第十五章  松子との会話   10月11日

 私達が松子の部屋に入った時、彼女は鏡台の前の椅子に腰を下ろしていた。喪服が妙に艶っぽいのは、彼女の魅力なのか、喪服そのものの持つ、一種異様な雰囲気のせいなのだろうか。なァんて妙に詩人ぽいかな?

「申し訳ありません、奥さん」

 法子が声をかけると、松子はゆっくりと私達の方を向いて立ち上がり、

「いえ、大丈夫です。先日は大変お世話になりました」

 深々とお辞儀をした。裕子先輩が心配そうな顔で、

「もう身体の方は大丈夫ですか? 」

 松子は作り笑いのような笑みを浮かべて、

「ええ、もう大丈夫です。ごめんなさいね、心配かけて」

 そして、

「どうぞ、おかけになってください」

 部屋の中央にある籐の椅子を勧めた。先輩と私達はそれぞれ椅子に腰を下ろした。松子も、やはり籐でできたテーブルを挟んで向かい合った籐の椅子に座った。

「私に何か?」

 松子は少し潤んだ瞳で法子を見た。法子は頷いて、

「お疲れのところ、大変申し訳ないのですが、二三、質問させて下さい」

「はい、どうぞ」

 彼女は応え、居住まいを正した。法子は松子をまっすぐ見て、

「予告状を警察の人から見せられましたか?」

「はい」

「予告状について、何か朝比奈さんから聞かされていらっしゃいませんか?」

 法子が尋ねると、松子はキョトンとして、

「え? どういうことでしょう?」

「予告状は朝比奈さんが出したようなのです。ですから、そのことについて、何かお聞き及びではないですか?」

「いいえ。あの手紙を見せられるまでは、私、全く知りませんでした」

 松子は軽く首を横に振って言った。法子はちょっと考えてから、

「では高林先生が昨日いらした理由は御存じですか?」

「いいえ。高林先生がいらっしゃるのは主人から聞いておりましたが、その理由までは聞いておりませんでした」

 松子は考え込むように目を伏せて答えた。法子はチラッと裕子先輩を見てから、

「奥さんは、裕子先輩の部屋にパソコンがあるのは御存じですか?」

「はい。昨日刑事さんから聞きました。ですから昨日までは知りませんでした」

 松子は目を上げて答えた。法子はさらに、

「大崎先生のことなんですが……」

「大崎先生が何か?」

 松子は少々訝しげに法子を見た。法子はそんなことは気にせずに、

「大崎先生は、この屋敷によくいらしていたのですか?」

「はい。主人と浩一さんがよく呼んでいましたから」

 松子はますますわからないという顔で法子を見ながら答えた。法子は、

「質問を変えます。高林先生は、10月 8日にもいらしているそうですが、その時の来訪理由は御存じですか?」

「はい。確か、主人が入院中に作らせた遺言状が完成したので、それを持って来て下さったのですわ」

 松子は言った。法子は頷いて、

「その内容について御存じですか?」

「いいえ、私、何も知りません。主人はその遺言状を自分の部屋に持って行き、金庫にしまったはずですから」

「金庫に?」

 法子は先輩を見た。 先輩は松子を見て、

「あの金庫は、父以外誰も開け方を知らないのですよね?」

「そうです」

 松子も裕子先輩を見て答えた。先輩は法子に目を転じて、

「だとすると、高林先生の事務所に連絡して、遺言状をもう一度持って来てもらわないとまずいわね」

「そうですね」

 法子は遺言状のことには興味がないのか、何となく気のない返事だ。しかし先輩は、

「でももし、高林先生しか遺言状のことを知らないのだとしたら、本当に遺言状の内容がわからなくなってしまうわね」

 独り言のように言い、

「とにかく、先生の事務所に問い合わせてみるわ。このまま父の遺志がウヤムヤになれば、兄と姉の思う壷だから」

 立ち上がり、松子の部屋を出て行った。私はその時改めてこの部屋に電話がないのを知った。法子はそれを見届けてから、

「遺言状の内容について、それらしきことを朝比奈さんから聞いていらっしゃいませんか?」

 松子は小首を傾げるようにして、

「遺言の内容のことなのかどうかわかりませんが、主人はよく、『浩一と礼子には何も遺さん』と申しておりました」

「そうですか」

 ということは? つまり、もし遺言状の内容がその通りだとして、それを浩一と礼子が知ったとすれば、二人は間違いなくその遺言状を消滅させようとするだろう。まさか、あの……。うーん。

