<ファイル24>

 「やっぱ今日、泊まってけよ」


 「絶対えっちな事するだろ」


 「うーん……。したいけど我慢する」


 「本当か?」


 「どこまでならいい?」


 逆に訊かれてしまった。


 「……何もしない約束だったのに……」


 「おっぱいは?」


 「駄目」


 「じゃあ……キスは?」


 「…………」


 「よっしゃ」


 「何も言ってないが!」


 「ぎゅっとして、いっぱいキスする」


 「…………」


 「あたし、自分でしていいか?」


 「何を……。うっ、自分で!?」


 「うん。抱き合いながら、お前の髪の香りでしたい」


 「だ……っ。駄目だろ、そんな……」


 「駄目ならヤらせろ」


 「二択かよ!!」


 「あたしのベッドを台無しにした責任、取れよ」


 「あれはお前が……っ。この卑怯者! お前が私を拉致したからこうなったんだろうが!」


 「照明は消す。お前は寝てていい」


 「寝られるか! 第一どこで寝るんだ!」


 「言ったろ? あたしの寝袋は特別製で、かなりの余裕があるんだよ」


 「あーもう、残念ながら思い出したわ!」


 「最悪、お前一人で使え。お前の寝顔で抜くから」


 「ほんとに最悪だな!」


 「なあ。楽しいな。……すげー楽しいな。ずっとこのまま話してられたら最高だな!」


 「明日は報告書の作成だ」


 「んなこたー分かってるよ。それまでは二人の時間じゃねーか。……んじゃ、続きをしようぜ」


 「こと、断われ……断る」


 「ば~か。ゲームの続きだよ」


 言って彼女はボトルを手にした。

 いや、私としても、飲む事はやぶさかではないが……。

 次は何を訊かれるのか。

 どうせまた、嫌らしい事を訊いて来るに決まっている。


 彼女が言った。


 「お前が今、一番好きな人の名前を言えよ」


 ――そう来たか!

