<ファイル7>

 ともかく彼女と飲んでいると、まず話題に上がるのは性事情である。

 シラフの時でも同じである。

 あろう事か、作戦会議の時でも振って来る(来るな)。

 その気になれば、多彩な話題で聞き手を楽しませる事も出来るのに。

 私と話すといつもこれだ。

 私が性の捌け口にならないからって、なぜ愚痴の捌け口にならねばならんのか。


 ……だがまあ、そこはだいぶ前から諦めている。

 そういった諸々の捌け口として私を使うのであれば、それは上官としての務めの内であるからだ。

 我が隊の若者たちの尻を追い掛けられる代償として、私一人が犠牲になるべきなのだろう。

 猛獣は檻の中で飼うべきだ。


 先ほど、童貞に対する彼女の心情を書いた(書くのもはばかられるが)。

 もちろん彼女の好みは童貞だけにあらず、老若男女すべて口に入れば美味しく頂いてしまう訳だが、やはり相性というのはある、と言う。

 体の相性は大切だと彼女は力説する。


 そんな事を私に言われても困る。

 困るのだが、ここで付き合わないと誰に矛先を向けるか分からない。

 だから聞いてやった。

 猛獣の飼い主も大変なのだ。


 当時彼女が付き合っていたのは、車両課の峰岸という中年男性である。

 赤ら顔で恰幅の良いバツイチ男だった。

 周囲の人間は私も含め、「峰さん」と呼んでいた。

 彼女と峰さんの蜜月は非常に短く、確か一週間しか続かなかったはずだ。

 その理由は、峰さんが別れた奥さんと元の鞘に収まったからだった。

 彼女は潔く身を引き、二人のために高級な酒まで贈った(盗品かどうかは訊かなかった)。


 そうして、非常に珍しい現象が起きた。

 彼女がフリーとなったのである。

 以下は、そんなある時期の話である。


 「オヤジ神話ってのは幻想だぜ」


 彼女が、しみじみと言う。

 グラスに残った氷はもう半分ほど溶けている。

 それをくるくると回しながら、隣の私に話し掛けている。

 突然そんな事を言われても何が何だか分からないので、私は黙って先を促した。


 「中年の脂ぎったオヤジは、さ。……テクが凄いって言うだろ?」


 「一から十まで知らんが」


 「そいつは、あたしに言わせりゃ九割方は幻想だね。もちろん、そういうのも居るよ。まあでも大抵はフツーだな。下手糞だって多いしさ」


 「それを話した所で給料は変わらんぞ」


 「考えてもみろよ。そういう中年がセックスできる機会は? てめーの古女房相手か、せいぜい二週に一回くらい風俗に通う程度だろ?」


 「だから同意を求めるなよ」


 「そういうオヤジのセックスはルーチンなんだよ。特に風俗嬢は褒めるのが仕事だから、褒められて舞い上がってるだけなのさ」


 「マスター、お代わり」


 「歳は食ってるから、ボキャブラリーだけは増える。あと、同じ理由で遅漏になる。なかなかイケないんだよ」


 「あ、レモンはいい」


 「それに、若い子みたいなガッツキ感がないから、スローペースになる奴が多い。そういうのを総合して、テクがあるって勘違いされちまうんだな」


 「マスター、新聞取ってくれ」


 「ただネチネチやりゃいいってもんじゃねーよ。ペースが自分勝手な所はガンガン突くだけの若造と変わんねーよ」


 「明日は雨か」


 「ぶっちゃけ途中で飽きるんだよな。お互いの心の声を聞くってのが出来ねーと、いいセックスは出来ねーんだ。あたしはオナホじゃねーんだよ」


 「マスター、もう一杯」


 「こっちは、デブでも不細工でも粗チンでも構わねーんだから。それでも最高のセックスは出来るんだしさ。お互いをリスペクトしなくちゃ、って話だよ」


 「ああ、終わったか? お前の言う通りだ」


 「だろ? だから中年が上手いんじゃねーんだ。ただ上手い奴も居るだけだ。それは年齢とか関係ねーんだよ」


 「よし、そろそろ寝るか」


 長い長い話だったが、要約するとこんな感じだった。

 言っている事の真偽は分からない。分かりたいとも思わない。

 ただ彼女はセックスに対し、非常に真面目に、真剣に取り組んでいるのである。

 それを軍務に活かせないのが甚だ惜しい。


 こんな話をしたのは、彼女が峰さんと別れたばかりであったから、かもしれない。

 噂によると、煮え切らない峰さんの背中を押したのが彼女らしい。


 まだカミさんの事好きなんだろ? だったら会いに行けよ。

 花束の一つくらい買ってな。

 ああ? 花の事なんか知るかよ。花屋に訊きな。

 子供にだって会いてーだろ? もう小学生だって?

