第七章 捜査の始まり 10月10日
ほどなく警察の人達が邸に入って来た。居間に現れたのは三人の私服刑事で、その他数十人は庭や他の部屋、そして犯行現場へと散って行ったようだ。
「この事件の捜査主任の森尾です。このたびのこと、お悔やみ申し上げます」
三人のうちの年輩の男の人が松子に近づいて言った。40代半ばくらいの、まさにベテランといった雰囲気のオジ様だ。
「は、はい」
松子は消え入りそうな声で応えた。すると浩一が森尾主任に近づいて、
「父が亡くなった今、この私がこの家の当主です。挨拶は私にしてもらいましょうか、森尾さん」
皮肉たっぷりの口調で、命令するように言った。森尾主任は浩一を見て、
「そうですか、それは失礼しました」
軽く頭を下げた。そして、
「取り合えず、家族の方一人一人から、事情聴取をさせて頂きます」
森尾主任のその言葉に、浩一も礼子もギクッとしたように顔を見合わせた。森尾主任は、
「ではまず、
浩一を睨んで尋ねた。浩一は一瞬たじろいだようだったが、すぐに気を取り直して、
「朝比奈浩一です。どんなことでしょうか?」
森尾主任は他の二人の若い刑事に目配せした。若い刑事は、私達に部屋から出るように指示した。松子以下7名が、居間から出された。
「残念ね。話聞けないわね」
法子に囁くと、法子は、
「そうでもないわよ。何とかなるわ」
私はキョトーンとしてしまった。
「こちらで待ちましょう」
松子が隣の応接間のドアを開いた。礼子が何も言わずに最初に中に入った。続いて裕子先輩が、そして法子、私、松子という順番で入った。
応接間の中は、居間と違ってそれほど広くなかった。壁には大きな油絵の風景画が掛けられており、部屋の中央には、来客用の大きな皮張りのソファが二対置かれていた。ソファを隔てているテープルは漆黒で、その上にこれまた大きなガラスの灰皿がデンとある。居間に比べるとかなり事務的な印象がする部屋である。
「もう夕方か」
法子が窓の外の少し赤くなった太陽を見て呟いた。彼女はそう言いながらも、外で活動している鑑識の人達に目をやっているようだ。
「この事件、最初から矛盾が多いのよね」
彼女は私に話しかけているのか、独り言なのかわからない程度の声で言った。
「矛盾が多い?」
私はいくつかの点に気づいていたが、法子に喋らせるためにわざととぼけて尋ねた。法子は窓の外を見たまま、
「まずあの予告状を作ったのは先輩だけど、出したのは違う人だということ」
「ええ」
私は相槌を打った。法子は私をチラッと見てから、
「そしてもう一つは、予告状に細工した人物と殺人の最有力容疑者も別人らしいということ」
「そうね」
法子は私の方に向き直り、
「さらにもう一つあるわ」
「えっ?」
私が思い当たったのは今のところその二点だったので、法子のその発言に少し驚いた。彼女は再び窓の外に目をやり、
「予告状を出した人と、犯人も同一人物ではないらしいということね」
「えっ? そ、それはそうでしょ。予告状の細工をしたのは、殺された朝比奈長次郎さんなんだから」
私ががっかりして反論すると、法子は微笑んで、
「違うわよ。朝比奈さんは予告状に細工をした人でしょうけど、出した人かどうかはわからないわ」
私はしばらくポカンとしてしまった。
その時、浩一が応接間のドアを開いて入って来た。すると礼子が彼に近づき、
「あら、随分早く釈放されたのね?」
皮肉めいた言葉を吐いた。浩一はしかし、その礼子の挑発的な言葉を無視して、
「次はあんただよ、松子さん」
無表情な顔で松子を見た。松子は一瞬ギクリとしたように浩一を見てから、
「は、はい」
小さな声で応えると、そそくさと応接間を出て行った。浩一はそれを見届けてからソファに腰を下ろしてテーブルに両足を載せてふんぞり返った。そして、
「下らんことばかり聞きやがって、あの能なし刑事共が……」
吐き捨てるように言った。礼子が向かいのソファに座って脚を組み、
「一体何を聞かれたの?」
面白そうに尋ねた。浩一はギロリと礼子を睨むと、
「親父の遺産のことさ。遺言状はあるのかとか、総額でどのくらいになるのかとか。高林のことを話したら、それに興味を持ったみたいで、しつこく聞いて来やがった」
「高林先生のことね。そう言えば、高林先生、どこに行っちゃったのかしら?」
礼子が尋ねると、浩一はフンと鼻を鳴らして、
「さァな。警察でも調べるらしいが、親父の背中に突き立てられていた短剣の持ち主のことも調べるみたいだぜ」
裕子先輩に目を向けた。先輩の顔はたちまち蒼ざめ、やがて白くなってしまった。礼子がその反応に気づき、
「おやまァ、裕子なの、その短剣の所有者は?」
わざとらしい口調で先輩に訊いた。先輩は顔を俯かせて黙っていた。礼子はそれを見て勝ち誇ったような顔になり、
「随分あっさり認めちゃうのね。貴女がお父様を殺したんでしょ?」
