第九章 捜査の続き 10月10日
外はすっかり夜。私達はやっと解放されて、キッチンで夕食をとった。浩一と礼子は相変わらず先輩をいじめており、松子はオロオロして止めることもできない。法子と私は口出しできる立場にないため、堪える裕子先輩を黙って見守るしかなかった。
「お二人は帰って下さって結構ですよ」
私達がキッチンを出て行くと、藤江刑事が声をかけて来た。
「かまわないんですか?」
法子が尋ねると、彼は頷いて、
「ええ。内部の者の犯行と見るのが正しいですからね。でも、あまり遠くへ行ったりしないで下さい」
すると、法子はいたずらっぽく笑って、
「あの予告状、私が作ったのかも知れないんですよ?」
「ええっ!?」
藤江刑事はギクッとして法子を見た。私もギクッとした。しかし、法子はクスクス笑い出し、
「そんなことありません。ごめんなさい」
と言ってから私を見て、
「さァ、律子、帰りましょ」
「え、ええ」
私は少し呆気にとられながら応えた。
私達が庭に出ると、まだ鑑識課の人達が庭を探っていた。サーチライトのようなものが、あちこちを照らしている。
「どこかしら?」
法子は不意に言って、キョロキョロとあたりを見渡し始めた。誰かを探しているのだろうか?
「あっ!」
法子は温室の入り口で、山本のおじいさんと話している、白髪混じりの総髪の背の高いスーツ姿の男の人を見つけて叫んだ。あれ? 確かあの人は……。
「喜多島のおじ様!」
法子は声をかけ、小走りでその男性に近づいた。あっ! ということは……。
「よォ、法ちゃん。やっぱり法ちゃんだったのか」
喜多島のおじ様はニッコリして応えた。
彼は警視庁にその人ありと言われている名検死官の、喜多島啓造である。今まで検死した死体の数は数百体、関わった事件は数千件と、警視庁の中でもベテランの人だ。役職は警視で、たぶん森尾さんより偉いはずだ。
「成城の事件以来だね。元気そうで何よりだ」
「おじ様もね」
法子はとびっきりの笑顔を見せた。そして、
「おじ様、忙しいですか?」
喜多島さんは苦笑いをして、
「いや、そうでもないよ。手持ち無沙汰なもんで、山本さんと話していたところだ」
山本さんの方を見た。山本さんは、
「それじゃ、私はこれで……」
邸の方へ歩いて行った。喜多島さんはそれを見送ってから、
「何か用かね?」
法子に目を向けた。法子は真顔になって、
「いくつか教えてほしいことがあるんです」
「なるほど」
私達は温室の前にあるベンチに腰を下ろした。喜多島さんは立ったままだ。
「どんなことかな?」
「朝比奈さんの死亡推定時刻なんですけど、おじ様はどう考えてらっしゃるの?」
法子の問いに喜多島さんは少々面喰らったようだったが、
「死亡推定時刻かァ……。そいつは少し難しいな」
「えっ? どういうことですか?」
喜多島さんの意外な返答に、法子は身を乗り出した。喜多島さんは苦笑いをして、
「ホトケは背中に突き立てられた短剣で心臓を刺され、内出血によるショック死をしたと思われる」
「はい」
私も思わず身を乗り出した。喜多島さんは上着のポケットから煙草を取り出して、
「死因はこれほどはっきりしているんだが、死んだ時刻がちと難しい」
「どうしてですか?」
法子は間髪入れずに尋ねた。喜多島さんはライターで煙草に火をつけてから、
「犯人の奴、少し悪知恵を働かせたのかな。朝比奈さんの身体に細工をしている」
私はキョトンとしてしまったが、法子は、
「睡眠薬ですか?」
「えっ? どうして知ってるんだい?」
喜多島さんはびっくりして法子を見た。法子はちょっと肩を竦めて、
「知っていたわけじゃありません。ただ、朝比奈さんの死体の不自然さからそうじゃないかなって思ったんです」
