<ファイル3>
花束は私が買った。
「花なんざ知らねーからよ。なあ、頼むよ」
私だって詳しくなどない。まあ、それはいい。
若者の葬儀が終わった後、個人的に二人でその墓を訪れた時の事だ。
リカルド・マンザーロ。
墓石に刻まれた数字を見る。
右から左を引く。――すると18になる。
18歳。
今は冷たき土の下に眠る、この若者が生きて来た年月がそれだった。
「話したのは一度だけさ。だけど、よ~く憶えてるぜ。食堂でからかわれてたんだ。……帽子の色が赤だったから、だっけな?」
彼女が言う。
「あたし言ったんだよ。赤でいいじゃねーかって。たまたまその時うちのバーンズが居たからさ、『バーンズ、てめぇのパンツも赤だろ』って言ったらさ、なんで知ってんだって話になってよ……」
取りとめのない話が続く。
「バカヤロー、てめぇと寝たのは二回だけだ、そのうち一回は勃たなかったじゃねーかって言ったら、バーンズの野郎が必死にさ……」
私はただ首を振る。
「そしたらこの帽子ちゃん、耳まで真っ赤になっちまって。まるで被ってる帽子と一緒さ。……ああ、そーいやあたしの胸ばっか見てたっけ。少しくらい揉ませてやりゃ良かったよ。本当に……」
花を置いた。
遠くでセミが鳴いている。
彼女の深いため息が、透明な空気の中に溶けて行く。
そしてまた彼女は続ける。
「家でお勉強してりゃ、今ごろ学生さんだろ? なーんでこんなとこに来ちまったかなあ……。まあ、違う勉強なら、いくらでも教えてやったんだけどよ」
「……彼は志願して来た」
私は言った。
「ただ、こうなるために来たんじゃない。それはお前も私も知っての通りだ」
「そうだな」
「だから、これで終わりにする。お前も協力しろ、レガリス」
「ああ。何から始める?」
「ブタ野郎とは私が話す。お前から護ってやる代わりに情報を引き出す。お前はバーで噂を流せ。ブタが口を閉じてる間に新しい胴元を探してると」
「あたしじゃ怪しまれる。レガリス様は麻薬になんか手を出さないって、みんな知ってるからな」
「それでいい」
即座に答えた。
そしてこう続けた。
「部下を何人か放て。慌てて薬を処分するような小物はいらない。商売を続けたがってる悪党なら、お前の腹心に必ず接触してくるはずだ」
「……オーライ。上には何て言う?」
「言わない」
きっぱりと告げた。
「これは私とお前だけの話だ。明るく照らせば照らすほどネズミは逃げる。だから私たちだけでやるんだ」
ニヤリ、と彼女は笑った。
あの端正な顔立ちで、どうしてこんなに下衆な笑いができるのだろう。そんな笑みだった。
「……愛してるぜ、Aちゃん」
「興味はないと言ったはずだ!」
即座に否定する。当たり前だ。
上官と部下で……。いやその前に女同士だ私たちは。
どこまで見境がないのだ、こいつは。
この時、私たちはまだ付き合いを始めてはいなかった。
いやいやいや、おかしいぞそれは。
今でも、私たちは付き合っている訳ではない!
そこははっきりさせないと、またすぐ流され……。もとい言い寄られてしまう。
まったく困った事である。いや本当に。
彼女には、好き嫌いが一切なかった。
男も女も関係なかった。
自分が気に入った相手なら誰でも良かった。
そんな彼女の態度と、彼女が(あるいは私が)女であるという事実。
そして二十代の半ばに差し掛かっていたこの頃まで、まともに男女交際などした事のなかった経験から……。私はこういう時の彼女を避けていた。
彼女は、そう……意地悪である。
そうした空気を的確に読む。
そして、他者が一番気にしている事をズバズバと言う。
これは今でも変わっていない。恐らく一生変わらないだろう。
「いいからヤッちまえって。あんなん勢いだ勢い。最高だぜ? お前だってそろそろ幸せになってもいいんじゃねーか?」
「簡単に……言うなよ馬鹿」
「お堅い大尉どのだよ。いつまでも子守じゃつまんねーだろ? そんなんだとすぐババアだぜ。いいか、人生ってのは一回しかねーんだ。だったら少しは好きに使えよ」
「わた私は好きでこの、この仕事を……」
「いつまでもグダグダ言ってんじゃねーよ! 何ならイキのいいのを二、三十人紹介すっから」
「いっ、いらんわっ!! だいたい何で私が説教されてるんだ!!」
私だって、すき好んで処女でいた訳ではない。
たまたま相手が居なかっただけの話だ。
本当だ。本当に本気で本当の話だ。
他人には関係ない事なのだ。
それなのにこのデカ女は……。
まあ、そんな話はいい。
いつの間にやら私と彼女は、この基地におけるある種のワクチンとして機能していた。
そしてその結果は、上層部でもわずかな人間にしか知らされなかった。
総司令官とその周囲のみ。
だからこそ、我々は自由に動けたのだ。
上記の麻薬の件でもそうだ。
残念ながら主犯には高飛びされてしまったが、基地内は我々の働きですっかり浄化された。
そういった訳で。
必然的に、私たちは軍務以外でも接触する機会が増えて。
おかげで毎回毎回、言い寄られる羽目になってしまった。
そう、本気で本当に、初対面での印象は最悪だった。
撃ち殺してやろうかと思ったくらいだ。
