<ファイル2>
軍隊には猛者が集まる。
一般の仕事よりもその比率は高いだろう。
履歴書に書けぬ類の過去を持つ者も多い。
いわゆる犯罪行為に手を染め、そこから逃げ出すように軍を選ぶ者も居る。
窃盗、恐喝、暴力行為、闇商売。
そしてそれらすべてを受け入れるだけのスペースが、軍にはある。
この業界は、直接的な理由で人手不足であるからだ。
されど軍には規律もある。
並の職種では考えられない、厳しい軍規が存在する。
いかな悪人でも、それは軍の外の話だ。
ここに来ればほとんど皆、軍の規律に去勢されるように出来ている。
あまり好きな表現ではないが、こういう事だ。……一度その粗末なタマを引っこ抜き、鉛のタマを詰めるのである。
だが、そうした規律に最後まで馴染めない者も出てくる。
そんな輩はもちろんお引取り願う。
我々は常に人手不足だが、猿に言葉を教えるほど暇ではないからだ。
しかし。
ほんの時おり、銃器の扱いに長け、過酷な行軍をものともせず、そして死をも恐れない「猿」が――。門を叩く事もある。
レガリス・マクルーア軍曹は、そんな猿どもを率いている。
彼女の部隊は異常だ。
軍に集まるカス、クズ、ダニたちの、さらに一番下から数えた十名程度の男を、その下に置く。
猛獣たちを一つの檻に閉じ込めてあるのだ。
悪を御すのは規律ではない。より強い悪が必要となる。
彼女はその任に対して最も適した人材であった。
正直、最初は反対した。彼女がそうした部隊を率いる事について、である。
理由は二つ。
第一に、軍隊は山賊の集まりではない。
軍ですら抑え切れない猛者共が、強力な統率者によって一つにまとめ上げられてしまったら。
結果は、恐ろしいものになるだろう。味方にとっても敵にとってもだ。
無法者とは要するに「法規を守らない者」である。
だが、そちらの心配は杞憂だった。
猿だから。
猿という奴は、ボスの言う事ならきちんと聞くのだ。それが力のあるボスならば。
そのボス自身に少々問題がある訳だが、そこは目を瞑るしかない。
第二に、彼女の適正だ。
詳しくは後述するが、彼女の素質と才能は、我が軍の主力兵器にうってつけのものだった。
即時対応が求められる空戦において、その反射能力は常人の比ではない。
十代の少年兵に勝る成績を叩き出したのは、彼女の年齢では他に例がなかった。
彼女は筋肉だけの女ではないのだ。
まさしく、空の戦士となるために生まれて来たような女だった。
されど、そんな彼女にも弱点はあった。
ムラ気があり過ぎるのだ。
調子の良い時にはべらぼうに優れた成績を残すが、そうでない時には新兵にも劣った。
これではパイロットは務まらない。
ナビゲーターに進む道もあったが、やはり好不調の波が大き過ぎた。
気に入ったパイロットと組めばエースをも超える。興味のない相手とでは撃墜までの秒読みだ。
よって、こちらもお蔵入りとなった。
何とも惜しい。実に歯がゆい。
ああ、何故神はこのようなモノを創りたもうたのか。
素質、才能、その肉体。
切り分け出来れば、我が軍は精鋭揃いとなるだろうに。
結局、彼女は現在のポジションに落ち着く事となる。
後方支援部隊のレガリス・マクルーア軍曹だ。
我々は多国籍軍であり、様々な人種が隊を構成している。
私のような欧州系、基地の存在する日本の地元民、その他その他。
そして彼女のような猿である。
彼女のために何枚始末書を書いたのか分からない。
書かねば私の首が飛ぶ。
本当に、一体どうして私の下にこんな部隊が存在するのか。
私の階級は大尉であり、彼女の直属の上司という事になってしまっているのだ。
一度、荒くれ者を制御するコツを上官に訊いた時、こんな答えが返ってきた。
『前線に送っちまうのさ。そうすりゃ数が減る』
その教えを忠実に守っているが、まったく減る気配がない。
されど誤解しないで欲しい。
彼女たちは、人殺しが好きな訳ではないのだ。
むしろ私の知る限り、人を殺める事に関してもっとも慎重な部隊と言って良いだろう。
確かに彼らは「銃を撃つ事が好きな猿」だった。
それが彼女と出会い、彼女と共に暮らすようになって、「銃を撃つ事に理由を求める猿」に進化したのだった。
正直、猿は猿だ。
上官の尻を撫でてニヤニヤするような猿は銃殺に値する。
まあ、その論で行くとレガリス自身が蜂の巣になる訳だが、ここでは論じない。
もうちょっと後にする。
分かってる、そこが一番読みたいのは分かっている。
少しお前はそのスケベさを質にでも入れて来い。
猿の話だった。
こいつらは猿の癖に、本当に悪知恵が働く。
酒の横流しについてはもう諦めた。酒保の備蓄がやけに多いと思ったら、いつの間にやら公然の秘密となってしまった。
これを止めたら暴動が起きるだろう。
歴史の示す通り、禁酒法は悪法なのだ。
私自身も酒は嗜む。
実際には「嗜む」というレベルではないのだが、まあ好きだから飲む訳だ。
その酒がどこから来たのか、それを問うのはもう遅すぎる。
だが、麻薬や覚醒剤に関しては話が別だ。
酒は法が許している。麻薬はそうではない。
私の部隊で麻薬は絶対に許さない。
彼女も基本的には同意見だったが、スタンスが違った。
彼女にとって麻薬とは、あくまで「個人が勝手に楽しむもの」であり、他人が余計な口出しをする類のものではなかったようだ。
だから、部下がその手の薬剤を試している事を知っても、鼻で笑って済ませてしまった。
無理やり止めて手が震えるッてんなら、好きにやらしときゃいーだろ。
むしろ士気が上がっていいんじゃねーか?