 思わず言い淀んだ。

 相変わらず、下種な笑いを浮かべて彼女は私を見ている。

 こいつめ。本気で本当にこいつは。

 私が今、思い浮かべられたのは……。


 「……まっくろカラス」


 「そう来たか!」


 「いや、これでは負けてしまうな……」


 うん。

 幸せになる『覚悟』をしよう、A大尉。

 妙な枕詞は必要ない。

 告げた後に言い訳できるよう、逃げ道を用意するのもやめだ。

 いいじゃないか。

 迫られて困るようなら、またその辺の花瓶か何かでぶん殴ればいい。

 待て、伏せ、チンチン。……ふふっ。


 「――レガリス・マクルーア。……私の家族だ」


 そして、彼女は笑った。――まるで真夏の太陽のように。


 「お前の勝ちだ。……」


 私の名を告げ、彼女はグラスに酒を注いだ。

 初めてこのゲームに勝って。

 それ以上に、満ち足りた気持ちで私はグラスを傾けた。


 ずっと前から分かっていたんだ。

 素直になるという事は、とても怖い事である。

 けれども、壁の向こうの景色を知るには、その壁をいつかは登らなければならない。


 お前はいつも、壁の向こうからこっちを覗いていたよな。

 壁よりデカいから。

 だけど、私だってこうして――お前に手を差し出す事が出来るんだ。

 とは言え……。


 「先の事は分からんぞ?」


 「何だよ。不安なのか?」


 「そうじゃない。ただ、昔からお前は色恋沙汰ばかりだったからな。今後もし――」


 「今日からあたしはお前一筋だ。これで安心か?」


 「そういう事をあの、訊いた訳では……ないんだが」


 きっと本心だと思う。こういう事で彼女は嘘を言わない。

 それでも例えば、前述の神田橋のような例はある。

 だがそれは、誰も裏切ってはいないのだ。

 人を裏切る事を、彼女は極端に嫌う。

 時には過剰な報復をもって償いをさせる。


 だから、本当の事を話している。そう思える。

 それに、神田橋の件はレガリスが「変わる」ずっと前の話だ。

 今の彼女は違うという事を、私は良く知っている。


 「他の男に……。いや、お前の場合は女もか。ともかく、今後またお前に言い寄る輩が現れたとしたら――」


 「あたしがモテるのが心配か? そりゃレガリス様なんだから仕方ねーだろ。でも、誘われる方は元から得意じゃねーんだ。だから大丈夫だ、安心しろ」


 「だから、そういう事ではない……んだが」


 そう、これも真実だと思う。

 彼女はいわゆるビッチだが、必要と思わなければ簡単には寝ないのだった。

 自分から誘うのは大好物だったが。


 「いいか? 世の中には、三種類の女しか居ねーんだ。あたしと、お前と、それ以外。分かったか?」


 「男は!?」


 「おお、忘れてた。そんな種族も居たっけな。何しろあんまり昔の事なんで忘れちまったよ」


 「お前の発言とは思えんな」


 「……『好き』は二種類だ。お前のだけ特注だよ」


 「…………」


 「顔が赤いぞ?」


 答える代わりに、鼻をつまんでやった。

 花瓶やボトルで殴られないだけ良かったと思え。ばか。


 「ここでピタッと空になってりゃカッコ良かったけど、少し残っちまったな。よ~し最後の勝負だ。どんと来やがれ」


 ボトルを小瓶のように振る彼女。確かに酒は後一杯分ほど残っている。

 中々のペースである。

 心地良い酔いがじんわりと体を包んでいる。

 最後の一杯というのは、いつも少し寂しいものだな。

 よし、ならば最後の一杯くらい、気楽な質問にしようじゃないか。


 怖いもの知らずのレガリス・マクルーア軍曹よ。

 こんな質問はどうだ?


 「……一番怖いものは何だ?」


 真面目に答えてくれれば、多少は彼女をイジるネタになるだろう。

 いや、口の回るレガリスの事だ。変化球で勝負して来るかも。

 しかしルールを守れるか?

 このゲームは、「嘘をついたり誤魔化したり」は禁則事項だ。

 適当な返事はご法度だぞ?


