第十七章 発見 10月12日
私がアパートでトーストをかじりながら牛乳のパックの口を開いているところに、いきなり法子がやって来た。
「ど、どうしたの、法子、こんな朝早くから?」
「早くもないでしょ。もう9時よ。今頃朝食? それもトーストに牛乳だけ? 栄養のバランス悪いわね」
朝からお説教されてしまった。
「もう、朝から変なこと言わないでよ。それより、どうしたの?」
「早く着替えて! これから朝比奈家に行くんだから」
「ええっ? 何しに?」
「最後の謎を解くためによ!」
法子があまりせかすので、私はトーストを牛乳で流し込むようにして食べ、化粧も歯磨きもそこそこに着替えをすませると、彼女とともに朝比奈家に向かった。
「最後の謎って何?」
助手席でひきつりながら尋ねると、法子はクルクルとハンドルを回しながら、
「高林先生の行方よ。警察はまだ高林先生が生きているって考えてるみたいだけど、先生は間違いなく死んでるわ」
「死んでる!?」
私は舌を噛まないように慎重に口を動かして言った。法子は頷いて、
「そう。いえ、正確には、殺されたって考えるべきね」
「殺された? 誰に?」
「その答えを見つけるために、朝比奈家に行くの!」
「きゃっ!」
車は大きくバウンドして、左右に揺れた。私は吐きそうになるのを必死で堪えた。
私達はやがて朝比奈家に到着した。するとすでに警視庁の大型パトカーが来ていた。
「おはよう、法ちゃん」
庭園まで車を進めたところで、喜多島さんが現れた。法子はウィンドウを開けて、
「おはようございます、おじ様」
喜多島さんは、ちょっと困惑したような顔をして、
「法ちゃん、一体何が始まるのかね? 所轄には内緒で、鑑識だけ連れて来てほしいなんて」
法子はニコッとして、
「もし私の思い違いだと困るので、おじ様だけにお願いしたかったんです」
仮に彼女に気がある男がこんなことを言われたら、嬉し過ぎて失神しているかも知れないな。そして、
「待ってて下さい。すぐ戻りますから」
車をガレージに進めた。
「喜多島さんに何をやらせるつもり?」
私が尋ねると、法子は、
「高林先生を捜してもらうの。どこにいるのかは、おおよその見当はついているんだけどね」
「えっ?」
私はビックリして法子を見た。高林先生は一体どこにいるんだろう?
「さっ、行くわよ」
法子はスッと車を降りた。私もそれに続いた。
私達は喜多島さんのところまで歩いて行った。
「さて法ちゃん、これからどうするのかね? 」
喜多島さんが尋ねた。法子は、
「プールに行きましょう」
「プールに?」
喜多島さんは一瞬キョトンとしたが、すぐにハッとなって、
「高林先生が沈んでいるというのか!?」
「そうです」
えーっ!? 高林先生、プールに沈んでいるっていうの!?
「どうしてそんなことがわかるの?」
私は驚いて尋ねた。すると法子は、
「わかるんじゃなくて、その可能性が高いってことなの。私の推理が正しければね」
「法ちゃん、君はどういう結論に達したんだね?」
喜多島さんが口をはさむと、法子は彼を見て、
「それは後でお話します。今はプールへ急ぎましょう」
「わかった」
私達は、庭園で呆然としてこちらを見ている山本さんを尻目に、プールへと向かおうとした。その時、
「一体何の騒ぎだ?」
浩一が二階の窓を開いて怒鳴って来た。喜多島さんはキッとして浩一を睨み、
「高林先生の捜索です」
「高林のォッ!?」
浩一はムッとして窓を閉め、姿を消した。どうやら降りて来るつもりらしい。
「さっ、おじ様、早く!」
法子は浩一に追いつかれてはまずいのか、喜多島さんを急き立てた。
「ああ、わかった」
私達は少し小走りになって、プールに向かった。
プールはゴルフ練習場のネットを越えたところにある。私達はそこまで辿り着くと、法子を見た。法子は脱衣所の脇にある制御室に入って行き、中を見回していた。
「何を探しているの?」
私が覗き込んで言うと、法子は、
「プールの水を抜きたいのよ。排水口のスイッチがどこにあるのか探してるの」
いろいろな機械に目を走らせていたが、やがてそれらしいスイッチを見つけて、「開」のボタンを押した。
「あっ!」
私は制御室から出て脱衣所を抜け、プールサイドに出た。喜多島さんは私より早く、他の鑑識課員五人と共に中に入っており、水が勢いよくひけて行くのを眺めていた。その水はどす黒く濁っていて、中に何があるのか、全くわからなかった。
「警視、このプールに高林弁護士が沈んでいるって、確かなことなんですか?」
鑑識の一人が尋ねた。喜多島さんはプールを眺めたままで、
「わからんよ。しかし、私もここに高林弁護士が沈められていると思う」
「はァ」