「違います! 私が行った時はもう、お父様は……」
先輩は反論したが、そこまで言うと翁のことを思い出したのか、声をたてずに泣き出してしまった。
「そうやって都合が悪くなるとすぐ泣くのが貴女の一番悪いところよ、裕子」
礼子は全く容赦しなかった。すると法子が、
「裕子先輩は犯人ではありえませんよ、礼子さん」
と口をはさんだ。礼子、そして浩一が、ほぼ同時にこの「部外者」である法子を睨みつけた。
「どうしてよ?」
礼子は法子に近づきながら強い調子で言った。浩一は動かずに法子を睨んでいる。私は礼子が法子にかみつくんじゃないかと思ってすっかりうろたえていたが、法子は全くうろたえた様子もなく礼子を見て微笑み、
「先輩が朝比奈さんのお部屋を出た時、浩一さんと会っているからです」
浩一が今度は蒼ざめる番になった。礼子はそれに気づくとニヤリと笑い、
「あらあら、形勢逆転ね。どうするのかしら、お兄様?」
浩一に目を向けた。浩一は蒼ざめたままで唇を震わせ、
「お、俺が部屋に入った時は、まだ親父は生きてたんだ! 入って行った俺を見て親父はものすごい剣幕で出て行けって怒鳴ったんだぞ。高林の奴は、その間ずっと背中を向けたままで、俺の顔を見ようともしなかったんだ。本当にシャクに触るジジイだ!」
怒鳴り散らした。今度は法子が、
「それからどうなったんですか?」
と尋ねると、浩一はキッと法子を睨んで、
「不愉快だからすぐにドアを閉めて出て来たよ! だから俺は犯人じゃない!」
叫び声をあげるように言った。しかし礼子は、
「となると、最後にお父様を見たのは、お兄様ね」
「ち、ちが……。違うぞ! 高林だ! 奴が親父を殺したんだ! 奴が最後まで親父と一緒だったんだからな!」
浩一はニヒルな二枚目をかなぐり捨てて、半ば錯乱したように喋り続けた。コイツ、相当アブナイ奴かも。
「でもねェ。高林先生がお父様と一緒だったかどうかは、わからないものねェ……」
礼子は実に嬉しそうに言った。浩一はカッとなって、
「高林は確かにいたんだ! 裕子だって見ただろう!?」
意外な人に救いを求めた。先輩もハッとして顔を上げた。やっと何とか冷静さを取り戻したのか、
「え、ええ。確かに高林先生はいらっしゃいました。私がお兄様とすれ違ったのは、部屋を出てすぐの廊下の角ですから、その間に先生がどこかに行かれたとは思えません」
いつもの先輩に戻り、分析してくれた。浩一はホッとした表情になり、
「そ、そォれ見ろ。俺は犯人じゃないぜ。高林だよ、絶対にな」
「それは変です」
法子が唐突に言った。部屋にいた全員の目が、いっせいに法子に向けられた。
「何が変なんだよ!?」
自分の考えにイチャモンをつけられた浩一は、すっかりムキになって言った。法子はチラッと先輩を見てから、
「高林先生には、あの短剣を使うことはできません。どこにあるのかご存じではないでしょうから」
とんでもないことを言い出した。私はギョッとして先輩を見た。先輩はすっかりびっくりした様子で法子を見ていた。
「じゃあやっぱり裕子なんじゃない、犯人は」
礼子がヘラヘラ笑いながら言うと、法子は礼子を見て、
「さきほど申し上げましたとおり、先輩には朝比奈さんを殺害することはできません。先輩の後に浩一さんが朝比奈さんに会っているからです」
「でも、お兄様が部屋を出た後、もう一度戻ればいいじゃないの? 短剣は裕子の部屋の壁に掛けられていたものでしょ? いつでも持って行けるもの」
礼子はどうしても裕子先輩を犯人に仕立て上げたいらしい。ちょっとしつこい。
「部屋には高林先生がいたのですよ」
法子が言うと、礼子はついに降参したのか、プイと顔を背けてソファに戻った。
法子の言葉を整理してみると、この事件にはたくさんの袋小路があった。
裕子先輩が仮に(ホントに仮に)犯人だとすると、浩一と高林先生の存在によりその可能性は否定される。
浩一が犯人だとすると、高林先生の存在によりその可能性は否定される。
そして、高林先生が犯人だとすると、凶器の短剣の存在によりその可能性は否定される。
どういうことだろう? 犯人は誰なのだろうか? 一体どうやって朝比奈さんを殺したのだろう? 何かとんでもないトリックがあるのだろうか? 私には全くわからなかった。
応接間に、ちょっと異様な沈黙の時が流れた。
その沈黙が破られた。二人の若い刑事の一人が、ドアを開いて顔を出したのだ。彼は中を見回して法子を見つけると、手招きをした。私も法子の後から刑事に近づいた。
「中津法子さんですね? 主任が呼んでおります。居間の方へどうぞ」
刑事が言ったので私は驚いて法子を見た。しかし法子は驚いたふうもなく、
「わかりました」
刑事について応接間を出た。私も慌ててそれに続いた。
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