<ファイル15>

 いや、分かっている。

 分かっているけれど、もう就寝時間が来る。

 いずれ彼女も、自室に……。


 それは。

 それは……何だろうこの感覚は。

 まさか、私は。

 もっと話がしたい……のか?

 もっと近くに居たい、のか?

 馬鹿な。相手はレガリスだぞ。


 それに、今までだって隊員の死はあった。

 私よりも若い隊員の死も。

 その度に私は己の無力さを嘆き、運命を呪い、これは戦争だからと無理やり自分を納得させ。

 孤独の夜に耐えて来たのだ。


 今宵、私は。

 またも大切な家族を失い。

 再び大切な家族と出会い。

 「護る」という誓いを……裏切り。


 もう一つの、「護る」という誓いを立てた相手が――。

 手を触れられるほど近くにいる。


 私が護ると誓った、その相手に。

 今は……。

 そうだ。私が護られている。


 私が、護られているのだ。

 夜は孤独ではなかった。

 そうだったのだ。今までずっと。

 この私は、彼女に――家族に護られていたのだ。


 それが分かったから。

 私は急に、息が出来なくなるほど切なくなった。


 行かないでくれ。

 お願い。行かないで。

 一人にしないでくれ。

 もうちょっとだけ……。このまま……。


 そして、ふと。

 ステラの顔が頭をよぎった。

 ステラ――。


 最期まで、私と一緒で。

 私が救えなかった少女。

 ずっと手塩に掛けて育てた、あの子。

 あの子は。

 あの子の未来は、生きてさえいればいつか経験できたであろう幸せな日々は。

 もう……来ない。絶対に。


 こんな時に。ステラが居なくなったばかりだというのに。

 私は、なんて不謹慎な事を考えているのだ。

 もしも、あの子が居てくれたなら――。

 何と言うのだろう?