「なるほど。さすがは法ちゃんだな。朝比奈さんの死体は、背中に短剣を突き立てられて死んでいるんだが、まるで抵抗した跡が発見されなかった。つまり、起きている状態で殺されたのではない、と推論できるわけだ」
喜多島さんは煙を吐いて言った。法子は、
「それで犯行時刻は何時頃なんですか? 」
「私の見立てでは、検死前3時間から4時間てとこかな。だから2時半から3時半くらいというところだ」
ということは、私達が翁と別れてから先輩の悲鳴を聞いて駆けつけるまでの間と一致することになる。
「そうですか」
法子はしばらく考え込んでいたが、
「それからもう一つ。高林先生はどうされたかわかりましたか?」
「ホトケと一番最後まで一緒にいた人物だね。まだ行方はわかっていないよ。事務所にも戻っていないらしい。」
私はちょっと疑問に思ったことがあったので、口をはさんだ。
「あのォ、睡眠薬のことなんですけど、何でそれが細工になるんですか?」
喜多島さんはチラッと法子を見た。法子は頷いてから私を見て、
「睡眠薬を多量に服用すると、新陳代謝やその他の身体の活動が鈍くなるのよ。そんな状態で殺されると、通常の状態で殺されたのといろいろ違いが出て来るの」
「つまり、推理小説によくある、死亡時刻のトリックね?」
「そういうこと」
法子はニッコリして応えた。すると喜多島さんが、
「まァ、解剖に回せば、睡眠薬の濃度もわかるだろうし、死亡時刻ももう少し絞れるだろうがね」
法子はそれに頷きながら、
「それから、凶器の短剣なんですけど、柄がつぶれていましたよね?」
「ああ、そうだね」
「あれを叩いたもの、見つかりましたか?」
法子の問いに喜多島さんは渋い顔をした。
「まだだ。実は見つからない以上に疑問な点がある」
「どんなことですか?」
法子は立ち上がって尋ねた。喜多島さんは、ベンチの脇にある吸い殻入れに煙草を投げ込み、
「何故犯人はそんなものを使ったのか、ということだよ」
私は喜多島さんの言いたいことが何となくわかった。一方法子は完璧に理解したようだ。
「つまり、背中を刺して殺すつもりだったら、本物のナイフや包丁の方が確実で手っ取り早いということでしょ?」
「そうだ。なのに犯人は、刃のついていない偽物の短剣を、まるで吸血鬼でも退治するかのように叩いて打ち込んだ。全く理解し難い行動だ」
喜多島さんは憤然として言った。犯人に対する怒りなのだろう。法子は温室に近づきながら、
「余程怨みがあるのかも知れません。それと」
と振り向いた。私もそれに応じて立ち上がり、法子を見た。
「それと?」
法子も私に目を向けて、
「短剣の持ち主に罪を着せようとしているのかも」
「ええっ!?」
私はまた驚いてしまった。先輩が容疑者になりかかっていると考えていたら、今度は冤罪!? もう、どうなってんのよ!?
「この家、なかなか家庭事情が複雑で、難しいからな」
喜多島さんは溜息まじりに言った。
「確かに……」
法子も真剣な顔で呟いた。そして、
「ありがとう、おじ様」
「いやいや。どういたしまして」
法子は私を促しながら、
「じゃ、おやすみなさい」
「うむ。おやすみ」
私達は、庭園を抜けてガレージに向かった。
「このまま帰っちゃうの、法子?」
私が言うと、法子は、
「今日はこれ以上長居をしても仕方ないわよ。それに、明日は講義があるのよ。早く帰って、お風呂に入って寝なくちゃ」
「ええっ!? 明日、大学に行くつもりなの?」
私が仰天して尋ねると、法子は目を見開いて、
「行かないつもりなの?」
「そ、それは……」
「今日は私の部屋に泊まりなさい。一人で帰るの、怖いでしょ?」
「え、ええ」
そう言われると、本当に怖くなってしまうのが私なのだった。とにもかくにも、全ては明日になってからだ。
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