鑑識課員はあまり納得していないようだ。まっ、喜多島さんは、法子の判断に絶対の信頼を置いているからね。他の人にはわからない、二人の関係ってやつよね。そんなところへ、当の法子がやって来た。
「法ちゃん、どうしてプールの中に沈んでいると考えたんだ?」
喜多島さんが振り返って尋ねた。法子はプールを見て、
「この事件をよく考えた上での結論なんです。犯人の意図は、死亡時刻を変えることにあったと考えています」
「死亡時刻をか。確かに水中に沈められていれば、死体の腐敗は空気中に比べて進行速度が遅くなる。そのためか」
「いえ、それだけではないんです。犯人は恐らく、死体を何重にも包み、水中に沈められていた痕跡を残さないようにしたはずです。水中にただ沈めたのでは、死亡時刻のトリックを簡単に見破られてしまうでしょうから」
喜多島さんはポカンとしていたが、
「ということは、犯人は後でプールから死体を引き上げるつもりだったのか」
「だと思います」
法子がそう答えた時、プールサイドに浩一と礼子が入って来た。
「何をしているんだ!?」
浩一は、今にも掴みかからんばかりの形相で、喜多島さんと法子を交互に睨んだ。礼子はその後ろで、ニヤニヤして立っていた。喜多島さんは少しも慌てずに、
「プールの中に、高林弁護士の遺体が沈められている可能性があります。今、それを確かめているところです」
「令状はあるのか?」
浩一は喜多島さんになおも食ってかかった。すると喜多島さんはスーツの内ポケットから令状を取り出して、
「ありますよ。きちんとね」
「……」
浩一は苦虫を噛み潰したような顔をし、引き下がった。彼もまた水のひけて行くプールに目をやった。
「なかなか見えて来ませんね」
鑑識課員が言うと、法子が、
「恐らく、遺体にはおもりがつけられていると思います。ガスがたまって浮かんで来ないように」
ゲッ。何か怖くなって来たなァ。
しばらく沈黙が時を支配した。ただ水が流れる音だけが聞こえていた。
やがて。
「おっ、あれじゃないですか」
鑑識の一人が言った。喜多島さんも気づいたらしく、
「うむ。そうらしいな。よし、引き上げよう」
鑑識課員に指示し、どす黒い水の中に少し見えて来た黒いビニール袋のようなものの捕獲作業に取りかかった。
「あの中に高林先生が?」
私がオッカナビックリ法子に尋ねると、彼女は、
「たぶんね」
プールの方を見たままで答えた。私はチラッと浩一達を見た。浩一はプールサイドの端まで下がっており、礼子に至っては脱衣所から外に逃げ出していた。私も怖くなり、後ずさりした。しかし法子は動じることなく、プールを見ていた。
「こいつは……。厚手のビニール袋に包まれていますね。結構丈夫だな」
鑑識の人の声がした。私はすでにプールの方から視線を外し、背中を向けてしまっていたので、とても見ることなどできない。
「気をつけろ。破れないように引き上げるんだ」
喜多島さんの声が聞こえた。どうやらロープをうまく使って、袋ごと持ち上げるつもりらしい。
「よし、うまいぞ」
ドサッという音がした。プールサイドに高林先生の遺体が置かれたようだ。礼子の姿はすでになく、浩一も外に出ていた。私も逃げ出したいのだが、足が動かない。
「袋の口を縛っている紐を解け。袋は破損しないようにな」
スルスルと袋が引き剥がされたようだ。やはり怖くて見られない。
「三重に包まれていたな。なるほど、適当な大きさの石を入れて、一緒に沈めたのか。遺体は全く濡れていない。それから、衣服は脱がされて下着姿か」
喜多島さんが言うと、法子が、
「死後硬直が完全に全身に行き渡っていますね。どれくらい経っているんでしょうか? 」
ひーっ。法子、見てるの、遺体を? そう言えば、法子のお母さんの実家って、お寺だっけ。でもあまり関係ないか。
「うーん。水中に沈められていたからね。遺体内部の化学変化がかなり遅くなっていると考えられるから、本来なら一日か二日と言いたいところだが、それより前かも知れないよ」
えっ? 喜多島さん、でもそれだと……。喜多島さんももちろんその矛盾に気づいていた。
「ということは、高林弁護士は、朝比奈さんが殺される前に死んでいたのか」
喜多島さんは大きく溜息を吐き、
「法ちゃんはわかっていたのか?」
法子は、
「いいえ、わかっていたわけじゃありません。ただ、推理によって組み立てたものを確かめたら正解だったということです」
そして、
「これで犯行の手口も犯人もはっきりわかりました。邸に行きましょう、おじ様」
「あ、ああ」
喜多島さんは呆然としていたようだった。
読者諸氏への挑戦
さて、犯人特定に必要な情報の全てが出揃いました。犯人は誰か、そして犯行の手口は? もしお嫌でなかったら、考えてみて下さい。
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