第10話「お怒りですよ、神様!!」

 夢中になって吸い続けられたのもたった数秒のことだった。アオは上腕部まで白くなった宗の腕を取り落とし、壁へと背を預け肩で息をし始める。そのままずるりと滑り落ちそうになりながら呻き声をあげ、震える手で自身の腹部を撫でていた。


「なに、これ。かっ、はっ……お腹が、熱い」

「だから、言ったのに……」


 宗は自身の痛みに耐えながら、アオへと少しだけ近づいた。アオの方は壁際で完全に蹲っており、漏れてくる吐息はとても苦しそうである。

 それでも、近づいてくる宗へ顔をあげ、光る眼で睨みつけていた。


「何を、したの……!」

「何も、してないよ。ただ、僕の血はこんな姿になったとしても、陽のものだから。きっと合わないと思ったんだ」


 宗は汗をかいた自分の額を袖で拭い、落ちていた右腕を拾おうと手を伸ばす。夜の眷属であるアオは自らが取り込んだ血と戦っていて、宗を睨みながらもその動きを阻止する余裕はなかった。


 そして、結界を維持する力もなくなったのかこの一帯に張られていた何かが消えるのを宗は感じ取ることができた。すっと軽くなる身体と痛み。何だか感覚的に部屋自体も明るくなったような気がする。


「神様ぁ!!」

「ゆう」


 すぐに飛んできたのか、幽体となったゆうが壁を透過して宗のもとへとやってきた。しかし、嬉しそうな顔も束の間、ゆうの血だらけの肩と、拾い上げられていた右腕を見て、ゆうの表情は凍り付く。


「な、なななな。何があったんですか神様!? はっ、アオさん? あなたの仕業ですね!」

「あ、待ってゆう」


 ゆうは言うなり、霊体化した腕を振り上げ、自身の力を具現化させた。それはゆうの身長の2倍はありそうな実体のない大剣となり、半透明ながらも月光を反射して煌めく。そして、ゆう自身も少女の身長から少し背を伸ばし、戦闘モードへと移行した。


「許、しま、せん!」


 振り上げられた大剣は上段でピタリと止まり、すぐさま真下、アオへと斬り降ろされる。

 実体なく、天井も壁も通過しながら幽体のみ切り裂く剣は狭さや防御力も関係ない。そのくせ重さもないので素早い斬撃が可能だった。


 身体中を襲う熱と戦っていたアオはどうにか転がるようにそれを避けるが、どう見ても動きが悪い。

 ゆうは相手の状態に構わず剣先を回転させ追撃に出た。実体がないのを活かし、床下から見えない斬撃を狙う。


 音もない大剣、その切っ先が石畳から生えるかのようにアオへと襲い掛かった。しかし、その攻撃は何もない空中で弾かれ、ゆうの手元へと戻る。


 一撃を止めたのは暗がりに浮かぶ蝙蝠の折り紙だった。何処から飛んできたのか、蝙蝠の折り紙は一瞬だけ盾のように働き、紙片となって千切れて散っていく。


「おいおいおい結界は切れるし何事だこりゃ。お客様は敵になったのか?」


 扉を開けて入ってきたのは海を手にしたミカだった。大剣を構えるゆうと、その先で蹲り苦しそうに悶えているアオ。その二つを見て、ミカは戦闘態勢へと入った。


「お前らアオに何をした!」

「こっちの台詞です! 神様に何してるんですか!!」


 ミカは周囲にいくつもの蝙蝠の折り紙を浮遊させ、自身は懐から黒い靄を纏ったナイフを引き出して構える。ゆうもそれに対し大剣を向け気合を入れた。幽体化したゆうに通常の物理攻撃は効かなかったが、ミカのナイフは危険そうである。


 先に動いたのはミカ、正確にはミカの展開した黒蝙蝠のうち二つだった。速度をつけて突進していく蝙蝠の折り紙。ゆうは時間差をつけられた二発のうち、一発目を屈んで避け、二発目を大剣の横薙ぎで打ち払う。


 そこへナイフを構えながら突撃してくるミカ。ゆうは後ろに飛びながら、自身を中心に大剣の刃を一回転させた。目は向けなかったが、最初に避けた蝙蝠が旋回して死角を突こうとしているのを感知していたのだ。


 ミカ本体を避ける動作、その隙を狙って飛んできた蝙蝠を大剣の回転で切り裂き、追撃をしようとするミカへ向けながら止める。ミカも流石にその大剣に自分から突っ込むようなことなく、自身の攻撃が無力化されたのを悟って仕切りなおす。


「おいおい戦えるじゃんか幽霊の、ゆうだっけ?」

「ええ! 結界さえなければですけどね!」


 ゆうの大剣は実体もなく念じて動かしているものなので、別に腕をそれに合わせる必要もなかった。

 その予備動作の読めなさと、物理を貫通するという特性がなかなかに厄介でミカは思うように突撃することができない。


 ミカは一筋縄ではいかないと判断し、搦め手に出ることにした。蝙蝠の大半を全方位縦横無尽に飛ばす。

 ゆうは一歩下がり蝙蝠たちの乱舞に意識を向け、そしてそれらが一斉に向かった目標を知って走った。


「神様!!」


 蝙蝠が全方位から向かったのは腕をどうにかくっつけようとしていた宗だった。ゆうは大剣を巧みに操作し進路上の蝙蝠を叩き落とすが、間に合わない。撃ち漏らした蝙蝠2匹が、宗へと突き刺さる。


 背中と脇腹へと突き刺さった蝙蝠は、本来爆発するところだったが、宗の肉にめり込んだだけで動きを止めた。その動作不良を不思議がるミカだったが、その隙に壁際へと走り、苦しむアオを抱え込んでいた。


「へへ、悪いなゆ、う……」


 アオを抱えて離脱しようとしたミカは、同じように蝙蝠の衝撃で倒れていた宗を抱えあげたゆうを見て、動きを止めた。吸血鬼の本能が、危険を告げる。

 ゆうは、赤黒くなっていた。いつの間にか厄介だった大剣は消え去り、黒地に血のような艶めきを持った大きな草刈り鎌が現れている。


 その変化に固まっていたミカたちだったが、呆然と見ている先で、浮かんでいた大鎌から瘴気が放たれた。

 衝撃波のように飛んだそれらは、未だミカを守るように飛んでいた蝙蝠を一瞬で腐らせる。落ちる紙屑となった蝙蝠を見ることなく、ミカはアオを強く抱き上げた。ここにいるのはまずい。


「どうなってんだそりゃ……!」


 ミカの言葉にゆうは答えない。その代わりに、空中を舞う鎌が一際大きく振るわれていた。

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