<ファイル8>

 肉親とは死別。

 『天使』の大空襲により、両親と幼い弟を亡くした。

 その後軍に入り……。


 「そーいう、経歴っぽい話は別にいいや」


 「何だお前、訊いておいてその言い草は!」


 「お前の『内面』が知りたかったんだけどな~。まあ、だいたい予想は付くけどさ」


 「だったらお前が話せ! その内面とやらを」


 彼女は何やら空き箱をおもちゃにしている。

 応急キットだ。体に無害な瞬間接着剤である。

 そのまましばし考え込み、何かを思い付いた様子で言った。


 「大きな森の奥深く、鳥たちの楽園が――」


 「却下」


 「早いな!!」


 「くだらん冗談を聞く気はない」


 「何だよぉ~。せめて『まっくろカラス』が出る所まで語らせろ」


 「その絵本は私も持ってた。お前は真面目に話すという事が出来んのか」


 薄暮の中で、彼女が頭をボリボリと掻く音がする。

 ランタンの灯りは風にきしむテントに合わせ、ゆらゆらと踊り続けている。

 すきま風を防ぐために敷き詰めた、二人分の装備の作る影。

 唸るような風の音。

 世界には、それだけしか存在せぬかのようだ。

 私は続けた。


 「少しは真面目に話せるよう、意識を仕事に戻してやろう」


 「戻すって何をさ」


 「軍規の確認だ。例えば今日のような天候で、民間人が道に倒れていたら?」


 「即レイプだ」


 「他に言う事は?」


 「ああ面白い、虫の息~」


 「分かった。動くな」


 「寝袋ん中に銃持ち込むなよ!!」


 私は呆れながら銃を置き、両の手を枕にした。

 明らかに彼女は真面目に答える気がなく、その上私のこうした反応を楽しんでいるフシがある。

 軍においては許されぬ言動だ。

 だが、矯正するのはもう遅い。叩いた所で鉄がプラチナに変わるはずもない。


 彼女が言った。


 「……どうして、あたしを残した?」


 彼女の方は見なかったが、きっと薄ら笑いでも浮かべているのだろう。

 その質問の意味は分かっていた。

 傷病者の搬送に、最も適した人材――すなわち彼女――を使わず、なぜ別の人間を付き添わせたのか。

 それを彼女は訊いているのだ。


 表向きの理由はすでに言った。

 スノーモービルの積載限界、テントの設営、そして軍規の厳守である。

 特に最後の理由は皆が納得するものだった。レガリスの素行を考えれば当然だ。


 だが、彼女は。

 さらに裏側の、真の理由に気が付いているのだ。

 私は答えた。


 「どうしてだと思う?」


 「残念ながら、あたしが望んでる方じゃなかったらしいな。そっちだったら、今ごろお前、十回以上はイキまくって――」


 「死ね」


 「いや分かってる。麓の町に――」


 私は軽く手を振る。その先で、山と積まれた装備が四角い影を作っている。

 彼女も私と同じように手を振り、ニヤリと笑った。そして続けた。


 「――あたしが助けを求めたら、また始末書だもんな」


 彼女が手を広げ、指を丸め、折る。その影法師がテントに浮かぶ。鳥のように。獣のように。

 私も影法師に参加しながら、言った。


 「お前は有名過ぎるんだよ。悪名は軍の中だけにしろ」


 「まあ、オカダを行かせたのは正解だな」


 彼女の代わりにヴァルターに付き添った隊員、オカダ。

 我が隊においてはレガリスに次ぐ高身長で――190cm以上の大男だ――、新人の中では出世頭と目されている。

 入隊以来、めきめきと頭角を現し、いずれはパイロットに昇進するのも確実と言えるだろう。

 端正な顔立ちの色男であり、そして私と同じく、レガリスの誘いを断り続けている稀有な人材だ。


 「力仕事なら、お前の次に適任だ。だから行かせた」


 「唯一の欠点は、あいつがあたしと寝ない事だな。ホモなんじゃねーの?」


 「好みが正常という事だ」


 「食わず嫌いは大きくなれねーよ」


 「笑えない冗談だな」


 そしてまた、風の鳴き声がテントを叩く。

 しんしんと降り積もる雪の下、ほのかなランタンの灯りの下で、私たちはただ、待った。

 互いにテントの屋根を見上げている。

 会話は途切れた。言葉はない。


 やがて天候は落ち着きを取り戻し、風の唸りは密やかな吐息に転じた。

 山の神も眠りに落ちたのだろう。

 世界に、静寂が満ちた。

 動くものは、気まぐれに踊る互いの影法師だけだった。


 時は過ぎ――。

 胸にかすかな振動を感じた。

 携帯用の小型無線機が反応したのだ。私はそれを取る。


 「――私だ」


 私は両の手で無線機を包む。

 こうしておけば、会話が外に漏れる事はない。


 「――それは確かだな?」


 私の返答に、レガリスが軽く眉を上げる。

 彼女の耳にも、相手の声は届いていない筈だ。


 「――よし。続けろ」


 そして私は通信を切った。

 そのわずかな間にレガリスは、装備一式をあらかた装着し終わっていた。

 音もなく、一切の無駄な動きもなく――。

 大型の肉食獣が、獲物に忍び寄るかのように。

 彼女の背後で揺れる、彼女よりもさらに大きなその影が、カラスの黒い翼のように映えていた。


 私は翼に告げた。


 「病院からだ。特に問題はない」


 レガリスが、今度は私の装備をそっと渡してくれた。

 そして言った。


 「律儀なもんだよ。あたしだったら放っといて飲んでるな~」


 「だから残したんだよ馬鹿者」


 こちらも彼女に合わせる。


 「……明日も早いぞ。もう寝ろ」


 「へいへい。一応言っとくけど、あたしの寝袋は特別製で、かなりの余裕が……」