ああ、分かってるよ。度が過ぎるようなら、あたしがコブシで説得するから。
私は許可した憶えはない。
即刻止めさせるよう命じた。当たり前の話だ。
しかし彼女は黙認した。結果的に、軍にとってはそれが良い結果をもたらした。
そして一人の若者が死に、一人の古参兵が軍を去った。
彼女は今でもその事を後悔している。
こうしたものは伝染性を持つ。
「お前一人で勝手にやれ」と言われたその古参兵が、他部隊の新兵に薬を横流しした。
良い小遣い稼ぎだとでも思ったのだろう。
それは燎原の火のように広まり、サイドビジネスとして古参兵の懐を潤した。
そして不幸な事に、私や彼女を始めとする上官たちにそれが露呈する前に、ある作戦が始まった。
結果から書こう。
作戦は成功した。
我が軍は予想以上の戦果を上げた。
損失はわずかに一名。
リカルド・マンザーロという名の新兵だった。
未来のある、一人の若者が死亡した。
味方の不手際によって。
それは戦死とも呼べぬようなものだった。
ただ仲間が目を覚まし、そして普通に作業をしてさえいれば、その死は絶対に避けられたはずだった。
麻薬など一度も試した事のない真面目な若者が、麻薬のせいで死んだのだ。
彼女ほど、レガリス・マクルーア軍曹ほど、仲間想いの兵は居ない。
彼女にとって部隊の仲間は家族以上の存在だ。
それを裏切った者が居る。
件の古参兵は、もっとも彼女と長い時間を過ごしながら、もう彼女の家族ではなかった。
そして仲間ではなかった。
人間ですらなかった。
かつて私の上官が、彼女に尋ねた事がある。
「最初に人を殺したのはいつか」
彼女は答えた。
「自分は、人を殺した事はありません!」
そして、ニヤリと笑って付け加えた。
「……自分が殺したのは、すべてブタであります」
あの日の事は鮮明に憶えている。
今まさに、彼女がブタを屠殺しようとしている。
私はその背に向かって叫んだ。殺すな、と。
彼女の拳は、かつて古参兵であったブタの顔の、わずか5ミリほど横の壁にめり込んだ。
ずしん、と音がした。
片手一本で持ち上げられていたブタの体は、その一撃で完全に沈黙した。
白目を剥いていた。
彼女が手を離すと、その体は軟体動物のように地面にぐにゃりと落ちた。
彼女は仲間想いだ。
そして仲間とは、彼女の部隊だけではない。
一度でも彼女を頼った者。彼女の助けが必要な者。彼女を慕う者。
すべてが、彼女にとっては仲間であり、家族だった。
特に弱き者を彼女は護った。
そんな弱き者が、理不尽に命を奪われる。この事実に彼女は我慢がならなかった。
このブタが騒いだおかげで、それまで隠れていた裏の事実が明らかにされた。
麻薬は癌細胞のように基地に蔓延していた。
そのすべてが厳正に、外科手術のように除去された。それをやったのは私と彼女の部隊だ。
結果として、あの時。
あえて彼女がブタの行為を黙認したおかげで、末端までが明るみに出た。
そういう事になった。
真実はそうではない。
国を護る兵が麻薬に溺れるなど、あってはならない事だ。
そして、麻薬を横流しするなど。
その上、兵がそれで命を落とすなど。
さらに。
重戦車の突撃にも耐え得るとされた基地の外壁が、素手で陥没させられるなど。
……決してあってはならない事なのである。
だから書類上では色々とそのようになったのだ。
彼女の功績という事にしなければ、この私の落ち度になってしまうのだ。
壁にヒビでも入らなければ、訊き出す事は不可能だった。上層部にはそう報告した。
他にやりようもあった、と思う。
だがはっきりと言える事がある。
私もブタは嫌いだ。
軍は、正義であろうとする。
私はそれに従う。
自分のしている事は正義である。そう思わない兵士は、兵士として役に立たない。
そして彼女には彼女なりの、レガリス・マクルーアとしての正義がある。
その正義はおおむね、軍の正義と同じ方向を向いている。
だから彼女は兵士としてここに居る。
しかし彼女は軍の正義の上に、彼女なりの正義を置く。
それは規律や銃弾では止められない正義である。
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