椅子に腰掛け、ニッコリして口を開いた。法子は真顔で先輩を見て、
「お話する前に、一つ確認しておきたいことがあります」
「何かしら?」
法子はスーツの内ポケットから、例の封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。先輩はそれを見て目を見開き、
「それは……」
と言ったきり、しばらく黙り込んでしまった。法子は先輩が話し出すのを待つかのように、何も言わずに先輩を見つめていた。
「これ、貴女のところに届けられたの?」
やっと裕子先輩は言った。法子は軽く頷いて、
「ええ。しかも封筒を見て頂くとわかるとおり、切手が貼ってありません。つまり、私のアパートの郵便受けに、直接投函されたものなんです」
「……」
裕子先輩は封筒を手に取り、裏返した。彼女の顔がたちまち強ばるのを私は見逃さなかった。
「何、これ? 一体誰がこんなことを……」
裕子先輩は法子と私を交互に見た。法子は、
「今日の話というのは、実はそのことなんです。その差出人のところに、『殺人予告者』 とプリントしたのは、先輩ではないのですね?」
少々強い調子で尋ねた。裕子先輩は封筒から便箋を取り出して開き、
「違うわ。確かに貴女宛に手紙を出そうとしたのは私よ。中に入っている便箋も、私が貴女達を呼び出そうと思って作った物よ。でも、差出人のところには、何もプリントしてないわよ」
私は少し背筋が寒くなった。
「ということは……」
私が口をはさむと、法子はそれを遮るように、
「この封筒と便箋にプリントしたパソコンはどこにあるんですか?」
重ねて尋ねた。先輩は法子に封筒と便箋を渡してスッと立ち上がり、部屋の隅にズラッと並んでいる書棚に近づいた。
「ここよ」
彼女は書棚の一つをスライドさせた。するとその奥に、パソコンが置かれた机と、その下に収納された椅子が現れた。法子も立ち上がって先輩に近づいた。私も慌てて立ち上がり、書棚に近づいた。
「ここにパソコンがあるのを知っているのは、私を除いて一人しかいないわ」
先輩は声を震わせて言った。法子と私は黙って先輩の顔を見た。先輩は少し悲しそうに笑い、
「父よ」
私はその言葉にギクッとした。「殺人予告者」とプリントしたのが先輩でないとすると、先輩のお父さんが……。
「それじゃあ、あれは先輩のお父さんの仕業だっていうことなんですか?」
私が尋ねると、裕子先輩は私を見て、
「わからないわ。わからない……」
ひどく困惑した面持ちで答えた。法子は便箋を封筒に入れて、内ポケットに戻し、
「先輩のお父さんにお話を伺えますか?」
先輩を見た。裕子先輩は法子に視線を移して、
「ええ。今父は来客を待っているところよ。少しの間だったら、話ができると思うわ」
「わかりました」
法子はそう言うと、今度は書棚に目をやって、
「この書棚、全て推理小説なんですか?」
唐突に尋ねた。先輩はいきなりの無関係っぽい質問に少し戸惑ったようだったが、
「ええ、そうよ。全部で五百冊くらいあるわね」
ひえーっ、五百冊もォ!? 私、いくら推理小説オタクと化しているとは言え、まだ百冊そこそこなのにィ。さっすが、推理小説同好会代表! でも、法子も同じくらい持ってるらしいのよね。みんな実家に置いてあるって話だけどさ。
「そう言えば、裕子先輩って、どうして推理小説が好きになったんですか?」
私も会話に入れてもらいたいので、そう尋ねてみた。先輩は弱々しく微笑んで私を見ると、
「父の影響よ。父は千冊くらい推理小説を持っているわ。しかも、外国の物は全て原書でね」
「えーっ!?」
私はすっかり驚いてしまった。千冊という数もすごいが、外国の物は原書だっていうのもすごい。つまり、ドイルやクリスティーなら英語、ルブラン、ルルーならフランス語ということなのだ。
「ということは、先輩のお父さんも、かなりのマニアですね?」
法子が口をはさんだ。裕子先輩はニッコリして、
「そういうことになるわね」
そして、ドアに向かいながら、
「とにかく、父のところに行きましょう。もうすぐお客様が来られるから」
「はい」
法子と私は、息のピッタリ合ったところを見せて返事をした。
長次郎翁のいるのは一階の居間らしい。玄関のロビーのすぐ左手にある部屋だ。
「先輩、一つお尋ねしたいことがあるんですけど」
法子はドアを閉じた裕子先輩を見て言った。先輩は振り向きながら、
「何かしら?」
「私に出そうとしていた手紙のことなんですけど、一体何をするつもりだったのですか?」
法子は真顔で尋ねていた。彼女の顔から笑みが途絶えた時、それは「かなりマジ」を意味することになる。法子は相当本気で、あの予告状を出した人物の目的が気になっているようだ。
「ちょっとした推理ゲームを思いついたの。それを貴女にためしてみようと思ったのよ」
先輩も真面目な顔で答えた。法子は軽く頷いてから、
「では、先輩があの手紙を出そうとしていたことを知っていた人はいますか?」
「法子さん、貴女、あの手紙を出したのが、本当に殺人を犯そうとしている人物だと思っているの?」
裕子先輩は、ちょっと不服そうだった。しかし法子は構わない。
「はい。否定できる状況ではありません。実際のところ、あの手紙は私のアパートの郵便受けに投函されていたのですし、差出人の『殺人予告者』は先輩がプリントしたのではないとすれば、誰か他の人物がプリントしたことになります」
「そのとおりね。じゃ、さっきの質問に答えるわ。はっきり言って、私にはあの手紙のことを誰かが知っていたかどうか、わからないのよ」
裕子先輩は言った。私は思わず、
「どういうことですか?」
先輩は私に目を向けて、
「あの手紙、しばらく見当たらなくなっていたのよ。私、どこかにしまい忘れてしまったのだと思っていたから、さっき法子さんに見せられた時は、本当にびっくりしたの」
私は唖然として法子の顔を見た。しかし法子はその答えを予測していたかのように平然としていた。
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