もちろん資料は読んでいた。だから、相当に癖のある女だという事は想像していた。
この馬鹿は、そのハードルを楽々と越えて来た。
何しろいきなり私の胸を揉みやがったのである。
新規入隊者は、原則として講堂に集められる。
ただし彼女のような他部隊からの転属者は、司令室または所轄の上司の許へ出頭となる。
彼女の場合は私の作戦室だった。
だが、だいぶ早めに到着したらしい。五十メートル先からでも分かった(デカいから)。
渡り廊下をウロウロと歩いているのが見えたので、ここはひとつ私が直接案内しよう。そう思って近寄った。
間違いだった。
「……そこの君」
声を掛けた途端、歓声を上げて走り寄られた。
物凄い迫力だ。
上下左右に暴力的に弾む胸がどんどん視界に迫って来る。
クマ撃ちの猟師が最期に見る光景のようだ。
さすがに引き気味に待っていると、目の前の爆乳がしゃべった。
「あんた、いいおっぱいしてんなー!!」
そして、突然胸を鷲掴みにしやがったのである。
……正気に戻るまでに四回くらい揉まれた。
もちろん殴った。グーで。
顔を殴るはずが鎖骨の辺りまでしか届かなかった。
硬いタイヤを殴ったような感触だった。
いきなり何するんだ馬鹿者、などと言うつもりが、何やら妙な叫び声しか出せなかった。
当たり前だ。
固まる私を前に、この馬鹿はしゃあしゃあと言った。
「いやあ悪い悪い! 実は今日からここに転属されてさ、まだ右も左も分かんねーんだ。Aって大尉、知ってる?」
固まりながらも言った。わ……っ、私がそれだ!
彼女はぽかんとして、私の顔と階級章を交互に見た。
そして、即座に敬礼した。……が、その態度はまったく変わらなかった。
「おお、そいつぁ話が早い! レガリス・マクルーア軍曹であります。いや~、美人の大尉どので良かった! やっぱ乳のデカい女に悪人は居ないってね!」
今ここで引き鉄を引いた方が人類のためになる。
私がそうしなかったのは、単に野次馬が集まって来たからだ。
街で怪獣が暴れたら人目を引くのは当然だ。
軍は常に人員を募集しているが、こんな馬鹿を飼う義理はない!
色々と叫んでやりたかったが、なぜか不意に彼女は黙り――。
真剣な表情で。
その大きな体を折り曲げ、私の顔をまじまじと見つめた。
……何だこいつは。
近い、顔が近い!
いきなり何事か――。
すると目の前で、その整った唇が動いた。
「……あんたも、か」
なに……?
何だそれは――。
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
『あんたも、か』。
それは一体……?
ほんの数秒だったはずだ。
その大きなグレイの瞳に、私自身の狼狽した顔が映っていたのは。
やがて彼女はスッと身を引き、ニヤリと笑った。
何とも得体の知れない、下品な感じの笑みだった。
「魅入られてんな。あんた、自分じゃ気付いてねーみたいだけど」
「なん……何の話だ!?」
彼女は、親指を天に突き出して言った。
「あっちのお偉方が、あんたみたいなのを欲しがってんだよ。あたしには分かるんだ。……あんたの生き甲斐は?」
急に訊かれた。
何を言っているのだこの馬鹿は。
そんな事に応じる義務は一切ないが、早く黙らせて基地のしきたりを教えてやらないといけない。
私は答えた。
「我々は軍人だ。軍人ならば、国民のために戦う事こそ生き甲斐だろう。さあ、早くこっちへ……」
すると彼女は、ほんの一瞬だけ――悲しそうな顔をして。
いや待て、なぜそんな目で見る?
そしてこう言った。
「あんたを開放するのは戦いじゃない。……愛だよ」
「訳の分からん事を言うな! 早く来い!」
「憶えてなくてもいい。その時が来りゃ分かるさ」
「いつまでもくだらん話をするなら……」
いよいよ胸倉でも掴もうかと身構えると、なぜか彼女は自分の軍服のボタンを外し始めた。
……なん、何だこいつは。
ただでさえピンと張り詰めた軍服。ボタンが外されるたびに弾けそうになる。
その凶悪な胸の上部が露わになった。
1メートルは軽く超えるであろう巨大な胸の谷間から、彼女はメモ帳らしきものを取り出した。
「ところで大尉どの。これ、この基地の出入り業者の調査結果な。前にうちの部隊で手配したのと同じ顔の奴が居る」
「なに……?」
「ゲンブツ代を多目に振り込んで、差額をプールしておくんだよ。それが遊興費とかに化けちまう」
「お前……。何を言っている……?」
「偉~い軍人様だって人間さ。備品購入にタッチしてる連中を洗うんだな。……ま、ささやかな手土産ってとこだよ。どうだい、気に入って……」
「こっちへ来い!!」
無理やり彼女を引っ張って作戦室に押し込んだ。白昼堂々、あんな話をする馬鹿が居るか!
この基地の誰かが、地元業者と癒着している――?
そんな馬鹿な。
しかし彼女は真実を話していた。
軍隊とは、清廉潔白な者たちだけが集まる場所ではないのだ。
彼女が基地内に持ち込んだ「爆弾」は、数日のうちに爆発し、犠牲者を次々と出した。
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