 「必要のない情報はいらん。寝ろ」


 「つまんねーなぁ。おやすみ、可愛いあたしの大尉どの」


 会話を続けながら、こちらも急いで装備を背負う。

 音を立てずに。黒い翼をはためかせながら。


 テントのジッパーに潤滑油を塗り、密やかにそれを開ける。

 そっと我々は外に出た。

 二羽のまっくろカラスの翼が、嵐の夜に吸い込まれる。

 「狩り」を始めるために。


 雪のベールを通して、部隊のテントが点在しているのが見えた。

 彼らの眠りの扉を叩く訳には行かない。

 私たちは宿営地を後にした。このために一台だけ、スノーモービルを離れた場所に停めてあるのだ。


 そう。これは軍務ではない。

 残務処理だが、軍部の中のそれではない。

 越権行為であり、一歩間違えたら始末書では済まされない。


 だが我々は、それを終わらせなければならない。

 言うなれば――「正義」、だ。

 そのために我々は行く。

 スノーモービルが風になる頃、雪は小雨に変わっていた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


  「あなたって、 とっても ふしぎね。」


  にじいろインコが いいました。


  「おかおも からだも、 はねのさきまで まっくろけ。」


  まっくろカラスは はずかしくなって、

  また きのかげに かくれました。

  すると にじいろインコが いったのです。


  「だけど わたしは、 そんな あなたが すきよ。」


  まっくろカラスは、 びっくりして かおをだしました。

  にじいろインコは つづけます。


  「だって あなたといれば、 わたしの うつくしさが ひきたつわ。」

  「すてきな この はねが、 もっと きれいに みえるもの。」

  「だから いっしょに あそびましょう。」


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 町の明かりが見えて来た。

 スノーモービルを停めるのと同時に――。

 銃声が響いた。

 私たちは走った。


 そこは町の診療所だった。

 入口のドアの隙間から中を窺う。


 中には四人の男が居た。

 手前に一人、奥に三人。

 手前がオカダで、奥に居るのがヴァルターと衛生兵、そして医者だ。


 奥の壁際で衛生兵がしゃがみ、自分の肩を押さえている。

 その指の間からは真っ赤な血が流れ――。

 呪詛のこもった眼差しで、撃った男を睨んでいる。


 撃ったのはオカダだ。

 真っ直ぐに銃を構え、衛生兵の横に立つ二人にぴたりと狙いを定めている。


 奥に立つヴァルターは。

 怪我をしたはずの右手に銃を持ち、もう一人のこめかみに銃口を当てている。

 医者のこめかみに。


 医者が、人質に取られているのだ。

 ヴァルターに。


 そこまでを確認した所で、私は銃を取った。

 安全装置を外す。

 ドアを開け放し、言った。


 「銃を下ろせ、ヴァルター。命令だ」


 人間、全く予想外の事が起きると、脳が命令を出さなくなる。

 フリーズしてしまうのだ。

 その場に「絶対に居ない事が分かっている」人物が現れた。

 そんなヴァルターを見逃すオカダではなかった。

 迷いなく二射目を撃ち、ヴァルターの銃が弾け飛んだ。


 背後に立つレガリスが言った。


 「お前ら、もう終わってたんだよ。最初にあたしに相談しろって言っただろ? まったく、家族だったのに――」


 その時。

 医者が奔った。

 ヴァルターの腕を振りほどき、床に落ちた銃を拾って――。

 構えた。

 その銃口の先に、この私がいた。


 真っ直ぐ私を狙っている。


 一瞬の事だった。

 射線上にオカダがいたため、私は銃を撃つ機会を奪われてしまったのだ。


 人質だったはずの医者が、私に銃を向けている。


 医者が言った。


 「……捨てさせろ。そこの若造の銃を捨てさせろ! あんたもだ、大尉」


 そしてこう付け加えた。


 「おっと。動くなよ、ゴリラ女。……お前と違って大尉どのは、人間の女なんだからな」


 ――そう。

 この医者は、我々の事を知っている。

 当たり前だ。

 元軍医で、今は逃亡中の犯罪者。

 この男こそ、我が軍を麻薬で汚染した張本人――。

 我々に捕らえられる直前で高飛びし、今の今まで逃げおおせていた主犯の男なのである。


 我々は、過去の忌まわしい出来事を清算するために来た。

 この男に会うために。


 く……。と、声がする。

 レガリスだ。

 笑っているのだ。

 この状況において、私の背後に立つレガリスが……笑っている。

 私はこんな時のレガリスを知っている。

 自分の内に棲む、凶暴な獣を抑えきれずに――。思わず漏れてしまう、笑み。

 それが今のレガリスだった。


 レガリスが口を開く前に、医者が叫んだ。


 「早く捨てろ! いいか、三つだけ数える……」


 「映画の観過ぎだぜ、先生」


 深く、太い声が告げた。レガリスだ。

 この言葉に激高した医者が、銃口をレガリスに向ける。

 軍の正式採用拳銃である。レガリスであろうとも、急所に食らえば命はない。

 オカダは動かない。

 衛生兵は部屋の隅に後ずさり、そしてヴァルターは、今度こそ本当に怪我をした右手を庇ってオカダを睨み付けている。


 誰かが撃てば、誰かが必ず死ぬ。

 必ず、だ。

 そういう状況だった。

 だから私は。

 私は……。

 銃を、下ろした――。

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