第9話「吸血行為ですか神様!?」

 気が付くと宗は一人、石造りの狭い部屋の中に横たわっていた。部屋は暗く、周囲の様子はほとんどわからない。

 壁の高いところから微かに入って来る月明かりだけが頼りで、それでも少しずつ慣らした目でようやく部屋のつくりがぼんやりとわかる程度のものだった。


 部屋は円形で天井が暗がりでは見えないほど高く、採光用の穴がある壁の反対側に金属で補強された木製の扉が見える。そこは少し高台となっていて、手前に数段の階段があった。


「牢獄……?」

「どちらかというと独房かしら」


 誰にでもなく呟いた宗の言葉に、すぐさま返事が返ってくる。宗は驚いて周囲をキョロキョロと見回すが、部屋には誰もいなかった。少なくともそう見える。


「アオちゃんは僕をどうするつもり?」

「神様って不思議ね。怯えるということはないのかしら。この状況でも動じないなんて、面白いわ」


 言いながら、何もなかったはずの壁の影がぐにゃりと曲がり、アオの姿が現れた。扉の方を向いていた宗は、右から現れたアオに顔だけ向ける。出て来たアオの方は驚かない宗に不満気に近づくと、そっと宗の右腕を抱きしめた。それでも宗は動じない。

 宗とアオは人でいうところの子供の背丈だが、アオの方が少し低い120cmほどの身長だったため、まるで兄の腕に抱き着く妹のような構図となっていた。


「これなら、どうかしら」


 笑みを作って言うなり、アオは一歩下がっていた。ただそれだけの動作。笑顔のまま、抱きしめた腕を持って、壁際へと退く。


 それだけの動きで、宗の腕は肩から切り離されていた。


 抵抗なく、すんなりと離れた右腕に、宗は呆気にとられてよろめく。不思議そうに、アオが持っている腕と自分の肩を見比べてしまう宗。

 断面は綺麗なピンクだったが、思い出したかのように赤い水滴が滲み出て、すぐに湧き出すように流れ始めた。


「あっ、つ……!」

「へぇ、神様も血は赤いのね」


 肩に溢れる血の熱さと、自覚したことによる強烈な痛みで眩暈がした宗は思わず膝をついていた。その動作で飛び散った血が石畳の床を染め、石と石の隙間に入り込むように広がって行く。


 アオは抱きしめた腕から垂れていく血を前に、熱に浮かされたような恍惚とした表情となっていた。立ち昇ってくる血のほのかな香り。

 酸化していない芳醇なそれに、舌なめずりをしてしまうアオは、はしたないと思ったのか、さっと口元を手で隠した。


「……ああ、おいしそう」


 それでも出てしまう、漏れ出た声までもが蕩けている。アオは牙が疼き、大口をあけて牙を前へと突き出してしまいたい欲にかられていた。


 人を救うということは、血を吸えないということでもある。お礼に血を、とも思ったが“救う”という範囲がどこまでかわからない以上、手は出さないとミカと取り決めていた。アオもミカも、死にたくはなかったから。


 だから、人ではない生き血というのは。とても。とてもとてもアオにとってそそるものだった。

 健康そうな子供の血。それも神様という特別で力のありそうな存在。長年吸血を禁じて来た生活と相まって、アオは我慢の限界だった。


「やめて、おいた方が……、いいよ」


 それを止めたのは、他でもない腕を切り離された本人、宗だった。

 脂汗までかきはじめた宗には、アオが今まさに手にした腕へ牙を突き立てようとしているように見えたのだ。


「ああ、勿体ないわ。そんなに零して……。ふふ、いけない子」


 しかし、宗の言葉はもうアオに届いていなかった。禁欲生活の反動か、手にしてしまった血を前にアオの理性は飛んでいる。

 牙は微かな音を立て、吸血鬼の本能が命ずるままギチギチと前へとせり出して、眼は暗闇で獲物を逃さぬよう光り始めていた。


「だめ、だよ……」

「大丈夫よ。すぐに綺麗にしてあげる」


 アオは静かに、そして力強く。抱いた腕へと牙を突き立てた。皮を裂くだけの小さな音がして、そのあとは啜りあげるようなくぐもった音が、部屋の中に響いていく。

 左手で右肩を抑えていた宗は、ただ自分の血がアオに吸われていくのを見上げることしかできなかった。

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