「奥さんは高林先生に昨日会われていますか?」

「いいえ。私、ちょうど先生がいらっしゃる頃は、庭園で山本さんと話をしていましたから。主人から、高林先生の接待は裕子さんがすると聞かされておりましたので」

 あれ? そうだとすると、朝比奈さんが先輩に飲み物を頼んだのは、最初から決めていたことだったのか。

「それから、昨日は門の所に警備の人がいませんでしたが、今日はいますね? 何故か御存じですか?」

 法子が尋ねると、松子は考え込んで、

「さァ、わかりませんわ。門の警備の人達は、主人の指示で動いておりますから」

「そうですか」

 法子は私をチラッと見た。うん? 何だろう? そして彼女は、

「浩一さんのことなんですけど」

「浩一さんですか?」

 松子は少し嫌そうな顔をした。法子は、

「浩一さんは、朝比奈さんの部屋に行ってから自分の部屋に戻ったようなのですが、奥さんはそれを見ましたか?」

「いえ。戻るところは見ていません。私、玄関から邸に入る時、二階の浩一さんの部屋のベランダに浩一さんが立っているのを見たのです」

 松子は思い出しながら答えた。その時、先輩が戻って来た。

「困ったわ。高林先生の事務所でも、父の遺言状の内容を知っているのは、高林先生だけみたいなの」

 先輩は椅子に座りながら言った。私が、

「じゃあ、遺言状の内容は、朝比奈さんの金庫を開けるか、高林先生を見つけだす以外に知る方法がないってことですか?」

 先輩は私を見て弱々しく笑い、

「そういうことになるわね」

 そして目を潤ませて、

「でも、そんなことどうでもいい。父に、父に生きていてほしかった」

 松子も涙声で、

「裕子さん……」

 先輩の手を取った。私ももらい泣き。法子は目を潤ませていたが、泣き出したりはしなかった。

「奥さん、どうもありがとうございました」

と言って立ち上がった。私もハッとして立ち上がった。先輩が法子を見上げて、

「帰るの?」

「はい」

 先輩と松子も立ち上がった。法子は二人を見て、

「ここで結構です。お二人共お疲れでしょうから」

 私を促して松子の部屋を出た。先輩と松子は、少々呆気にとられていたようだ。私も法子の態度はちょっと事務的だと思い、意見するつもりで、

「法子!」

 声をかけた。すると法子は、

「ちょっといい、律子?」

 廊下の角まで私を引っ張って行った。

「な、何よ?」

 私はますます法子の態度に不満を持ち、ムッとして言った。次の瞬間、私はびっくりして、それまでの自分の態度を恥じたほどだった。法子が、目から大粒の涙をポロポロとこぼしていたのだ。

「ごめん、少しこのままでいさせて……」

 彼女は窓の方を向き、しゃがみ込んでしまった。法子、必死に泣くのを堪えていたんだ。うう……。また私も涙腺が。

「私って冷たい女だよね……。他人ひとより悲しみが後から襲って来るんだもの」

 法子は涙声で自嘲するような調子で言った。私はヒクヒクしゃくりあげながら、

「そんなことないよ。法子は冷たくなんかないよ」

 彼女の肩に手をかけて言った。法子のことを「こいつ、冷たいな」と思いかけていたということへの私の反省も込めた言葉だった。彼女はゆっくりと立ち上がって振り返り、

「ありがとう、律子」

 潤んだ瞳を向けてニッコリした。私は気まずいのと照れ臭いのとで、

「へへへ」

と笑った。


 私達は、居間の前まで来たところで礼子に出会った。彼女はツンとした感じで法子に近づき、

「どう? 貴女達の先輩は罪を認めた?」

 尋ねて来た。法子はニコッとして、

「いいえ。先輩と松子さんの話を聞いて、この事件の大きな疑問が一つ解けました」

「疑問? 何よ?」

 礼子は私達の前に立ちはだかるようにして聞いて来た。法子は真顔になって、

「何故朝比奈さんは殺されたのか、という疑問です」

「フーン。犯人がわかったっていうことなの?」

 礼子はまるで法子をバカにするかのような顔で言った。法子は首を横に振り、

「いえ、そうではありません。朝比奈さんは被害者になるつもりなどなかった、ということがわかったのです。そして、何故実際には被害者になってしまったのかも」

「何わけのわかんないこと言ってんのよ。バカなんじゃない、あんた?」

 礼子は法子の話がチンプンカンプンなのを法子のせいにし、階段に向かって歩き出し、上がって行ってしまった。

「行きましょ、律子」

 法子は礼子が二階に消えると、私を見て歩き出した。私も彼女を追いかけるようにしてロビーを通り、玄関から外に出た。

「もう来客の方々は帰ったみたいね」

 法子が庭を見渡して言った。

「そうみたいね」

 私も庭を見渡した。すると法子が、

「あれが浩一さんの部屋ね」

 邸の二階のベランダのある部屋を見上げて言った。私もそちらに視線を向けた。浩一の部屋は先輩の部屋の倍くらいあり、ベランダには彼の性格からは想像もつかない花がたくさん飾ってあった。

「もし浩一さんが朝比奈さんの部屋からすぐに自分の部屋に戻ったのだとしたら、あの部屋の位置からだと、朝比奈さんの部屋が見えたんじゃないかしら?」

 法子は言った。私は頷いて、

「もしかすると、あのイジワル兄貴が犯行を目撃しているかも知れないってことね」

「そうね」

 法子はその時、庭園に山本のおじいさんがいるのに気づき、近づいて行った。

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