 私の事も、レガリスの事も、みんな好き。

 そして、私を家族だと。

 私を「信じる」と……。


 「信じる」。


 私には……そんな資格はない。

 私は君を裏切ってしまった。

 助けてあげる事が出来なかった……。


 その時。

 何か私は、大切な事を――。

 「夢」を、見た。……気がする。

 とても大切な、夢……。

 ……思い出せない……。


 「……お前、大丈夫か?」


 「ああ……。うん」


 「ステラの事だな?」


 やっぱり……彼女に隠し事は出来ない。

 私は顔を上げた。


 「話しておくよ。あいつの最期の事」


 「え……っ?」


 「手術の前にさ。少しだけ話をしたんだ。あいつ――」


 「何と言っていた!?」


 身を乗り出す。

 あの子の、ステラの最期の言葉。


 「……ありがとう、って。お前に伝えてくれってさ」


 「……!!」


 何がありがとうなものか。

 私があの子の命を奪ったんだ。

 それなのに――。


 「あと、上手に出来なくてごめんなさい、って謝ってた」


 「……謝る……? 謝るのは私だ……」


 「それと、な。……戦う事が生き甲斐だなんて、そんな悲しい事言うな、って」


 「――!」


 「いつものお前が好きだって。あたしと夫婦喧嘩してる時の事、凄く羨ましがってたよ」


 「…………」


 「いつも気にかけてくれて嬉しかった。だから、そろそろ自分が幸せになれ、ってさ」


 「…………」


 「こんな所かな……。最後に、またお礼を言ってたよ。ありがとうってな」


 「…………」


 ステラ――。

 私が君を殺したのに。

 どうしてお礼なんか――。


 私は、戦う事が人生だ。

 それだけが生き甲斐なんだ。

 軍にこの身を捧げた人間だ。

 それ以外の生き方なんて、考えた事もない。

 ましてや、幸せになるなんて……。


 「……でさ。ちょっと聞いてくれ」


 「何を――」


 「お前を知るすべての人間は、みんなお前に幸せになって欲しいと願ってる」


 「……!?」


 「みんながそれを望んでる。……ステラも、な」


 それは。

 レガリスに向けて、私が言った言葉だった。

 私は――。

 自分が幸せになる「覚悟」もないのに、偉そうに説教していたのか。


 「私は上官失格だな……」


 「おいおい、急に何言ってんだよ」


 「戦争であれば人は死ぬ。我々軍人は皆、その事を覚悟している。……死ぬ事さえ覚悟しているのに、幸せになる事がこんなに『怖い』事だったなんて、な」


 「……ああ。怖い」


 「珍しいな。同意しないと思っていた」


 「世の中みんな怖い事だらけさ。ただ分かってるのは、怖がってちゃ何も出来ねーって事だ」


 「その通りだ」


 「あたし一人で出来る事なんてタカが知れてる。難しい事も分からねー。だったら、半分くらい持ってもらってもバチは当たんねーだろ」


 「半分くらい持つ?」


 「幸せになる事を」


 「あ……」


 「あたし一人じゃ……出来ないから」 


 その時。

 灯かりが消えた。

 就寝時間になったのだ。

 お互い周りを見回し、そしてすぐにまた見つめ合う。


 あたし一人じゃ出来ない。

 それはつまり……。

 幸せになるための、相手が必要であって。

 それは、つまり。


 参った。

 なぜここで灯かりが消えるのか。


 すぐ近くに彼女が。

 レガリスが居る。

 薄闇の中に浮かぶ、彼女の顔。

 非常灯だけが闇に儚く抵抗している。

 暗がりでも、はっきりと分かる彼女の美しい髪。

 あの瞳が私を見ている――。


 彼女の唇が、動いた。


 「出撃前に、さ……」


 「う……!」


 どきん、とした。

 あの事だ。


 「あたし、言ったよな……?」


 「…………」


 やっぱり。

 鼓動が早くなる。

 鮮明に思い出してしまう、あの瞬間――。


 あの時の事はあの時のまま。

 いずれ、すべてを忘れる。

 また明日から日常が始まる。

 そんな風にも思っていた。漠然と。


 い、いやいやいや!

 アレはそのアレだろう!

 そういうアレはその、アレだから!!


 「そしたら、お前……」


 「あ~、何だ。……アレはだな……」


 「了解、って言った……よな……?」


 「あーーー、何だ! アレはお前……、あのアレだ!!」


 何と答えて良いか分からず謎の踊りで呼応してしまう。

 七輪の上のスルメのようにジタバタする私を見て、彼女は。

 けらけらと指さして笑う――かと思ったら。

 意外にも。

 優しい、まるで母親が幼い娘に向けるかのような笑顔で、私を見た。


 何だこれ。

 何だこれ!

 何だこれーーーっ!!


 もーーーっっ!!


 ……はっきり言って私は、その手の知識が皆無だ。

 厳格な家庭に育ったからだろう。

 父は軍人。母も看護師から軍人に転職した。

 弟は歳が離れていたから、あまり会話はなかった。

 友達も、それほど多くはなかった。

 学校の休み時間では、本を読んで過ごす事が多かった。


 そういう行為に及ぶなら、しっかりと相手を知ってからだ。

 相手のご家族にも挨拶をせねばならない。

 もちろん、結婚までは綺麗な体でいるべきだ。

 世の中に、その手の誘惑は溢れている。

 そうしたものを退け、きちんと自分を律して生きる。

 これが正しい軍人としての生き方だ。


 ……という教えを、基本的には守っていた。

 私にはもう、肉親と呼べる人間は居なくなってしまったけれど。

 もし両親が生きていて、この場を見たなら。

 卒倒するだろうな……。


 若い者の常として、そうした規律に反旗を翻した事もあった。

 そのたびに母は叱った。

 されど父は……。

 ただ悲しそうな、失望したような眼差しで私を見た。


 それがたまらなく怖かった。

 私は父の期待に応えたかった。

 私の小さな反乱は、だから種火のうちにいつも消し止められていた。


 今、私は軍に居て。

 戦火を潜り抜けると共に、様々な生き方がある事を知った。


 最初に覚えたのは酒だ。

 これには何度も助けられた。

 私の体が特殊である事――酒に関して、ほぼ限界というものが存在しない事――を、ほどなくして知った。

 そして、その効用も。

 酒は人の心の垣根を取り払う魔法の水だ。

 これのおかげで私の世界は大きく広がった。


 レガリスが体で行なっていた事を、私は酒で行なっていたのかもしれない。

 元々、人付き合いは苦手だ。

 だが酒があれば多少はマシになる。

 問題は一つだけ。

 私が心の垣根を取り払う頃には誰もが屍のように寝てしまい、よって誰にも胸の内を語る事が出来なかったくらいだろう。


 ――大問題だ。ああ。


 だから、私は。

 任務と酒があればいいのだ。

 それで良かったのだ。

 昨日までは。


 だから私は――。


 えっちな事など知らん!!

 別に知らなくても良かったの!!


 ……すると彼女が。

 まじまじと私の顔を覗き込んで――うあ近い近いちょっと!!

 ……言った。


 「うーむ、可愛い」


 「かっ……! かわ、可愛いとか何を……。なに、を……っ! 別に全然あの、何言ってるんだ馬鹿!!」


 「怪我、大丈夫か?」


 「へっ?」


 何が起きたのか分からなかったが、どうやら急に心配されてしまったようだ。

 まだ彼女は私をじっと見ている……。

 大きなグレイの瞳が。

 す、吸い込まれそうだ。

 凄く不思議そうな顔で、彼女が言った。


 「もしかして、お前……」


 「え……?」


 「初めてだったか?」


 「……は!?」


 「キス」


 「うぉうえぅっ!?」


 なん、なん、何をあのアレだ馬鹿者!!!

 そんなもの、そんなもの……!!

 あっ、当たり前だこの大馬鹿者!!

 笑うか!? どうせ笑うんだろうこのビッチが!!

 大きなお世話だ! 私はお前とは、お前なんかとは……。


 ……などと葛藤していると。

 彼女が笑った。ほらやっぱり!

 でも、その笑顔は、私が予想したものとは違っていた。

 あの優しい、聖母のような、どこまでも安心できる笑顔だった。


 「そうか……。嫌だったか?」


 答えられる訳がない。

 否定も肯定も出来ない。

 どうしようもなく、ただ固まる私に、彼女は。


 私の「名前」を、呼んだ。

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