 その子の父親はこの世に一人しか居ねーんだ。

 もしまた飲みたくなったら、その時は子供の顔でも思い出すんだな。

 そうすりゃ大丈夫だ。いいか、あんたは大丈夫なんだよ。

 立派かどうかなんて知らねーよ。ただ、あんたは父親で、そして夫なんだよ。

 分かったら行きな。行けばきっと何かが変わるから。


 ……という事で、なんと彼女は峰さんに家族を取り戻させた上、依存していたアルコールまできっぱりと手を切らせてしまったのである。

 だから彼女が贈った高級な酒は、今でも峰さんの家に飾られているそうだ。

 彼女はその体で人の輪を紡ぐ。それは本当の事である。

 しかしなぜ上記のごとき話をしたのか、それは。


 「……正直、峰さん下手糞だったからなー! でも素敵だったぜ。なんか愛を感じたよ。……そういう相手とのセックスがあたしは好きなんだ。テクなんて関係なしに、な」


 と、そんな所であったようだ。

 テクニックと体の相性は、皆が思うほどには関係しない。

 上手な相手でも感じないものは感じない。

 モノの大きさもそれほど重要ではない。

 逆に、大したテクニックがなくても、そこに心が通えば――。

 それは素晴らしい快楽を生む。

 そういう事らしい。


 ……されど。

 話の相手がこの私というのは、大いに疑問が残る点だ。

 それは、もしかしたら。

 話の相手にまったく困らない彼女であるが、こういう話が出来るのは……。

 この基地では、私だけなのかもしれない。


 私が上官だから、というのも当然あるはずだ。

 年齢が近いのも理由の一つだろう。

 しかしそれだけではなく、私以外の人間であるなら。

 どうしても、セックス自体が邪魔をして……そんな話が出来ないのかもしれない。

 これも真偽は分からない。


 ちなみに、彼女がフリーであったのは、この後わずか半日だけであった。

 翌日にはもう新しい恋人を見付けていた。

 まったく。


 本当に、お前って奴はビッチだな。

 でも知ってるよ。

 お前は浮気者でも、移り気でもない。

 本当のお前は一途だから。

 だから、過去の事はもういいんだ。

 ちょっとだけ悔しい……などとは別に思わんぞ本当に。


 そう。過去の話と言えば。

 ある教練のさなかに、ある事件をきっちりと解決していた事があった。

 半分は私が仕組んだ事だが、残りの半分は運が味方した。

 その話をしておこう。


 あの日は雪中行軍だった。

 山の奥の奥、視界が確保できないほどの大雪の中で、硬い地面を掘ってテントを設営する苦行。

 こうした訓練も必要なのである。

 いざとなれば、麓の町に助けを求める事もできる。

 されど我々は軍人であり、そしてこの場は実戦を想定している。

 まずは自力で生還する――。これこそが、求められる結果となる。


 正直、大雪は想定外だったが、サバイバル術の強化という観点においては正解だった。

 しかし不運も重なった。

 本人の不注意により、傷病者を一名出してしまったのだ。

 それはヴァルターという名の古株の隊員だった。


 ヴァルター本人による報告はこうだ。

 行軍の途中、足が滑ったので、咄嗟に右手を突いた。

 それが悪かった。

 妙な角度で捻ってしまい、手首に鋭い痛みが走った。

 「ああ、これは折れた」と――。その瞬間に分かったらしい。


 猿も木から落ちる。雪国出身のヴァルターも然り、である。

 もちろん、片手で雪中行軍は無理である。

 応急処置の上、急ぎ麓の町までの搬送が必要となった。

 衛生兵を随伴させるのは当然として、最低でもあと一名は必要となる。


 「おう、みなまで言うな。ボトル一本で手ぇ打つぜ、ヴァルター」


 まだ私が何も言わないうちに、ヴァルターをひょいと持ち上げる馬鹿がいた。

 お姫様抱っこから、今度は「おしっこポーズ」だ。若い兵たちが笑いを堪える。

 ヴァルターの抗議を無視して、その体を持ち上げたまま、レガリスが彼の腰をまさぐっている。

 180cm近い筋肉男がぬいぐるみ扱いだ。……まったく。


 私はそれを止める。


 「いや、今回は別の人間に行ってもらう。お前は残れ、レガリス」


 「マジか! ……なんで!?」


 「お前が行くとスノーモービルが足りなくなる。……オカダ、お前が行け。詰めれば三人乗れる。装備は最小限にしろ」


 「オカダだってデカいじゃねーか!」


 「お前はテントの設営に必要だ。それに任務中、別行動で飲酒などされても困る」


 「う……! 心を読んだな……?」


 知っての通り、この女には裏表というものがない。

 いわゆる正直な馬鹿である。

 そして、非常に手クセが悪い。

 それを確認できたのは、恐らく私一人だけだったろう。


 という訳で。

 オカダには急ぎ指示を出し、麓の町まで向かわせた。

 結果、都合三名が別行動となり。

 その事によって、微妙な事態となった。

 テントは四名用なのだが……。

 彼女と私の二人だけが、その中で一夜を過ごす事になってしまったのであった。


 「それ以上近付いたら殺す」


 「離れる事も出来ないんだけど」


 「しかし参ったな。明日までに雪が止まねば、自力下山も怪しくなる」


 「裸になって温め合うか?」


 「前半だけ許可する。外でやれ」


 「酒でもありゃなあ」


 「諦めの悪い奴だな。たまにはシラフで話してみろ」


 「話すって何をだよ」


 「例えば過去だ。お前の、軍歴以前の生活とかな」


 もちろん私は彼女の経歴を知っているから、耳新しい話題に期待した訳ではない。

 戦災孤児で、施設育ちで、特に運動面と反射神経に秀でており――。

 そうした通り一遍の言葉ではなく、彼女自身の言葉で説明が欲しい。

 彼女は答えた。


 「そんなもん、知ってるだろ? それよかお前の事を教えろよ」


 「私の?」


 「恋人の事は何でも知っておきてぇのさ」


 「な――っ、恋人ではない!」


 「お前、そういうの全然話さないじゃん。……家族なんだろ? あたしらは」


 「…………」


 そういう訳で。

 何故か、私が話す事になってしまった。

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