 予想通り、レガリスはすぐに答えた――。

 意外な言葉で。


 「お前を失う事だ。――それが怖い」


 真剣に。

 真っ直ぐ射貫くような瞳で……そう言った。


 言葉を失ってしまった。

 まったくの予想外だったから。

 きっとレガリスの事だから、冗談めかして「酒」とか答えるのではないかと思っていた。

 そして、私がまた酒を飲めると。


 そうなのだ。

 彼女は……。


 ゲームと称しながら。

 私と、互いに酒を酌み交わしたかったのだ。

 それも、ただ交互に飲むのではない。

 私と『真剣勝負』をして……。


 なおかつ。

 事前にネタを明かさず、わざと負けるような事もせず。

 私と彼女の両者が、「同時」に勝利する。

 勝つ事で酒を飲み、また勝つ事で相手をより深く知るのだ。


 そして本当に彼女が勝ちたかったのは――そう。

 「あの夜」だ。

 浮かれた新人の鼻っ柱を叩き折ったあの夜。

 私が本気でレガリスという人間と闘い、そして勝ったあの夜なのだろう。

 私は知らぬ間に、リターンマッチの場に居たのだった。

 そんな難解でアクロバティックな事を、なんと彼女は己の感性だけで行っていたのである。


 これが……あの夜の返礼か。

 私とのすべての会話、すべての反応、すべての表情を最高の肴とし。

 飽くまで対等に勝負をし、そして互いが勝者となる。


 レガリス――。

 お前は、本気で本当に。

 凄い奴なんだな。凄いよお前は。

 そんなお前と一緒に飲める事を、私は心から嬉しく思う。


 最後に彼女は答えた。

 本当の事を。

 嘘でないのはその瞳を見れば分かる。

 そうする事で彼女はゲームに勝ち、そして勝負に負けてしまった。


 ああ、レガリス。分かるよ。

 嘘などつける筈がなかったんだな。

 私はゲームに負けて……初めて、嬉しいと思った。

 そして同時に切なくなった。勝負に勝ったのに切なくなってしまったよ。

 だから答えた。


 「――馬鹿者。私を誰だと思っている。天下のアイアンメイデン様だぞ?」


 言って私はボトルを持ち、互いのグラスに酒を注いだ。

 一杯分の酒を分け合ったのだ。

 さあ、今宵のゲームはこれで終わりだ。

 そろそろ新しい事を始めようじゃないか。


 「私は必ず帰って来る。家族の許にな。……今度こそ約束する」


 一瞬だけ、ステラの顔を思い出した。

 約束という言葉の怖さを、私は思い知らされている。

 それでも、はっきりと口にする事が出来た。

 真剣な表情で私を見つめていたレガリスが、ようやく微笑んだ。


 彼女が笑ったのだ。だからそれでいい。


 「――あたしの許に?」


 彼女が訊いた。

 それには答えず、代わりにグラス同士を軽く触れさせた。

 互いの喉に、琥珀色の液体が流し込まれる。

 そう。彼女はもう、答えを知っている。

 彼女の瞳に告げた。


 「だからお前も約束しろ。お前の命は私の――」


 ここで言い直した。


 「……お前は、私のものだ。――ずっと私のものだ」


 そして、その腕を受け入れた。

 抱きしめられるがままに。

 深く、優しく、温かい抱擁だった。


 柔らかな胸に包まれ、私は彼女の本当の香りを知った。

 清楚でありながら、ほのかに汗を含んだ香り。

 大人の女の香り。

 そして、ほんのちょっとの薬品の香り――。

 母の記憶。

 本当に安らげる場所。


 耳元で、彼女が言った。


 「愛してる」


 何も言わず、動く右腕でさらに強く彼女の体を引き寄せた。

 柔らかな胸の奥で彼女の鼓動を聞く。

 今はそれだけでいい――。

 けれども、彼女はこう言った。


 「だけど、あたしの体は汚れてる」


 ――何だって?

 顔を上げると、そこには少し困ったような……ステラに似た、少女の顔があった。


 「あたしはやっぱり、まっくろカラスなんだよ。みすぼらしくてみっともない、真っ黒な羽根のカラスなんだ」


 急に怒りが込み上げて来た。


 「でもさ。にじいろインコを護ってやれる。あたしなら出来るんだよ。……汚れてても、いいか?」


 「汚れてなどいるか!」


 思わず声を荒げていた。

 あの日、何度も何度もボールを拭った感触が蘇る。

 汚れていたら何だと言うのだ?

 そんなもの、何ほどの事もない。

 お前は、な。いいか良く聞け。

 汚くなんかない。全然汚れてないじゃないか。


 「お前はこんなに綺麗じゃないか。デカいけど美人だし、胸だって必要以上にある。……いいか、お前は綺麗なんだ。それを認めろ」


 間近で見る彼女の顔は、確かに。

 溜め息が出るほどの美人だ。

 それが今では、困っているのか、苦笑いなのか、それとも……喜びを押し止めているのか。

 何とも言えない表情に包まれている。


 ……馬鹿者。

 私はな。お前に感謝しているんだ。

 常識を打ち壊してくれた事に。

 その檻を破って、月明かりの夜空に連れ出してくれた事に。

 だから言った。


 「もし汚れたら、その時はまた私が……拭いてやる。何度でも」


 「……ありがとう」


 ほら、やっと笑ったな。

 この時の、彼女の顔を――私はずっと憶えている。

 真夏の太陽。大輪の薔薇のような笑顔を。

 さあ、今度は私の番だ。

 私がお前の手を取って、新しい空に連れ出してやる。


 黒い瞳に黒い髪のまっくろカラスが。

 プラチナブロンドのにじいろインコに、空を取り戻させるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る